弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

タイムカードが「ない」という主張が排斥され、文書提出命令が発令された例

1.タイムカードが「ない」という主張

 残業代請求を行うにあたっては、タイムカードが重要な証拠になります。「機械的正確性があり、成立に使用者が関与していて業務関連性も明白な証拠」(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕169頁参照)とされているからです。

 上述のような証拠としての性質上、「タイムカード・・・等による客観的記録を利用した時間管理がされている場合には、特段の事情がない限り、タイムカード・・・等の打刻時間により、実労働時間を推認するのが裁判例の趨勢である」と理解されています(前掲『労働関係訴訟の実務Ⅰ』170頁参照)。

 タイムカードは真実を解明するための重要な証拠であり、文書提出命令の対象になります。そして、「使用者において文書提出命令に従わない場合などには真実擬制の効果(民訴224条)が生じることや・・・損害賠償の問題も起こることから、使用者側で任意に開示しているのが通常」です(前掲『労働関係訴訟の実務Ⅰ』176頁参照)。

 そのため、残業代請求の実務では、労働者側でタイムカードの全部又は一部を持っていなかったとしても、それほど困ることはありません。交渉段階で開示が得られなかったとしても、推計計算したうえで提訴し、文書提出命令申立を示唆しながら裁判所の釈明権行使を求めれば、大抵の使用者は任意開示してくるからです。

 そのため、実務上、タイムカードの存在が明らかであるにも関わらず、使用者側が「ない」と言い張って任意開示を拒み通すような事態には、あまり遭遇することがありません。結果として、文書提出命令の発令に至る公表裁判例も殆ど目にすることがないのですが、近時公刊された判例集に、タイムカードが「ない」という使用者側の主張が排斥され、文書提出命令が発令された裁判例が掲載されていました。東京地立川支判令4.9.16労働判例ジャーナル132-58 JYU-KEN事件です。

2.JYU-KEN事件

 本件は残業代請求訴訟(時間外勤務手当請求事件)に付随して、原告側がタイムカードの文書提出命令を申立てた事件です。対象となったのは、サイボウズに収納されているタイムカードで、一部持ち出すことができなかったデータです。

 これに対し、被告(相手方)は、

「相手方は、申立人が提出を求めている本件文書(該当期間のタイムカード)については、現在、保有又は保管(所持)していない。」

と述べ、その存在を争いました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、文書の存在を認め、文書提出命令を発令しました。

(裁判所の判断)

「一件記録によれば、相手方の従業員に関する出退勤時刻は、サイボウズというソフトウェアを使用したタイムカードにより行われており・・・、平成31年2月1日から令和2年6月15日までのタイムカードの出退勤時刻の記録については、従業員であった申立人が自らサイボウズから印刷したものを提出していること・・・、令和2年6月頃に労働基準監督署が介入したことを契機として、サイボウズ内のタイムカードがロックされたうえ、業務用PCの持ち出しが禁止されてしまい、申立人は、令和2年6月16日以降令和2年7月31日(申立人の退職日)までのタイムカードが入手できず、本件訴訟に証拠として提出できていないことが認められる。」

「上記事実によれば、申立人が提出を求めている本件文書(該当期間のタイムカード)については、当然、相手方が管理し、所持しているものと認めるべきである。」

「上記の点に関し、相手方は、申立人が提出を求めている本件文書(該当期間のタイムカード)については、現在、保有又は保管(所持)していない旨主張している。しかし、タイムカードについては、『労働関係に関する重要な書類』として、使用者が5年間(完結の日が起算点)記録保存の義務を負っているもので(令和2年法律第13号改正により、従前の3年間が5年間と改正された。)、しかも、違反した場合は罰金の罰則もあり、また、電子データであるので、保管するために場所をとったり、紛失したりするようなこともなく(上記データをあえて削除しているとすれば、相手方が自ら不利になることを避けるために行っているとしか考えられない。)、相手方が現在所持していないとは考え難い。

3.データの廃棄・削除は意味がない、「ない」という言い訳は容易には通らない

 文書提出命令が認められるためには、申立人の側で文書の存在を立証する責任があります。本件は相当期間のタイムカードを持ち出せた事案であり、相手方が「タイムカードはない」と主張している全事案に一般化できるわけではありません。

 しかし、一部でも持ち出して存在を立証することさえできれば、

タイムカードは廃棄・削除した、

タイムカードは保有、保管、所持していない、

といった強弁は、そう容易に通るものではありません。

 残業代を請求するにあたっては、対象となる全期間のタイムカード(の写し)を持ち出すことができれば、それに越したことはありません。しかし、何等かの事情により全期間の持ち出しが難しい場合、一部期間であったとしても、持ち出しておくべきです。そうすれば、文書提出命令の発令(発令拒否に対しては真実擬制のペナルティ)に繋げることができるからです。

 冒頭で述べたとおり、普通、タイムカードは、任意開示されるのですが、本件は、任意開示されない場合、どのような理屈でタイムカードの提出が命じられるのかを知るうえで参考になります。