1.労働時間を管理する文書
使用者には労働時間を管理する義務・責務があります。
例えば、厚生労働省は、
「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置 に関するガイドライン」(平成29年1月20日策定)
の中で、
「労働基準法においては、労働時間、休日、深夜業等について規定を設けているこ
とから、使用者は、労働時間を適正に把握するなど労働時間を適切に管理する責
務を有している。」
と規定しています。
労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン |厚生労働省
また、労働安全衛生法66条の8の3は、
「事業者は、第六十六条の八第一項又は前条第一項の規定による面接指導を実施するため、厚生労働省令で定める方法により、労働者(次条第一項に規定する者を除く。)の労働時間の状況を把握しなければならない。」
と規定し、これを受けた労働安全法施行規則52条7の3第1項は、
「法第六十六条の八の三の厚生労働省令で定める方法は、タイムカードによる記録、パーソナルコンピュータ等の電子計算機の使用時間の記録等の客観的な方法その他の適切な方法とする。」
と規定しています。
そして、使用者は、労働時間管理に係る記録を保存する義務があります。
労働基準法109条が、
「使用者は、労働者名簿、賃金台帳及び雇入れ、解雇、災害補償、賃金その他労働関係に関する重要な書類を五年間保存しなければならない。」
と規定しているところ、
「その他労働関係に関する重要な書類」
の中に
「タイムカード等の記録・・・始業・終業時刻などの労働時間の記録に関する書類も該当するものであり、これらについては、使用者が自ら始業・終業時刻を記録したもの、残業命令書及びその報告書並びに労働者が自ら労働時間を記録した報告書など」
が該当するという解釈がとられているからです(厚生労働省労働基準局編『労働基準法 下』〔労務行政、平成22年版、平23〕1014頁参照)。
こうしたルールが採用されているため、労働者は手元に労働時間に関する記録がなかったとしても、その存在さえ立証できれば、文書提出命令等の手続を活用することにより、法廷に資料を顕出させ、時間外勤務手当等(残業代)を計算することができます。
それでは、使用者側から、労働時間を管理する書類について、破棄したと言われた場合、手続はどのように流れて行くのでしょうか?
この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地決令5.8.4労働経済判例速報2530-20 對馬事件です。
2.對馬事件
本件は文書提出命令の発令の可否が争われた事件です。
基本事件はいわゆる残業代請求事件です。
被告になったのは中華料理店を経営する株式会社です。
原告になったのは、被告が経営する中華料理店で勤務していた方です。
本件の原告は残業代を請求するため、
「令和3年1月から令和4年10月において、相手方が経営する麻布十番の高級中華料理店『A』で申立人らが出勤時、退勤時、休憩開始時、休憩終了時の都度手書きでそれら時刻を記載した紙」(本件文書2)
の提出命令を申立てました。
これに対し、被告は、本件文書2は給与の計算等が完了するとその都度破棄していたため存在しないと述べ、文書の不存在を理由に発令の可否を争いました。
しかし、裁判所は、次のとおり述べて、文書提出命令を発令しました。
(裁判所の判断)
「証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、本件文書2が作成されたと認められる。」
「この点につき、相手方は、本件文書2は給与の計算等が完了するとその都度破棄していたため、存在しないと主張する。しかしながら、相手方は、タイムカードを導入しておらず、申立人らの労働時間を管理する文書としては本件文書2しかないのであるから、本件文書2は、「労働関係に関する重要な書類」(労基法109条)として、使用者たる相手方が5年間の保存義務を負っていると認められる。しかも、違反した場合は罰金の罰則もあるのであるから(同法120条1号)、所持している蓋然性が非常に高いといえる。」
「このような点に照らすと、本件文書2は給与の計算等が完了するとその都度破棄していたとの相手方の上記主張は、破棄の事実について具体的な裏付けもないまま、採用することはできないといわざるを得ない。」
「したがって、本件文書2は相手方が所持しており、民訴法220条4号イないしホの除外事由に該当しないから、相手方は本件文書2の提出義務を負う。」
3.破棄したとの言い訳は通用しない
以上のとおり、裁判所は、対象文書を破棄したとする被告の主張を排斥しました。
読者の方は、「ない」と言っている文書の提出することを命じたとしても、相手方が対象文書を持ってくることはあり得ないのではないか? と疑問に思う方がいるかも知れません。
しかし、文書提出命令の発令には続きがあります。相手方が文書を出さない場合、民事訴訟法224条は、次のような効果が生じると規定しています。
「第二百二十四条 当事者が文書提出命令に従わないときは、裁判所は、当該文書の記載に関する相手方の主張を真実と認めることができる。
2 当事者が相手方の使用を妨げる目的で提出の義務がある文書を滅失させ、その他これを使用することができないようにしたときも、前項と同様とする。
3 前二項に規定する場合において、相手方が、当該文書の記載に関して具体的な主張をすること及び当該文書により証明すべき事実を他の証拠により証明することが著しく困難であるときは、裁判所は、その事実に関する相手方の主張を真実と認めることができる。」
要するに、文書の記載内容や、その文書を利用して行おうとした主張の内容について、提出命令を申立てた側の言うとおりであると認定してもらうことが可能になります。こうした規定を媒介にして、証拠がなくても残業代を請求することができるようになります。
労働時間を管理する書類は文書提出命令の申立てまでしなくても、使用者側から任意に開示、提出されるのが通例ではありますが、中には「破棄した」と強弁して労働者側の立証を妨害してくる使用者もいます。そうした使用者に対抗して行くにあたり、本裁判例は先例として参考になります。