弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

休職開始日を休職命令の到達時よりも前の日付に遡らせることは可能なのか?

1.意思表示の効力発生時期

 民法97条1項は、

「意思表示は、その通知が相手方に到達した時からその効力を生ずる」

と規定しています(到達主義)。

 この規定に従うと、休職命令も、使用者からの通知が労働者に対して到達した時に発生するということになりそうです。

 しかし、休職を命じる通知が、何等かの理由により、実際に休み始めたよりも後に到達することがあります。こうした場合に、休職開始の日を遡らせることは許されるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令3.11.25労働経済判例速報2473-16 学校法人工学院大学事件です。

2.学校法人工学院大学事件

 本件で被告になったのは、工学院大学等を設置、運営する学校法人です。

 原告になったのは、被告との間で労働契約を締結し、専任の事務職員として勤務していた方です。

 被告の就業規則上、原告は、定年年齢(65歳)に達した年の年度末に年度末(平成27年3月31日)に退職することになっていました。

 しかし、原告の方は平成25年11月26日から休職しているとされ、被告における休職期間の上限である16か月後、平成27年3月25日をもって自然退職(休職期間満了による退職)したものと扱われました。これに対し、普通退職として受給した退職金と、定年退職した場合に受給できたであろう退職金の差額を請求したのが本件です。

 この時、根拠になったのが到達主義の規定です。平成25年11月26日から休職を命じる旨の書面を原告が受け取ったのは、平成26年1月21日ころでした。原告は、休職命令の効力が発生するのは、平成26年1月21日の翌日からであり、定年退職時点では未だ休職期間満了に至っておらず、退職原因は自然退職ではなく、定年退職になるはずだと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、退職原因を平成27年3月25日付けの自然退職だと認定しました。結論としても、差額退職金の請求を棄却する判決が言い渡されています。

(裁判所の判断)

本件就業規則10条本文及び同1号は連続して3か月を超えて欠勤した場合に休職を命ずることができる旨定め、・・・本件休職者に対する暫定給与規程1条及び2条は欠勤期間を発病日から3か月間とし欠勤期間後16か月を休職期間とする旨定めているところ、これらの規定からすれば被告は3か月を超える欠勤の事実を確認しなければ休職命令の発令はできないが、他方、労働者が欠勤期間3か月間に続けて切れ間なく一定額の給与の支払及び傷病手当金の支給を受けられるようにするためには、欠勤期間が3か月間となった日の翌日から休職期間としなければならないことになるから、被告における休職制度においては、欠勤期間が3か月間となった翌日である休職期間の始期の日よりも後の日になってから、同日を休職期間の始期と定める休職命令の発令を行うことも想定されていると解するのが合理的である。

(中略)

「以上によれば、被告が、原告が本件辞令書面を実際に受領する以前から本件休職期間が開始しているとしたこと、つまり、本件休職期間の始期を平成25年11月26日とし、満了日を平成27年3月25日としたこと又は被告が平成25年11月26日時点で原告に対し本件休職命令に関する辞令交付等の明確な意思表示をしていなかったことにより、本件休職命令が無効になるとは認められない。」

3.就業規則の建付けによっては可能

 以上のとおり、裁判所は、就業規則の建付けによっては、日付を遡らせることは可能だと判示しました。

 個人的な感覚として、休職の始期は自然退職の効力とも関連して、意外と争いの対象になることが多いように思われます。そうした争いの見通しを立てて行くにあたり、本件の裁判例は参考になります。

 また、裁判所は自然退職に対してドライです。数日の差で退職金が大きく異なることは、心情的には気の毒に思いますが、休職の場面における裁判所のドライさは常に考慮に入れておく必要があります。