弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

火のないところに煙は立たない-苦情は来ること自体が問題なのか?

1.苦情は来たこと自体を非違行為にすることはできるのか?

 クレームが来ること自体が問題だ-上司からこうした叱責を受けた人は、少なくないと思います。

 しかし、顧客の言うことだけを一方的に信じ、クレームに発展した経緯や、問題視されている事実の存否を問題にすることなく、クレームが来たこと自体を理由に、労働者に対し、叱責したり、不利益な処分を行ったりすることは、許されるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地決令2.7.20労働判例1236-79 淀川交通(仮処分)事件です。

 以前、本ブログで、性同一性障害の男性の化粧を禁止することの可否がテーマになった事件を紹介させて頂きました。本件はこれと同じ裁判例でもあります。

性同一性障害の男性の化粧を禁止することは許されるのか? - 弁護士 師子角允彬のブログ

2.淀川交通(仮処分)事件

 本件は、就労拒否された労働者が申し立てた仮処分事件です。仮処分事件では、賃金の仮払を求める労働者を債権者と、賃金を支払う立場にある会社を債務者といいます。

 本件で債務者になったのは、タクシー会社です。

 債権者になったのは、生物学的性別は男性であるものの、性別に対する自己意識は女性である性同一性障害の方です。債務者と労働契約を締結し、タクシー乗務員として勤務していました。

 しかし、債務者は、化粧をしていたことなどを理由に、債権者に対し「乗らせるわけにはいかない。」と述べ、債権者の就労を拒否しました。こうした取り扱いを受け、不就労を理由に賃金を支払われなくなった原告の方が、経済的に困窮し、賃金仮払いの仮処分を申し立てたのが本件です。

 債務者側が就労を拒否した背景には、乗客からの苦情がありました。

 どのような苦情かというと、 午前4時ころ、男性の乗客から男性器をなめられそうになったというものです(本件苦情)。

 債務者のA渉外担当は、債権者に対し、本件苦情の内容を問い質しました。債権者は、本件苦情の内容を否定しましたが、A渉外担当は次のような対応をとりました。

「A渉外担当らは、債権者に対し、本件苦情のような内容の苦情を乗客から受けることはなく、火のないところに煙は立たないため、苦情の内容は事実であると考えることもできる、いずれにしろ、上記苦情の内容が真実であるか否かは問題ではなく、債権者が上記内容の苦情を受けることが問題であると伝えた。加えて、債務者は、債権者が以前にも自分の膨らんだ胸を触らせたという内容の苦情を受け、その際には丸く収めたものの、その後に本件苦情を受け、性的な趣旨の苦情が二度目のものとなる以上は、債権者を『乗せるわけにはいかない』と考えている旨を伝えた。」

 本件では、こうした経緯のもとで行われた就労拒否が、債務者の責めに帰すべき事由によると認められるのかが争点の一つになりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、本件苦情を理由とする就労拒否は許されないと判示しました。

(裁判所の判断)

-本件苦情の内容が真実であることを理由とする点について-

「債務者は、仮に債務者が債権者の就労を拒否したと評価されるとしても、本件苦情の内容が真実であり、債権者が男性乗客の下半身をなめようとする行為又はそれと疑われる行為を行った以上は、就労拒否の正当な理由がある旨の主張をする。」

「しかしながら、A渉外担当らは、債権者に対し、本件苦情の内容が真実であるか否かを問題としているのではないと述べており・・・、苦情内容の真実性は、債権者に対する就労拒否の理由であるとされてはいない。」

「仮にこの点を措くとしても、債権者は、本件苦情の内容が真実であると認めていない上、一件記録上、債務者が本件苦情の内容の真実性について調査を行った形跡もみられない。債務者の上記主張の唯一の根拠となっているのは、朝4時頃に、いたずらで本件苦情のような内容を通告する者がいるはずはないという点にあるものの、こうした点を考慮しても、本件苦情の存在をもって、直ちに本件苦情の内容が真実であると認めることはできない(なお、仮に上記苦情の内容が事実であるとすると、債務者は、懲戒処分としての出勤停止命令等の手段によって、債権者の就労を拒否することが考えられるものの、債務者は、上記の手段を講じるなどしておらず、就労拒否の法的な根拠が明らかにされていない。)。」

「以上によれば、本件苦情の内容が真実であることを理由として、債権者に対しその就労を拒否することは、正当な理由に基づくものとはいえない。」

-本件苦情の存在について-

A渉外担当らの債権者に対する説明内容・・・によれば、債務者は、上記苦情の存在自体をもって、債権者の就労を正当に拒否することができるとの見解を前提にしているものと考えられるところ、かかる見解を言い換えれば、債務者は、仮に上記苦情の内容が虚偽であるなど、非違行為の存在が明らかでないとしても、上記苦情を受けたこと自体をもって、正当に債権者の就労を拒むことができることとなる。しかしながら、非違行為の存在が明らかでない以上は、上記苦情の存在をもって、債権者に対する就労拒否を正当化することはできない。

(中略)

「以上を総合すると、債務者が、本件苦情の真実性又は存在自体を理由として、債権者の就労を拒否することは、正当な理由に基づくものとはいえない。」

3.苦情を受けたこと、それ自体は非違行為にならない

クレームを受けること自体が問題だ-こうした叱責は、顧客からの不当要求行為に対応する力を削ぐもので、企業経営上何の合理性もありません。また、非違行為の存否を問わない叱責は、理不尽極まりなく、法的にも何ら正当がありません。

 厚生労働省告示第5号 令和2年1月15日「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」において、

「事業主は、取引先等の他の事業主が雇用する労働者又は他の事業主(その者が法人である場合にあっては、その役員)からのパワーハラスメントや顧客等からの著しい迷惑行為(暴行、脅迫、ひどい暴言、著しく不当な要求等)により、その雇用する労働者が就業環境を害されることのないよう、雇用管理上の配慮」

を行うことが望ましいとされていることからも分かるとおり、誤った顧客第一主義のもと、労働者に責任を押し付ける時代は終わりつつあります。

 火のないところにも煙が立つことは、多くの社会人が実体験として知っていることだと思います。ただ単にクレームを出されたが故に理不尽な処分を受けた方は、その効力を法的に争うことを考えてみても良いのではないかと思います。