弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

被用者が専門家であることは使用者の安全配慮義務を軽減するか?

1.専門家であることの意味

 専門家には、一般人よりも高度の注意義務が課せられることがあります。同じことをしても、素人であれば許されるのに、専門家であれば許されないという局面は、決して少なくありません。このことは、一定の場面において、専門家が、素人よりも、責任追及をされやすいことを意味します。

 それでは、逆に、専門家が責任を追及「する」という局面において、その専門性は、法的に、どのように評価されるのでしょうか? 被害者が損害の発生を回避できるだけの専門的知見を持っていた場合、そのことを理由に、加害者は責任を免れることができるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。名古屋地判令和2年10月26日労働判例ジャーナル107-18 愛知県事件です。

2.愛知県事件

 本件は、熱中症を発症し、虚血性心疾患により死亡した愛知県農業総合試験場の主任研究員P1の遺族が、使用者である愛知県に対し、安全配慮義務違反を理由として国家賠償を請求した事件です。

 亡P1は農業技術者として採用され、経歴の全てを農業関係機関で過ごしており、夏季の熱中症の予防方法について十分な知識を有していました。本件では、このことが、安全配慮義務違反が認められるか否かの判断にあたり、どのように影響するのかが問題になりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、専門性を有していたことを、安全配慮義務違反を認めるにあたっての消極要素として位置付け、被告愛知県の責任を否定しました。

(裁判所の判断)

「亡P1は、平成27年8月2日までにまがりなりにも11日間連続して出勤しており、死亡前の1か月間に一定の時間外労働(合計33時間18分)に従事していたことなどの事情から、一定の肉体的疲労を蓄積させていたものの、その程度が甚だしいものであったとは認められない。他方、被告は、亡P1について一般定期健康診断を行っていたが、亡P1は、医師による治療等を必要とするような指示を受けておらず、他に熱中症発症のリスクや循環器疾患を発症するような素因を有していたとは認められない。そして、本件試験場では、職員の安全の確保及び職員の健康の保持増進を図るために設置された衛生委員会を通じて、かねてより熱中症対策について議題として取上げていたものであり、亡P1が死亡する直前の時期にも、農林水産部長から熱中症対策を講じるよう求める通知を受け、P2室長も、2回にわたって熱中症予防に関する文書を、亡P1を含む職員の回覧に付しており、これらの通知や文書には、熱中症の予防や対処方法について詳細な記載がされていたところである。さらに、本件では、被告の本件試験場の主任研究員であった亡P1に対する義務違反の有無が問題とされているところ、亡P1は、その経歴から明らかなとおり、平成8年4月1日に被告に農業技術者として採用されて以来、19年以上の経歴の全てを被告の農業関係機関で過ごしてきたものであるから、屋外や温室での作業に習熟しており、したがって、夏季の熱中症の予防方法についても十分な知識を有していたといえるばかりか、現に、本件試験場の衛生委員として熱中症の予防について審議しており、これを他の職員に周知する立場にあったものである。

「しかも、亡P1は、上記のとおり農業技術の専門家であったことに加えて、本件試験場での勤務を開始してから1年4か月が経過していたのであるから、平成27年8月2日に古典ギク幼苗への上水道からの水やりに当たって、30ないし50mの距離を、ジョロ(容量6リットル)を持って50回程度往復するという肉体的負荷の大きな方法によることなく、より近接した場所にある上水道を利用し、あるいは資材庫に備え付けられていたホース、ジョロを運搬できる一輪車又は動力噴霧器を活用することや、このような肉体的負荷の大きな作業に従事し、さらに他の作業にも従事した以上、空調や冷蔵庫が完備した調査棟事務室及び会議室、冷蔵庫や扇風機が備わっていた休憩室、あるいは常時冷房がされていた生育制御温室を利用して体を冷却し、さらには水分及び塩分の補給をする必要があることを、いずれも上司の指示等を待つまでもなく容易に想到することができたはずである。

「以上のとおり、亡P1は、平成27年8月2日までに一定の肉体的疲労を蓄積させていたものの、その程度は、甚だしいものとは認められない一方、被告は、同日までに、亡P1に対し、一般定期健康診断のほか、熱中症予防に関する労働衛生教育を具体的に行っており、農業用水が断水した場合に熱中症を予防しつつ水やり等の作業を実施できるだけの設備を備えていたのであって、亡P1も、熱中症発症のリスクや循環器疾患を発症するような素因を有していたとは認められず、むしろ、本件試験場の衛生委員として、あるいは長期間の経験を有する熟練した農業技術の専門家として、熱中症の予防方法や、水やり作業に利用可能なこれらの設備の存在を十分に理解していたものと認められる。そうすると、被告は、同日が晴天であってWBGTの温度基準が平均31.3℃の『厳重警戒』又は『危険』を示しており、温室内の温度が外気よりも3ないし6℃高いばかりか、農業用水が断水しているという状況下であったとしても、そのことから亡P1が本件試験場における水やり等の作業に従事したために熱中症を発症することを予見することができたとは認めるに足りず、亡P1の熱中症予防について、亡P1に対して上記に加えてさらに何らかの労働衛生教育を行い・・・、あるいは高温多湿の環境下で農業用水が断水しているという状況下で、亡P1のために何らかの具体的な作業計画を立案し・・・、さらには、定期的な巡視により亡P1の健康状態を確認し、亡P1に対して作業前後及び作業中の水分及び塩分の定期的な摂取の指導を行い・・・、あるいは休憩場所等に体温計や体重計の設置等を行う・・・義務を負っていたとまでは認められない。」

(中略)

「被告は、亡P1の死亡につながった熱中症発症を予見することができたとは認められず、被告において国家賠償法1条1項所定の過失又は民法415条所定の安全配慮義務違反があったとは認められない。」

3.むしろ、専門家であることは、安全配慮義務違反の積極要素ではないのか?

 裁判所は、上述のとおり、専門家は自分の身を自分で守ることができるのだから、使用者が専門家である被用者の熱中症発症を予見することは不可能だったとして、愛知県の責任を否定しました。

 しかし、裁判所の判示に対しては、本当にそうだろうかという疑問があります。経営者や自律的な働き方をする立場にあったのであればともかく、被用者として他人の指揮命令下で働いていた場合、熱中症対策に専門的知見を有していることは、専門的知見を活用する余裕がなくなるほど追い詰められていたことを意味するのではないかと思います。

 本件では公務災害認定が受けられており、原告遺族は何の保護も受けられなかったわけではありません。そうした背景もあり、裁判所には、安全配慮義務違反まで認める必要はないという発想があったのかも知れません。

 しかし、被用者の専門性を、使用者の安全配慮義務を軽減・免除する方向で用いることに対しては、個人的には強い違和感を覚えます。このような発想が許されるとすれば、杜撰な安全衛生環境のもと、専門家を使い潰すことが正当化されかねないからです。

暴行と精神症状-労災認定がされながら不法行為上の相当因果関係が否定された例

1.労災認定の要件としての相当因果関係

 労災が認定されるためには、

① 疾病等が存在すること、

② 当該疾病等が業務上のものであること、

の二つの要件が必要になります。

 当該疾病等が「業務上」のものであるとは、疾病等と業務との間に相当因果関係(業務と傷病等との間に条件関係があることを前提としつつ、両者の間に法的にみて労災補償を認めるのを相当とする関係)があることを意味すると理解されています(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕496頁参照)。

 この「相当因果関係」という概念は、労災固有のものではなく、様々な場面で用いられています。例えば、不法行為に基づいて損害賠償を請求するにあたっては、損害と加害行為との間に相当因果関係が認められる必要があるとされています。

 労災保険法における相当因果関係と、不法行為法における相当因果関係とは、法目的が異なることから、微妙に異なっています。しかし、結論に影響が生じることは稀であり、労災の場面で相当因果関係が認められた場合、原因となった業務に何等かの注意義務違反を観念することができれば、概ねの場面で不法行為法上の相当因果関係も認められます。

 しかし、労災認定が認められながら、不法行為法上の相当因果関係が否定されるという事案も、ないわけではありません。近時公刊された判例集に掲載されていた東京地判令2.7.1労働判例ジャーナル107-41東急トランセ事件も、そうした事案の一つです。

2.東急トランセ事件

 本件は、バス運転士として勤務していた原告が提起した労災民訴です。労災民訴とは労災保険で填補されなかった損害を民事訴訟で請求することを言います。

 平成27年11月30日、原告の方は、営業所事務室ないにおいて、上司であるP5から椅子の背もたれを2回蹴られるという暴行を受けました(本件暴行)。その後、心身の不調を訴え、被告会社での業務を休業し、整形外科、接骨院、心療内科等複数の医療機関を受診しました。

 原告の方は、本件暴行により、頸椎捻挫、腰椎捻挫の傷害を負ったほか、外傷後神経障害(両下肢麻痺・両側感音性難聴、心因反応、急性ストレス障害、うつ病などを発症したため、これら傷病に罹患したことを前提とした損害賠償がなされるべきだと主張しました。
 これに対し、被告は、原告の症状と本件暴行との間には因果関係がないなどと反論しました。

 本件の特徴は、訴訟提起に先立って労災認定がなされていたことです。労基署長は「(ひどい)嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた」との具体的出来事により強い心理的負荷を受けたとして、解離性(転換性)障害との業務起因性を認めました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、直接の被害である頸椎捻挫、腰椎捻挫以外の症状と本件暴行との相当因果関係を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告には、本件暴行と相当因果関係のある損害につき、原告に賠償すべき責任があるところ、原告は、前記認定事実・・・のとおり、本件暴行の翌日福住医院を受診して、全治2週間の見込みの頚椎捻挫、腰部捻挫の診断を受けたものであり、その信用性を覆すに足りる的確な証拠はない(被告も、全治2週間の見込みの頚椎捻挫、腰部捻挫を生じたことについては積極的に争っていない。)。」

「そうしてみると、被告には、上記頚椎捻挫、腰部捻挫について原告に生じた損害を賠償すべき責任があるというべきである。」

「もっとも、原告は、本件暴行により、外傷後神経障害(両下肢麻痺・両側感音性難聴)のみならず、不眠症、神経症のほか、心因反応としての急性ストレス障害やうつ病、解離性障害等の多様な傷病、症状を発症したと主張する。そこで、以下、原告の同主張について検討する。」

「本件暴行の内容、程度は、前記認定事実・・・のとおり、原告が座っていた椅子の背もたれを2回蹴ったというものであり、これにより大きく椅子が移動したものでもなく、原告の身体に与えた物理的な衝撃が大きかったということはできないし、もとより、原告が椅子からずり落ちたりしたものでもない。」

「そうしてみると、本件暴行は、いかに不意に背後から行われたものであったとはいえ、その程度としては比較的軽度のものといわざるを得ない。福住医院における当初の診断においても、他覚所見は認められず、全治2週間を要する見込みの頚椎捻挫、腰椎捻挫にとどまっていたことは前記認定事実・・・のとおりである。」

(中略)

「ところで、原告の解離性(転換性)障害について本件暴行との間の業務起因性が認められ、労災認定がされていることは前記認定事実・・・のとおりである。しかしながら、そもそも、労災認定における業務上の傷病に当たるか否かの判断と、不法行為と損害との間の相当因果関係の存否の判断とは必ずしも重なるものではない。その点はさておくとしても、その判断の根拠となったとみられる労働基準監督官の調査復命書・・・や東京労働局労災医員の意見書・・・をみると、前判示のような本件暴行の前後の経緯やその内容、程度について十分に考慮された形跡がうかがわれないし、そもそも、原告に強い情緒不安定性がみられるようになったのは、前記認定のように平成28年1月に入ってからであるのに、本件暴行直後の平成27年12月頃には生じていたなどと前記認定事実に沿わない事実を判断の基礎としていることも認められる。また、前判示のとおりの原告の既往症・・・についても、判断の基礎にされた形跡がうかがわれない。そうしてみると、かかる判断も、たやすく採用できるものではないといえるから、上記労災認定における調査復命書及び労災医員の意見書の内容が、前記判断に影響を及ぼすことはないというべきである。

「以上のとおり、本件事故後原告に生じたとする精神症状については、本件暴行と相当因果関係のある損害であるということはできず、他にこの点を認めるに足りる的確な証拠は存しない。」

3.本件は概念的な相違というより前提事実の相違が結論に影響した事案だが・・・

 判決文を読むと、本件は、概念的な相違というよりも、判断の基礎となった前提事実の相違が結論に影響したように思われます。

 とはいえ、労基署で業務起因性(相当因果関係)が認められ、労災民訴で相当因果関係が否定されるという判断が稀であることには変わりありません。行政には、調査権限があるうえ、自前の専門家がいるため、基礎資料の充実という観点からも、専門的判断という観点からも、的確な結論に辿り着きやすいからです。

 本件は特に問題のある手続進行がなされているとは思いませんが、稀であっても結論が相違する可能性が残されている以上、労災民訴で勝ち抜くためには、先行して労災が認められていたとしても、油断することなく、細心の注意を払いながら主張・立証を積み重ねて行くことが必要なのだと思われます。

 

勤務態度不良等で解雇されそうになっている時、解決金を提示されたらどうするか?

1.解決金と解雇回避措置

 解雇回避措置というと、整理解雇の効力を議論するうでの考慮要素をイメージする方が多いと思います。しかし、解雇回避措置が尽くされているのか否かが問題になるのは、整理解雇の場面だけではありません。

 解雇の「客観的に合理的な理由」(労働契約法16条)の類型には、

① 人的事由(能力不足、成績不良、勤務態度不良等を含む)による解雇、

② 経済的事由(会社経営上の事由)による解雇、

③ ユニオン・ショップ協定に基づく組合の解雇要求、

があるとされていますが、解雇回避措置を尽くしたものといえるかどうかは、②の場面だけではなく、①の場面でも問題になります(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕314-316頁参照)。

 この解雇回避措置との関係で、悩ましい問題の一つが、使用者側から

「解決金を支払うから辞めてくれ。」

と言われた時の対応です。

 申出を受けて合意退職すれば、解決金は手にすることができます。しかし、当然のことながら、雇用は喪失します。

 他方、申出を拒絶すると、解雇されることがあります。解雇された場合、その効力を争って法的措置をとることができます。これに勝って、雇用を回復できれば何の問題もありません。しかし、解雇が有効だと認められてしまった場合、雇用は失うし、解決金も手にすることができないという二重の不利益を受けることになります。

 ここで判断を難しくするのは、解決金の提示が、解雇回避措置を尽くしたと認められるのかどうかの考慮要素とされることです。解決金の支払いを提示することは、それ自体が解雇回避措置をとったことの根拠として、使用者側に有利な考慮要素となります。解雇された場合、労働者が解決金を手にすることはありませんが、それでも使用者側に有利に斟酌されます。そのため、解決金の支払いの申出を拒絶するにあたっては、

単純にその時点で生じている解雇理由との関係で勝てるか、

を検討するのではなく、

解決金の支払い申出という解雇回避措置がとられたことを加味して、なお勝てるか、

を検討する必要があります。

 この判断を誤ると、上述のとおり、雇用は失う・解決金は入手できないという、踏んだり蹴ったりの結果になります。

 近時公刊された判例集にも、そうした不利益を受けた裁判例が掲載されていました。大阪地判令2.7.9労働判例ジャーナル107-38 ヘイズ・スペシャリスト・リクルートメント・ジャパン事件です。

2.ヘイズ・スペシャリスト・リクルートメント・ジャパン事件

 本件で被告になったのは、人材派遣会社です。

 原告になったのは、被告との契約に基づいて派遣先会社に派遣されて就労していた派遣社員の方です。

 本件では多数の争点が提起されていますが、その中の一つに派遣期間中に行われた解雇の有効性があります。

 被告は原告との間で平成30年年9月30日までを派遣期間とする労働者派遣契約を締結していました。しかし、勤務態度等を理由に、派遣期間満了前である同年7月10日付けで原告を解雇しました。本件で問題になったのは、この解雇の効力です。

 被告が解雇前に契約期間満了までの給料の支払いとともに契約を終了させる示談案を提示していたこと踏まえ、裁判所は、次のとおり述べて、解雇の有効性を認めました。

(裁判所の判断)

「P3(被告社員 括弧内筆者)は、平成30年6月25日、マニュライフ生命(原告の派遣先 括弧内筆者)のP7氏から呼び出され、原告の派遣を即刻中止してほしい旨伝えられた際に、1か月のチャンスをもらえるように依頼し、原告の職場環境を調整するため、同月26日、原告、P3、P8氏(マニュライフ生命の指揮命令者 括弧内筆者)及びP7氏の4者での面談を設定したが、原告は面談の意味が分からないなどとしてこれに従わなかった結果、当該面談はキャンセルとなり、同月27日にはマニュライフ生命から被告に対して原告の派遣を辞めるように申入れがなされるに至ったほか、原告のためにマニュライフ生命との関係を調整しようとするP3に対し、苦情を述べたり・・・、『日本語の対応が困難であれば、貴社の日本人の方にご対応をお願いします。』といった侮辱的な言動・・・をするなど、原告の担当者であるP3に対して極めて反抗的な態度をとっていた。また、P6(被告社員 括弧内筆者)が同月28日に面談した際にも、自宅待機命令にすぐには従おうとはせず、長時間にわたり理由を尋ねるなど食い下がっており・・・、P6への態度も反抗的なものであった。」

「上記のとおり、被告としては、原告のマニュライフ生命での就業を継続するため、原告の業務環境を改善する機会を作ろうとしていたといえるが、原告が自らこれを断り、また、担当者であるP3やP6に対しても反抗的な態度を取っていたことからすると、被告としてマニュライフ生命はもちろん、他の顧客に対しても原告を派遣することは難しいと判断することも不合理であるとはいえない。そして、前記・・・によれば、被告は、原告に対して本件解雇前に残期間の給与を補償する内容で退職を勧奨しているところ、原告が同意できない旨伝え、さらに被告からの再提案に対しても原告が期限までに回答をしなかったことからすれば、被告として一定の解雇回避措置はとっていたと評価できる。

「以上によれば、被告による本件解雇にはやむを得ない事由(労働契約法17条)があったことは否定できず、また、本件解雇が原告の苦情申出を理由とするもの(派遣元指針第2の3)ともいえないから、無効かつ違法であるとは評価できず、本件解雇が不法行為に当たるとは認められない。」

3.解決金の支払い申出の位置付け自体は決定的ではないだろうが・・・

 一般論として、判決文は、結論を導くにあたり、重視した事情から順番に書かれていく傾向があります。そうした傾向に鑑みても、解決金の支払い申出に、解雇の効力の帰趨を決するほどの影響力はないのではないかと思われます。

 しかし、解雇可否措置として、解雇の有効性を補強する事情になることは、否定できません。解雇権の行使を示唆されながら解決金付きの退職勧奨を受けた場合、ただでさえ難しい受諾/拒否の判断が、更に難しくなります。こうした場合に後悔しないためには、予め弁護士に相談したうえで意思決定を行うことが推奨されます。

 

美容師の施術していない時間帯の労働時間性

1.手待時間(労働時間)か休憩時間か

 作業に従事していなかったとしても、使用者の指示があれば直ちに作業に従事しなければならないなど、労働者に自由利用が保障されていない時間は、休憩時間ではなく手待時間(労働時間)になります(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕64頁参照)。

 休憩時間か手待時間かの判断は、実務的には職業運転手(ドライバー)の待機時間をどのように評価するのかという脈絡で問題になることが多くみられます(同文献同頁参照)。

 逆に言うと、ドライバーの待機時間以外で問題になる裁判例は限定されているのですが、近時公刊された判例集に、美容師の施術していない時間帯の労働時間性が問題になった裁判例が掲載されていました。東京地判令2.9.17労働経済判例速報2435-21 ルーチェ事件です。これは、以前、別の判例集に掲載された時に、下記の記事でご紹介した裁判例と同じ事件です。

退職者への行き過ぎた慰留に不法行為該当性が認められた例 - 弁護士 師子角允彬のブログ

2.ルーチェ事件

 本件で被告になったのは、美容院の経営及びコンサルタント等を目的とする株式会社(被告会社)と、その代表取締役(被告P2)です。

 原告になったのは、被告会社で勤務していた美容師の女性です。被告会社を退職した後、残業代を請求するとともに、パワーハラスメントを受けたことにより人格権を侵害されたと主張して損害賠償を請求する訴訟を提起しました。

 美容師業は、一人の客に何人もの美容師が付きっきりになるといった業態ではありません。被告では完全予約制が採用されていて、客の多くが予約客であったこともあり、来客がない時間など、実際に業務をしていない時間が相当数ありました。本件では、これを労働時間と評価するのか、休憩時間と評価するのかが問題になりました。

 この論点について、裁判所は、次のとおり述べて、基本的には労働時間に該当すると判示しました。

(裁判所の判断)

「被告会社の休憩時間に関する主張は、要するに、顧客の本件各店舗への来店状況(予約状況)及びカット等の施術の補助業務に要する時間に基づいて原告の作業時間を推定し、当該作業時間を除く時間の大部分の時間が休憩時間であるというものである。」

「この点、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、P3店における客の多くは被告P2による施術の予約客であり、原告を含む各従業員の主たる業務は、被告P2による施術の補助業務(カットの場合はシャンプーや髪を乾かすブロー)のほか、タオル等の洗濯や清掃等の業務であったが、1人の客に対する施術の補助業務は同時に複数の人数でする必要はなかったこと、原告が担当していたパソコンに関する業務は頻繁にあったわけではなかったことが認められる。そして、P3店では、原告のほかに3名の従業員がいたこと・・・に照らすと、少なくとも来客がない時間には原告が実際に業務をしていない時間が相当程度あったことが推認される。また、P4店における原告の業務量がP3店におけるそれよりも多かったと認めるに足りる証拠はない。」

しかしながら、本件各店舗では完全予約制が採用されているところ・・・、当日予約も受け付けており・・・、来客の有無にかかわらず営業終了まで継続して開店し、かつ少なくとも客からの予約の電話等があり得る状態であったことが推認されることに照らすと、営業時間中に原告が業務をしていない時間があったとしても、直ちに労働からの解放が保障されていたとみることはできない。

「このことに関し、被告P2は、来客がない時間は従業員がそれぞれ自由に過ごすことを許しており従業員は自由に休憩を取得していたなどの旨供述等・・・するが、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、本件各店舗では、従業員間の取り決めで、それぞれ交代で1人ずつ順番に20分の休憩を取得し、1回目の休憩を『1番』、2回目の休憩を『2番』と呼称していたこと、被告P2は上記取り決めに関与していないことが認められるのであり、来客がない時間に自由に休憩を取得することが許されているというのに、従業員が自発的に上記のような取り決めをして休憩を取得していたというのは不自然である。また、被告P2の上記供述等を裏付ける的確な証拠はない。」

「なお、P13の陳述書・・・中には、原告はP3店の営業時間中にP3店の向かいにある『NEHANTOKYO』に来店して買物をしたり、原告がP3店の客を見送った後などに『NEHANTOKYO』の従業員と目が合った際に短いときで数分、長いときで15分から20分程度雑談をしたりしていたとの記載部分があるが、原告が『NEHANTOKYO』で買物をしたとしても交代での休憩時間中であった可能性を否定することができないし、客を見送った後などに原告が雑談をしたことがあったとしても直ちに労働からの解放が保障されていたといえるものではない。また、原告が営業時間中に自らのスマートフォンから『LINE』のメッセージを送信したことがあるとしても・・・、直ちに労働からの解放が保障されていたといえるものではない。したがって、これらの証拠等は、被告P2の上記供述等を裏付けるものではない。」

「したがって、被告P2の上記供述等は直ちに採用することができず、原告の勤務日のうち来客がない時間帯の大部分において労働からの解放が保障されていたと認めることはできない。」

3.労働時間管理が行われていないことも少なくないが・・・

 個人的に見聞きする範囲内で言うと、自己実現系の職業であるためか、美容師の方の中には、文句を言うこともなく、信じられないほど長い時間、業務(労働時間性の微妙な技術研鑽の時間を含む)に従事している人が珍しくありません。そうした構造があるためか、使用者側での労働時間管理は、おざなりになりがちな傾向があるように思われます。

 本件も労働時間管理が適切になされていない事案でしたが、本腰を入れて残業代を請求すれば、それなりにまとまった金額になることも、少なくないと思います。待遇に疑問を感じている方がおられましたら、ぜひ、お気軽にご相談ください。

雇止め-不更新条項付きの契約書を示された時の対応(第三の方法)

1.雇止め法理

 有期労働契約は、期間の満了により終了するのが原則です。

 しかし、契約期間の満了時に、契約が更新されるものと期待することについて合理的な理由がある場合、客観的合理的理由・社会通念上の相当性が認めらなければ、使用者が労働者を雇止めにすることはできません(労働契約法19条2号参照)。

 こうしたルールを意識してか、有期契約の労働者が契約を更新する時に、使用者側から不更新条項(次は更新しない)の付された労働契約書を示されることがあります。

 目先の雇用確保を優先して、不更新条項付きの労働契約書にサインしてしまうと、次回更新時に、そのことは必ず問題になります。具体的に言うと、使用者側は、

「不更新条項に納得してサインしたのだから、契約が更新されることへの期待は消失したはずだ。」

ということを言ってきます。

 他方、契約更新に向けた合理的期待を維持するため、不更新条項付きの労働契約書にサインしないと、その時点で雇止めを受ける可能性が濃厚です。もちろん、裁判をして勝訴すれば、雇用は維持されます。しかし、客観的合理性があるか、社会通念上相当といえるかという規範は抽象度が高く、裁判の結果を予想することは、必ずしも容易ではありません。

 このように、不更新条項付きの契約書を示された時、労働者側は、

① 後日の争いやすさよりも目先の雇用維持を優先して取り敢えずサインするか、

② 目先の雇用維持よりも、雇止めの争いやすさを優先して、今勝負をかけるか、

の二者択一の難しい意思決定を迫られることになります。

 しかし、近時公刊された判例集に、第三の対応方法を示唆する裁判例が掲載されていました。東京地判令2.10.1労働判例ジャーナル107-34 日本通運事件です。

2.日本通運事件

 本件は有期労働契約者に対する雇止めの可否が争われた事件です。

 雇止めを受けた有期労働契約者である原告は、その効力を争い、地位確認等を求める訴訟を提起しました。しかし、雇止めを受ける前、原告の方は、不更新条項付きの契約書にサインしていました。本件では、このことが、雇止めの可否を判断するにあたり、どのように影響するのかが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のような考え方を示しました。

(裁判所の判断)

「労働契約5及び6の契約書には更新限度条項が、労働契約7及び8の契約書には不更新条項がそれぞれ設けられている(・・・以下、これらの条項を『不更新条項等』という。)。原告は、不更新条項等は、公序良俗に反して無効となると主張するが、強行法規によって与えられた権利を事後に放棄することは一般的には可能であり、雇用継続の期待が発生した場合にこれを放棄することを禁止すべき根拠はなく、採用できない。そのように解すると、本件においては、不更新条項等に対する同意の効果として、契約書作成時点で原告が雇用継続の合理的期待を抱いていたとしても、原告がこれを放棄したことになるのではないか問題となる(被告の主張もこれと同趣旨のものと解される。)。」

「しかし、本件のように契約書に不更新条項等が記載され、これに対する同意が更新の条件となっている場合には、労働者としては署名を拒否して直ちに契約関係を終了させるか、署名して次期の期間満了時に契約関係を終了させるかの二者択一を迫られるため、労働者が不更新条項を含む契約書に署名押印する行為は、労働者の自由な意思に基づくものか一般的に疑問があり、契約更新時において労働者が置かれた前記の状況を考慮すれば、不更新条項等を含む契約書に署名押印する行為があることをもって、直ちに不更新条項等に対する承諾があり、合理的期待の放棄がされたと認めるべきではない。労働者が置かれた前記の状況からすれば、前記行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する場合に限り(最高裁平成28年2月19日第二小法廷判決・民集70巻2号123頁(山梨県民信用組合事件)参照)、労働者により更新に対する合理的な期待の放棄がされたと認めるべきである。

本件では、労働契約5の締結時に、不更新条項等が初めて契約書に記載されたが、労働契約5及び6の締結時、被告の管理職が、原告に対し、被告運用基準の存在や不更新条項等の法的効果について説明したことを認めるに足りる証拠はなく、また、原告は、労働契約7の締結の際、管理職に対し、不更新条項等について異議を留めるメールを送っている・・・。そうすると、労働契約5から8までの不更新条項等の契約書に署名押印する行為が原告の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が、客観的に存在するとはいえない。

したがって、仮に原告の雇用継続の期待が合理的であるといえる場合であっても、原告が、労働契約5から8までの契約書に署名押印したことをもって、その合理的期待を放棄したと認めることはできない。

「また、当該有期労働契約期間満了前に使用者が更新年数の上限を一方的に宣言したとしても、そのことのみをもって直ちに同号の該当性が否定されることにはならないから、不更新条項等の存在をもって直ちに労契法19条2号の該当性が否定されることにはならない。」

「このようなことから、労働契約6から8までの不更新条項等の存在は、原告の雇用継続の期待の合理性を判断するための事情の一つにとどまるというべきである。」

3.第三の方法-サインした後、異議があることを通知する

 以上のように述べながらも、本件は、結論として、雇止めの有効性を認めています。

 しかし、不更新条項付きの労働契約書にサインすることの意義について、上述のような規範を示したことは、かなり画期的なことです。この裁判例の判示事項に準拠すれば、不更新条項付きの労働契約書にサインしてしまったとしても、直ちに何等かの方法で異議を伝えることにより、合理的期待を保存することが可能になります。

 今後は、使用者から不更新条項付きの労働契約書を突き付けられた場合、目先の雇用を確保するため、サインには応じるものの、直ちに異議を通知しておくという方法も、選択肢の一つになり得ることを、留意しておく必要があります。

 

退職勧奨に違法性が認められた近時の裁判例

1.退職勧奨

 退職勧奨は、それ自体が許容されないわけではありません。

 しかし、被勧奨者の任意の意思形成を妨げたり、名誉感情を害する言動をとったりすることは許容されていません。また、被勧奨者が二義を許さないほどはっきりと退職する意思のないことを表明した後も勧奨を継続したり、必要な限度を超えて多数回・長期に渡り勧奨を行うことも問題ありとされています。被勧奨者の自由な意思決定が妨げられる状況であったか否かは、被勧奨者が希望する立会人を認めたか否か、勧奨者の数、優遇措置の有無等を総合的に勘案し、判断されます(最一小判昭55.7.10労働判例345-20及びその原々審である山口地判昭49.9.28労働判例213ー63 下関商業高校事件参照)。

 退職勧奨の適法/違法の判断は、概念的には上述のように整理することができます。しかし、個別具体的な事案との関係において、ある退職勧奨が、違法なのか、適法なのかを判断することは、必ずしも容易ではありません。

 法律相談を受けた時、私自身がどのように退職勧奨の違法/適法を回答しているかというと、直観で判断しています。直観と言っても、実務経験や過去の公表裁判例の読み込みによって形成された相場観に基づく判断であり、全くの山勘ではありません。とはいえ、現在の相談事例が過去の事例と全く同じであることはないため、どうしても不安定さは残ります。

 こうした不安定さを低減させ、判断の精度を高めて行くためには、実務経験を積むとともに、地道に公表裁判例の読み込みを続けて行くしかありません。

 昨日ご紹介した、宇都宮地判令2.10.21労働判例ジャーナル107-22 東武バス日光事件は、退職勧奨の違法性が認められたという点でも、注目に値します。

2.東武バス日光事件

 本件は、被告会社の正社員である原告が、上司P3等から退職強要や人格否定、過小な要求というパワーハラスメントを受けたとして、被告会社やP3等に損害賠償を請求する訴訟を提起した事件です。

 原告の方は路線バスの運転士として勤務していました。バスの運転中、

危険な姿勢をとっていた男子高校生に対し「殺すぞ」などと言ったこと、

回数券を折りたたんでいれた女子高生に対し、不正乗車であるという認識のもと「担任の先生の名前と学年主任の名前とクラスと番号、教えて」などと言ったこと

などを理由に、上司P3らから、激しい叱責と退職勧奨を受けました。

 この退職勧奨は苛烈なもので、言動の一部を挙げると、次のような事実が認められています。

(裁判所が認定した言動の一例)

「原告は、令和元年7月23日午前9時から約50分にわたり、P8営業所2階の会議室において、被告P3、P9、被告P4及び被告P5と話をし、その際、別紙3の『発言者』欄記載の者が、原告に対し、『発言の内容』欄記載の発言をした・・・。」

「その際のやり取りの概要は次のとおりである・・・。」

「被告P3が、原告に対し、『反省じゃない、考えはどうした。』・・・、と言い、原告が『すいません。』と言うと、被告P3が、『それ、すいませんじゃすまないって言ってんだよ。わかんねえかな。男だろう。やったこと、ケツもてよ。』・・・『もうね乗せらんねえよ、こういうんじゃ。』と言った。」

「被告P3は、その後、男子高校生の件に言及し、『殺すぞ』の発言を問題視した上で、『てめえ、チンピラなんだろう・・・。うちにいられたんでは困るんだよ、そういうのは。』と言った・・・。原告が『勘弁して下さい。』と言うと、被告P3は、『勘弁できねえって言ってんだよ。わかんねえんだなあ。』・・・、『すいませんじゃねぇって言ってんだよ。』・・・と言った。」

「その後、原告の前職の話に話題が及び、被告P3は、原告に対し、『なんでうちの会社に来たんだよ。聞きてぇ、それ。なんでうちの会社に来たの?』・・・と言った。原告が、被告会社のブランドに憧れていたと述べると、被告P3は、『ブランドだろう?それに相応しい仕事してんのか?最低だよ。救いようがねえっつってんだよ。わかんねえな。』『男なんだろう。ケツモテよ、やったことおまえ、責任とれよ。』・・・と言った。」

「その後、再び男子高校生の件等に話題が及び、被告P3は、原告に対し、『向いてねーって。向いてねえよ。』『それで探してみな、あるから。いっぱいあるから。今運転手は不足してんだから。うちのブランドに合わないんだよ。』・・・と言い、また、『3年も経つとそういう風に態度も変わるんだな。たかが3年、駆け出しのガキだよ。』『分かんべそれぐらい。作新高校出てるんじゃ。』・・・と言った。」

「その後、被告P3が、男子高校生の件を念頭に、『救いようがねぇ。はっきり言って。』と言うと、被告P5は、原告に対し、『そういうことでぐちゃぐちゃ言ったってしょうがないから手続してもらって早く終わらせな、手続して。』・・・と言った。その後、被告P3は、原告に対し、『3年もやってりゃ分かるなんてクソ生意気なことこきやがって。』『うちの会社には向かねえよ、こんな会社って、見切りをつけて他の会社行けよ。』・・・、『もっと柔らかな会社行けよ。』『関東バスの話なんか聞くと、極端な話、スリッパでも通っちゃうみたいだぞ。』・・・、『やっぱり男ならケツもってもらえ。責任取ってもらえよ。何で言わねぇんだよ。こんな会社なんかやってらんねーやって。うるせーって。』・・・、『またやるよ。それでカーっとすると右も左も分からなくなるんじゃ、もう客商売よしたほうがいいよ。』『何で来たの?うちへ。』・・・と言った。」

「その後、被告P3が『反省文一本で済むの?』と言い、原告が、『済まないと思っています。』と言うと、被告P3は、『じゃあ、書けよ。書けよ。』・・・と言った。そこで、原告が『何をですか?』と尋ねると、被告P3は、『退職願を。どっかへ行けよ。それを言ってんだよ。何回も。それで終わすべよ。』・・・、『だって信用できねえんだろ、こっちのことは。会社のことは大事にする気もねぇんだろ。』と言った。」

「その後、被告P3は、男子高校生の件に触れつつ、原告に対し、『その辺のチンピラがやることだよ。チンピラいらねえんだようちは。雑魚はいらねえんだよ。』・・・と言った。」

「被告P5が、原告に対し、『男だったら、ケジメつけてください。』・・・と言い、被告P3は、原告に対し、『仕事はあるから、いくらでも。』・・・と言った。」

 原告に対して厳しい言葉で退職勧奨が行われたのは、この日だけではありませんが、裁判所は、こうした態様で行われた退職勧奨について、次のとおり述べ、違法性を認めました。

(裁判所の判断)

「退職勧奨については、労働者がこれに応じるか否かを自由に決定することができることを要するから、労働者の自由な意思形成を阻害するものであってはならない。そうすると、退職勧奨については、その態様が、これに応じるか否かに関する労働者の自由な意思決定を促す行為として許される限度を逸脱し、その自由な意思決定を困難とするものである場合には、労働者の自由な意思決定を侵害するものとして違法であり、不法行為を構成するといえる。」

「これを本件についてみるに、前記前提事実及び前記認定事実によれば、本件退職勧奨発言の発言者は、いずれも原告の上司であるところ・・・、その発言内容は、途中で原告が辞めたくないと述べたにも関わらず、令和元年7月22日から24日にかけて

〔1〕原告が被告会社には向いていないと指摘するにとどまらず・・・、

〔2〕運転業務以外の業務がない中で、バスに二度と乗せない旨を表明し・・・、

〔3〕被告会社には要らない旨を繰り返し告げ・・・、

〔4〕他の会社に行けと言い・・・、

〔5〕自主退職すべきことをほのめかし・・・、

〔6〕退職願を書けと命じるものであること・・・、

発言の態様は、会議室や事務室において、複数人の上司から原告一人に対して発言されたもので、特に7月23日会議室の件や7月23日事務室の件は、約1時間に及ぶ長いものであったことに照らすと・・・、上記〔2〕ないし〔6〕の発言(以下「本件退職強要発言」という。)は、原告を職場から排除する趣旨のものといわざるを得ない。その上、原告は、その後、傷病休暇を取得し、うつ状態と診断されるに至っている・・・。これらの事情を併せ考慮すれば、被告P3らによる本件退職強要発言は、原告に後記のとおり非難に値する行動が発覚したことを踏まえても、原告の自由な意思決定を促す行為として許される限度を逸脱し、その自由な意思決定を困難とするものであると認められる。したがって、被告P3らの本件退職強要発言について、それぞれ不法行為が成立する。」

3.ここまで強い事情が認められる事案でも慰謝料は60万円

 退職勧奨は、労働者に対し、かなりの精神的負荷を与えます。そのことは、

基発1226第1号 平成23年12月26日 最終改正 基発0821第4号 令和2年8月21日厚生労働省労働基準局長「心理的負荷による精神障害の認定基準について」

において、

「退職を強要された」

ことが強い心理的負荷を生じさせる出来事として位置づけられていることからも分かります。

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 主観的なショックが大きい分、退職勧奨を受けた労働者の方は、慰謝料が比較的簡単に認められると思い込んでいる傾向があるように思われます。

 しかし、退職勧奨が違法であるというためには、かなり強い事情が必要になります。

 また、違法性が認められたとしても、慰謝料の金額は伸びにくいのが実情です。本件のように、退職勧奨の違法性が認定されたほか、「過小な要求」類型のパワーハラスメント、精神疾患(うつ状態)の発症、休職の事実まで認められている事案でなお、裁判所から相当とされた慰謝料は、60万円でしかありません。

 退職勧奨の場面に限ったことではありませんが、本邦の裁判所が行う精神的損害の金銭的評価は、抑制的にすぎるのではないかという感が否めません。

 本件に関していえば、原告にも相応の落ち度があることは否定できませんが、それにしても、慰謝料の認定は、せめて、違法行為の抑止力になり得るような水準の金額を基準とするべきではないかと思われます。

 

規則類・諸規程類を書き写させることはパワハラになるか?

1.パワーハラスメントの類型-過小な要求

 パワーハラスメント(パワハラ)とは、一般に、

「職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であつて、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されること」

を意味するとされています(労働施策総合推進法30条の2)。

 このパワーハラスメントの類型の一つに、

「過小な要求」

があります。

 過小な要求とは、

「業務上の合理性なく能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと」

を意味します。例えば、

管理職である労働者を退職させるため、誰でも遂行可能な業務を行わせることや、

気に入らない労働者に対して嫌がらせのために仕事を与えないこと

が該当します(厚生労働省告示第5号 事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針参照)。

https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000584512.pdf

 パワーハラスメントに「過小な要求」という類型があることは、古くから知られていました。例えば、平成24年1月30日に公表された「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキング・グループ報告」でも、「過小な要求」は、パワーハラスメントの一類型として掲げられています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000021hkd.html

 しかし、古くから概念として確立している割に、「過小な要求」類型のパワーハラスメントの違法性を認めた裁判例は、それほど多くは公表されていません。

 その背景には、

過重負荷で労働者が精神的苦痛を受けるという構図に比して、業務負荷の軽さが労働者に精神的苦痛をもたらすという構図が分かりににくいこと、

上記に関連して、訴訟して割に合うほどの慰謝料請求の認容が見込めないこと、

業務上の適正な指導との線引きが必ずしも容易でないこと、

などがあるのだと思われます。

 こうした状況を踏まえて裁判例の動向を注視していたところ、近時公刊された判例集に、「過小な要求」に違法性を認めた事例が掲載されていました。宇都宮地判令2.10.21労働判例ジャーナル107-22 東武バス日光事件です。

2.東武バス日光事件

 本件は、被告会社の正社員である原告が、上司P3等から退職強要や人格否定、過小な要求というパワーハラスメントを受けたとして、被告会社やP3等に損害賠償を請求する訴訟を提起した事件です。

 原告の方は路線バスの運転士として勤務していました。バスの運転中、

危険な姿勢をとっていた男子高校生に対し「殺すぞ」などと言ったこと、

回数券を折りたたんでいれた女子高生に対し、不正乗車であるという認識のもと「担任の先生の名前と学年主任の名前とクラスと番号、教えて」などと言ったこと

などを理由に、上司P3らから、激しい叱責と退職勧奨を受けました。

 その後、原告は、反応性うつ病状態であるとの診断を受け、傷病休暇を取得して休職しました。

 「過小な要求」類型のパワーハラスメントが発生したのは、その後です。休職期間が明けて職場に復帰した時、原告の方は、次のような扱いを受けました。

(職場復帰後の件として認められた事実)

「原告は、令和元年9月17日、職場に復帰したものの、バスに乗車しない、いわゆる下車勤務となり、事務机に着席するように指示され、その他には指示を受けなかった。」

「原告は、翌18日午後、運転士服務心得・・・を読むよう指示され、翌19日、被告P4から、なぜ下車勤務となっているか、理由を文書に書くよう指示された。」

「原告は、同月23日、被告P4から、運転士服務心得を紙に書き写すように指示され、また、女子高生の件について、接客態度、言葉遣い及び服装等につき文書を作成するように指示した。」

「原告は、翌24日、被告P4から、運転士服務心得を書き写すように指示され、また、女子高生の件について、接客態度、言葉遣い及び服装等につき文書を作成するように指示した。」

「原告は、翌25日、朝から運転士服務心得を読み、午後からは、被告P7から、『黄色いバスの奇跡』という小説を読んで感想文を書くよう指示された。」

「その後、少なくとも同年10月14日に至るまで、原告は、文書を作成して提出すること、運転士服務心得を読み、紙に書き写すこと、上記小説を読んで感想文を書くことという指示を受けるにとどまり、これらの作業をしていない時間は、特に何もせずに着座するという状態であった。」

「被告P5は、原告に対する上記の指導教育において、原告が反省しますと述べると、これでは足りないとだけ言い続けたほか、原告に対し、このままでは乗務できないと言いつつ、どうすれば乗務できるようになるかは伝えなかった」

 本件では、こうした取り扱いが「過小な要求」として違法なパワーハラスメントに該当するのではないかが問題になりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、被告会社の対応を違法だと判示しました。

(裁判所の判断)

「原告に対する指導の必要性が高かったことに照らすと、原告を一定期間下車勤務とした上で、被告P4や被告P7が、原告に対し、運転士服務心得を読むことや女子高生の件について文書の作成を指示したこと自体は、上司として許容される相当な指示指導の範囲を逸脱するものとはいい難い。」

「しかしながら、前記前提事実、前記認定事実及び前記・・・のとおり、本件退職強要発言がされ、休職からの復帰後、被告P4や被告P7は、同種の読書と文書の作成を約1か月以上にわたり繰り返し指示し、原告は、作業のない時間は何もせずに着座する状態であった上、被告P5は、原告が反省の弁を述べてもこれでは足りないと言い、現状では乗車は不可能であると言い続けたのであって、いわゆる過少な要求を繰り返したと評価することができること・・・、これにより、原告が自主退職を迫られたと感じたと認められること・・・から、これらの事情及び前記・・・の事情を総合すれば、被告P4、被告P7及び被告P5の指示指導は、社会通念上許容される業務上の指導を越えた、過重な心理的負担を与える違法なものとして、不法行為に当たるといえる。

3.規則類、諸規程類の書き取りとパワーハラスメント

 漢字の書き取りというわけでもありませんし、規則類、諸規程類を書き写させても、それに教育的効果があるのかは疑問です。

 こうした無意味な作業は、一度でも違法だという判断があって良いように思われますが、裁判所は、読書指示や仕事を与えずに放置することを繰り返したり、行き過ぎた退職勧奨などを行ったりしたことと相俟って違法になると判示しました。

 結論として違法性が認められたとはいえ、やはり「過小な要求」類型のパワーハラスメントが違法だと言えるために乗り越えなければならないハードルは高そうです。