弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

退職勧奨に違法性が認められた近時の裁判例

1.退職勧奨

 退職勧奨は、それ自体が許容されないわけではありません。

 しかし、被勧奨者の任意の意思形成を妨げたり、名誉感情を害する言動をとったりすることは許容されていません。また、被勧奨者が二義を許さないほどはっきりと退職する意思のないことを表明した後も勧奨を継続したり、必要な限度を超えて多数回・長期に渡り勧奨を行うことも問題ありとされています。被勧奨者の自由な意思決定が妨げられる状況であったか否かは、被勧奨者が希望する立会人を認めたか否か、勧奨者の数、優遇措置の有無等を総合的に勘案し、判断されます(最一小判昭55.7.10労働判例345-20及びその原々審である山口地判昭49.9.28労働判例213ー63 下関商業高校事件参照)。

 退職勧奨の適法/違法の判断は、概念的には上述のように整理することができます。しかし、個別具体的な事案との関係において、ある退職勧奨が、違法なのか、適法なのかを判断することは、必ずしも容易ではありません。

 法律相談を受けた時、私自身がどのように退職勧奨の違法/適法を回答しているかというと、直観で判断しています。直観と言っても、実務経験や過去の公表裁判例の読み込みによって形成された相場観に基づく判断であり、全くの山勘ではありません。とはいえ、現在の相談事例が過去の事例と全く同じであることはないため、どうしても不安定さは残ります。

 こうした不安定さを低減させ、判断の精度を高めて行くためには、実務経験を積むとともに、地道に公表裁判例の読み込みを続けて行くしかありません。

 昨日ご紹介した、宇都宮地判令2.10.21労働判例ジャーナル107-22 東武バス日光事件は、退職勧奨の違法性が認められたという点でも、注目に値します。

2.東武バス日光事件

 本件は、被告会社の正社員である原告が、上司P3等から退職強要や人格否定、過小な要求というパワーハラスメントを受けたとして、被告会社やP3等に損害賠償を請求する訴訟を提起した事件です。

 原告の方は路線バスの運転士として勤務していました。バスの運転中、

危険な姿勢をとっていた男子高校生に対し「殺すぞ」などと言ったこと、

回数券を折りたたんでいれた女子高生に対し、不正乗車であるという認識のもと「担任の先生の名前と学年主任の名前とクラスと番号、教えて」などと言ったこと

などを理由に、上司P3らから、激しい叱責と退職勧奨を受けました。

 この退職勧奨は苛烈なもので、言動の一部を挙げると、次のような事実が認められています。

(裁判所が認定した言動の一例)

「原告は、令和元年7月23日午前9時から約50分にわたり、P8営業所2階の会議室において、被告P3、P9、被告P4及び被告P5と話をし、その際、別紙3の『発言者』欄記載の者が、原告に対し、『発言の内容』欄記載の発言をした・・・。」

「その際のやり取りの概要は次のとおりである・・・。」

「被告P3が、原告に対し、『反省じゃない、考えはどうした。』・・・、と言い、原告が『すいません。』と言うと、被告P3が、『それ、すいませんじゃすまないって言ってんだよ。わかんねえかな。男だろう。やったこと、ケツもてよ。』・・・『もうね乗せらんねえよ、こういうんじゃ。』と言った。」

「被告P3は、その後、男子高校生の件に言及し、『殺すぞ』の発言を問題視した上で、『てめえ、チンピラなんだろう・・・。うちにいられたんでは困るんだよ、そういうのは。』と言った・・・。原告が『勘弁して下さい。』と言うと、被告P3は、『勘弁できねえって言ってんだよ。わかんねえんだなあ。』・・・、『すいませんじゃねぇって言ってんだよ。』・・・と言った。」

「その後、原告の前職の話に話題が及び、被告P3は、原告に対し、『なんでうちの会社に来たんだよ。聞きてぇ、それ。なんでうちの会社に来たの?』・・・と言った。原告が、被告会社のブランドに憧れていたと述べると、被告P3は、『ブランドだろう?それに相応しい仕事してんのか?最低だよ。救いようがねえっつってんだよ。わかんねえな。』『男なんだろう。ケツモテよ、やったことおまえ、責任とれよ。』・・・と言った。」

「その後、再び男子高校生の件等に話題が及び、被告P3は、原告に対し、『向いてねーって。向いてねえよ。』『それで探してみな、あるから。いっぱいあるから。今運転手は不足してんだから。うちのブランドに合わないんだよ。』・・・と言い、また、『3年も経つとそういう風に態度も変わるんだな。たかが3年、駆け出しのガキだよ。』『分かんべそれぐらい。作新高校出てるんじゃ。』・・・と言った。」

「その後、被告P3が、男子高校生の件を念頭に、『救いようがねぇ。はっきり言って。』と言うと、被告P5は、原告に対し、『そういうことでぐちゃぐちゃ言ったってしょうがないから手続してもらって早く終わらせな、手続して。』・・・と言った。その後、被告P3は、原告に対し、『3年もやってりゃ分かるなんてクソ生意気なことこきやがって。』『うちの会社には向かねえよ、こんな会社って、見切りをつけて他の会社行けよ。』・・・、『もっと柔らかな会社行けよ。』『関東バスの話なんか聞くと、極端な話、スリッパでも通っちゃうみたいだぞ。』・・・、『やっぱり男ならケツもってもらえ。責任取ってもらえよ。何で言わねぇんだよ。こんな会社なんかやってらんねーやって。うるせーって。』・・・、『またやるよ。それでカーっとすると右も左も分からなくなるんじゃ、もう客商売よしたほうがいいよ。』『何で来たの?うちへ。』・・・と言った。」

「その後、被告P3が『反省文一本で済むの?』と言い、原告が、『済まないと思っています。』と言うと、被告P3は、『じゃあ、書けよ。書けよ。』・・・と言った。そこで、原告が『何をですか?』と尋ねると、被告P3は、『退職願を。どっかへ行けよ。それを言ってんだよ。何回も。それで終わすべよ。』・・・、『だって信用できねえんだろ、こっちのことは。会社のことは大事にする気もねぇんだろ。』と言った。」

「その後、被告P3は、男子高校生の件に触れつつ、原告に対し、『その辺のチンピラがやることだよ。チンピラいらねえんだようちは。雑魚はいらねえんだよ。』・・・と言った。」

「被告P5が、原告に対し、『男だったら、ケジメつけてください。』・・・と言い、被告P3は、原告に対し、『仕事はあるから、いくらでも。』・・・と言った。」

 原告に対して厳しい言葉で退職勧奨が行われたのは、この日だけではありませんが、裁判所は、こうした態様で行われた退職勧奨について、次のとおり述べ、違法性を認めました。

(裁判所の判断)

「退職勧奨については、労働者がこれに応じるか否かを自由に決定することができることを要するから、労働者の自由な意思形成を阻害するものであってはならない。そうすると、退職勧奨については、その態様が、これに応じるか否かに関する労働者の自由な意思決定を促す行為として許される限度を逸脱し、その自由な意思決定を困難とするものである場合には、労働者の自由な意思決定を侵害するものとして違法であり、不法行為を構成するといえる。」

「これを本件についてみるに、前記前提事実及び前記認定事実によれば、本件退職勧奨発言の発言者は、いずれも原告の上司であるところ・・・、その発言内容は、途中で原告が辞めたくないと述べたにも関わらず、令和元年7月22日から24日にかけて

〔1〕原告が被告会社には向いていないと指摘するにとどまらず・・・、

〔2〕運転業務以外の業務がない中で、バスに二度と乗せない旨を表明し・・・、

〔3〕被告会社には要らない旨を繰り返し告げ・・・、

〔4〕他の会社に行けと言い・・・、

〔5〕自主退職すべきことをほのめかし・・・、

〔6〕退職願を書けと命じるものであること・・・、

発言の態様は、会議室や事務室において、複数人の上司から原告一人に対して発言されたもので、特に7月23日会議室の件や7月23日事務室の件は、約1時間に及ぶ長いものであったことに照らすと・・・、上記〔2〕ないし〔6〕の発言(以下「本件退職強要発言」という。)は、原告を職場から排除する趣旨のものといわざるを得ない。その上、原告は、その後、傷病休暇を取得し、うつ状態と診断されるに至っている・・・。これらの事情を併せ考慮すれば、被告P3らによる本件退職強要発言は、原告に後記のとおり非難に値する行動が発覚したことを踏まえても、原告の自由な意思決定を促す行為として許される限度を逸脱し、その自由な意思決定を困難とするものであると認められる。したがって、被告P3らの本件退職強要発言について、それぞれ不法行為が成立する。」

3.ここまで強い事情が認められる事案でも慰謝料は60万円

 退職勧奨は、労働者に対し、かなりの精神的負荷を与えます。そのことは、

基発1226第1号 平成23年12月26日 最終改正 基発0821第4号 令和2年8月21日厚生労働省労働基準局長「心理的負荷による精神障害の認定基準について」

において、

「退職を強要された」

ことが強い心理的負荷を生じさせる出来事として位置づけられていることからも分かります。

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 主観的なショックが大きい分、退職勧奨を受けた労働者の方は、慰謝料が比較的簡単に認められると思い込んでいる傾向があるように思われます。

 しかし、退職勧奨が違法であるというためには、かなり強い事情が必要になります。

 また、違法性が認められたとしても、慰謝料の金額は伸びにくいのが実情です。本件のように、退職勧奨の違法性が認定されたほか、「過小な要求」類型のパワーハラスメント、精神疾患(うつ状態)の発症、休職の事実まで認められている事案でなお、裁判所から相当とされた慰謝料は、60万円でしかありません。

 退職勧奨の場面に限ったことではありませんが、本邦の裁判所が行う精神的損害の金銭的評価は、抑制的にすぎるのではないかという感が否めません。

 本件に関していえば、原告にも相応の落ち度があることは否定できませんが、それにしても、慰謝料の認定は、せめて、違法行為の抑止力になり得るような水準の金額を基準とするべきではないかと思われます。