弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

暴行と精神症状-労災認定がされながら不法行為上の相当因果関係が否定された例

1.労災認定の要件としての相当因果関係

 労災が認定されるためには、

① 疾病等が存在すること、

② 当該疾病等が業務上のものであること、

の二つの要件が必要になります。

 当該疾病等が「業務上」のものであるとは、疾病等と業務との間に相当因果関係(業務と傷病等との間に条件関係があることを前提としつつ、両者の間に法的にみて労災補償を認めるのを相当とする関係)があることを意味すると理解されています(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕496頁参照)。

 この「相当因果関係」という概念は、労災固有のものではなく、様々な場面で用いられています。例えば、不法行為に基づいて損害賠償を請求するにあたっては、損害と加害行為との間に相当因果関係が認められる必要があるとされています。

 労災保険法における相当因果関係と、不法行為法における相当因果関係とは、法目的が異なることから、微妙に異なっています。しかし、結論に影響が生じることは稀であり、労災の場面で相当因果関係が認められた場合、原因となった業務に何等かの注意義務違反を観念することができれば、概ねの場面で不法行為法上の相当因果関係も認められます。

 しかし、労災認定が認められながら、不法行為法上の相当因果関係が否定されるという事案も、ないわけではありません。近時公刊された判例集に掲載されていた東京地判令2.7.1労働判例ジャーナル107-41東急トランセ事件も、そうした事案の一つです。

2.東急トランセ事件

 本件は、バス運転士として勤務していた原告が提起した労災民訴です。労災民訴とは労災保険で填補されなかった損害を民事訴訟で請求することを言います。

 平成27年11月30日、原告の方は、営業所事務室ないにおいて、上司であるP5から椅子の背もたれを2回蹴られるという暴行を受けました(本件暴行)。その後、心身の不調を訴え、被告会社での業務を休業し、整形外科、接骨院、心療内科等複数の医療機関を受診しました。

 原告の方は、本件暴行により、頸椎捻挫、腰椎捻挫の傷害を負ったほか、外傷後神経障害(両下肢麻痺・両側感音性難聴、心因反応、急性ストレス障害、うつ病などを発症したため、これら傷病に罹患したことを前提とした損害賠償がなされるべきだと主張しました。
 これに対し、被告は、原告の症状と本件暴行との間には因果関係がないなどと反論しました。

 本件の特徴は、訴訟提起に先立って労災認定がなされていたことです。労基署長は「(ひどい)嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた」との具体的出来事により強い心理的負荷を受けたとして、解離性(転換性)障害との業務起因性を認めました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、直接の被害である頸椎捻挫、腰椎捻挫以外の症状と本件暴行との相当因果関係を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告には、本件暴行と相当因果関係のある損害につき、原告に賠償すべき責任があるところ、原告は、前記認定事実・・・のとおり、本件暴行の翌日福住医院を受診して、全治2週間の見込みの頚椎捻挫、腰部捻挫の診断を受けたものであり、その信用性を覆すに足りる的確な証拠はない(被告も、全治2週間の見込みの頚椎捻挫、腰部捻挫を生じたことについては積極的に争っていない。)。」

「そうしてみると、被告には、上記頚椎捻挫、腰部捻挫について原告に生じた損害を賠償すべき責任があるというべきである。」

「もっとも、原告は、本件暴行により、外傷後神経障害(両下肢麻痺・両側感音性難聴)のみならず、不眠症、神経症のほか、心因反応としての急性ストレス障害やうつ病、解離性障害等の多様な傷病、症状を発症したと主張する。そこで、以下、原告の同主張について検討する。」

「本件暴行の内容、程度は、前記認定事実・・・のとおり、原告が座っていた椅子の背もたれを2回蹴ったというものであり、これにより大きく椅子が移動したものでもなく、原告の身体に与えた物理的な衝撃が大きかったということはできないし、もとより、原告が椅子からずり落ちたりしたものでもない。」

「そうしてみると、本件暴行は、いかに不意に背後から行われたものであったとはいえ、その程度としては比較的軽度のものといわざるを得ない。福住医院における当初の診断においても、他覚所見は認められず、全治2週間を要する見込みの頚椎捻挫、腰椎捻挫にとどまっていたことは前記認定事実・・・のとおりである。」

(中略)

「ところで、原告の解離性(転換性)障害について本件暴行との間の業務起因性が認められ、労災認定がされていることは前記認定事実・・・のとおりである。しかしながら、そもそも、労災認定における業務上の傷病に当たるか否かの判断と、不法行為と損害との間の相当因果関係の存否の判断とは必ずしも重なるものではない。その点はさておくとしても、その判断の根拠となったとみられる労働基準監督官の調査復命書・・・や東京労働局労災医員の意見書・・・をみると、前判示のような本件暴行の前後の経緯やその内容、程度について十分に考慮された形跡がうかがわれないし、そもそも、原告に強い情緒不安定性がみられるようになったのは、前記認定のように平成28年1月に入ってからであるのに、本件暴行直後の平成27年12月頃には生じていたなどと前記認定事実に沿わない事実を判断の基礎としていることも認められる。また、前判示のとおりの原告の既往症・・・についても、判断の基礎にされた形跡がうかがわれない。そうしてみると、かかる判断も、たやすく採用できるものではないといえるから、上記労災認定における調査復命書及び労災医員の意見書の内容が、前記判断に影響を及ぼすことはないというべきである。

「以上のとおり、本件事故後原告に生じたとする精神症状については、本件暴行と相当因果関係のある損害であるということはできず、他にこの点を認めるに足りる的確な証拠は存しない。」

3.本件は概念的な相違というより前提事実の相違が結論に影響した事案だが・・・

 判決文を読むと、本件は、概念的な相違というよりも、判断の基礎となった前提事実の相違が結論に影響したように思われます。

 とはいえ、労基署で業務起因性(相当因果関係)が認められ、労災民訴で相当因果関係が否定されるという判断が稀であることには変わりありません。行政には、調査権限があるうえ、自前の専門家がいるため、基礎資料の充実という観点からも、専門的判断という観点からも、的確な結論に辿り着きやすいからです。

 本件は特に問題のある手続進行がなされているとは思いませんが、稀であっても結論が相違する可能性が残されている以上、労災民訴で勝ち抜くためには、先行して労災が認められていたとしても、油断することなく、細心の注意を払いながら主張・立証を積み重ねて行くことが必要なのだと思われます。