弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

労災が否定されても民事訴訟での損害賠償請求は可能?-業務起因性がないことは不法行為法上の相当因果関係がないことを意味しないとされた例

1.相当因果関係概念の相対性

 民法709条は、

「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」

と規定しています。

 ここでいう「よって」とは、加害行為と権利利益の侵害(損害)との間に、相当因果関係を要する趣旨であると理解されています。相当因果関係というのは、簡単に言うと、当該行為から当該結果が生じることが社会通念上相当だと認められる関係のことで、賠償義務の対象となる損害を合理的な範囲に限定する役割を果たしています。

 この「相当因果関係」という概念は、労災の場面にも転用されています。例えば、最二小判昭51.11.12最高裁判所裁判集民事119-189は、疾病や負傷が「公務上」(「業務上」とほぼ同義です)のものであると認められるための要件として、

「相当因果関係のあることが必要」

であるとの判断を示しています。

 どのような場合に疾病や負傷と業務との間に相当因果関係が認められるかに関しては、労災の認定基準(行政解釈)を下敷きにした膨大な裁判例の集積があります。

 そのため、仕事が原因で疾病・負傷・死亡等の結果が発生した事案において、勤務先に損害賠償を請求する民事訴訟を提起する場合、相当因果関係が認められるか否かの判断にあたっては、労災の場面で用いられている相当因果関係の認定手法が、逆輸入するような形で用いられることが多く見られます。

 同じ用語であることもあり、不法行為法上の「相当因果関係」と、業務(公務)起因性が認められるか否かを判断する基準としての「相当因果関係」は、しばしば混同されがちです。

 しかし、両者は概念として区別するのが正確です。確かにオーバーラップする部分が大きいことは否定しませんが、飽くまでも別の概念であることを理解していなければ、損害賠償請求訴訟における主張、立証のポイントを外しかねません。また、労災が否定されても民訴でなら芽のある事案を見落としてしまう危険もあります。近時公刊された判例集にも、そのことが看取される裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した仙台地判令2.7.1労働判例ジャーナル105-40 北海道事件です。

2.北海道事件

 本件は北海道の公立高校の自殺した教諭(亡e)の両親が、自殺の原因は先輩教諭からのパワー・ハラスメントにあるとして、北海道を相手取って国家賠償を請求した事件です。

 この事件では幾つもの争点が提示されていますが、その中の一つに義務違反と死亡結果との間に相当因果関係が認められるかという問題がありました。

 被告北海道は、

「亡eのi教頭に対する相談及び亡eの遺書に記された自殺時の心情には、他人を非難する内容は含まれておらず、かえって自己の不甲斐なさを訴えるものであったのだから、業務の過重化及びg教諭による叱責が亡eを自殺に追いやった原因であるとはいえない。加えて、亡eは、稚内高校に勤務する前にも、自殺を数回試みたことがあるなど、性格や精神的傾向において著しい脆弱性があった。そうすると、本件においても、亡eは、必要以上に自分自身を追い詰めて自殺に至ったものであるから、仮にh校長らに安全配慮義務違反があるとしても、亡eの死亡との間に相当因果関係はない。」

などと主張し、亡eが自殺したのは、そのメンタルの脆弱性が原因であって、自分達の安全配慮義務違反に原因があるわけではなないと主張しました。

 被告北海道の主張は、労災の場面で用いられる「ストレス-脆弱性理論」に依拠した議論です。

 「ストレス-脆弱性理論」とは、労災の「対象疾病の発病に至る原因」について「環境由来の心理的負荷(ストレス)と、個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まり、心理的負荷が非常に強ければ、個体側の脆弱性が小さくても精神的破綻が起こるし、逆に脆弱性が大きければ、心理的負荷が小さくても破綻が生ずる」とする考え方をいいます。

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 これは個体側の脆弱性によって発病したといえる場合に、疾病の業務起因性(業務との相当因果関係)を否定する脈絡の中で、しばしば論及される考え方です。

 不法行為の成否や安全配慮義務違反が問題となる損害賠償法のもとでの「相当因果関係」が、労災の場面で用いられている「相当因果関係」と同一のものであるとすれば、被告北海道の組み立てた議論は原告の主張に対する有効な反論になります。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、相当因果関係の存在を認め、被告北海道の主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

「・・・h校長らの安全配慮義務違反と亡eの自殺との間には相当因果関係があるものと認めるのが相当である。」

「これに対し、被告は、亡eの遺書には、他人を非難する内容は含まれておらず、かえって自己の不甲斐なさを訴える内容であったのであり、元来有していた精神的脆弱性と相まって、必要以上に自分を追いつめて自殺に至ったものであるから、h校長らの安全配慮義務違反と亡eの自殺との間には相当因果関係がなく、また、労災認定基準によれば、亡eのうつ状態は、業務を起因として発病した精神障害には当たらず、うつ状態による自殺も業務に起因するものではないから、仮に被告の安全配慮義務違反が認められたとしても、亡eの自殺との間に相当因果関係はない旨主張する。」

「しかしながら、前記認定事実によれば、亡eが残した遺書には、g教諭の副担任が割り当てられた4月から状況が一変し、仕事のミスで周囲に詫びる日を繰り返し、消えたくなる気持ちで一杯であり、g教諭の足を引っ張ってばかりいた趣旨が記載されていたことからすれば、当該遺書にg教諭に対する直接的な非難の言葉が記載されてなかったとしても、亡eの自殺の原因自体がg教諭からの注意であったことは、上記遺書自体からも読み取り得るというべきである。のみならず、前記認定事実によれば、自殺に至る直前である平成27年7月22日には、実家に帰省する予定を立てて夏期休暇を取得し、スポーツ観戦のチケットの購入を原告aに依頼するなどしていたのであり、g教諭の注意のほかに、自殺に至る原因を認めるに足りる的確な証拠がないことからすると、前記認定事実に係る事実経過を踏まえれば、亡eの自殺の原因は、教師として生きてゆく自信を喪失させるようなg教諭の度重なる注意にあったとするのが自然である。」

「また、被告主張に係る災害補償制度は、使用者が労働者を自己の支配下に置いて労務を提供させるという労働関係の特質に鑑み、業務に内在ないし随伴している危険が現実化して労働者に傷病等を負わせた以上、使用者に無過失の補償責任を負担させるのが相当であるとする危険責任の法理に基づくものである。そのため、業務と傷病との間の相当因果関係の有無は、その傷病が当該業務に内在又は随伴する危険の現実化したものであるかどうかによって判断されるべきものである。これに対し、不法行為法は、損害の公平な分担を趣旨とし、使用者側の過失に基づき、労働者が被った損害を填補させるものであるから、不法行為における相当因果関係の有無は、債務者の有責行為と損害との間における事実的因果関係及び債務者に当該損害を負担させる相当性の有無によって判断されるべきものである。

そうすると、上記制度趣旨の相違に鑑みると、業務起因性がないことをもって直ちに不法行為法上の相当因果関係がないとはいえず、被告の主張を踏まえても、上記判断を左右するに至らない。

「したがって、被告の主張は、採用することができない。」

3.労災が否定されても民事訴訟での損害賠償請求が可能な場面はある

 本件の裁判所は、労災の場面での相当因果関係と、民事訴訟の場面での相当因果関係とが別の概念であることを正面から判示し、業務起因性がなかったとしても、直ちに不法行為法上の相当因果関係がないことを意味するわけではないとしました。

 相当因果関係概念の相対性を指摘する考え方は従前からありましたが、ここまではっきりと概念上の差異を区別した判示は比較的珍しいように思います。

 確かに、疾病や負傷に労災認定を受けられなかった場合、民事訴訟で勤務先の責任を問うことが容易でないことは否定できません。また、責任が認められたとしても、ストレスへの脆弱性が背景にある場合、相当割合の素因減額が見込まれます。

 しかし、自殺事案のような深刻な被害が発生している事案では、素因減額がされてもなお、損害賠償額がかなりの金額に及ぶことは珍しくありません。本件でも6割の素因減額がされましたが、原告aに1300万1699円、原告bに1234万1699円と、合計2500万円以上の損害賠償請求が認められています(弁護士費用含む)。

 労災が認定されなかった事案でも、民事訴訟の芽はなくはありません。労災給付の不支給処分を受けて釈然としない思いをお抱えの方は、損害賠償請求の可否について、一度、弁護士のもとに相談に行ってみると良いと思います。