弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

精神障害の悪化類型の労災認定-行政上の認定基準にとらわれず、柔軟に業務起因性を認めた例

1.精神障害の悪化の業務起因性

 労災認定を受けるためには、疾病や障害が「業務上」のものでなければなりません(労働者災害補償保険法7条1項1号)。

 「業務上」といえるためには、

「当該労働者の業務と負傷等との結果との間に、当該業務に内在または随伴する危険が現実化したと認められるような相当因果関係・・・が肯定されることが必要」

だと理解されています(菅野和夫『労働法』〔弘文堂、第12版、令元〕649頁参照)。

 どのような場合に相当因果関係が認められるのかに関しては、厚生労働省が疾病や障害の種類毎に認定基準を設けています。

 例えば、精神障害に関しては、

平成23年12月26日 基発1226号第1号『心理的負荷による精神障害の認定基準について』(最終改正:令和2年8月21日 基発0821第4号)

という基準が定められています。

精神障害の労災補償について|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 精神障害の業務起因性(業務との間の相当因果関係)を判断するにあたっては、しばしば元々精神疾患を持っていなかったのかが問題になります。

 なぜなら、元々精神疾患を持っていた方の場合、それが何等かの心理的負荷によって悪化したとしても、原則として業務起因性が認められないとされているからです。このことは、上記『心理的負荷による精神障害の認定基準について』の中で、

「業務以外の原因や業務による弱い(『強』と評価できない)心理的負荷により発病して治療が必要な状態にある精神障害が悪化した場合、悪化の前に強い心理的負荷となる業務による出来事が認められることをもって直ちにそれが当該悪化の原因であるとまで判断することはできず、原則としてその悪化について業務起因性は認められない。

と記述されています。

 厚生労働省が設けている労災の認定基準は、裁判実務における相当因果関係の認定にも強い影響を及ぼしています。多くの裁判例は、労災の認定基準を参照しながら、疾病や障害と業務との間に相当因果関係が認められるかを判断しています。それは、精神障害の場合も例外ではありません。そのため、裁判例の多くは、精神障害の悪化に対し、相当因果関係を認めることに消極的な姿勢をとっています。

 このような状況のもと、近時公刊された判例集に、精神障害の悪化について、厚生労働省の設けた認定基準に必ずしもとらわれなくてもよいとして、柔軟に相当因果関係を認定する道を開いた裁判例が掲載されていました。東京高判令2.10.21労働経済判例速報2447-3 国・三田労基署長事件です。

2.国・三田労基署長事件

 本件は労災の不支給処分の取消訴訟の控訴審です。

 原告(控訴人)になったのは、自殺した労働者(亡A)の妻です。亡Aが勤務先の業務に起因して鬱病(本件疾病)を発病して自殺したとして、三田労働基準監督署長(監督署長)に対し、労災保険法に基づく遺族補償給付を請求しました。

 しかし、監督署長が不支給処分(本件処分)を行ったため、その取消を求めて出訴しました。原審が原告の請求を棄却したたため、原告側が控訴したのが本件です。

 本件では精神障害の悪化事案であったことから業務起因性が認められないのではないかが問題になりました。

 裁判所は、次のとおり判示したうえ、精神障害の悪化に業務起因性を認め、本件処分を取り消しました。

(裁判所の判断)

認定基準(第5)は、精神障害の悪化の業務起因性につき、業務以外の原因や業務による弱い心理的負荷により発病して『治療が必要な状態(実際に治療が行われているものに限らず、医学的にその状態にあると判断されるもの)』にある精神障害が悪化した場合、悪化の前に強い心理的負荷となる業務による出来事が認められることをもって直ちにそれが当該悪化の原因であるとまで判断できず、原則としてその悪化についての業務起因性は認められないとし、『特別な出来事』に該当する出来事があり、その後おおむね6か月以内に対象疾病が自然経過を超えて著しく悪化したと医学的に認められる場合に限り、その『特別な出来事』による心理的負荷が悪化の原因であると推認し、悪化した部分について、業務上の疾病として取り扱うものとしている。

しかしながら、認定基準においてかかる取扱いが定められたのは、一般に、既に精神障害を発病して治療が必要な状態にある者は、病的状態に起因した思考から自責的・自罰的になり、ささいな心理的負荷に過大に反応するものであり、悪化の原因は必ずしも大きな心理的な負荷によるものとは限らないし、自然経過によって悪化する過程においてたまたま業務による心理的負荷が重なっていたにすぎない場合もあり、このような精神障害の特性を考慮すると、業務の悪化の前に強い心理的負荷となる業務による出来事が認められたことをもって、直ちにそれが精神障害の悪化の原因と判断することは困難ではあるが、労災認定業務を行うためには異論を挟むことのできないある程度明確な基準を設定する必要があったからであると認められる・・・。そうすると、裁判所としては、認定基準の上記の趣旨を踏まえつつも、必ずしもこれにとらわれることなく、当事者双方が主張立証を尽くす中で個別具体的な事案における相当因果関係の認定を適切に行えば足りるものと思われる。

(中略)

「しかも、認定基準(第7)は、対象疾病が一旦治ゆ(症状固定)した後に再びその治療が必要な状態が生じた場合は、新たな発病と取り扱い、改めて、認定要件に基づき業務上外を判断するとしているところ、通常の就労が可能な状態で、精神障害の症状が現れなくなった又は安定した状態を示す『寛解』との診断がなされている場合には、投薬等を継続している場合であっても、通常は治ゆ(症状固定)の状態にあると考えることとされているが、既にみたように、亡Aは、平成21年2月にNクリニックのM医師から、デパスおよびジェイゾロフトのみならず、うつ病に有効なエビリファイを処方され、一旦は亡Aの精神状態は回復又は安定傾向にあって欠勤することなく勤務を続けていたのであるから、明確に診断された事実はないものの、『寛解』したともいえる状態にあったともいえるのであり、その後、亡Aは、平成25年4月に職務内容が変更され、また、達成困難なノルマであるEチャリティーコンサートの見直しに取り組むうち、同年5月頃に再びうつ病の症状を発症させ、同コンサートの見直し作業が続くうちに、亡Aのうつ病の症状は悪化し、同年7月25日に自殺しているという経過をたどっていると認められるのは前述したとおりである。」

「以上の諸点に照らすと、前記のとおりの認定基準(第5)の定めが存在し、また、項目15『仕事内容に大きな変化を生じさせる出来事があった』、項目21『配置転換があった』、項目8『達成困難なノルマが課された』に関する事実は、本件疾病の発症した平成21年1月中旬より後の出来事ではあり、認定基準別表1の『特別な出来事』に該当するとはいえないけれども、本件においては、これらを業務起因性の判断から除外することなく、同月以前の項目30『上司とのトラブルがあった』及び項目12『取引先からクレームを受けた』の各出来事と一連の関連する出来事として全体を一つの出来事として全体評価を行うべきものであり、それらが亡Aのうつ病の悪化の原因であると認められる。」

上記のとおり、亡Aの本件疾病の発症等には業務起因性が認められるものというべきであるから、これが認められないことを理由として遺族補償給付を支給しないものとした本件処分は取消しを免れない。

3.寛解が認定可能な事案であったかも知れないが・・・

 上記『心理的負荷による精神障害の認定基準について』は、

「通常の就労が可能な状態で、精神障害の症状が現れなくなった又は安定した状態を示す『寛解』との診断がなされている場合には、投薬等を継続している場合であっても、通常は治ゆ(症状固定)の状態にあると考えられる。」

(中略)

「なお、対象疾病がいったん治ゆ(症状固定)した後において再びその治療が
必要な状態が生じた場合は、新たな発病と取り扱い、改めて上記第2の認定要
件に基づき業務上外を判断する。

と規定しています。

 つまり、既往の精神障害があったとしても、寛解している場合には、業務起因性が原則として否定される「悪化」の類型とは異なる判断枠組みが適用されます。

 裁判所は亡Aの病状について寛解したともいえる状態にあったと判断しており、判断枠組の緩和が結論の相違に結びついたのか否かは必ずしも判然とはしません。

 それでも、

「認定基準の上記の趣旨を踏まえつつも、必ずしもこれにとらわれることなく、当事者双方が主張立証を尽くす中で個別具体的な事案における相当因果関係の認定を適切に行えば足りるものと思われる。」

と「悪化」類型について、より柔軟に業務起因性を認定する余地を切り開いたことは、被災者保護の観点から、極めて画期的なことです。

 本件は精神障害に関わる労災の取消訴訟事件、労災民訴事件を取り扱うにあたり、銘記しておくことが必要な重要な裁判例だと思われます。