1.辞められない会社
一昔前に「辞められない会社」という退職妨害をしてくる使用者の存在が話題になりました。こうした退職妨害行為の横行を受けて、現在では、退職したい労働者向けに、法律事務所が退職代行・退職に向けた交渉代理などのサービスの提供を提供することも一般的になりつつあります。
どれだけ使用者が退職を阻止しようとしたとしても、辞意を固めた労働者の退職を阻止する方法はありません。また、退職代行・退職交渉を依頼するような労働者の方は、とにかく会社と関わり合いになりたくないというニーズを持っている人が多くみられます。そのため、それなりに酷い退職妨害が行われているケースでも、退職後に敢えて不法行為として裁判に訴えるケースは、それほど見られなかったように思われます。
しかし、近時公刊された判例集に、退職者への行き過ぎた慰留に不法行為該当性が認められた裁判例が掲載されていました。東京地判令2.9.17労働判例ジャーナル106-28 ルーチェ事件です。適法な慰留と違法な退職妨害との境界を知るうえで参考になる事例として紹介させて頂きます。
2.ルーチェ事件
本件で被告になったのは、美容院の経営及びコンサルタント等を目的とする株式会社(被告会社)と、その代表取締役(被告P2)です。
原告になったのは、被告会社で勤務していた美容師の女性です。被告会社を退職した後、残業代を請求するとともに、パワーハラスメントを受けたことにより人格権を侵害されたと主張して損害賠償を請求する訴訟を提起しました。
この損害賠償請求の理由を構成するパワーハラスメントの一つに、被告P2による行き過ぎた慰留がありました。
裁判所では、次の事実が認められています。
(裁判所で認定された事実)
「原告は、平成29年8月27日、被告P2に対し、退職したい旨告げ、退職の理由として、原告の祖母が病気で施設に入っており、原告の母も病気であるので家を手伝いたいなどの旨説明した。」
「被告P2は、原告の退職を慰留しようとし、原告に対し、原告の母と直接話をすることを申入れるなどしたが、その際、原告に対し、『小学生と話をしているようでらちがあかない。』旨述べた。」
「被告P2は、平成29年8月29日、原告の母と面談した。原告の母は、上記面談の際、被告P2に対し、原告の退職理由に関し、原告がそれまで何度か仕事で壁にぶつかることがあり、その都度励ますなどしたが、被告会社で仕事を続けることに不安を感じ悩んでいることなどを説明した。」
「被告P2は、平成29年8月30日、P9(店長・スタイリスト 括弧内筆者)の同席の下、原告と面談した。」
「被告P2は、前記cの面談の際やその前後の頃、原告に対し、『辞めるのは恩を仇で返す行為である。』、『辞めることは感謝の気持ちがない。』、『次の人を探せ。』、『自分の要求を一方的に言っている。』、『わがまま。』、『おまえがやっていることは北朝鮮がミサイルを落としているのと一緒だ。』、『100対0で原告が悪い。』、『おまえの母親もおまえも目を見て話せない。』などの旨述べた。」
こうした事実関係を前提とし、裁判所は、次のとおり述べて、被告P2の慰留行為に不法行為該当性を認めました。
(裁判所の判断)
「被告P2の発言は、その経緯に照らすといずれも原告の退職を慰留する中でされたものであるということができるが、その一連の発言を全体としてみると、原告に対する侮辱的又は威圧的なものということができるのであって、労働者に退職の自由があることに鑑みると、退職の理由に関する原告の説明と原告の母の説明とが整合しない部分があったことを考慮しても、被告P2の上記発言は退職を慰留するための説得の域を超えて違法に原告の人格権を侵害するものというべきである。」
「したがって、前記・・・で認定した被告P2の発言について、被告P2は不法行為により、被告会社は会社法350条により連帯して損害賠償責任を負う。」
(中略)
「被告P2の不法行為、すなわち・・・被告P2の発言は全体として侮辱的又は威圧的なものであって、原告が受けた屈辱感は相応のものであったというべきであるが、原告の退職を慰留する中での短期間の間にされたものであり、退職の理由に関する原告の説明と原告の母の説明とが整合しない部分があったという経緯を考慮すると、原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料の額は5万円と認めるのが相当である。」
3.僅か5万円ではあるが・・・
本件で認定された慰謝料は5万円でしかありません。しかし、
『辞めるのは恩を仇で返す行為である。』、
『辞めることは感謝の気持ちがない。』、
『次の人を探せ。』、
『自分の要求を一方的に言っている。』、
『わがまま。』、
『100対0で原告が悪い。』、
といったフレーズに違法性が認められた意義は大きいと思います。なぜなら、こうしたフレーズは退職妨害をしてくる会社が使う決まり文句だからです。どの会社も言うことが似たり寄ったりであるため、裁判所の判示事項は、退職妨害をしてくる会社を広く牽制できる可能性があります。
退職に関する交渉は、当事務所でも取り扱っています。本件のように、残業代を請求するついでに妨害行為の違法性を問題にすることも考えられると思います。お困りの方は、ぜひ、お気軽にご相談ください。