弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

賞与に関する求人票の記載は要注意

1.使用者の決定等がない場合の賞与請求の可否

 多くの企業において、賞与は「毎年6月および12月に会社の業績、従業員の勤務成績等を考慮して賞与を支給する」といった規定に基づいて支給されています。具体的な支給率・額について使用者の決定や当事者間の合意がない場合、こうした規定に基づく賞与の請求が可能かが問題になります。しかし、裁判例の多くは、具合的な額の決定がない以上、賞与請求権は具体的に発生しないとしています(以上、水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕591頁参照)。

 それでは、就業規則で賞与を支給すると定められていたうえ、求人票に賞与の実績値が明記されていた場合はどうでしょうか。このような場合でも、使用者による具体的な額の決定がなければ、労働者は賞与を請求することはできないのでしょうか?

 この問題を考える上で参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令2.3.13労働判例ジャーナル101-32 社会福祉法人稲荷学園事件です。

2.社会福祉法人稲荷学園事件

 本件で被告になったのは、保育園(本件保育園)を運営する社会福祉法人です。

 原告になったのは、被告で保育士として勤務していた方です。退職後に未払賞与等の支払を求めて訴えを提起したのが本件です。

 上述のとおり、通常、賞与は使用者の決定がなければ請求は認められません。しかし、本件では次のような特性がありました。

 先ず、公共職業安定所の求人票に、

「『賞与(実績)』 あり(前年度実績)年2回計4.40月分」

と賞与があることが明記されていたことが挙げられます。

 賃金規程も、

「賞与は、原則毎年7月および12月に支給する。但し、特別の事情のあるときは支給しないことがある。」

という建付けになっていました。但書による留保はありますが、「業績や勤務成績を考慮して・・・」といった文言が入っていないのがポイントです。

 こうした前提事実のもと、原告は、

「本件採用面接の際、現被告代表者から、賞与に関して、前年度には基本給4.4か月分の金員を支払っており、今後も同等の金額の賞与を支払う予定であると告げられ」

たなどと主張し、基本給4.4か月分の賞与支給が雇用契約の内容に組み込まれていると主張しました。

 そうであるにもかかわらず、基本給4.4か月分の賞与がきちんと支払われていないから、基本給4.4か月分の金額と実際に支給された賞与額との差額を未払賞与として支払えというのが原告の主張の骨子です。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告の賞与請求を認めませんでした。

(裁判所の判断)

「原告は、本件採用面接の際、現被告代表者から、賞与に関して、前年度には基本給4.4か月分の金員を支払っており、今後も同等の金額の賞与を支払う予定であるなどと告げられたと主張する。」

「しかし、原告主張に係る現被告代表者がしたという発言は、その内容自体、さらには、原告とのやり取りの前提となっているものとみられる求人票の記載・・・を踏まえても、それは、賞与に関する一般的な説明をしたにすぎず、具体的な一定割合の賞与の支払を確約したものであるとは認め難い。また、就業規則によって労働条件が規律され得ることから、被告の就業規則の一部を構成する賃金規程上の賞与に関する定めについてみることとしても、前記前提事実のとおり『賞与は毎年7月および12月に支給する。』とあるものの、具体的な支給額や支給割合を明示するものではないから・・・、原告の主張を基礎付けるものにはなり得ず、ほかに原告主張事実を認定するに足りる証拠はない。

「そうすると、本争点に関する原告の主張を採用することはできない。」

「以上によれば、本件雇用契約の内容として、被告は原告主張に係る賞与の支払義務を負うものではないから、本訴請求・・・は理由がない。」

3.求人票の記載は鵜呑みにしないよう注意が必要

 確かに、一般論として求人票は申込の誘引として理解されていて、求人票の記載は直ちに労働条件になるわけではありません。 

 ただ、本件には、賃金規程の上で単に「支給する」と査定が介在しないかのような規定ぶりが用いられ、求人票で実績が具体駅に明記され、面接でも具体的な月数についての言及があったという特殊性がありました。

 こうした特殊性を考えると、直観的には別異の結論があってもおかしくないように思われます。しかし、裁判所は賞与請求を認めませんでした。このことは、賞与請求のハードルの高さ、そして、求人票の記載を盲信することの危険性を示しています。

 求人票で高い労働条件を提示する一方、面接時により低い労働条件を示して、なし崩し的に労働者を抱え込もうとする事業者は後を絶ちません。そのような流れで労働者を雇入れても、事業体に対する怨嗟の念が生じるだけで、むしろ組織を不安定にするのではないかと思われますが、それでも、この種の事件は定期的に問題になり続けています。

 求人票の記載には、法的にそれほど強い効力があるわけではないため、書かれている労働条件が本当のことなのかどうかは、注意しておくことが必要です。

 

長時間労働の解消、雑談レベルでも相談しておいた方がいい

1.長時間労働からの鬱病発症をテーマとする二つの損害賠償請求事件

 長時間労働で欝病などの精神疾患を発症した場合、労働者としては、先ず労災認定を受けることができないかを検討することになります。

 労災認定を受けるためには、疾病や障害が「業務上」のものであれば足りるからです(労働者災害補償保険法7条1項1号)。「業務上」といえるためには、

「当該労働者の業務と負傷等との結果との間に、当該業務に内在または随伴する危険が現実化したと認められるような相当因果関係・・・が肯定されることが必要」

です(菅野和夫『労働法』〔弘文堂、第12版、令元〕649頁参照)。

 しかし、使用者の「故意」「過失」は、要件とされていません。

 他方、使用者に対して損害賠償を請求する場合、使用者側の不適切な行為と疾病の発症との間に相当因果関係(ここで言う相当因果関係は労災の場面での相当因果関係とは理論的には別の概念ですが、かなりの部分が重複しています)があることに加え、「故意」「過失」といった要件を立証しなければなりません。

 労災認定の要件は、損害賠償請求の要件に(概ね)包含されている関係にあります。だから、労働者側としては、先ずは労災認定の可否を検討することになるのです。

 ただ、労災は労働者に生じた全ての損害をカバーするものではありません。そのため、労働者が労災でカバーされない損害の填補を受けるためには、別途、使用者に対して損害賠償を請求する必要があります。

 この労災認定後の損害賠償請求に関し、近時公刊された判例集に真逆の結論になった裁判例が掲載されていました。大阪地判令2.3.4労働判例1222-6豊和事件と札幌高判令元.12.19労働判例1222-49北海道二十一世紀総合研究所事件です。

2.豊和事件、北海道二十一世紀総合研究所事件

 二つの事件は、いずれも、長時間労働→鬱病の発症→労災認定→労働者による損害賠償請求訴訟の提起といった経過が辿られています。

 しかし、豊和事件では使用者の安全配慮義務違反を認めたのに対し、北海道二十一世紀総合研究所事件では安全配慮義務違反は認められませんでした。

 安全配慮義務違反の認定に関する各裁判例の判示は、次のとおりです。

(豊和事件)

「被告は、原告から業務日報や打合せ議事録、残業の際の届書の提出を受けるなどしていたのであるから、原告の業務状況及び労働時間について認識していたことは明らかである。加えて、・・・平成25年ないし平成26年の施工管理部の会議において、D課長に対する要望事項として、施工管理部の人員や業務の軽減の点が挙がっており、また、被告の認める限度でも、原告は、C支店長との雑談の中とはいえ、繁忙期に向けて人員を補強してほしい旨を伝えたことがあったのであるから、被告は、施工管理部において人員補強や業務軽減の要望があることについても、認識していたといえる。

「以上の点に鑑みれば、労働契約に基づいて原告を労務に従事させている使用者として、被告は、原告の長時間労働を解消すべく、業務量を軽減させるなどの適切な措置を講じるべき安全配慮義務を負っていたものと認められる。」

-中略-

「被告による安全配慮義務違反の有無について検討するに、・・・被告は、平成27年4月にLを、同年10月にはMを施工管理部から他の部署に配置転換させるなどし、その一方、同年11月にOを雇用したが、同人は被告の業務について未経験であった。このことからすると、施工管理部は、同年12月以降の繁忙期を、前年の繁忙期よりも少ない人員体制で迎えたこととなり、上記人員配置は原告の長時間労働を解消させるための措置と見ることができるものではなく、その後、平成28年5月にOが退職したにもかかわらず、原告の本件疾病発症に係る同年8月1日までの間に、被告が、施工管理部の人員を補充したといった事実は認められない。また、このような人員の補充以外の面でも、被告において、原告の業務量を軽減したり、労働時間を抑制ないし削減したりするための具体的な措置を講じたと認めるに足りる証拠はない。」
-中略-
原告の長時間労働に対し、被告がこれを解消するべく、原告の業務量を軽減するための適切な措置を講じたものとは認められず、被告は、かかる措置を講じることなく、原告を上記2のとおり過重な心理的負荷の原因となる長時間労働に従事させ続けたものであるから、被告には安全配慮義務違反があったものと認められる。

(北海道二十一世紀総合研究所ほか事件)

「一審被告会社は、発症前3か月間における一審原告の業務負担について、格別、軽減の措置を執っていない。これは、安全配慮義務違反を基礎付ける事情に当たるといえる。」

「他方、次のような事情を指摘することができる。」

-中略-

「以上の各事情によれば、一審被告会社が発症前3か月間における一審原告の労働時間が長時間に及んでいることを把握しつつ、その業務負担について、格別、軽減の措置を執っていない一方、この間における一審原告の担当業務は、主として一審原告の専門分野に属する本件調査義務であり、データの集計等に時間を要したという長期化要因について、相談の機会はあったものの、これを利用することはなかった等の事情を指摘することができる。一審被告会社としては、一審原告の業務がうつ病の発症をもたらしうる危険性を有する特に過重なものと認識することは困難であり、単に労働時間が長時間に及んでいることのみをもって、一審原告のうつ病の発症を予見できたとはいえないというべきである。そして、本件において、他に一審原告のうつ病発症の予見可能性を基礎付ける事実は認められない。」

「また、一審原告は、平成17年度当初、複数の調査研究業務を担当していたが、・・・最終的には主な担当業務が本件調査業務のみとなっており、ここから更に一審原告の担当業務を減らすのは困難であったというべきである。そして、一審被告会社では、毎週、意見交換のための全体会議が開催されており、一審原告は、その機会に、業務遂行上の課題を伝え、上司や同僚に相談することができ、これが困難であったとは認められないのに、相談等をしなかった。そうすると、一審被告会社は、一審原告の業務を更に削減することが困難であった上、特に一審原告から業務の遂行が困難であることの申告もなかったことから、早期に心身の健康相談やカウンセリングを受診する機会を設けたり、休養を指示したりすることを含め、一審原告のうつ病の発症を回避するために具体的な対応をすることも困難であったというべきである。

「以上のとおり、一審被告会社が一審原告の時間外労働が長時間に及んでいることを把握していたとしても、一審原告の担当していた業務の内容等の事情を考慮すれば、一審原告がうつ病を発症することを予見できたとは認められず、また、一審原告のうつ病の発症を回避するために具体的な対応をとることも困難であったというべきである。一審原告がうつ病を発症したことについて、一審被告会社に安全配慮義務違反は認められない。

3.予見可能性を基礎づける一番の方法は相談すること

 安全配慮義務違反を立証するうえでの重要な意味を持つ概念に、予見可能性(使用者の認識)があります。

 豊和事件で安全配慮義務違反が肯定される一方、北海道二十一世紀総合研究所ほか事件で安全配慮義務違反が否定されているのは、後者では鬱病の発症に対する予見可能性が否定されているからです。

 予見可能性が否定されているのは、端的に言えば、使用者側への申告・相談が欠けていたからだと思います。もちろん、主観的な苦痛を相談しておきさえすれば大丈夫というものでもありませんが、労災が認定されるレベルの客観的負荷が発生している場面において、申告・相談は使用者の予見可能性を基礎づける最も直截的な手段です。豊和事件では、雑談レベルの相談でも、安全配慮義務違反を根拠付ける事実として、わざわざ拾い上げられています。

 しんどい思いをしていることを申告・相談して、問題が解決すれば、それに越したことはありません。仮に、問題が解決せず、不幸にして心身を悪くしても、申告・相談していた事実があれば、労災認定に加えて、損害賠償請求を行うことにより、全ての損害を填補してもらえる可能性が上がります。

 そうした意味において、長時間労働から心身を守るには、先ずは使用者への申告・相談を試みることが大切になります。

 長時間労働で追い詰められている方の中には、自分で申告・相談をすることに億劫になっている人も少なくありません。そのような場合には、弁護士に通知の作成の代行を依頼して相談・申告するのも、一つの方法になろうかと思います。

 

やはりあてにならない、雇用保険の受給後に再雇用する約束

1.雇用保険の受給後に再雇用する約束

 数か月前、コロナ禍のもと、社員を解雇して雇用保険を受給させ、事業再開後に社員を再雇用しようとしたタクシー会社が話題になりました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6b7c66d82a49773aa78232d8022efe75e66ec7e9

 この方針は、出された直後から、多くの専門家によって批判されてきました。

 多くの専門家が批判したのは、法の建付けに反している点です。

 雇用保険(基本手当)は、

「被保険者が失業した場合」

に支給されます(雇用保険法13条1項)。

 雇用保険法上の

「失業」

とは、

「被保険者が離職し、労働の意思及び能力を有するにもかかわらず、職業に就くことができない状態」

であると定義されています(雇用保険法4条3項)。

 そして、雇用保険業務取扱要領「50102(2)受給資格の決定」ロ-(ホ)は、

「求職申込み前の契約等に基づき求職申込み後にも就労する予定がある者については、
受給資格の決定の際に就職状態(51255 参照)にない場合であっても、労働の意思及び能力を慎重に確認しなければ受給資格の決定は行えない。」

と規定しています。

 こうした法の建付けからすると、しっかりとした再雇用の約束がある場合には、労働の意思や能力の認定ができず、基本手当の受給要件である「失業」状態に該当するとは認められない可能性が極めて高いのです。

 実際、厚生労働省の

「新型コロナウイルスに関するQ&A(企業の方向け)」

にも、

「雇用保険の基本手当は、再就職活動を支援するための給付です。再雇用を前提としており従業員に再就職活動の意思がない場合には、支給されません。」

との見解が示されています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/dengue_fever_qa_00007.html#Q4-12

 他方、雇用保険(基本手当)を適法に受給しようと思えば、再雇用の約束に法的に強い効力が認められないことを前提にしなければなりません。

 このように、雇用保険(基本手当)を適法に受給することと、再雇用の約束を守ってもらうこととは法的に両立し辛い関係に立っています。

 そして、こういう脱法的な約束を結ぶと、雇用保険(基本手当)の受給は認められないは、再雇用の合意に基づく地位確認請求も認められないはと、悪いところ取りになる可能性すらあります。少なくとも、雇用保険(基本手当)の受給を企図して何等かの行動をとった場合、再雇用合意に基づく地位確認は、矛盾する挙動として許されなくなる可能性が高いのではないかと思います。

 このように、雇用保険の受給後に再雇用する合意は、どうせあてにならないだろうと思っていたのですが、近時公刊された判例集に、それを裏付けるかのような裁判例が掲載されていました。横浜地判令元.9.26労働判例1222-104 すみれ交通事件です。

2.すみれ交通事件

 本件は、一旦退職届をした従業員からの就労の求めに対し、これを拒んだ会社の対応の適否が争点の一つになった事件です。

 従業員原告X2は、退職届を出した理由について、

「これは被告において、定年後の再雇用を行うに当たって、運転手が希望した場合、一旦定年退職の扱いで離職票を発行し、退職の1か月後に、改めて再雇用契約を締結して、雇用保険高年齢求職者給付金(一時金)を受給するという慣行が存在していたことから、原告X2が同日、被告代表者、D専務及び被告の事務担当者であるEらに対し、上記の慣行的取扱いにより、同年8月からアルバイト待遇の再雇用に移行したいことを告げ、雇用保険高年齢求職者給付金の受給手続に関する離職票の発行を依頼したところ、被告代表者及びD専務から、退職届の提出が必要であるとの説明とともに、退職届のひな型を示されたことから、これに従って退職届を提出したものである。」

と主張しました。

 しかし、裁判所は、

「原告X2は、AB賃(被告会社の賃金形態の一つ。退職金と賞与がない代わりに歩合率が高い。括弧内筆者)としての定年を迎える同月以降は、B賃(同じく被告会社の賃金形態の一つ。アルバイト待遇で社会保険の加入がない。括弧内筆者)として勤務したいと考えていたが、同僚から雇用保険高年齢求職者給付金の支給を受けられる旨のアドバイスを受け、定年日にいったん退職して1か月間を無職として過ごして、雇用保険高年齢求職者給付金の支給を受けるとともに、同年8月からB賃従業員として勤務を再開することにより、定年後も被告における勤務を継続しようと考えた。」

「そこで原告X2は、AB賃としての最終勤務日に当たる同年6月30日、雇用保険高年齢求職者給付金の受給に必要となる離職票を被告に用意してもらう目的で、退職届を提出した。・・・」

との事実を認定したうえ、次のとおり述べて、退職届が出されている以上、就労拒否に違法性はないと判示しました。

(裁判所の判断)

「原告X2は自らの意思で被告に退職届を提出しており、これによって、原告X2は、被告に対して退職する旨の意思表示をしたものと認められる。したがって、この時点において、原告X2がB賃として継続的に雇用されることについての合理的期待はなくなったものと評価でき、被告がその後に再雇用を拒絶したことが、原告X2の合理的期待に反すると解する余地はないといえる。」

「この点、原告X2は、被告は他の従業員に対してもいったん退職扱いとして雇用保険高年齢求職者給付金を受給させ、後に再雇用する取扱いをしており、原告X2はこの慣行に従って退職届を提出したに過ぎず、8月以降にB賃としての再雇用を希望する旨を被告側にも伝えていたなどと供述する・・・。しかしながら、雇用保険高年齢求職者給付金は、高齢者が失業した場合に再就職するまでの生活支援を目的とするものであり、再雇用が予定されながら同給付金を受給することは、制度趣旨に反した脱法的な行為である。そして、原告X2の上記供述以外、そのような脱法的な行為をすることを原告X2が被告側に伝えていたと認めるに足りる証拠はないし、被告においてそのような脱法的行為を容認する上記慣行が存在したと認めるに足りる証拠もない。したがって、原告X2の上記供述はたやすくは信用できず、上記慣行や原告X2の8月以降の再雇用の希望があらかじめ被告側に伝えられていたとは認められない以上、原告X2の再雇用に対する期待は法的保護に値するものとはいい難く、再雇用を拒絶したことについて、被告に不法行為責任が生ずる余地はないというべきである。

3.合意の効力ではなく、合意の事実自体が認定されなかった事案であるが・・・

 本件は再雇用の合意の効力が否定されたのではなく、法的効力を論じる以前の問題として、合意の事実自体が認められなかった事案ではあります。

 しかし、裁判所は、再雇用の合意のもとで、雇用保険(高年齢求職者給付金 基本手当と同じく失業が要件とされている)を受給することを「脱法的な行為」であると厳しく批判しています。

 そして、判決には「脱法的な行為」であるがゆえに、脱法的な行為を伝えるはずがない・脱法的な慣行が許容されているはずがないという価値観のもと、事実認定のハードルが上げられている節を見ることができます。

 法の趣旨に反する合意は、いざとなったら相手方から否認されるに決まっていますし、合意の認定自体も厳しい目で見られがちです。また、合意が事実として認められる場合でも、それに法的な効力をどの程度読み込めるのかという議論が控えています。

 厚生労働省のQ&Aに明記されたことからコロナ禍で後続する会社が出てくることは稀だとは思いますが、やはり「再雇用するから、取り敢えず雇用保険の受給を」との約束は、真に受けない方が良さそうに思います。

 

自殺の選択、両親の別居・離婚、発達障害-これらは被害者側の「過失」なのか?

1.過失相殺

 民法722条2項は、

「被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる。」

と規定してます。

 過失相殺における「過失」には、被害者自身の落ち度だけではなく、被害者側にいる人の落ち度、更には落ち度とはいえない身体的素因のようなものまで、広く含まれています。

 これは、

「『過失』ということに特別な意味があるのではなく、被害者の側にも責任原因が存在するときは、これを考慮して加害者の責任の範囲を公平に定めるべきであるとういこと」

に意義があるからだという説明がされています(我妻榮ほか『我妻・有泉コンメンタール民法 総則・物権・債権』〔日本評論社、第6版、令元〕1559頁参照)。

 しかし、どのような事情を考慮することが「公平」なのかは、法曹実務家の理解にもかなりの幅があります。裁判例の中には、単に加害者を利して、被害者に泣き寝入りをしいているのではないかと思われるものも散見されます。近時の公刊物に掲載されていた、大阪高判令2.2.27労働判例ジャーナル101-44 損害賠償請求事件も、過失相殺の適用の在り方に対し、個人的に疑義を感じている裁判例の一つです。

2.大阪高判令2.2.27労働判例ジャーナル101-44 損害賠償請求事件

 本件はいじめを苦に自殺した中学生亡Dの両親(被控訴人E及び被控訴人F)が、加害者らを相手に損害賠償を請求した事件です。

 この事件で裁判所は4割にも及ぶ過失相殺を適用しました。

 過失相殺に係る判示全体にもかなりの疑義はありますが、中でも強い違和感を覚えたのは、自殺を選択したこと、両親の別居などの離婚に関わる事情、自殺児童に軽度発達障害の可能性があると告知したことを過失相殺事由として認定している部分です。

 これらの各事実に係る裁判所の判断は、次のとおりです。

(裁判所の判断)

-自殺と過失相殺について-

自殺は、基本的には行為者が自らの意思で選択した行為であり、そのような選択がなければ、起こり得ないものであって、自らの死という結果を直接招来したものとして、そのような結果により生じた損害の公平な分担を考える上では、過失相殺を基礎付ける事情として、上記の点を無視することはできないものといわざるを得ない。

-両親の別居・離婚と過失相殺について-

「中学2年生といういまだ完全に親離れ、母親離れができていなかったであろう亡Dにとって、両親が円満に過ごす家庭環境は、学校でのいじめによって傷ついた心を癒す上で、非常に重要な役割を果たし得たはずであり、両親が別居し、甘えられる母親不在のために、後記のとおり被控訴人Eに反発心を有していたこととも相まって、心を癒す場所が家庭内になかったことが、亡Dが控訴人らの悪質・陰湿かつ執拗ないじめにより精神的に徐々に追い詰められ、希死念慮を抱くような事態にまで至った重要な要因、背景事情となったことは否定できない。特に、亡Dは、死亡前日、被控訴人Fから離婚の可能性を示唆され、母親が自宅に戻ってきて一緒に生活することを切望していたであろう亡Dとしては、母親不在の家庭環境が恒常化することに大きな不安を覚え、そのような現実からの逃避が自殺への誘因の一つとなったとしても不思議ではない。この点に関し、被控訴人らは、別居が継続していた状況の下での出来事であり、亡Dが予想外の衝撃的な事実と受け止めたものとは考え難い旨主張するが、亡Dは、当日、わざわざ、被控訴人Fにいつ戻ってくるか聞いているのであり、戻ってくることを前提にしていることからしても、離婚の可能性を告げられたことで相当なショックを受けたものと推認される。被控訴人Fも、平成24年11月4日の警察官からの事情聴取において、亡Dが自殺した原因について、いじめだけではなく、家庭内の問題も決して抜きにはできないと思っている旨供述しており・・・、このような供述も、上記認定を端的に裏付けるものということができる。そして、親権者として亡Dを精神的に支えることが期待される被控訴人らにおいて、その家庭環境を適切に整えることができず、亡Dを精神的に支えられなかったことは、損害の公平な分担の見地からは、被害者側の過失として、過失相殺の類推適用を基礎付ける事情になるものといわざるを得ない。

-発達障害と過失相殺-

「被控訴人Eは、電話相談において、亡Dについて軽度の発達障害の可能性を告げられ・・・、日頃から担任教諭として亡Dに身近に接していたと考えられるG教諭も、被控訴人Eから上記電話相談の話を聞いて、亡Dに発達障害がある可能性を否定できないと考えていること、発達障害は、若年者の自殺に関わる精神疾患の一つであるとの指摘もあること・・・などにも照らすと、亡Dには自殺との関係で素因としての脆弱性があったものとうかがわれなくもない。仮に、亡Dがその脆弱性のために何らかの精神疾患にり患していて、これがその自殺に関与しているとした場合には、そのような素因自体が過失相殺の類推適用を基礎付ける事情として検討されることになると考えられる。

(中略)

被控訴人Eは、相談先から亡Dについて軽い発達障害の可能性がある旨告げられたことを受けて、9月25日、亡Dに対し、『何度も同じことを繰り返すのは病気かもしれんのやで』と告げ、これに対し、亡Dは、病気であれば病気でよい旨一方的に言い放って家を飛出し、一晩、家に戻らないまま、近くのマンションのソファーで一夜を明かしている・・・。発達障害をいつ、どのように子供に伝えるのかは、児童心理学の観点から、極めてデリケートな問題であることが指摘され、告知の方法として、唐突な本人告知は避けるべきことが指摘されている・・・ところ、自らの行動が暗に精神的な疾患に基づくものであるかのような話をされれば、その相手方は不安や心理的負担を感じるであろうことは想像に難くなく、亡Dが被控訴人Eから病気の可能性を告げられた後の上記行動も、亡Dが不安を感じ、精神的に動揺していたことを裏付けるものであり、被控訴人Eの対応は、慎重さを欠いたものといわざるを得ない。以上のとおり、被控訴人Eは、その体罰のために、亡Dにとって、控訴人らによるいじめで傷ついた心を安らげる相手としての役割を果たし得なかったほか、慎重さを欠く病気の可能性の告知が、亡Dに不安や心理的負担を与えたものであり、亡Dが希死念慮を抱く上での要因、背景事情の一つとなったことは否定できない。したがって、被控訴人Eの亡Dに対する体罰や病気の可能性の告知も、過失相殺を基礎付ける事情の一つとして考慮することが相当である。

3.自殺、別居・離婚、発達障害、こんなものまで加害者減責の根拠になるのか?

 裁判所は、過失相殺の判断を、

「亡Dには、自らの意思で自殺を選択したものである上、祖父母宅からの金銭窃取という違法行為により自らを逃げ場のない状態に追い込んだ点で、被控訴人らには、家庭環境を適切に整えることができず、亡Dを精神的に支えられなかった点で、特に被控訴人Eにおいては、体罰や病気の可能性の不用意な告知により亡Dの反発心や精神的動揺を招くなど、同居する監護親として期待される役割を適切に果たし得なかった点で、過失相殺の規定の適用及び類推適用を基礎付ける事情があるというべきである。
「そして、上記の亡Dを含む被控訴人ら側の諸事情と控訴人らの本件各いじめ行為の内容、態様等のほか、本件に現れた一切の諸事情を総合考慮すると、過失相殺の規定の適用及び類推適用により、前記4の被控訴人らの損害賠償債権額について、4割の減額を認めることが相当である。」

と総括しました。

 しかし、好きこのんで自殺する者は誰もいないのに、「自らの意思で自殺を選択した」などと断じ、自殺者にも損害分担の契機があると判示することが果たして公平と言えるのでしょうか。

 別居や離婚のようなありふれた出来事を、いじめの加害者を減責する根拠にすることは許されるのでしょうか。別居や離婚に至った両親は、家庭環境を適切に整えることができなかったとして、子どもの自殺の責任を負わなければならないのでしょうか。

 発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒の割合は、平成24年時点の推定値で6.5%とされています。

https://www.mhlw.go.jp/content/12000000/000633453.pdf

 クラスのに1~2人は混ざっているありふれた特性でも、自殺の責任を分担すべき脆弱性として理解されなければならないのでしょうか。

 親の『何度も同じことを繰り返すのは病気かもしれんのやで』との一言は、自殺の結果への責任の分担を求められるほどの言葉なのでしょうか。

 高裁の判断は「公平」というマジックワードを使って、被害者側にかなり酷な判断をしているように思われてなりません。

 

賃金減額の合意における「自由な意思」の認定-最近の東京地裁の裁判例

1.「自由な意思」の法理

 使用者は労働者との間で合意を取り付けることにより、賃金を減額することができます。しかし、使用者と労働者は、必ずしも対等な立場にないため、賃金減額の合意が効力を持つためには、

(合意が)「労働者の自由な意思に基づいてなされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する」

ことが必要とされています(最二小判平28.2.19労働判例1136-6 山梨県民信用組合事件)。

 この「自由な意思」の法理によって、賃金減額の合意の効力が否定された裁判例は相当数蓄積されています。近時の公刊物にも「自由な意思」を問題にして賃金減額の合意の効力を否定した裁判例が二件掲載されています。昨日ご紹介した東京地判令2.2.26労働判例ジャーナル101-40 ビジネクスト事件と、一昨日ご紹介した東京地判令2.2.4労働判例ジャーナル101-42 O・S・I事件です。

2.「自由な意思」を問題にした二件の東京地裁の裁判例

(1)ビジネクスト事件

 本件は降格による賃金減額の有効性等が問題となった事件です。

 原告は被告で人材開発部長として賃金月額36万円で雇われていましたが、営業成績の不振等を理由に部長の任を解かれ、賃金を月額28万円まで減らされました(本件降格処分1)。

 その後、更にパートナー会社からクレームを受けるなどしたことの非を問われ、今度は職務内容の変更を伴わないまま、賃金を28万円から22万9950円に減らされました(本件降格処分2)。

 本件降格処分2が無効だと判断されたことは昨日の記事で述べたとおりですが、被告は、

「仮に、本件降格処分2及びそれに伴う賃金減額が無効であるとしても、原告は明示または黙示に同意している。」

と主張しました。

 その論旨は、本件降格処分2にあたり、

「この注意書に対して、事実と相違する等、貴殿の言い分があるときは、この文書を受け取った時から1週間以内に当文書を印刷の上、下記に記載し、当職宛に提出してください」

と書かれた辞令書を交付していたことと、所定期間内に異議を述べなかったことに支えられています。

 しかし、裁判所は、次のとおり判示して、合意の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「本件では、原告が本件降格処分2やそれに伴う賃金減額に明示的に同意した事実はない。また、原告がこれらについて特段の異議を述べていないことは認められるものの・・・、本件降格処分2による賃金減額が5万0050円に上り、かつ、8万円の賃金減額が行われた本件降格処分1からわずか3か月で行われた新たな処分であることを考慮すると、原告の黙示の同意に関し、原告の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由を裏付ける客観的な事情はない(当時、原告に副業があったこと、原告に退職する意向があったこと等の被告が指摘する事情は、上記合理的な理由を裏付ける客観的な事情とはいえない。)。そうすると、本件降格処分2及びこれに伴う賃金減額について、原告の自由な意思に基づく同意があったと認めることはできず、被告の上記主張は採用できない。」

(2)O・S・I事件

 本件は、セクシュアルハラスメントをしたという疑いをかけられた従業員が、勤務先に出勤しなかったところ、自然退職扱いされた事件です。

 自然退職扱いされる前、被告代表者は原告従業員との間で、賃金を減額する趣旨で雇用契約書を取り交わしていました。本件では、この雇用契約書に基づく賃金減額の合意の効力が争点の一つになりました。

 減額前、原告は被告が経営するデイサービスセンターの機能訓練指導員として、基本給23万円、機能訓練指導員手当1万円の24万円の支給を受けていました。

 セクシュアルハラスメントの疑いが生じた後、被告代表者は原告との間で、従事する業務を介護職員とし、その賃金を基本給18万円のみとする内容の雇用契約書(本件契約書)を交わしていました。契約書が交付されたのが平成27年8月14日で、原告はこれに署名押印し、翌15日に被告代表者に提出しました。

 こうした事実関係のもと、裁判所は、次のとおり述べて、賃金減額の合意の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「本件契約書の内容は、原告を機能訓練指導員手当1か月1万円が支給される業務から外してその支給を停止するばかりでなく、その基本給を1か月23万円から18万円に減額し、賃金総額を25%も減じるものであって、これにより原告にもたらされる不利益の程度は大きいというべきである。他方、・・・被告代表者は原告に対し、本件合意に先立ち、原告が被告に無断でアルバイトをしたとの旨や本件施設の女性利用者から苦情が寄せられている旨を指摘したのみであるといい、被告代表者の陳述書・・・や本人尋問における供述によっても、被告代表者が原告に対して上記のような大幅な賃金減額をもたらす労働条件の変更を提示しなければならない根拠について、十分な事実関係の調査を行った事実や、客観的な証拠を示して原告に説明した事実は認められない。

「以上によれば、・・・原告が本件契約書を交付された後いったんこれを持ち帰り、翌日になってからこれに署名押印をしたものを被告代表者に提出したという本件合意に至った経緯を考慮しても、これが原告の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するものとは認められない。

「以上の次第で、本件契約書の作成によっても、そこに記載された本件合意の内容への原告の同意があったとは認められないから、本件雇用契約に基づく賃金を基本給18万円のみに減額するとの本件合意の成立は認められない。」

3.合意の効力を争える範囲は割と広い

 裁判所は、

不利益が大きい場合、単純に異議を述べなかっただけでは合意は認定できない、

労働者が副業をしていることは合意の効力を肯定する事情にはならない、

労働者が退職の意向を有していることも合意の効力を肯定する事情にはならない、

セクハラの苦情があっただけで、裏付け調査をすることもなく、一方的に賃金減額を押し付けることはできない、

客観的な証拠に基づく説明がないことは、合意の効力を否定する事情になる、

1日熟考して減額を承認する旨の書面を提出した体裁があっても、諦める必要はない、

といった判断を示しています。

 「自由な意思」を問題にする考え方は山梨県民信用組合事件以前からもありましたが、同事件の最高裁判決以来、「自由な意思」を問題にする裁判例は急増しているように思われます。これを逐次アップデートしている弁護士かどうかによって、法律相談の回答に差が出ることは当然に想定されますが、裁判例の数が多いため、現実問題、労働事件に特に興味関心のある弁護士しか、この分野の裁判例は十分にフォローできていない可能性が高いのではないかと思います。

 労働者側の救済の範囲は拡大の傾向を示しているため、ある弁護士から消極の見解を示されたとしても、気になる方は、セカンドオピニオン、サードオピニオンを取ってみると良いと思います。もちろん、当事務所で、セカンドオピニオン等に係るご相談をお受けすることも可能です。

 

降格に名を借りた減給の効力-10%以上の減給を伴う場合には争えないか要検討

1.減給の制裁

 労働基準法91条は、

「就業規則で、労働者に対して減給の制裁を定める場合においては、その減給は、一回の額が平均賃金の一日分の半額を超え、総額が一賃金支払期における賃金の総額の十分の一を超えてはならない。」

と規定しています。

 これは一回の事案に対して減給の総額は平均賃金1日分の半額以内でなければならない、一賃金支払期に発生した数事案に対する減給の総額は当該賃金支払期における賃金の10分の1以内でなければならないという意味です(厚生労働省労働基準局編『平成22年版 労働基準法 下』〔労務行政、平成22年版、平23〕915-916頁参照)。

 この規定があることにより、何か不祥事をしてしまったとしても、労働者は一気に10%以上も賃金を減らされるといった過酷なことにはなりません。

 それでは、制裁としての減給といった形ではなく、賃金テーブルを降給させる場合はどうでしょうか?

 この場合も、

「従来と同一の業務に従事せしめながら賃金額だけを下げるものである場合には、・・・本条にいう減給の制裁に該当する」

と理解されています(前掲文献915頁)。

 会社から目を付けられた労働者は、しばしば不祥事を取り上げられては賃金を減らされるといった嫌がらせを受けることがあります。「減給の制裁」という文言から、降格・降給の場合にも使える条文であるというイメージが湧きにくいため見落とされがちですが、労働基準法91条は過酷な賃金テーブルの降給から身を守るための条文としても活用することができます。

 近時公刊された判例集にも、その実例となる裁判例が掲載されています。東京地判令2.2.26労働判例ジャーナル101-40 ビジネクスト事件です。

2.ビジネクスト事件

 本件は降格による賃金減額の有効性等が問題となった事件です。

 原告は被告で人材開発部長として賃金月額36万円で雇われていましたが、営業成績の不振等を理由に部長の任を解かれ、賃金を月額28万円まで減らされました(本件降格処分1)。

 その後、更にパートナー会社からクレームを受けるなどしたことの非を問われ、今度は職務内容の変更を伴わないまま、賃金を28万円から22万9950円に減らされました(本件降格処分2)。

 こうした流れのもと、裁判所は、本件降格処分1の有効性は認めたものの、次のとおり判示して、本件降格処分2の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、本件降格処分2の当時、原告には、P3に対するハラスメントを行い、反省文を提出したが、なお同様の行為を繰り返す等の問題があったこと、業務遂行に関して、パートナー会社からのクレームを受けたことに加え、人材開発部部長として営業成績不良等の問題も継続していたこと等の降格を相当とする事情があった旨主張する。」

「これらの点に関し、パートナー会社からのクレームを受けたことについては、原告自身が認めており、営業成績についても、同年2月の本件降格処分1の時点から特段の改善は見られなかったことが認められるから・・・、原告の業務遂行に関する問題は存在していたといえる。他方、P3に対する恫喝的な言動や、セクシャルハラスメントに当たる言動について、原告は、これらがあったことを認め、始末書を提出しているものの、P3とのトラブルの背景には、P3からの原告に対する暴言と評価しうるような言動も一部あったことがうかがわれ・・・、原告が一方的にハラスメントを行ったとはにわかに断定しがたい面もあり、これらの事情を総合すると、本件減給処分2について相当かつ十分な理由があったといえるか疑問が残る。以上に加え、被告の賃金規程10条には、基本給を対象として、毎年給与改定を行うこと(1項)及び臨時の給与改定があること(3項)が定められているものの・・・、本件降格処分2は、8万円もの賃金減額を伴う本件降格処分1からわずか3か月のうちに新たになされたものであり、降格に伴う賃金減額分が5万0050円に上ることを考慮すると、これを正当化するほどの事情があるとまでは言い難い。また、本件降格処分2は原告の職責や職務内容に変更をもたらすものではないから、通常の労働に対する対価としての賃金を継続的に一定額減給するもの(28万円を22万9500円に減額するもの)であって、『減給の制裁』(労働基準法91条)に当たるというべきであり(昭和37年9月6日基収第917号)、かつ、同条の定める『総額が一賃金支払期における賃金の総額の10分の1を超え』るものに該当するから、同条にも抵触することとなる。

「以上を踏まえると、被告の上記主張は採用することができず、本件降格処分2は、被告の人事評価権を濫用したものとして無効である。」

3.職責や権限の変更を伴う本件降格処分1は有効とされたが・・・

 裁判所は、職責や権限の変更を伴う場合に労働基準法91条が盾になることは消極に解しました。しかし、職責や職務内容に変更をもたらすものではないにもかかわらず、降格の名の下に、法で定められた閾値を超える実質的な減給の制裁を行うことは明確に否定しました。

 今後、コロナ禍のもとで余力を失った中小の企業体を中心とする事業者が、人件費圧縮の手段として、従業員の非を目ざとく捉え、同じ仕事に従事させる一方で、降格・降給の形式で賃金を減額することは、生じても全く不思議ではない出来事です。

 職責や権限が変わっている場合には複雑な利益衡量をする必要があるにしても、一つの目安として、10%を超える減額があった場合には、その適否を弁護士に相談してみても良いのではないかと思います。

 

地位確認は早く-1年以上は放置しすぎ

1.解雇から長期間経過している場合

 本邦の法制では、解雇無効の出訴期間に制限はありません。それでは、解雇から幾ら長期間経過していても、その効力を争って労働者は地位確認訴訟を勝ち抜くことができるのでしょうか?

 解雇後8年経過後の解雇無効の主張を許容した裁判例もありますが(東京高判昭53.6.6労働判例301-32国鉄甲府赤穂車掌区事件)、教科書的には、

「実務上、解雇から相当期間経過してから提訴する場合には、裁判所からなぜ長期間経ってから提訴したのか疑問を呈されたり、解雇の承認や就労意思の喪失とみなされたりする可能性がある」

ので、解雇から時間が経っている事件の受任には注意すべきとされています(第二東京弁護士会『2018年 労働事件ハンドブック』〔労働開発研究会、初版、平30〕364頁参照)。

 それでは、地位確認訴訟を提起するにあたり、裁判所から「遅い」と思われない期間は、具体的にどの程度なのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令2.2.4労働判例ジャーナル101-42 O・S・I事件です。

2.O・S・I事件

 本件は、セクシュアルハラスメントをしたという疑いをかけられた従業員が、勤務先に出勤しなかったところ、自然退職扱いされた事件です。原告従業員は、自然退職の効力を争い地位確認などを求める訴えを提起しました。

 被告会社が原告従業員に対し自然退職を伝えたのは、平成27年11月18日ころのことです。被告会社は、原告従業員に対し、連絡がとれなかったことなどを理由に、平成27年10月6日付けで退職したものとみなすと記載した書面を送付しました。

 原告従業員は被告会社と交渉を持っていましたが、平成28年3月29日に代理人弁護士との委任契約を解約し、平成28年8月31日に労働組合からの支援を打ち切られました。

 その後、1年以上が経過した平成29年10月5日、原告従業員は新たに代理人弁護士との間で委任契約を交わし、被告会社に対し、地位確認を主張する通知書を送付しました。

 解雇無効が認定された後、解雇時に遡って賃金を得られるのは、就労する意思と能力を有しながら、使用者の側で労務の提供を拒絶したことに根拠があります。

 本件では、1年以上に渡って放置されていた期間について、果たして原告従業員に就労の意思があったと認定できるのかが問題になりました。

 裁判所は、次のとおり判示し、就労の意思を認めませんでした。

(裁判所の判断)

「平成28年3月29日、前記前代理人弁護士との委任契約を解約し、さらに、同年8月19日に開かれた前記労働組合と被告との第3回団体交渉の席において、激高して一方的に退出し、同労働組合は、原告が交渉を拒絶したことから被告との団体交渉は継続できず責任を負えないと判断したとして、同月31日限り、原告に対する支援を打ち切ったこと、原告は、その後、平成29年10月5日までに原告訴訟代理人弁護士に委任して、同弁護士において被告に対し原告について被告の従業員の地位にあることを主張する旨記載のある通知書・・・を送付するまで、1年以上にわたり、被告に対して就労を再開させるよう求めたことが一切なかったことが認められる・・・。」

「この点、原告の陳述書・・・及び本人尋問における供述中には、原告は、上記労働組合が原告に対する支援を打ち切った後も、被告において就労する意思を持ち続け、被告に対して就労を再開させるよう要求していたとの供述等があるが、これを認めるに足りる的確な客観的証拠はない。原告の陳述書・・・及び本人尋問における供述中には、原告は、上記労働組合の支援打ち切り後、労働基準監督署、年金事務所、社会保険審査官等の行政機関に相談をしていたとの供述等があるが、原告の上記供述等によれば、その内容は、被保険者資格喪失日の調査等、すなわち、退職を前提とした手続に係るものであって、原告の就労の意思を裏付ける行為とはいえない。また、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告は、被告に対し、平成28年9月以降も、被告代表者、c、被告訴訟代理人弁護士らに対してファクシミリを利用して文書を送付したり、電子メールを送信していたことが認められるが、その内容は、いずれも退職証明書の交付を求めたり退職証明書等の記載に誤りがあると指摘したりするのみで、就労の再開を求めるような記載は見当たらないものであるし、その表現振りを見れば、被告代表者の言動をののしり、被告訴訟代理人弁護士の言動等を常識的に許容される範囲を逸脱した文言を用いて執ように非難したり皮肉交じりにからかったりするものであって、被告に対して真実就労の再開を求めようとする者の言動とは到底評価できず、これらによっても、原告の就労の意思を推認することはできない。なお、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告は、被告代表者、c、被告訴訟代理人弁護士らに対し、解雇の撤回を求めるなどと記載された通知書(案)と題する文案を添付した電子メールを送信したことが認められるが、実際に正式な通知書を送付したとの事実を認めるに足りる証拠はない。」

そもそも、原告が真実被告において就労する意思を有していたとすれば、労働組合が原告に対する支援を打ち切って団体交渉が行われないことが決まった後、被告代表者らに対して上記のような無用に敵対的な内容の電子メールを繰り返し送信するのではなく、速やかに、被告に対して雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認等を求める労働審判申立てや訴訟提起等の法的手続をとってしかるべきと解される。しかし、この点、1年以上にわたって弁護士に委任することなく、行政機関とのやり取りや、被告代表者や被告訴訟代理人弁護士らに対して上記のようにその言動等を非難する内容の電子メールを送信することなどに終始するのみで、法的手続を取らないでいたことについて、原告の陳述書・・・及び本人尋問における供述中に合理的な説明はない。

以上によれば、原告が上記労働組合の支援打ち切りの翌日である平成28年9月1日以降、今日まで、被告において就労する意思をなお有していたとの事実は認められず、かえって、原告は就労の意思を失っていたというべきであって、原告が同日以降被告において就労しなかったことについて、被告の責めに帰するべき事由によるものとは認められない。

3.労働条件の不利益変更とは違う

 以前、

「固定残業代の合意-2年以上前の導入の経緯であっても争える」

という記事を書きました。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/08/16/153216

 ここで、

「労働条件の不利益変更が問題になるケースは、・・・相当古い事件でも掘り起こせることがあります。」

と書きました。

 確かに、使用者に従属している関係が継続している場合、かなり昔のことであっても蒸し返せる可能性があります。しかし、使用者との従属的な関係性が途絶してしまう解雇等の場面では話は別で、原則通り古い事件は扱うことが難しくなります。

 問題は旧国鉄絡みのような特殊な事件は別として、どの程度放置していたら事件化が困難な「古い事件」にカテゴライズされるのかですが、裁判所は1年以上は放ったらかしすぎだと判示しました。

 提訴までの間、就労意思が継続的に示されている事案であれば、話が違ってくる可能性はあると思います。しかし、そうであるにしても、地位確認に関して言えば、できるだけ早い段階で、交渉や法的措置に着手しておいた方が無難です。