弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

自殺の選択、両親の別居・離婚、発達障害-これらは被害者側の「過失」なのか?

1.過失相殺

 民法722条2項は、

「被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる。」

と規定してます。

 過失相殺における「過失」には、被害者自身の落ち度だけではなく、被害者側にいる人の落ち度、更には落ち度とはいえない身体的素因のようなものまで、広く含まれています。

 これは、

「『過失』ということに特別な意味があるのではなく、被害者の側にも責任原因が存在するときは、これを考慮して加害者の責任の範囲を公平に定めるべきであるとういこと」

に意義があるからだという説明がされています(我妻榮ほか『我妻・有泉コンメンタール民法 総則・物権・債権』〔日本評論社、第6版、令元〕1559頁参照)。

 しかし、どのような事情を考慮することが「公平」なのかは、法曹実務家の理解にもかなりの幅があります。裁判例の中には、単に加害者を利して、被害者に泣き寝入りをしいているのではないかと思われるものも散見されます。近時の公刊物に掲載されていた、大阪高判令2.2.27労働判例ジャーナル101-44 損害賠償請求事件も、過失相殺の適用の在り方に対し、個人的に疑義を感じている裁判例の一つです。

2.大阪高判令2.2.27労働判例ジャーナル101-44 損害賠償請求事件

 本件はいじめを苦に自殺した中学生亡Dの両親(被控訴人E及び被控訴人F)が、加害者らを相手に損害賠償を請求した事件です。

 この事件で裁判所は4割にも及ぶ過失相殺を適用しました。

 過失相殺に係る判示全体にもかなりの疑義はありますが、中でも強い違和感を覚えたのは、自殺を選択したこと、両親の別居などの離婚に関わる事情、自殺児童に軽度発達障害の可能性があると告知したことを過失相殺事由として認定している部分です。

 これらの各事実に係る裁判所の判断は、次のとおりです。

(裁判所の判断)

-自殺と過失相殺について-

自殺は、基本的には行為者が自らの意思で選択した行為であり、そのような選択がなければ、起こり得ないものであって、自らの死という結果を直接招来したものとして、そのような結果により生じた損害の公平な分担を考える上では、過失相殺を基礎付ける事情として、上記の点を無視することはできないものといわざるを得ない。

-両親の別居・離婚と過失相殺について-

「中学2年生といういまだ完全に親離れ、母親離れができていなかったであろう亡Dにとって、両親が円満に過ごす家庭環境は、学校でのいじめによって傷ついた心を癒す上で、非常に重要な役割を果たし得たはずであり、両親が別居し、甘えられる母親不在のために、後記のとおり被控訴人Eに反発心を有していたこととも相まって、心を癒す場所が家庭内になかったことが、亡Dが控訴人らの悪質・陰湿かつ執拗ないじめにより精神的に徐々に追い詰められ、希死念慮を抱くような事態にまで至った重要な要因、背景事情となったことは否定できない。特に、亡Dは、死亡前日、被控訴人Fから離婚の可能性を示唆され、母親が自宅に戻ってきて一緒に生活することを切望していたであろう亡Dとしては、母親不在の家庭環境が恒常化することに大きな不安を覚え、そのような現実からの逃避が自殺への誘因の一つとなったとしても不思議ではない。この点に関し、被控訴人らは、別居が継続していた状況の下での出来事であり、亡Dが予想外の衝撃的な事実と受け止めたものとは考え難い旨主張するが、亡Dは、当日、わざわざ、被控訴人Fにいつ戻ってくるか聞いているのであり、戻ってくることを前提にしていることからしても、離婚の可能性を告げられたことで相当なショックを受けたものと推認される。被控訴人Fも、平成24年11月4日の警察官からの事情聴取において、亡Dが自殺した原因について、いじめだけではなく、家庭内の問題も決して抜きにはできないと思っている旨供述しており・・・、このような供述も、上記認定を端的に裏付けるものということができる。そして、親権者として亡Dを精神的に支えることが期待される被控訴人らにおいて、その家庭環境を適切に整えることができず、亡Dを精神的に支えられなかったことは、損害の公平な分担の見地からは、被害者側の過失として、過失相殺の類推適用を基礎付ける事情になるものといわざるを得ない。

-発達障害と過失相殺-

「被控訴人Eは、電話相談において、亡Dについて軽度の発達障害の可能性を告げられ・・・、日頃から担任教諭として亡Dに身近に接していたと考えられるG教諭も、被控訴人Eから上記電話相談の話を聞いて、亡Dに発達障害がある可能性を否定できないと考えていること、発達障害は、若年者の自殺に関わる精神疾患の一つであるとの指摘もあること・・・などにも照らすと、亡Dには自殺との関係で素因としての脆弱性があったものとうかがわれなくもない。仮に、亡Dがその脆弱性のために何らかの精神疾患にり患していて、これがその自殺に関与しているとした場合には、そのような素因自体が過失相殺の類推適用を基礎付ける事情として検討されることになると考えられる。

(中略)

被控訴人Eは、相談先から亡Dについて軽い発達障害の可能性がある旨告げられたことを受けて、9月25日、亡Dに対し、『何度も同じことを繰り返すのは病気かもしれんのやで』と告げ、これに対し、亡Dは、病気であれば病気でよい旨一方的に言い放って家を飛出し、一晩、家に戻らないまま、近くのマンションのソファーで一夜を明かしている・・・。発達障害をいつ、どのように子供に伝えるのかは、児童心理学の観点から、極めてデリケートな問題であることが指摘され、告知の方法として、唐突な本人告知は避けるべきことが指摘されている・・・ところ、自らの行動が暗に精神的な疾患に基づくものであるかのような話をされれば、その相手方は不安や心理的負担を感じるであろうことは想像に難くなく、亡Dが被控訴人Eから病気の可能性を告げられた後の上記行動も、亡Dが不安を感じ、精神的に動揺していたことを裏付けるものであり、被控訴人Eの対応は、慎重さを欠いたものといわざるを得ない。以上のとおり、被控訴人Eは、その体罰のために、亡Dにとって、控訴人らによるいじめで傷ついた心を安らげる相手としての役割を果たし得なかったほか、慎重さを欠く病気の可能性の告知が、亡Dに不安や心理的負担を与えたものであり、亡Dが希死念慮を抱く上での要因、背景事情の一つとなったことは否定できない。したがって、被控訴人Eの亡Dに対する体罰や病気の可能性の告知も、過失相殺を基礎付ける事情の一つとして考慮することが相当である。

3.自殺、別居・離婚、発達障害、こんなものまで加害者減責の根拠になるのか?

 裁判所は、過失相殺の判断を、

「亡Dには、自らの意思で自殺を選択したものである上、祖父母宅からの金銭窃取という違法行為により自らを逃げ場のない状態に追い込んだ点で、被控訴人らには、家庭環境を適切に整えることができず、亡Dを精神的に支えられなかった点で、特に被控訴人Eにおいては、体罰や病気の可能性の不用意な告知により亡Dの反発心や精神的動揺を招くなど、同居する監護親として期待される役割を適切に果たし得なかった点で、過失相殺の規定の適用及び類推適用を基礎付ける事情があるというべきである。
「そして、上記の亡Dを含む被控訴人ら側の諸事情と控訴人らの本件各いじめ行為の内容、態様等のほか、本件に現れた一切の諸事情を総合考慮すると、過失相殺の規定の適用及び類推適用により、前記4の被控訴人らの損害賠償債権額について、4割の減額を認めることが相当である。」

と総括しました。

 しかし、好きこのんで自殺する者は誰もいないのに、「自らの意思で自殺を選択した」などと断じ、自殺者にも損害分担の契機があると判示することが果たして公平と言えるのでしょうか。

 別居や離婚のようなありふれた出来事を、いじめの加害者を減責する根拠にすることは許されるのでしょうか。別居や離婚に至った両親は、家庭環境を適切に整えることができなかったとして、子どもの自殺の責任を負わなければならないのでしょうか。

 発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒の割合は、平成24年時点の推定値で6.5%とされています。

https://www.mhlw.go.jp/content/12000000/000633453.pdf

 クラスのに1~2人は混ざっているありふれた特性でも、自殺の責任を分担すべき脆弱性として理解されなければならないのでしょうか。

 親の『何度も同じことを繰り返すのは病気かもしれんのやで』との一言は、自殺の結果への責任の分担を求められるほどの言葉なのでしょうか。

 高裁の判断は「公平」というマジックワードを使って、被害者側にかなり酷な判断をしているように思われてなりません。