1.使用者に対する損害賠償義務
労働者が職務を遂行するにあたり、必要な注意を怠って労働契約上の義務に違反して使用者に損害を与えた場合、債務不履行に基づく損害賠償責任を負うことがあります。
しかし、労働者の職務遂行にかかる損害賠償責任には、二つのレベルで制限が加えられています。
一つ目は、損害の有無のレベルでの議論です。損害賠償責任が発生する場面を故意又は重過失がある場合に限定する裁判例は少なくありません。
二つ目は、損害賠償の限度のレベルでの議論です。損害賠償責任を負う場合であっても、その範囲は、損害の公平な分担という観点から、信義則上相当と認められる限度に制限されると理解されています(以上について、水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕244-245頁参照)。
このうち二つ目の議論は、最高裁判例に根拠があります。
具体的に言うと、最一小判昭51.7.8民集0-7-689が、
「使用者が、その事業の執行につきなされた被用者の加害行為により、直接損害を被り又は使用者としての損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被つた場合には、使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償又は求償の請求をすることができるものと解すべきである。」
と判示しており、これが賠償義務を制限する法的な根拠になっています。
2.「事業の執行につきなされた」とは?
ここで一つ問題があります。損害賠償額を制限する法理の適用要件として、
「事業の執行につきなされた」
という縛りがついていることをどう考えるのかという問題です。
比較的小規模な企業や、アットホームさを標榜する企業にありがちなのですが、労働者が経営者から公私の別なく様々な雑用を押し付けられていることがあります。
こうした労働者が私用中に使用者に損害を与えた場合であっても、
「事業の執行につきなされた」
との要件を満たし、損害賠償額の制限を主張することは許されるのでしょうか?
昨日ご紹介した大阪地判令3.11.24労働判例ジャーナル121-36 坂本商会事件は、この問題にも有益な示唆を与えてくれます。
3.坂本商会事件
本件は使用者が労働者に対して提起した損害賠償請求事件(甲事件)と、労働者が使用者に対して提起した未払賃金請求事件(乙事件)とが併合された事件です。
甲事件の原告になったのは、建設機械の賃貸等を目的とする株式会社です。
被告になったのは、賃金月額27万3310円で、原告の従業員として稼働していた方です。原告会社の所有する普通貨物自動車(本件車両)を運転中、自損事故を起こしてしまいました。事故の態様は、
「本件車両の運転操作を誤り、本件車両を道路脇の岸和田土木事務所管理に係る横断防止柵に衝突させ、本件車両の右前部及び上記横断防止柵を損傷させた」
というものだったと認定されています。
この事故により本件車両を廃車にせざるを得なくなったとして、被告労働者は原告会社から時価相当額32万円の請求を受けました。
原告会社の請求を原審は10万円の限度でのみ認めました。これに対し、原告会社が控訴したのが本件です。
本件で原告・控訴人会社は、
「被控訴人は、本件事故当日、控訴人代表者の所有する船舶(以下『本件船舶』という。)内に保管されていたカップラーメン等を食べ、そのついでに本件船舶の清掃をしようと、本件車両を運転して本件船舶の停泊場まで行く途中又は同所から帰る途中で、本件事故を起こしたものである。このように本件事故は、被控訴人が私用で本件車両を運転していた際に発生したものであり、被控訴人が控訴人の事業を執行している際に発生したものではない。」
と主張し、信義則により損害賠償額が制限されることを争いました。
しかし、裁判所は、次のとおり判示し、原告・控訴人の主張を排斥しました。
(裁判所の判断)
「証拠・・・によれば、被控訴人は、平成26年1月に控訴人に雇用され、控訴人の本社工場等において機械の洗浄等の単純作業に従事していたものの、控訴人は、被控訴人が日本語能力や体力面で上記勤務に耐えないと判断し、被控訴人を、控訴人代表者の運転手兼雑用係として勤務させることとしたこと、被控訴人は、控訴人代表者から公私の別なく、控訴人代表者の送迎、本件船舶内の清掃、その他の雑用を命じられるまま、その指示に従い、控訴人から賃金を得ていたこと、本件事故当日も、被控訴人は、控訴人代表者の指示に従い、趣味の釣りに行く控訴人代表者を送り、又は本件船舶内を清掃していたところ、本件事故はその帰路で発生したものであることが認められる。」
「以上によれば、本件事故は、控訴人の事業の執行につき発生したものということができる。」
「これに対し、控訴人は、本件事故は被控訴人が本件船舶内に保管されていたカップラーメン等を食べ、そのついでに本件船舶内を清掃しようと、本件車両を運転して本件船舶の停泊場まで行く途中又は同所から帰る途中で発生したものであり、本件船舶内での食事は被控訴人の私用であり、本件船舶内の清掃は控訴人代表者の私用であって、控訴人代表者は被控訴人に私用を命じた際には自ら対価を支払っていたから、本件事故は控訴人の事業の執行につき発生したものではない旨主張し、証拠・・・中にはこれに沿う部分がある。」
「しかし、被控訴人が、控訴人代表者の運転手兼雑用係として、控訴人代表者から公私にわたる指示を受け、日常的に本件船舶内の清掃等の作業に従事していたことは、先に認定したとおりであり、このような事実に鑑みれば、被控訴人が本件船舶内で食事をとることがあったにせよ、控訴人代表者から、本件船舶内の清掃を行う際には、本件船舶内で食事をとることも許されていたというにすぎないと考えるのが自然である上、控訴人代表者が公私を区別し、私用については別途対価を支払っていたとは認め難い。」
「そうすると、本件事故が、控訴人代表者から私用を命じられた被控訴人が本件車両を運転中に発生したものであったにせよ、控訴人代表者の指示に基づくものである以上、被控訴人による本件車両の運転は、まさに控訴人における控訴人代表者の運転手兼雑用係としての被控訴人の業務そのものであり、控訴人の事業の執行につきなされた行為と評価することができ、これに反する控訴人の主張は採用できない。」
4.私用を命じられた時に与えた損害でも100%の賠償が必要とは限らない
上述のとおり、裁判所は、私用を命じられた際の事故であったとしても、
「事業の執行につきなされた行為」
であると評価できると判示しました。
のべつまくなく公私に渡って経営者から命じられる雑用をこなしているような場合、私用の遂行中の事故であったとしても、損害賠償義務を制限する法理を適用できる可能性があります。
私用遂行中の事故であったとしても、必ずしも損害の100%を賠償する必要がないことは、広く知られていい情報ではないかと思います。