1.残業代の不払と取締役の個人責任
会社法429条1項は、
「役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。」
と規定しています。
残業代を払ってもらえない労働者は、この規定を根拠として役員(取締役)に個人責任を追求することが考えられます。
ただ、会社法429条1項に基づく損害賠償として残業代を請求するにあたっては、幾つかの乗り越えなければならない壁があります。
一つは、損害の発生です。
会社から残業代を払ってもらえる限り、労働者に損害が発生することはありません。そのため、「損害」があったといえるためには、会社が倒産状態に陥るなど、会社から残業代を取り立てることができない事情が必要になります。
もう一つは、任務懈怠と損害の発生との間の因果関係です。
残業代の不払と会社の支払能力の喪失との間に因果関係があるといえるのかという問題です(裁判所によっては、これを比較的厳格に要求します)。
最後に、「悪意又は重大な過失」が認められることです。
残業代の不払は取締役の任務(法令遵守義務)に違反します。しかし、損害賠償責任を発生させるには、単に法令違反行為が確認されれば足りるわけではなく、それが「悪意又は重大な過失」に基づいていることが必要になります。
この「悪意又は重大な過失」要件との関係で、近時公刊された判例集に興味深い裁判例が掲載されていました。名古屋高金沢支判令5.2.22労働判例1294-39 そらふね元代表取締役事件です。何が興味深かったのかというと、社会保険労務士からの管理監督者にすれば残業代を支払わなくてよいという言葉を真に受け、労働者を管理監督者にしたところ、それが重過失に該当すると認定されているところです。
2.そらふね元代表取締役事件
本件はいわゆる残業代請求事件です。
被告(被控訴人)になったのは、株式会社そらふね(本件会社)の代表取締役であった方です。
本件会社は、介護保険法による居宅介護支援事業等を目的とする株式会社です。
原告(控訴人)になったのは、本件会社に介護支援員として雇用されていた方です。平成31年3月1日から令和2年1月10日まで主任ケアマネージャーの地位にありました(令和2年3月。令和2年3月31日をもって本件会社が居宅支援事業所を廃止したうえ、同年6月30日に解散の株主総会決議をしたことを受け、代表取締役であった被告に対し、取得できるはずであった未払時間外勤務手当を損害として、その賠償を求める訴えを提起しました。一審が原告の請求を棄却したため、原告側から控訴したのが本件です。
裁判所は、次のとおり述べて、被告の重過失を認定しました。結論としても、原判決を取り戻すとともに、原告の請求を認めています。
(裁判所の判断)
「被控訴人は、控訴人から給料を上げてほしいという要望を受けたが、本件会社の売上げがよくないにもかかわらず残業代を払わなければならなくなり、給料を上げると損失が大きくなり会社として立ち行かくなるとして、本件会社の顧問の社会保険労務士に相談した・・・。」
「・・・被控訴人から相談を受けた社会保険労務士は、管理監督者にすれば残業代を支払う必要はないが給料も上げなければならないと助言した・・・。その際、被控訴人は、社会保険労務士から労働基準法上の管理監督者とはどのようなものであるのかについては聞いておらず、社会保険労務士に対して控訴人の業務内容を説明しなかった・・・。」
「・・・被控訴人は、控訴人を主任ケアマネージャーとし、また、社会保険労務士に相談した上で、本件会社の状況を考慮したものであるとして前提事実・・・記載の賃金を定めた・・・。」
「被控訴人は、控訴人が管理監督者になると残業が関係なくなるとして、控訴人の労働時間を自己申告にした・・・。」
「以上の事実によると、被控訴人は、控訴人から給料を上げることを要望され、社会保険労務士と相談して控訴人を管理監督者にすれば残業代を支払わなくてもよいと言われたことから、管理監督者とはどのような立場のものか、控訴人の業務が本件会社の管理監督者にふさわしいかについて社会保険労務士に相談することなく、残業代の支払義務を免れるために管理監督者という制度を利用したにすぎないといわざるを得ない。』
「そうすると、控訴人を管理監督者として扱ったことについては、重大な過失があると認めるのが相当である。」
「確かに、被控訴人が主張するとおり、管理監督者該当性の判断基準への当てはめは容易に判断することができず、当てはめを誤ったことが、直ちに重過失とされるものではない。」
「しかし、本件において、前記説示のとおり、被控訴人は、社会保険労務士に相談するなどして控訴人の業務を自分なりに管理監督者の判断基準に当てはめた上で控訴人を管理監督者にしたものではなく、残業代を支払わない方法として管理監督者という制度を利用したものであるから、本件を、被控訴人において管理監督者該当性の判断基準への当てはめを誤った事案と評価することはできない。」
3.残業代を払わない方法として管理監督者制度が悪用されたケース
社会保険労務士の方との接点は少なくありませんが、圧倒的多数の方は適正に業務を行い、経営者の方にも過不足なくアドバイスをしています。
しかし、適切とはいえないアドバイスがなされている例も一定の頻度で目にします。
管理監督者制度を残業代を支払わない方便として用いることを進められ、実際に用いてしまっている例が散見されるのも事実です。本件は、そうした事案において、取締役個人の責任を追求するにあたり、実務上参考になります。