弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

有期労働契約の期間途中での解雇の効力を争う地位確認訴訟では、雇止めの無効も主張しなければならない

1.有期雇用契約の期間途中での解雇

 労働契約法17条1項は、

「使用者は、期間の定めのある労働契約(以下この章において「有期労働契約」という。)について、やむを得ない事由がある場合でなければ、その契約期間が満了するまでの間において、労働者を解雇することができない。」

と規定しています。

 そのため、有期労働契約の契約期間途中に解雇された労働者が、解雇の効力を争って地位確認等を求める訴訟を提起する場合、労働契約法17条1項所定の、

「やむを得ない事由」

が認められるか否かが争点になります。

2.地位確認等を求める訴訟で契約期間が満了が誰からも主張されない問題

 労働関係訴訟の第一審の平均審理期間は14.5か月とされています。

https://www.courts.go.jp/toukei_siryou/siryo/hokoku_08_about/index.html

https://www.courts.go.jp/vc-files/courts/file4/hokoku_08_gaiyou.pdf

 そのため、契約期間が1年程度で設定されている場合、解雇の効力を争う訴訟をやっている最中に、対象となる労働契約の契約期間が満了してしまうことが想定されます。

 しかし、有期労働契約の期間途中での解雇の効力を争う地位確認訴訟において、使用者から、

「解雇が無効であったとしても、契約期間が満了しているはずだ。」

という主張がなされないことは珍しくありません。

 考えてみれば当然のことで、これは、解雇は有効だと主張している事件で、

「仮に解雇が無効だとしても・・・」

といった主張を展開すると、主位的な主張の迫力を削いでしまうからです。

 それでは、労働者側から契約期間の満了が積極的に主張として提示されるかというと、そのようなことはありません。

 有期労働契約の終了に関しては、雇止め法理と呼ばれているルールがあります。

 これは、大雑把に言うと、有期労働契約が、

① 過去に反復して更新されていて、期間の定めのない契約と同視できる場合、

② 更新されると期待することについて合理的な理由がある場合、

のいずれかに該当するときは、客観的に合理的な理由・社会通念上の相当性がなければ、使用者は労働者からの契約更新の求めを拒絶することができないというルールを言います(労働契約法19条参照)。

 雇止めの効力を争う場合、労働者側は、労働契約法19条を根拠に、期間満了によっても労働契約が終了していないことを主張・立証して行くことになります。

 しかし、契約期間途中での解雇の効力が問題となる訴訟では、そもそも使用者が雇止めを主張してるわけではないため、

「使用者の雇止めは労働契約法19条に違反するもので無効だ。」

という論陣を張る必要がありません。

 かくして、契約期間の満了が事実として生じているにもかかわらず、そのことを原告も被告も問題にしないという現象が生じることになります。

3.契約期間の満了が誰からも問題視されない場合、判決はどうなるか?

 それでは、契約期間途中での解雇が無効であると判断されはするものの、判決の基準日時点で元々の有期労働契約の期間が満了してしまっている場合、裁判所はどのような判決を言い渡すことになるのでしょうか?

 雇止めの効力が争点になっていれば話は比較的簡単ですが、誰も雇止めについて触れていない場合に地位確認請求を認ることができるかは悩ましい問題です。

 近時、この問題について、最高裁判例が言い渡されました。最一小判令元.11.7労働経済判例速報2403-3 朝日建物管理事件です。

4.朝日建物管理事件

 本件で被告・控訴人・上告人となったのは、建築物の総合的な管理に関する業務等を目的とする株式会社です。

 原告・被控訴人・被上告人となったのは、上告人と有期労働契約を締結していた方です。

 本件は次のような経過を辿っています。

平成22年 4月 1日 一審原告と一審被告が期間1年の有期労働契約を締結。

平成23年 4月 1日 有期労働契約の更新(1回目)。

平成24年 4月 1日 有期労働契約の更新(2回目)。

平成25年 4月 1日 有期労働契約の更新(3回目)。

平成26年 4月 1日 有期労働契約の更新(4回目)。

平成26年 6月 6日 一審被告から一審原告への解雇の意思表示。

平成26年10月25日 一審原告が地位確認等を求める訴訟を提起。

平成27年 3月31日(4回目の有期労働契約の期間満了日)

平成29年 1月26日 一審の口頭弁論終結。

平成29年 4月27日 一審判決

 一審の判決は、一審原告の請求を全部認容する判決を言い渡しました。4回目の有期労働契約の期間が満了してはいたものの、雇止めの効力が一審原告・一審被告のいずれからも問題にされなかったため、これを無視して地位の確認と判決確定までの未払い賃金の支払いを認める判断をしました。

 これを受け、一審被告は控訴し、控訴審で行き労働契約の期間満了による終了を主張しました。しかし、控訴審は一審被告の主張を時機に後れた攻撃防御方法にあたるとして却下し、一審判決を維持する判断をしました。

 これに対し、一審被告が上告したのが本件です。

 裁判所は、次のとおり述べて、契約期間の満了を無視して判決をするのはダメだと判示しました。

(裁判所の判断)

「原審の・・・判断のうち、契約期間の満了により本件労働契約終了の効果が発生するか否かを判断することなく、被上告人の労働契約上の地位の確認請求及びその契約期間が満了した後である平成27年4月1日以降の賃金の支払請求を認容した部分は是認することができない。」

「最後の更新後の本件労働契約の契約期間は、被上告人の主張する平成26年4月1日から平成27年3月31日までであるところ、第1審口頭弁論終結時において、上記契約期間が満了していていたことは明らかであるから、第1審は、被上告人の請求の当否を判断するに当たり、この事実をしんしゃくする必要があった。」

(中略)

「原審は、最後の更新後の本件労働契約の契約期間が満了した事実をしんしゃくせず、上記契約期間の満了により本件労働契約の終了の効果が発生するか否かを判断することなく、原審口頭弁論終結時における被上告人の労働契約上の地位の確認請求及び上記契約期間の満了後の賃金支払請求を認容してり、上記の点について判断を遺脱したものである。」

「以上によれば、原告の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。」

5.有期労働契約の期間途中での解雇の効力を争う場合、雇止めの無効も主張しておく必要がある

 解雇が無効であるのに雇止めが有効となる場面は、ある程度限定されるのではないかと思います。

 しかし、使用者側が雇止めを主張しないからといって放っておくと、判断に遺脱があるとして、事件が無駄に上級審と下級審を行ったり来たりすることになりかねません。

 そのため、有期労働契約の期間途中での解雇を争い、地位確認等を請求する訴訟を提起する局面においては、使用者側が積極的に争点として提示しなかったとしても、今後、労働者側は雇止めの無効まで意識した主張を展開しておく必要があるのだと思われます。

 

業務開始時刻(早出残業)の認定は厳しい

1.業務開始時刻と業務終了時刻の認定でタイムカードの打刻時刻の意味が異なる

 時間外勤務手当(残業代)を請求するにあたっては、実労働時間を主張・立証する必要があります。実労働時間を主張・立証するにあたっては、各日の業務開始時刻・業務終了時刻を特定する必要があります。

 業務終了時刻の認定は、タイムカードがあれば打刻された時刻が一定の基準になります。それがなかったとしても、PCのログオフ記録、オフィスからの退館記録、職場のPCから出されたメールの送信記録など、客観的に記録されている時刻がそのまま基準としての役割を果たします。

 しかし、業務開始時刻の認定は、必ずしも業務終了時刻と同じようには理解されていません。タイムカードの打刻が始業時刻前であったとしても、業務開始時刻はタイムカードの打刻時刻ではなく、始業時刻で認定されることがあります。

 例えば、東京地判平25.2.28労働判例1074-47 イーライフ事件では、

「本件請求期間Aについては本件タイムカードにより出勤時刻の記録が残されているところ、そのうち上記始業時刻(午前9時)後の打刻については、その時刻から原告は、上記の各要素に照らし被告の指揮命令下に置かれていたものと評価することができ、したがって、上記打刻時刻をもって業務開始時刻と認めるのが相当である。他方、上記始業時刻(午前9時)よりも前の打刻については、・・・通常は原告は使用者の指揮命令下に置かれていたものと評価することはできず、したがって、特別の事情が認められない限り、上記始業時刻をもって業務開始時刻と認めるのが相当である
業務終了時刻とは、・・・『労基法上の労働時間』と評価し得る時間帯の終了時刻を意味するところ、本件請求期間Aについては、上記のとおり本件タイムカードにより退勤時刻の記録が残されており、特段の事情が認められない限り、この時刻をもって原告は使用者の指揮命令下に置かれた状態から離脱したものとみるのが自然である。

と業務開始時刻と業務終了時刻とでタイムカードに打刻された時刻の意味を区別して論じています。

 確かに、始業時刻が午前9時である場合に、8時55分に出勤してきた労働者がタイムカードに打刻し、一拍置いたうえで、定刻通り午前9時から働き始めるようなケースを念頭におけば、業務開始時刻を打刻時刻ではなく始業時刻で認定するのは、素朴な感覚に合致していると言えるかもしれません。

 それでは、始業時刻よりも30分~1時間半も前に出勤していた場合はどうでしょうか。

 30分~1時間半もボンヤリしていることは考えにくいようにも思われますが、早出残業として認定してもらうことはできないのでしょうか?

 この点が問題になった事案に、東京地判令元.9.24労働判例ジャーナル95-38 一般社団法人日本貨物検数協会事件があります。

2.一般社団法人貨物検数協会事件

 本件で被告になったのは、港湾荷役の検数等の業務を行う一般社団法人です。

 原告になったのは、被告で勤務していた方です。

 本件は原告が被告に対して残業代を請求した事件で、業務開始時刻の認定が争点の一つになりました。

 本件では被告の本部で勤務していた時期の残業代と、名古屋支部で勤務していた時期の残業代が請求されています。

 本部での勤務時間は、始業時刻が午前9時、終業時刻が午後5時とされていました。

 名古屋支部での勤務時間は、始業時刻が午前8時30分、終業時刻が午後4時30分とされていました。

 原告は、

① 本部在籍中は午前7時30分には出勤して就労を開始していた、

② 名古屋支部の在籍中には、午前8時には出勤して就労を開始していた、

と早出残業をしていたことを主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告の主張を排斥し、出勤簿の記載をもとに業務開始時刻を認定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、前記のとおり、本部の在籍中の平日(月曜日から金曜日まで)には午前7時30分に、名古屋支部の在籍中には午前8時に、それぞれ出勤し、就労を開始したと主張し、本人尋問においては主張に沿う供述をする・・・。」
「そこで、検討するに、原告の供述の内容は、相当程度に具体性があり、迫真性が備わっているようでもある。また、名古屋支部においては、名古屋港内のα地区の搬出用のゲートが午前8時30分から開くのであるから、その時刻よりも早く始業した旨の供述内容は、あり得ることのようにも思われる。しかし、原告の上司であった証人q3は、この点を否定する証言をするところ、証拠・・・によれば、原告は、本部在籍中の大半の日には、出勤簿の『出勤時間』欄に午前9時である旨(『900』)を記載して提出し、名古屋支部在籍中の大半の日には、出勤簿の同欄に午前8時30分である旨(『830』)を記載して提出していたものと認められるが、原告本人尋問においても、現実の始業時刻を出勤簿に記載しなかったという理由としては『慣習としか言いようがない』旨を述べるだけであって、この点に関する慣習なるものを基礎付ける具体的事情を認めるに足りる証拠はないし、被告から午前8時とか午前7時30分などと記載・申請しないよう言われたことはない旨を供述しているところでもある。原告本人及び弁論の全趣旨によれば、原告は、その終業時刻については実態のとおりに出勤簿に記載して申告していたものと認められるところであり、結局、本件各証拠を精査しても、原告が実際の始業時刻を出勤簿に記載することを躊躇させるような事情は見当たらないというしかない。」
「以上の検討に加えて、原告は一律に出勤時間を午前9時又は午前8時30分と記載していたのではなく、それよりも早い時刻を記載することもあったこと(例えば、原告は、平成27年11月24日には午前6時と、同月28日には午前5時と、平成28年1月18日には午前5時30分と、同月25日、同年2月9日、同月10日、同月12日、同月15日、同月17日及び同月18日には午前6時と、同年4月1日には午前7時15分と、同年9月20日には午前7時30分と、平成29年2月16日、同月17日、同月21日及び同月23日には午前8時と、同月20日、同月22日及び同月27日には午前7時15分と、それぞれ記載した。甲4の1、2、乙26)、被告が原告に対して所定始業時刻よりも早い時刻から業務を行うよう指示又は命令をしたなどの事情もうかがわれないこと等の諸事情を併せ考慮すると、本件執務表の記載内容には相当の信用性があるというべきであり、仮に本件執務表の記載に係る始業時刻よりも早い時刻に原告が本部又は名古屋支部の施設に来ていたとしても、本件執務表の記載に係る始業時刻より前の時間について労働時間性を肯定することはできず、この趣旨で、原告の供述のうち、本件執務表の記載に係る始業時刻と一致しない部分をにわかに採用することはできず、他にこの点に関する原告の主張を認めるに足りる証拠はない。」
「なお、原告代理人が被告に対して未払割増賃金請求書を送付したことを受けて、被告代理人が作成して原告代理人に対して送付した平成29年9月22日付けの通知書・・・には、『調査の結果、通知人が7時30分頃に出社していたことが多いことは確認できましたが、通知人が当該時刻に出社していたのは朝の通勤ラッシュを回避するためであって、7時30分から当協会の始業時刻である9時までの間の時間に通知人が労働していたことは確認できておりません。』との記載部分があるが、上記記載部分に係る確認の具体的内容は各証拠上全く明らかでないほか、その通知書の内容全体の趣旨は原告の主張に係る始業時刻からの労働時間性を争うものであることが明らかであること・・・等にかんがみると、この通知書の記載内容をもって前記判断が左右されるものとはいえない。」

「この点に関する原告の主張は、採用することができず、原告の始業時刻は、本件執務表に基づき認定するのが相当である。

3.執務表に自ら業務開始時刻を記入していた事案ではあるが・・・

 本件は、原告が自ら業務開始時刻を勤務表に記入していたのであり、タイムカードの打刻時刻と所定の始業時刻との間に齟齬が認められた事案というわけではありません。

 しかし、原告が午前7時30分ころに出社していたことが多かった事実は被告訴訟代理人弁護士によっても確認されています。裁判所が原告供述内容に具体性・迫真性を認定していることからも、原告の主張には一定の根拠があったのだと思われます。

 つまり、午前7時30分に出勤していたことが、それなりの蓋然性のある事実として理解されていたにもかかわらず、裁判所は他の周辺事情から午前7時30分を業務開始時刻として認定することを否定しました。

 本件の判示からも分かるとおり、早出残業の始業時刻の認定は、厳格に行われる傾向があります。どのような仕事をしていたのかについて、具体的・迫真的に語れたとしても、認定に至らない可能性があるため、早出残業に係る時間外勤務手当を請求するにあたっては、上長からの明示的な指示を取り付けるか、あるいは、どのような経緯・上長の指示のもとで早出残業をせざるを得なくなったのかまで意識して詳細に記録化しておくことが推奨されます。

 

戒告・譴責の無効確認を求める訴えの利益

1.戒告・譴責

 懲戒処分の類型の一つに、戒告や譴責と呼ばれているものがあります。これは、大抵の会社では、最も軽い懲戒処分として位置づけられています。

 厚生労働省のモデル就業規則でも「けん責」は最も軽い懲戒処分とされていて、その内容は「始末書を提出させて将来を戒める」ことであると定義されています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/zigyonushi/model/index.html

https://www.mhlw.go.jp/content/000496428.pdf

 軽微な処分で、必ずしも法的な意味での不利益との結びついていないことから、戒告・譴責といった処分の効力をダイレクトに争う裁判(無効確認請求訴訟)には、訴えの利益が認められないことがあります。

 そのことは、以前、このブログでも言及させて頂いたことがあります。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/10/05/005132

 訴えの利益が認められない無効確認請求訴訟は、不適法却下されます。これは、有効か無効かを判断する実益がないから、その問題には立ち入らないという裁判所の意思表示です。

 しかし、戒告・譴責といった軽微な懲戒処分は、しばしば重たい処分を課する前哨戦として出されますし、労働者にとって不名誉なことでもあります。

 そのため、それほど顕著ではないにしても、戒告・譴責といった処分を争いたいというニーズは確かに存在します。

 このような状況のもと、東京高裁で「けん責」処分の無効確認の訴えの利益を認めた判決が言い渡されました。東京高判令元.6.27労働判例ジャーナル95-46 WOWOW事件です。

2.WOWOW事件

 本件は「けん責」処分を受けた被告・被控訴人の従業員である原告・控訴人が、その効力を争い、処分の無効確認と、違法な懲戒処分で精神的苦痛を受けたことによる損害賠償を請求した事件です。

 原審は処分の無効確認に係る訴えを却下しましたが、東京高裁は、次のとおり述べて、訴えの利益を認めました。

(裁判所の判断)

本件就業規則62条1項9号は、『前条で定める処分(厳重注意、けん責、減給及び出勤停止)を再三にわたって受け、なお改善の見込みがないとき』に懲戒解雇に処すると定めていること、控訴人は、本件懲戒処分以前にも、けん責の懲戒処分を受けたことは、前記前提事実のとおりである。そうすると、控訴人は、本件懲戒処分が有効であれば、2回目のけん責の懲戒処分を受けたことになり、同号の適用を受ける可能性が生じるから、本件懲戒処分により受ける不利益は、単に金銭の支払を求めるだけでは十分に回復することができないのであって、本件懲戒処分の無効確認の訴えは、現に存する紛争の直接かつ抜本的な解決のため最も適切かつ必要と認められる場合に当たるから、その確認の利益を認めるのが相当である。
「これに対し、被控訴人は、本件就業規則62条1項9号は、過去に懲戒処分を受けたにもかかわらず全く反省せず、その後も不正行為を繰り返すという悪質な場合を対象とするものであって、けん責の懲戒処分を受けただけで直ちに同号の適用対象者になるわけではないなどと主張する。」
「しかしながら、本件懲戒処分が有効であれば、控訴人は本件就業規則62条1項9号の適用を受ける可能性が生じるから、本件懲戒処分により受ける不利益は、単に金銭の支払を求めるだけでは十分に回復することができないのであって、本件懲戒処分の無効確認の訴えは、現に存する紛争の直接かつ抜本的な解決のため最も適切かつ必要と認められる場合に当たることは、前示のとおりである。被控訴人の主張は採用することができない。」
「したがって、本件懲戒処分の無効確認の訴えは適法である。」

3.一審却下判決が維持されているが・・・

 本件は訴えの利益が認められているにもかかわらず、一審の却下判決が維持される(控訴が棄却される)という分かりにくい判断がされています。

 これは不利益変更の禁止という原則が働くからです。当事者の一方だけが控訴した場合、控訴した側の地位を一審以上に不利に変更することは認められていません(双方控訴の場合にはこうした制約はありません)。

 本件では無効確認請求は却下、損害賠償請求は棄却という全面敗訴判決を受けた原告の側だけが控訴していたため、却下判決(有効か無効かの判断には立ち入らない)を請求棄却判決(無効ではない)に変更することができなかったことから、一審判決(却下判決)が維持されることになりました。

 使用者が、明らかに解雇を企図して、小さな非を殊更にあげつらい、戒告・譴責を繰り返している場合など、軽微な懲戒処分が出されている段階から裁判に持ち込むことに合理性のあるケースは、確かに存在します。そこまで陰険ではなくても、戒告・譴責といった懲戒処分を受けた履歴は、懲戒処分の過重要素として考慮されることが少なくありません。

 コツコツと小さな懲戒処分が積み重ねられて行って不安である、そうした方は、牽制の意味でも、法的紛争を前倒しで仕掛けて行くことを、検討してみて良いのではないかと思います。

 

「明日から来なくていい」と言われたら、引継ぎをしないで辞めてもいい?

1.「明日から来なくていい」と引継ぎの問題

 一般論として、会社はすぐに辞められるものではありません。

 民法627条1項は、

「当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。」

と規定しています。

 これは、退職の意思表示をしても、最低2週間(1か月程度までなら就業規則で伸長できるとする見解が有力です)は引継ぎ業務に従事しなければならないことを意味します。

 それでは、使用者から、

「明日から来なくていい」

と言われ、これに応じて退職届を提出したという場合、引継ぎ義務の存否は、どのように理解されるのでしょうか?

 「明日から来なくていい」と言われた時点で解雇が成立していれば、その時点で労働契約が終了するので、引継ぎに従事する必要はありません。

 しかし、この「明日から来なくていい」を、単純に解雇と言えないことは、以前、このブログで言及したとおりです。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/08/15/000113

 「明日から来なくていい」が解雇でも退職勧奨でもない単なる罵詈雑言であるならば、退職届の提出は労働者からの退職の意思表示であると理解されることになります。

 しかし、「来なくていい。」と言われているにもかかわらず、労働者には引継ぎに従事する義務があるのでしょうか?

2.社会福祉法人Y会事件

 このことが問題になった裁判例に、福岡地判令元.9.10労働経済判例速報2402-12 社会福祉法人Y会事件があります。

 これは、労働判例ジャーナルという判例雑誌に掲載されていた際に「パワハラの慰謝料(学歴を揶揄する発言等)」と題する記事で紹介させて頂いたのと同じ事案です。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/02/02/015627

 平成27年8月3日、被告法人の経営する施設の施設長B2は、意に沿わない行動をした原告職員A5に対し、職員A4を介して、

「明日から来なくていい、荷物をまとめて帰りなさい。」

と言いました。

 これを受けて、原告職員A5は、退職届と健康保険証を提出し、同日付で引継ぎをすることなく退職しました。

 その後、被告法人は、

「職員が退職時に利用者や他の職員、施設に迷惑がかかる状況で退職した場合には退職金を支給しない」(退職金規程3条2号)

との退職金規程を根拠に、原告職員A5への退職金を不支給にしました。

 こうした退職金不支給措置の当否が問題になったのが本件です。

 裁判所は、次のとおり述べて、原告職員A5からの退職金請求を認めました。

(裁判所の判断)

「被告法人は、原告A5の退職につき、退職金規程3条2号の退職金不支給事由に該当すると主張する。しかし、被告B2は、原告A5に対し、平成27年8月3日の業務終了をもって直ちに退職するように命じ、引継ぎ等の義務を免除したものと認めるのが相当であるから、退職金不支給事由には該当しない。」

「したがって、被告法人は、原告A5に対し、退職金・・・の支払義務を負うというべきである。」

3.「明日から来なくていい」=引継ぎ義務の免除

 社会福祉法人Y会事件の裁判所は、「明日から来なくていい」という言葉を、引継ぎ義務の免除の意思表示だと理解しました。引継ぎ義務自体がなくなるのであれば、論理的に引継ぎ義務違反は有り得ないことになります。結果、退職金の不支給事由には該当することもなくなり、引継ぎをしないまま辞めた職員にも退職金を請求する権利があることになります。

 本件で採用された理解が、他の裁判所で、どこまで通用するのかは不確実ですが、基本的には「明日から来なくていい」などと罵倒されてまで、律儀に引継ぎに従事する必要はないだろうと思います。

 

元雇用主が2000万円の相続財産分与の審判を受けた例

1.相続財産分与(特別縁故者)

 一般の方にとって、あまり有名な仕組みではないように思われますが、特別縁故者(民法958条の3)という制度があります。

 これは、相続人が存在しない場合に、家庭裁判所が、

「被相続人と生計を同じくしていた者、被相続人の療養看護に努めた者その他被相続人と特別の縁故があった者の請求によって、これらの者に、清算後残存すべき相続財産の全部又は一部を与えることができる」

とする仕組みです。

 なぜ、この仕組みが有名ではないのかと言うと、普通は必要がないからです。

 相続人が不存在である場合、最終的に相続財産は国庫帰属することになります(民法959条)。国庫帰属になるくらいなら世話になった人に財産をあげたいという要望を持っている方は、大抵遺言を残します。遺言で財産を遺贈してしまうのです。

 亡くなるまでに遺言を作るだけの時間的余裕のあるケースでは、遺言で財産が遺贈されるため、わざわざ特別縁故者が相続財産の分与の請求を行う必要がありません。

 そのため、特別縁故者が相続財産の分与を請求する場面は、突然の事故など何等かの理由で遺言が存在しないケースが多いのではないかと思います。

 特別縁故者というと、生計を共にして被相続人の療養看護に努めた内縁の配偶者などが典型です。

 しかし、近時公刊された判例集に、元雇用主が特別縁故者として認められた裁判例が掲載されていました。大阪高判平31.2.15判例時報2431・2432-97です。

2.大阪高判平31.2.15判例時報2431・2432-97

 本件で被相続人となったのは、知的能力が十分ではないとされていた方です。この方は、亡くなった時に、約4000万円相当の財産を保有していました。父親に雇われていた被相続人の方の雇用を引き継ぎ、その後、約28年間にも渡って被相続人の雇用を継続しました。経営不振で被相続人の方を解雇してからも、申立人元雇用主は、約16年もの間、緻密な財産管理を継続しました。これを受け、元雇用主が、被相続人の死亡後に相続財産新世の分配を求めたのが本件です。

 裁判所は、次のとおり述べて 元雇用主に2000万円の相続財産が分与されるおとを認めました。

(裁判所の判断)

「被相続人が4000万円以上もの相続財産を形成し、これを維持できたのは、

抗告人によって、昭和47年からの約28年間、被相続人の稼働能力を超えた経済的援助・・・と、

平成13年から被相続人死亡までの約16年間、緻密な財産管理が続けられた・・・から

とみるのが相当である。

「被相続人の相続財産の中には、抗告人による約44年間もの長年にわたる経済的援助等によって形成された部分が少なからず含まれているというべきである。このほか、抗告人は、上記の期間(抗告人26歳から70歳、被相続人42歳から86歳)、生活面でも被相続人を献身的に支え、同人死亡後は、その法要等を執り行った。」
「このように、被相続人の相続財産の相応の部分が抗告人による経済的援助を原資としていることに加え、被相続人の死亡前後を通じての抗告人の貢献の期間、程度に照らすならば、抗告人は、親兄弟にも匹敵するほどに、被相続人を経済的に支えた上、同人の安定した生活と死後縁故に尽くしたということができる。したがって、抗告人は、被相続人の療養看護に努め、被相続人と特別の縁故があった者(民法958条の3第1項)に該当するというべきである。」
「そして、上記の抗告人自身と被相続人との縁故の期間(被相続人42歳から86歳)や程度のほか、相続財産の形成過程や金額など一件記録に顕れた一切の事情を考慮すれば、被相続人の相続財産から抗告人に分与すべき額について、2000万円とするのが相当である。」

5.元雇用主は生計を同じくする者であったわけではないが・・・

 生計を同じくしていたわけではない元雇用主の方に関し、裁判所が2000万円もの高額な分与額の請求みとめられたことは、事例として比較的珍しい方ではないかともいます。

 知的障害者を雇用し、低賃金で働かせながら、預貯金はで管理し、自由に引き下ろせないようにした結果、多額の蓄財が生じたとすれば、少なくとも高額の相続財産分与が認められていることはなかったのではないかと思います。

 しかし、実質的な不当性が認められない場合、(元)雇用者-労働者の関係の中でも特別縁故者への該当性が認められる余地はあるのだろうと思います。

 それほど複雑な手続というわけでもありませんので、本記事を見て、自分も該当するのではとお考えの方は、弁護士に相談しに行ってみると良いと思います。

 

新型コロナウイルス感染(疑い)で休業させられた労働者の職場復帰の問題-職場復帰を拒否された方へ

1.新型コロナウイルス感染(疑い)での休業

 ネット上に、

「新型コロナ、仕事でクラスターに巻き込まれたら労災はどうなる? 休業補償問題まとめ」

という記事が掲載されています。

 記事は

「発熱が数日、続いていながら、PCR検査を受けられず、陽性か不明な場合、感染の可能性を疑い、自宅待機による休業を命じる措置も考えられます。」

「また、複数の感染者が発生したスポーツジム、ビュッフェスタイルの食堂等の施設を利用していた場合、発熱等の症状がなくても、同様の措置を講じるケースはあるでしょう。」

「このように感染の可能性があるものの、感染が確定していない状態のときに会社の指示によって休業した場合、その間の賃金はどうなるのでしょうか。」

と問題提起し、

休業期間中の賃金の支払い義務について論じています。

https://www.bengo4.com/c_5/n_10898/

 似たような記事は随所にあるほか、厚生労働省もホームページで労働者を休ませる場合の措置について、一定の見解を示しています。

 厚生労働省は、感染者を休業させる場合に関しては、

「新型コロナウイルスに感染しており、都道府県知事が行う就業制限により労働者が休業する場合は、一般的には『使用者の責に帰すべき事由による休業』に該当しないと考えられますので、休業手当を支払う必要はありません。」
「なお、被用者保険に加入されている方であれば、要件を満たせば、各保険者から傷病手当金が支給されます。」

との見解を示しています。

※ 休業手当=平均賃金の100分の60以上の手当(労基26)

 また、感染の疑いがある方を休業させる場合に関しては、

「『帰国者・接触者相談センター』でのご相談の結果を踏まえても、職務の継続が可能である方について、使用者の自主的判断で休業させる場合には、一般的に『使用者の責に帰すべき事由による休業』に当てはまり、休業手当を支払う必要があります。」

との見解を示しています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/dengue_fever_qa_00007.html#Q4-3

2.休業がいつまで経っても解除されない場合、どうなるのか?

 それでは、上記のようなもと、休業が開始されたとして、労働者への休業措置は何時になったら解除されるのでしょうか?

 使用者が新型コロナウイルスの脅威に萎縮して何時まで経っても休業措置を解除しない場合、労働者には何の対抗措置もないのでしょうか?

 一般論として言えば、疾病が治癒し、労働契約の本旨に従った労務の提供がなされているにもかかわらず、使用者が就労を拒否すれば、労働基準法26条の休業手当の問題ではなく、民法536条2項の問題になります。

 民法536条2項は、

「債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債務者は、反対給付を受ける権利を失わない。」

と規定しています。

 ここから、使用者が不合理に労務の受領を拒絶した場合、労働契約上の義務を履行することができなくなっても、労働者は賃金を請求する権利を失わないこと(労働者は使用者に100%の賃金を請求できること)が帰結されます。

3.新型コロナウイルスの場合、どのように治癒が判定されるのか?

 感染者に関しては、新型コロナウイルス感染症の退院基準が定められています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_09346.html

 これは正確には、

「健感発0206第1号 感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律における新型コロナウイルス感染症患者の退院及び就業制限の取扱いについて」

という文書で、ここには、

「新型コロナウイルス感染症の患者について、・・・『症状が消失したこと』とは、37.5度以上の発熱が24時間なく、呼吸器症状が改善傾向であることに加え、48時間後に核酸増幅法の検査を行い、陰性が確認され、その検査の検体を採取した12時間以後に再度検体採取を行い、陰性が確認された場合とする。上記の核酸増幅法の検査の際に陽性が確認された場合は、48時間後に核酸増幅法の検査を行い、陰性が確認され、その検査の検体を採取した12時間以後に再度検体採取を行い、陰性が確認されるまで、核酸増幅法の検査を繰り返すものとする。」

「また、無症状病原体保有者については、12.5日間の入院の後、核酸増幅法の検査を行い、陰性が確認され、その検査の検体を採取した12時間以後に再度検体採取を行い、陰性が確認された場合とする。上記の核酸増幅法の検査の際に陽性が確認された場合は、48時間後に核酸増幅法の検査を行い、陰性が確認され、その検査の検体を採取した12時間以後に再度検体採取を行い、陰性が確認されるまで、核酸増幅法の検査を繰り返すものとする。」

「なお、患者が再度症状を呈した場合や無症状病原体保有者が新たに症状を呈した場合は、37.5度以上の発熱が24時間なく、呼吸器症状が改善傾向となるまで退院の基準を満たさないものとする。」

との基準が示されています。

https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000592995.pdf

 感染者の職場復帰の可否の問題は、基本的にはこれに準拠して考えても良いのではないかと思います。

 また、感染の疑いで休業させられた方の職場復帰に関しては、検査によって感染の疑いが払拭された時か、あるいは、検査していなくても医師から出勤しても特段問題ないとの判断を受けた時が、一つの基準になるのではないかと思います。

 コロナウイルス感染や、その疑いで休業を指示されたとしても、退院基準を満たした後、あるいは、検査結果が陰性を示した後、労務の提供の意思表示をすれば、それ以降は、使用者によって職場復帰を拒まれたとしても、賃金の100%を請求できる可能性があるのではないかと思います。

4.危険の防止と働く権利、どのように折り合いをつけるのか?

 新型コロナウイルス感染(疑い)で休業させられた労働者の職場復帰の問題は、今後、使用者による復職拒否や退職勧奨といった形で顕在化してくる可能性があるのではと懸念しています。

 根拠は、新型コロナウイルスに関する医学的知見が安定していないことです。

 退院基準に定められている入院期間は、2月3日付け通知では10日間ですが、その後、2月6日付けで通知が改正されて、入院期間が12.5日に伸長された経緯があります。

 僅か3日で基準が改定されています。

 また、検査に関しては、以下のような情報が提供されています。

「WHOの知見によれば、現時点で潜伏期間は1-12.5日(多くは5-6日)とされており、また、これまでのコロナウイルスの情報などから、未感染者については14日間にわたり健康状態を観察することが推奨されています。加えて、チャーター便の帰国者については、帰国直後に実施したPCR検査の結果が陰性であった829名のうち、その後PCR検査が陽性に転じた方は5名でした。
「クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の乗客については、2月5日以降、個室管理で感染拡大防止策を講じ、これらのWHOの知見やチャーター便の帰国者への検査から得られた知見、これら双方の知見をもとに、検疫法(昭和二十六年法律第二百一号)を適用し、14日間の健康観察期間が終了した2月19日までの間にPCR検査の結果が陰性の方について、改めて健康状態を確認した上で、問題がない方は順次、下船していただくこととしました。」
「また、2月19日から下船を開始した方々については、念のため、下船後定期的に健康確認を実施し、2週間の不要不急の外出を控えることなどをお願いして、フォローアップを行っておりますが、これまでのところ、総勢983名の方について、下船後に発症し陽転化した方が計6名(栃木県1名、徳島県1名、千葉県2名、静岡県1名、宮城県1名、3月2日現在)確認されており、現在下船された方の健康確認を毎日実施し、都道府県とも連携して、健康フォローアップを、より緊密に実施しています。」

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/dengue_fever_qa_00001.html

 検査の結果、陰性であったとしても、感染の疑いを100%払拭するわけではないということだと思われます。

 このような状況に鑑みると、厚生労働省の退院基準よりも長い期間の経過観察を求めるだとか、検査で陰性が判明したとしても当面の間は職場復帰を認めないだとか、あるいは、感染した人・感染した疑いのある人に退職勧奨をするだとかいった事案が、いかにも出てきそうな気がします。

 しかし、凡そどのような事象においても100%ということは有り得ませんし、それを求めることが社会的に健全だとも思われません。

 失業を含む経済問題は自殺の原因になります。

 平成30年のデータによると、経済・生活問題で自殺した人は3432人いて、その内223人は失業が原因の自殺であるとされています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/jisatsu/jisatsu_year.html

https://www.mhlw.go.jp/content/H30kakutei-f01.pdf

 新型コロナウイルスには誰が感染してもおかしくありませんし、誰が感染の疑いを持たれてもおかしくありません。そして、病気が治っても、就労の途が閉ざされて、経済問題で自殺するということがあっては本末転倒です。

 誰もが何時差別される側になってもおかしくないことを前提に、社会的に許容できるリスクと、感染した方・感染の疑いを持たれた方の働く権利との折り合いをどのようにつけて行くのかが、今後、問われて行くことになるのではと思います。

5.感染・感染疑いの後、職場復帰を拒否された方へ

 職場の安全な環境は守られるべきではありますが、それと同時に疾病に罹患した方が不当に差別を受けることがあってもなりません。

 医師から治癒したと言われた、検査で陰性だった、それなのに、職場が復職を認めてくれない、そうしたお悩みをお抱えの方がおられましたら、一度、弁護士のもとに相談に行っても良いのではないかと思います。

 

上司からのパワハラで精神科を受診する時の留意点

1.心理的負荷による精神障害の労災認定基準

 心理的負荷により精神障害を発症した場合、労災認定を受けられることがあります。

 労災が認められるためには、

「対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること。」

が必要とされています(基発1226第1号 平成23年12月26日「心理的負荷による精神障害の認定基準について」参照)。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/090316.html

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/dl/120118a.pdf

 具体的な出来事が、どの程度の心理的負荷を与えるかに関しては、上記「心理的負荷による精神障害の認定基準」の別表1の「業務による心理的負荷評価表」に記載されています。

 上司からのパワハラとの関係では、

「部下に対する上司の言動が、業務指導の範囲を逸脱しており、その中に人格や人間性を否定するような言動が含まれ、かつ、これが執拗に行われた」場合や、

「業務をめぐる方針等において、周囲からも客観的に認識されるような大きな対立が上司との間に生じ、その後の業務に大きな支障を来した」場合

などで強い心理的な負荷が発生するとされています。

 労災の認定基準は、パワハラと精神疾患の発症との間の因果関係の認定に係るものであり、損害賠償を請求する局面でも、しばしば参照されます。

 労災の不支給処分の取消訴訟の場面でも、損害賠償請求訴訟の場面でも、パワハラが行われたことの立証にあたっては、精神科を受診していた際の診療録を用いることが比較的多いのではないかと思います。医師に負荷要因としてのパワハラが語られ、それが医師により診療録に記録されていたとすれば、当時、そういった事実があったのではなかという推測が働くことになります。

2.診療録に記載されていないとどうなるか?

 それでは、ハラスメントの事実が診療録に記載されていない場合、そのことは裁判例において、どのように評価されるのでしょうか。

 この場合、当該ハラスメントの事実は存在しないという方向に斟酌されることになります。本当にそれほど重要な負荷要因があったのであれば、きちんと医師に申告されていないのは不自然であるという趣旨です。

 例えば、東京地判令元.8.19労働判例ジャーナル95-48国・品川労基署長(精神疾患発症)事件では、上司から殴る蹴るの暴行を受けたとの原告労働者の主張の採否の判断にあたり、

「原告は、g課長等の上司から時に殴る蹴るの暴行を受けた旨を主張し、これに沿う内容の供述をする。」
「しかし、証拠・・・によれば、原告は、平成25年10月以降に受診したやないクリニック、ゲートシティ大崎メディカルクリニック及びマコトメンタルクリニックにおいて、上司からの叱責については、やる気がない、ミスが多いとのことで周囲の人が仕事の手をとめるほどの大声で怒鳴られるなどと具体的な訴えをしていた一方で、上司からの暴力については、具体的な訴えをしていなかったことが認められ、その他、原告が上司から殴る蹴るの暴行を受けたと認めるに足りる客観的かつ的確な証拠はない。

と診療録に記載がないことを、当該ハラスメントの存在が認められない根拠として指摘しています。

3.意思への申告を盛ったらどうなるか?

 それでは、逆に訴訟を視野に入れて、医師に対してハラスメントの事実をオーバーに申告していたらどうなるのでしょうか。

 一般論として言うと、対立当事者による批判の中、事実を誇張することは、それほど容易ではありません。診断の基礎となった事実が存在しなかったり、誇張されていたりすることが明らかになった場合、診断書の証拠としての有用性は否定されることになります。

 例えば、東京地判令元.8.6労働判例ジャーナル95-48国・大田労基署長(うつ病発症)事件では、

「原告の主治医であったj医師が診療情報提供書中には、『本人の話から推定すると29・30・31の心理的負担の強度『強』と確認した。』との記載部分がある。しかし、この記載部分は、客観的に認定された事実ではなく、原告が述べた内容のみを前提として記載されたものであることが明らかであるから、採用しない。
「また、k医師の意見書(甲10)中には、

〔1〕平成26年9月2日に原告がfから恐怖を抱かせる方法を用いて退職勧奨をされたことにつき、心理的負荷の強度は『強』である、

〔2〕同月1日、同月2日の原告と上司らとの間の話合いが3時間及び4時間に及んだことは、通常の業務指導の範囲を十分に逸脱していたとするのが妥当であり、話が平行線をたどったことから苦笑したのであれば、それを原告が嘲笑、侮辱ととったとしても不思議ではないことから、これによる心理的負荷の強度は『強』である、

〔3〕本人の席及び廊下で面談やフィードバックがなされたことは確認されており、周囲からも客観的に認識されるような対立が生じており、3時間、4時間と話合いがなされればその後の業務に大きな支障が生じることは必至であるから、心理的負荷の強度は『強』である

とそれぞれ判断するとの記載部分がある。しかし、上記のとおり、これらの判断の前提とされた事実は、前記に認定、判断したところと異なるものであるから、採用しない。

として医師の判断の信用性が否定されています。

4.過不足なく負荷要因を話すことが重要

 上述のとおり、医師への負荷要因の申告は、しなさすぎても、しすぎても、訴訟との関係では問題が生じることになります。

 相談を受けて医療記録を検討していると、時折、誇張が疑われる表現を目にすることがありますが、こうした申告は逆効果なので控えた方が良いと思います。

 元々、診療録に証拠としての価値が認められるのは、紛争になる前に作成された書面で、作為が介在していないと考えられるからです。作為性が疑われると精神障害を発症しているとの診断すら根底から疑われかねないため、パワハラで精神科を受診するにあたっては、あまり色々と考えすぎないよう、過不足なく現状を率直に申告することを心がけると良いと思います。医師から的確な診断を受け、精神的不調から回復するためにも、精神科の受診にあたっては、訴訟のことは一旦脇に置いておくとよいと思います。