弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

上司からのパワハラで精神科を受診する時の留意点

1.心理的負荷による精神障害の労災認定基準

 心理的負荷により精神障害を発症した場合、労災認定を受けられることがあります。

 労災が認められるためには、

「対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること。」

が必要とされています(基発1226第1号 平成23年12月26日「心理的負荷による精神障害の認定基準について」参照)。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/090316.html

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/dl/120118a.pdf

 具体的な出来事が、どの程度の心理的負荷を与えるかに関しては、上記「心理的負荷による精神障害の認定基準」の別表1の「業務による心理的負荷評価表」に記載されています。

 上司からのパワハラとの関係では、

「部下に対する上司の言動が、業務指導の範囲を逸脱しており、その中に人格や人間性を否定するような言動が含まれ、かつ、これが執拗に行われた」場合や、

「業務をめぐる方針等において、周囲からも客観的に認識されるような大きな対立が上司との間に生じ、その後の業務に大きな支障を来した」場合

などで強い心理的な負荷が発生するとされています。

 労災の認定基準は、パワハラと精神疾患の発症との間の因果関係の認定に係るものであり、損害賠償を請求する局面でも、しばしば参照されます。

 労災の不支給処分の取消訴訟の場面でも、損害賠償請求訴訟の場面でも、パワハラが行われたことの立証にあたっては、精神科を受診していた際の診療録を用いることが比較的多いのではないかと思います。医師に負荷要因としてのパワハラが語られ、それが医師により診療録に記録されていたとすれば、当時、そういった事実があったのではなかという推測が働くことになります。

2.診療録に記載されていないとどうなるか?

 それでは、ハラスメントの事実が診療録に記載されていない場合、そのことは裁判例において、どのように評価されるのでしょうか。

 この場合、当該ハラスメントの事実は存在しないという方向に斟酌されることになります。本当にそれほど重要な負荷要因があったのであれば、きちんと医師に申告されていないのは不自然であるという趣旨です。

 例えば、東京地判令元.8.19労働判例ジャーナル95-48国・品川労基署長(精神疾患発症)事件では、上司から殴る蹴るの暴行を受けたとの原告労働者の主張の採否の判断にあたり、

「原告は、g課長等の上司から時に殴る蹴るの暴行を受けた旨を主張し、これに沿う内容の供述をする。」
「しかし、証拠・・・によれば、原告は、平成25年10月以降に受診したやないクリニック、ゲートシティ大崎メディカルクリニック及びマコトメンタルクリニックにおいて、上司からの叱責については、やる気がない、ミスが多いとのことで周囲の人が仕事の手をとめるほどの大声で怒鳴られるなどと具体的な訴えをしていた一方で、上司からの暴力については、具体的な訴えをしていなかったことが認められ、その他、原告が上司から殴る蹴るの暴行を受けたと認めるに足りる客観的かつ的確な証拠はない。

と診療録に記載がないことを、当該ハラスメントの存在が認められない根拠として指摘しています。

3.意思への申告を盛ったらどうなるか?

 それでは、逆に訴訟を視野に入れて、医師に対してハラスメントの事実をオーバーに申告していたらどうなるのでしょうか。

 一般論として言うと、対立当事者による批判の中、事実を誇張することは、それほど容易ではありません。診断の基礎となった事実が存在しなかったり、誇張されていたりすることが明らかになった場合、診断書の証拠としての有用性は否定されることになります。

 例えば、東京地判令元.8.6労働判例ジャーナル95-48国・大田労基署長(うつ病発症)事件では、

「原告の主治医であったj医師が診療情報提供書中には、『本人の話から推定すると29・30・31の心理的負担の強度『強』と確認した。』との記載部分がある。しかし、この記載部分は、客観的に認定された事実ではなく、原告が述べた内容のみを前提として記載されたものであることが明らかであるから、採用しない。
「また、k医師の意見書(甲10)中には、

〔1〕平成26年9月2日に原告がfから恐怖を抱かせる方法を用いて退職勧奨をされたことにつき、心理的負荷の強度は『強』である、

〔2〕同月1日、同月2日の原告と上司らとの間の話合いが3時間及び4時間に及んだことは、通常の業務指導の範囲を十分に逸脱していたとするのが妥当であり、話が平行線をたどったことから苦笑したのであれば、それを原告が嘲笑、侮辱ととったとしても不思議ではないことから、これによる心理的負荷の強度は『強』である、

〔3〕本人の席及び廊下で面談やフィードバックがなされたことは確認されており、周囲からも客観的に認識されるような対立が生じており、3時間、4時間と話合いがなされればその後の業務に大きな支障が生じることは必至であるから、心理的負荷の強度は『強』である

とそれぞれ判断するとの記載部分がある。しかし、上記のとおり、これらの判断の前提とされた事実は、前記に認定、判断したところと異なるものであるから、採用しない。

として医師の判断の信用性が否定されています。

4.過不足なく負荷要因を話すことが重要

 上述のとおり、医師への負荷要因の申告は、しなさすぎても、しすぎても、訴訟との関係では問題が生じることになります。

 相談を受けて医療記録を検討していると、時折、誇張が疑われる表現を目にすることがありますが、こうした申告は逆効果なので控えた方が良いと思います。

 元々、診療録に証拠としての価値が認められるのは、紛争になる前に作成された書面で、作為が介在していないと考えられるからです。作為性が疑われると精神障害を発症しているとの診断すら根底から疑われかねないため、パワハラで精神科を受診するにあたっては、あまり色々と考えすぎないよう、過不足なく現状を率直に申告することを心がけると良いと思います。医師から的確な診断を受け、精神的不調から回復するためにも、精神科の受診にあたっては、訴訟のことは一旦脇に置いておくとよいと思います。