弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

業務開始時刻(早出残業)の認定は厳しい

1.業務開始時刻と業務終了時刻の認定でタイムカードの打刻時刻の意味が異なる

 時間外勤務手当(残業代)を請求するにあたっては、実労働時間を主張・立証する必要があります。実労働時間を主張・立証するにあたっては、各日の業務開始時刻・業務終了時刻を特定する必要があります。

 業務終了時刻の認定は、タイムカードがあれば打刻された時刻が一定の基準になります。それがなかったとしても、PCのログオフ記録、オフィスからの退館記録、職場のPCから出されたメールの送信記録など、客観的に記録されている時刻がそのまま基準としての役割を果たします。

 しかし、業務開始時刻の認定は、必ずしも業務終了時刻と同じようには理解されていません。タイムカードの打刻が始業時刻前であったとしても、業務開始時刻はタイムカードの打刻時刻ではなく、始業時刻で認定されることがあります。

 例えば、東京地判平25.2.28労働判例1074-47 イーライフ事件では、

「本件請求期間Aについては本件タイムカードにより出勤時刻の記録が残されているところ、そのうち上記始業時刻(午前9時)後の打刻については、その時刻から原告は、上記の各要素に照らし被告の指揮命令下に置かれていたものと評価することができ、したがって、上記打刻時刻をもって業務開始時刻と認めるのが相当である。他方、上記始業時刻(午前9時)よりも前の打刻については、・・・通常は原告は使用者の指揮命令下に置かれていたものと評価することはできず、したがって、特別の事情が認められない限り、上記始業時刻をもって業務開始時刻と認めるのが相当である
業務終了時刻とは、・・・『労基法上の労働時間』と評価し得る時間帯の終了時刻を意味するところ、本件請求期間Aについては、上記のとおり本件タイムカードにより退勤時刻の記録が残されており、特段の事情が認められない限り、この時刻をもって原告は使用者の指揮命令下に置かれた状態から離脱したものとみるのが自然である。

と業務開始時刻と業務終了時刻とでタイムカードに打刻された時刻の意味を区別して論じています。

 確かに、始業時刻が午前9時である場合に、8時55分に出勤してきた労働者がタイムカードに打刻し、一拍置いたうえで、定刻通り午前9時から働き始めるようなケースを念頭におけば、業務開始時刻を打刻時刻ではなく始業時刻で認定するのは、素朴な感覚に合致していると言えるかもしれません。

 それでは、始業時刻よりも30分~1時間半も前に出勤していた場合はどうでしょうか。

 30分~1時間半もボンヤリしていることは考えにくいようにも思われますが、早出残業として認定してもらうことはできないのでしょうか?

 この点が問題になった事案に、東京地判令元.9.24労働判例ジャーナル95-38 一般社団法人日本貨物検数協会事件があります。

2.一般社団法人貨物検数協会事件

 本件で被告になったのは、港湾荷役の検数等の業務を行う一般社団法人です。

 原告になったのは、被告で勤務していた方です。

 本件は原告が被告に対して残業代を請求した事件で、業務開始時刻の認定が争点の一つになりました。

 本件では被告の本部で勤務していた時期の残業代と、名古屋支部で勤務していた時期の残業代が請求されています。

 本部での勤務時間は、始業時刻が午前9時、終業時刻が午後5時とされていました。

 名古屋支部での勤務時間は、始業時刻が午前8時30分、終業時刻が午後4時30分とされていました。

 原告は、

① 本部在籍中は午前7時30分には出勤して就労を開始していた、

② 名古屋支部の在籍中には、午前8時には出勤して就労を開始していた、

と早出残業をしていたことを主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告の主張を排斥し、出勤簿の記載をもとに業務開始時刻を認定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、前記のとおり、本部の在籍中の平日(月曜日から金曜日まで)には午前7時30分に、名古屋支部の在籍中には午前8時に、それぞれ出勤し、就労を開始したと主張し、本人尋問においては主張に沿う供述をする・・・。」
「そこで、検討するに、原告の供述の内容は、相当程度に具体性があり、迫真性が備わっているようでもある。また、名古屋支部においては、名古屋港内のα地区の搬出用のゲートが午前8時30分から開くのであるから、その時刻よりも早く始業した旨の供述内容は、あり得ることのようにも思われる。しかし、原告の上司であった証人q3は、この点を否定する証言をするところ、証拠・・・によれば、原告は、本部在籍中の大半の日には、出勤簿の『出勤時間』欄に午前9時である旨(『900』)を記載して提出し、名古屋支部在籍中の大半の日には、出勤簿の同欄に午前8時30分である旨(『830』)を記載して提出していたものと認められるが、原告本人尋問においても、現実の始業時刻を出勤簿に記載しなかったという理由としては『慣習としか言いようがない』旨を述べるだけであって、この点に関する慣習なるものを基礎付ける具体的事情を認めるに足りる証拠はないし、被告から午前8時とか午前7時30分などと記載・申請しないよう言われたことはない旨を供述しているところでもある。原告本人及び弁論の全趣旨によれば、原告は、その終業時刻については実態のとおりに出勤簿に記載して申告していたものと認められるところであり、結局、本件各証拠を精査しても、原告が実際の始業時刻を出勤簿に記載することを躊躇させるような事情は見当たらないというしかない。」
「以上の検討に加えて、原告は一律に出勤時間を午前9時又は午前8時30分と記載していたのではなく、それよりも早い時刻を記載することもあったこと(例えば、原告は、平成27年11月24日には午前6時と、同月28日には午前5時と、平成28年1月18日には午前5時30分と、同月25日、同年2月9日、同月10日、同月12日、同月15日、同月17日及び同月18日には午前6時と、同年4月1日には午前7時15分と、同年9月20日には午前7時30分と、平成29年2月16日、同月17日、同月21日及び同月23日には午前8時と、同月20日、同月22日及び同月27日には午前7時15分と、それぞれ記載した。甲4の1、2、乙26)、被告が原告に対して所定始業時刻よりも早い時刻から業務を行うよう指示又は命令をしたなどの事情もうかがわれないこと等の諸事情を併せ考慮すると、本件執務表の記載内容には相当の信用性があるというべきであり、仮に本件執務表の記載に係る始業時刻よりも早い時刻に原告が本部又は名古屋支部の施設に来ていたとしても、本件執務表の記載に係る始業時刻より前の時間について労働時間性を肯定することはできず、この趣旨で、原告の供述のうち、本件執務表の記載に係る始業時刻と一致しない部分をにわかに採用することはできず、他にこの点に関する原告の主張を認めるに足りる証拠はない。」
「なお、原告代理人が被告に対して未払割増賃金請求書を送付したことを受けて、被告代理人が作成して原告代理人に対して送付した平成29年9月22日付けの通知書・・・には、『調査の結果、通知人が7時30分頃に出社していたことが多いことは確認できましたが、通知人が当該時刻に出社していたのは朝の通勤ラッシュを回避するためであって、7時30分から当協会の始業時刻である9時までの間の時間に通知人が労働していたことは確認できておりません。』との記載部分があるが、上記記載部分に係る確認の具体的内容は各証拠上全く明らかでないほか、その通知書の内容全体の趣旨は原告の主張に係る始業時刻からの労働時間性を争うものであることが明らかであること・・・等にかんがみると、この通知書の記載内容をもって前記判断が左右されるものとはいえない。」

「この点に関する原告の主張は、採用することができず、原告の始業時刻は、本件執務表に基づき認定するのが相当である。

3.執務表に自ら業務開始時刻を記入していた事案ではあるが・・・

 本件は、原告が自ら業務開始時刻を勤務表に記入していたのであり、タイムカードの打刻時刻と所定の始業時刻との間に齟齬が認められた事案というわけではありません。

 しかし、原告が午前7時30分ころに出社していたことが多かった事実は被告訴訟代理人弁護士によっても確認されています。裁判所が原告供述内容に具体性・迫真性を認定していることからも、原告の主張には一定の根拠があったのだと思われます。

 つまり、午前7時30分に出勤していたことが、それなりの蓋然性のある事実として理解されていたにもかかわらず、裁判所は他の周辺事情から午前7時30分を業務開始時刻として認定することを否定しました。

 本件の判示からも分かるとおり、早出残業の始業時刻の認定は、厳格に行われる傾向があります。どのような仕事をしていたのかについて、具体的・迫真的に語れたとしても、認定に至らない可能性があるため、早出残業に係る時間外勤務手当を請求するにあたっては、上長からの明示的な指示を取り付けるか、あるいは、どのような経緯・上長の指示のもとで早出残業をせざるを得なくなったのかまで意識して詳細に記録化しておくことが推奨されます。