1.「明日から来なくていい」と引継ぎの問題
一般論として、会社はすぐに辞められるものではありません。
民法627条1項は、
「当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。」
と規定しています。
これは、退職の意思表示をしても、最低2週間(1か月程度までなら就業規則で伸長できるとする見解が有力です)は引継ぎ業務に従事しなければならないことを意味します。
それでは、使用者から、
「明日から来なくていい」
と言われ、これに応じて退職届を提出したという場合、引継ぎ義務の存否は、どのように理解されるのでしょうか?
「明日から来なくていい」と言われた時点で解雇が成立していれば、その時点で労働契約が終了するので、引継ぎに従事する必要はありません。
しかし、この「明日から来なくていい」を、単純に解雇と言えないことは、以前、このブログで言及したとおりです。
https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/08/15/000113
「明日から来なくていい」が解雇でも退職勧奨でもない単なる罵詈雑言であるならば、退職届の提出は労働者からの退職の意思表示であると理解されることになります。
しかし、「来なくていい。」と言われているにもかかわらず、労働者には引継ぎに従事する義務があるのでしょうか?
2.社会福祉法人Y会事件
このことが問題になった裁判例に、福岡地判令元.9.10労働経済判例速報2402-12 社会福祉法人Y会事件があります。
これは、労働判例ジャーナルという判例雑誌に掲載されていた際に「パワハラの慰謝料(学歴を揶揄する発言等)」と題する記事で紹介させて頂いたのと同じ事案です。
https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/02/02/015627
平成27年8月3日、被告法人の経営する施設の施設長B2は、意に沿わない行動をした原告職員A5に対し、職員A4を介して、
「明日から来なくていい、荷物をまとめて帰りなさい。」
と言いました。
これを受けて、原告職員A5は、退職届と健康保険証を提出し、同日付で引継ぎをすることなく退職しました。
その後、被告法人は、
「職員が退職時に利用者や他の職員、施設に迷惑がかかる状況で退職した場合には退職金を支給しない」(退職金規程3条2号)
との退職金規程を根拠に、原告職員A5への退職金を不支給にしました。
こうした退職金不支給措置の当否が問題になったのが本件です。
裁判所は、次のとおり述べて、原告職員A5からの退職金請求を認めました。
(裁判所の判断)
「被告法人は、原告A5の退職につき、退職金規程3条2号の退職金不支給事由に該当すると主張する。しかし、被告B2は、原告A5に対し、平成27年8月3日の業務終了をもって直ちに退職するように命じ、引継ぎ等の義務を免除したものと認めるのが相当であるから、退職金不支給事由には該当しない。」
「したがって、被告法人は、原告A5に対し、退職金・・・の支払義務を負うというべきである。」
3.「明日から来なくていい」=引継ぎ義務の免除
社会福祉法人Y会事件の裁判所は、「明日から来なくていい」という言葉を、引継ぎ義務の免除の意思表示だと理解しました。引継ぎ義務自体がなくなるのであれば、論理的に引継ぎ義務違反は有り得ないことになります。結果、退職金の不支給事由には該当することもなくなり、引継ぎをしないまま辞めた職員にも退職金を請求する権利があることになります。
本件で採用された理解が、他の裁判所で、どこまで通用するのかは不確実ですが、基本的には「明日から来なくていい」などと罵倒されてまで、律儀に引継ぎに従事する必要はないだろうと思います。