弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

会社から損害賠償請求を受けた労働者の方へ-過失の存在が認められながら損害賠償責任の発生が否定された事例

1.会社から労働者に対する損害賠償請求

 労働者が仕事で何等かのミスをして会社に損害を与えた場合、労働契約上の義務の不履行により損害を被ったとして、会社が労働者に対して損害賠償を請求することがあります。

 しかし、会社が労働者に対して損害賠償を請求することには、判例法理により一定の制限が課されています。

 制限の課され方としては、大きく言って、

① 責任の発生に故意や重過失等を要求し、責任の発生そのものを制限する方法、

② 責任の発生は認めても、信義則上相当な範囲に賠償額を圧縮する方法(最一小判昭51.7.8民集30-7-689参照)、

の二通りがあります。

 ①のアプローチをとった裁判例に、京都地判平23.10.31労働判例1041-49 エーディーディー事件があります。

 エーディーディー事件は、会社がミスをしたシステムエンジニアに損害賠償を請求した事案について、

「本件においては、被告BあるいはCチームの従業員のミスもあり、C社からの不良改善要求に応えることができず、受注が減ったという経過は前記認定のとおりであるが、被告Bにおいてそれについて故意又は重過失があったとは証拠上認められないこと、原告が損害であると主張する売上減少、ノルマ未達などは、ある程度予想できるところであり、報償責任・危険責任の観点から本来的に使用者が負担すべきリスクであると考えられること、原告の主張する損害額は2000万円を超えるものであり、被告Bの受領してきた賃金額に比しあまりにも高額であり、労働者が負担すべきものとは考えがたいことなどからすると、原告が主張するような損害は、結局は取引関係にある企業同士で通常に有り得るトラブルなのであって、それを労働者個人に負担させることは相当ではなく、原告の損害賠償請求は認められないというべきである。

と、故意・重過失が認められないことなどを理由に、損害賠償責任の発生自体を否定しました。

 これに対し、近時の公刊物に、損害額が低額である場合に関しても、故意・重過失がないことなどを根拠に、会社から労働者に対する損害賠償請求を否定した裁判例が掲載されていました。大阪地判令元.9.2労働判例ジャーナル94-82 トモエタクシー事件です。

2.トモエタクシー事件

 本件は、タクシー会社が原告・控訴人となって、交通事故を起こした従業員であるタクシー乗務員に対し、車両の修理費用などの損害賠償を請求した事件です。地裁判例でありながら当事者が控訴人・被控訴人と呼ばれているのは、請求額が少額で、原審が簡裁で審理されたことによります。

 損害賠償請求は予備的請求という位置づけですが、タクシー乗務員に損害賠償義務が発生するか否かが、本件の中心的な争点になりました。

 裁判所は次のとおり述べて、被告・被控訴人タクシー乗務員の損害賠償責任を否定し、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

本件各事故は、いずれも比較的軽微な物損事故であり、被控訴人に過失があったとはいえるものの、それが重大なものであったとは認め難い上、控訴人に生じた車両修理費に相当する損害も、特に高額とまではいえないものである。このことに、控訴人は、被控訴人を含む100名以上の乗務員のタクシー乗務によりその経営を行うタクシー事業者であり、その事業の性格や規模等に照らし、ある程度の件数の交通事故の発生は想定されるところ、本件各事故が同経営において生じる各種事故の中で特に悪質であるとは認め難く、控訴人に過大な損害や負担を生じさせたものとまではいえないことも併せ鑑みれば、タクシー乗務員として相応の経験を有するにもかかわらず、被控訴人による事故の頻度が他の乗務員に比べて多いことや、事故後の報告等の対応や反省の状況に不十分な点があること(ただし、控訴人において、被控訴人に対し、事故対策委員会による分担金に係る審議・決定以外に、より的確な事故防止のための対策や事故対応に係る十分な指導が行われていたことを認めるに足りる証拠はない。)を考慮しても、本件各事故に係る損害について、被用者である被控訴人に対し損害賠償責任を負わせることが、損害の公平な分担という見地から信義則上相当であるとは認め難い。そうすると、控訴人は、本件各事故に係る損害につき、被控訴人に対する損害賠償請求をなし得ないのであり、このことは、本件労働協約に基づき各分担金が決定されたことによって変わるものではないというべきである。

3.本件の修理費用は13万0600円でしかなかったが・・・

 本件の損害賠償請求額は、

第1事故の車両の修理費用は2万8000円、

第2事故の車両の修理費用は7万0200円、

第3事故の車両の修理費用は3万2400円

の合計13万0600円でしかありませんでした。

 エーディーディー事件の判示では、損害額が低額であることを損害賠償責任の発生を認める方向での考慮要素として位置づけているかにも読めました。

 しかし、トモエタクシー事件は、損害が

「特に高額とまではいえないものである」

ことや、

「控訴人に過大な損害や負担を生じさせたものとまではいえないこと」

を損害賠償責任の発生を否定する要素として位置付けました。

 会社から労働者に対する損害賠償請求は、一定のミスがあったとしても、それほど容易には認められません。

 会社から損害賠償請求をされて困惑している方がおられましたら、一度、対応を弁護士に相談してみることをお勧めします。

 

パワハラの慰謝料(学歴を揶揄する発言等)

1.学歴を揶揄する発言等に対する慰謝料

 令和2年1月15日、事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(厚生労働省告示第5号)が告示されました。

https://www.no-harassment.mhlw.go.jp/law-measure

https://www.no-harassment.mhlw.go.jp/pdf/pawahara_soti.pdf

 俗にパワハラ防止指針などと言われているものです。

 指針上、精神的な攻撃(脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言)はパワハラの一類型として位置づけられており、人格を否定するような言動を行うことは精神的な攻撃の該当例として掲げられています。

 パワハラ防止指針が告示される前から、侮辱・ひどい暴言などの精神的な攻撃はパワハラの一類型として整理されていて、これがハラスメントをめぐる訴訟のテーマになることは、以前から少なくありませんでした。

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000021hkd.html

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000021hkd-att/2r98520000021hlu.pdf

 しかし、バカ・アホといった類の暴言が問題になることは多くても、近時、学歴を揶揄する発言が問題になるケースは稀になっているのではないかと思います。人の学歴を揶揄するような発言に関しては、そのような発言をする側の品性が疑われるような社会的な合意が形成されてきているからではないかと思います。

 サンプルになる裁判例自体があまり見られないため、この種の揶揄に対する慰謝料の水準がどの程度になるのかに、明確な回答を持っている弁護士は、それほど多くはないと思います。

 そうした状況の中、学歴を揶揄する発言等に対する慰謝料請求の可否が問題になった裁判例が公刊物に掲載されていました。

 福岡地判令元.9.10労働判例ジャーナル94-76 社会福祉法人Y会事件です。

2.社会福祉法人Y会事件

 この事件で被告になったのは、特別養護老人ホームや老人デイサービスセンターの経営等を目的とする社会福祉法人(被告法人)と、その代表者G(被告G)、被告Gの妻で被告法人が経営する施設の施設長F(被告F)の三名です。

 原告になったのは、A~Eの5名で、いずれも介護職として被告法人で働いていた方です。

 本件では数多くの請求の趣旨が掲げられていますが、その一つが被告Fのパワハラを問題にする損害賠償(慰謝料)請求です。

 原告A~Eはいずれも被告Fから酷い暴言を浴びせられていました。

 裁判所が認定した被告Fの言動は次のとおりです。

(原告Aに対する行為について)
「被告Fは、原告Aに対し、平成23年頃、バザー担当になった際に、バザーの売上金を横領したと決めつけたり、施設の米を盗んだと決めつけたりして、同人が退職に至るまで、日常的に、『品がない』『ばか』「『泥棒さん』などと発言した。」
(原告Bに対する行為について)
「被告Fは、原告Bに対し、平成26年頃、叱責する度に『あなたの子どもはかたわになる』と言ったり、原告Bが退職に至るまで、日常的に、『ばか』などと発言した。」
(原告Cに対する行為について)
「被告Fは、原告Cに対し、平成26年頃、叱責する度に、『言語障害』などと発言したり、原告Cが退職に至るまで、日常的に、配偶者の方が高学歴であることを理由に『格差結婚』『身分が対等じゃない』と発言した。
「被告Fは、全体会議の場など他の職員がいる中で上記発言をすることもあった。」
(原告Dに対する行為について)
「被告Fは、原告Dに対し、平成20年頃から同人の退職に至るまで、日常的に、最終学歴が中学校卒業であることを理由に、『学歴がないのに雇ってあげてんのに感謝しなさい』などと発言した。
「被告Fは、全体会議の場など他の職員がいる中で上記発言をすることもあった。」
(原告Eに対する行為について)
「被告法人の職員であったS(以下『S』という。)は、平成17年頃、利用者が手に便が付いたままであるのを見落とし、そのまま食事をさせたことがあった。」

「原告Eは、当時、生活相談員の職位にあったところ、この事故について被告Fに報告しなかったことから、被告Fから厳しく叱責を受けた。被告Fは、口頭で叱責するにとどまらず、他の職員に命じて便器掃除用ブラシを持って来させて自らこれをなめた上で、原告Eに対し、同じようにブラシをなめるよう指示した。」

「原告Eは、被告Fに対し、繰り返し謝罪したが、被告Fはこれを許さず、原告Eも最終的にはブラシをなめた。」

 被告Fは、

「原告ら主張の暴言等をしていない。」

とパワハラ行為を否認しましたが、

裁判所は、

「(暴言等の文言は)原告らの身上等を踏まえた具体的内容であり、原告らが自らこのような発言をされたことを口にすること自体が自尊心を傷つけることになるおそれもある中で、精神的に動揺しながらもあえて本人尋問において発言したなどの原告らの供述態度等に照らしても、原告らが虚偽の発言をしたものとは考えにくい。」

などと述べて、被告Fの供述は採用しませんでした。

 また、被告Fは、原告Eがトイレブラシを任意になめたなどとも主張しましたが、裁判所からは、

「原告Eがトイレブラシを進んでなめるとは通常考えられず、原告Eは、被告Fの圧迫を受け、場の収拾が着かないと考えてやむなくトイレブラシをなめたとみるべきであるから、被告Fが原告Eに対してトイレブラシをなめるよう強要したと認めるのが相当である。」

と窘められています。

 裁判所は、次のとおり述べて、被告Fのしたことの不法行為への該当性を認め、被告Fとその使用者である被告法人に対し、A~Dに各15万円、Eに30万円の慰謝料を支払うように命じました。

(裁判所の判断)

「被告Fは施設長として各施設の責任者たる地位にあり、被告法人の職員等がその職務において不適切ないし不当な行為をした場合に叱責、指導をすることは、それが社会通念上相当である限り、直ちに違法であるとはいえない。」
「もっとも、少なくとも被告Fの原告らに対する前記・・・の各発言や行動は、職務における叱責、指導の範ちゅうに収まるものではなく(学歴等を非難するなど、そもそも職務とはおよそ関係のない発言も含まれている。)、名誉感情を害し、人格をおとしめる発言や行動であるというべきであって、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景として、業務の適正な範囲を超えて、精神的、身体的苦痛を与える発言や行動であると認められるから、不法行為に該当すると認めるのが相当である。」
「原告らが被告Fから受けた暴言等の内容、原告らと被告Fとの関係その他本件に顕れた一切の事情を考慮すると、原告らの受けた精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料は、原告A、同B、同C、同Dについてそれぞれ15万円、原告Eについて30万円と認めるのが相当である。」

3.単なる「ばか」よりも、より侮辱的ではないかと思われるが・・・

 学歴差を理由に格差結婚だと揶揄したり、中学校卒業であることを念頭に学歴がないと揶揄したりすることは、単に「ばか」などと言うよりも、一層侮蔑的・屈辱的ではないかという気がしたのですが、裁判所は慰謝料の算定にあたり、それほど有意な差を見出さなかったようです。

 また、トイレブラシをなめるように強要して慰謝料が30万円というのも、慰謝料に対する裁判所の謙抑的な姿勢が表れています。

 パワハラの立証は、録音等の客観証拠がなければ、困難な場合が少なくありません。しかし、多数の被害者が集まって集団で訴訟を起こすような場面では、加害者が否認しても、被害者相互の供述が補強しあって、ハラスメントの事実を立証できる可能性があります。

 慰謝料はそれほど伸びないかも知れませんが、録音等はないもののどうしても許容できないというハラスメントを受けた方が、これを問題にしようとする場合、協力してくれる仲間を見つけることは、立証の壁を超えるための一つの解決方法になるのだと思います。

 

精神疾患の発症がなくても長時間労働は労働者の人格的利益を侵害する

1.長時間労働と慰謝料

 昨年10月、精神疾患の発症がなかったにもかかわらず、長時間労働を理由とする慰謝料請求が認められた事案が話題になりました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191004-00000104-kyodonews-soci

 報道にあるとおり、疾患の発症を伴わない単純な長時間労働で慰謝料請求が認められるのは、極めて珍しいことです。

 報道時点から気になってはいましたが、近時の公刊物に、この事件の判決文が掲載されていました。

 長時間労働に悩む方の参考になると思われたので、要点をご紹介させて頂きます。

2.狩野ジャパン事件

 本件は、長崎地大村支判令元.9.26労働判例ジャーナル94-68 狩野ジャパン事件です。

 本件で被告になったのは、麺類の製造及び販売等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告に雇われ、ミキサーに小麦粉を手で投入する業務を行っていた方です。長時間労働を理由として、未払残業代、付加金、そして、慰謝料を請求する訴訟を提起したのが本件です。

 本件で特に意義があるのは、慰謝料請求に係る判示部分です。

 裁判所は次のとおり述べて、30万円の限度で慰謝料の請求を認めました。

(裁判所の判断)

「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知の事実である。」
「そうすると、被告は、原告に対し、従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して原告の心身の健康を損なうことがないように注意すべき義務があったというべきである。

(中略)

「原告は、・・・平成27年6月1日から退職日である平成29年6月30日までの間において、平成28年1月と平成29年1月を除く全ての月で月100時間以上の時間外等労働を行い、うち平成27年6月、同年9月、同年10月、平成28年4月、平成29年3月及び同年6月は月150時間以上、平成28年4月に至っては月160時間以上の時間外等労働を行ったこと、平成28年1月と平成29年1月においても、月90時間以上の時間外等労働を行ったことが認められる。被告は、・・・平成27年6月1日から平成29年1月31日までの期間については36協定を締結することもなく、また、平成29年2月1日以降は労働基準法施行規則6条の2第1項の要件を満たさない無効な36協定を締結して、原告を時間外労働に従事させていた上、・・・上記期間中、タイムカードの打刻時刻から窺われる原告の労働状況について注意を払い、原告の作業を確認し、改善指導を行うなどの措置を講じることもなかったことが認められる。
(中略)
「以上によれば、被告には、安全配慮義務違反があったといえる。」

(中略)

本件において、原告が長時間労働により心身の不調を来したことについては、これを認めるに足りる医学的な証拠はない・・・。
「しかしながら、結果的に原告が具体的な疾患を発症するに至らなかったとしても、被告は、安全配慮義務を怠り、2年余にわたり、原告を心身の不調を来す危険があるような長時間労働に従事させたのであるから、原告の人格的利益を侵害したものといえる。
被告の安全配慮義務違反による人格的利益の侵害により原告が精神的苦痛を受けたであろうことは容易に推察されるところ、本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、上記精神的苦痛に対する慰謝料は、30万円をもって相当と認める。

(※1)

 労働時間のカウントの始期が平成27年6月1日であるのは、賃金の消滅時効期間が2年間であることに対応します(労働基準法115条)。

(※2)

 36協定というのは労働基準法36条に根拠のある協定で、これを結ばないで残業を命じることは刑事罰の対象になります(労働基準法119条1号、32条)。

3.慰謝料請求が認められるには、幾つかの付加的な事情が必要になるだろうが・・・

 上述のように、本件は単に長時間労働が行われたという事案とは、性質が異なるように思われます。

 ①月に100時間を超えるような長時間労働、②2年余りにも及ぶ長時間労働の継続性、③36協定の不存在・不備、④改善指導を行うなどの措置の不存在、といったように極めて悪質性の高いケースであったことが看取されます。

 そのような意味では、長時間労働が慰謝料請求の対象になった、と安易に一般化するのは難しいように思います。

 しかし、この判決が、違法な長時間労働に悩み、苦しんでいる人にとって、権利の行使・救済を容易にする画期的なものであることは確かです。

 慰謝料30万円という金額は少ないような印象を受けるかも知れませんが、弁護士費用の内30万円が浮くという考え方をすると、それなりのメリットとして感じることもできるのではないかと思います。

 今後、長時間労働、残業代の未払い等でお悩みの方は、本件のような判決があることを念頭に置いたうえで、事件化するかどうかを決めると良いと思います。

 

国立大学の教員個人をハラスメントを理由とする損害賠償請求の被告にできるか?

1.国立大学の教員

 以前、公務員個人をパワハラで訴えることができるかという記事を書きました。

 https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/04/15/161700

 https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/10/20/223743

 根拠はリンク先で示しているとおりですが、国家賠償法という法律の解釈の問題で、ハラスメントをした公務員個人の責任を追及することは難しいのが実情です。

 それでは、国立大学法人の教員がハラスメントをした場合は、どうなのでしょうか。

 国立大学は国立大学法人法という法律に根拠があります。

 国立大学法人は「国立」と銘打ってはいますが、非公務員型の法人であり、教員も事務職員も公務員ではありません。

 公務員ではないなら、民法に基づいて、個人に対しても損害賠償請求が可能であるとなりそうですが、話はそう単純ではありません。

 国家公務員法上の公務員の概念と国家賠償法上の公務員の概念とは異なるからです。

 例えば、国立大学の研究科長(Y1)が教授にハラスメントをした事案において、 

「国立大学法人法には、国立大学法人の役員及び職員を国家公務員とする旨の規定はないが(独立行政法人通則法51条を準用していない。)、国家賠償法1条1項にいう『公務員』は、国家公務員法、地方公務員法等の定める身分上の公務員に限られず、国又は公共団体の公権力の行使を委ねられた者をいうと解されるところ、前記のとおり、被告Y1は、保健学研究科長として同科に関する事項を総括する権限を委ねられており、上記のとおり、この権限の行使は公権力の行使に当たると解されるから、被告Y1は、同項にいう『公務員』に該当するというべきである。」
「そして、被告Y1の前記一連の行為は、不法行為に当たるところ、いずれも、保健学研究科長として公権力を行使した際のものということになる。
したがって、被告Y1の前記一連の行為については、被告Y2大学が原告に対して、国家賠償法1条1項に基づきその損害を賠償すべき責任を負い、民法715条1項の適用はなく、公務員個人である被告Y1は、民法709条の適用がなく損害賠償責任を負わない。

とY1の個人責任を否定した裁判例があります(神戸地判平27.6.12LLI/DB判例秘書登載)。

2.国立大学の教員は、ハラスメントをしても、訴えることができない?

 それでは、国立大学の教員は、ハラスメントをしても、被告になることはないのでしょうか。

 結論から言うと、必ずしも、そのようなことはありません。

 この点が問題となった近時の裁判例に、宇都宮地栃木支判平31.3.28労働判例1212-49 国立大学法人筑波大学ほか事件 があります。

 本件は国立大学法人の従業員であった原告が、パワハラを受けたとして、勤務先の大学や、大学の病院部門のD部副部長・病院講師(教員)に対し、損害賠償を請求した事件です。

 この事案でも、病院講師個人(被告丁原)が責任を負うのかが問題になりました。

 被告丁原は、

「公務員個人は責任を負わない」

と主張しましたが、裁判所は次のとおり述べて被告丁原の個人責任を認めました。

(裁判所の判断)

「国立大学法人は国賠法1条1項の『公共団体』に該当するというべきであり、被告大学も同条の『公共団体』に該当するといえる。しかし、被告丁原の原告に対するパワハラ行為は、国立大学法人と民法上の雇用関係にある職員間の指揮監督及び安全管理作用上の行為であって、教育研究活動等の国立大学法人の業務上の行為(国立大学法人法22条1項)に当たるものではなく、任用関係にある公務員間における指揮監督又は安全管理作用上の行為といえないことからすれば、純然たる私経済作用であるというべきである。」

「そうすると、被告丁原の違法行為は、国賠法1条1項の『公権力の行使』に当たらず、同法は適用されず、被告丁原は民法709条の不法行為に基づく損害賠償責任を負・・・うというべきである。」

3.国立大学の教員をめぐるハラスメント訴訟では国家賠償法の適用関係に注意

 原告側で裁判をするにしても、被告側で裁判をするにしても、国立大学の教員が出てくるハラスメント訴訟では、国家賠償法の適用関係に注意する必要があります。

 原告側で裁判をする場合、国家賠償法の適用があるのに、個人を訴えても話が複雑になるだけで益がありません。

 教員側で応訴する場合、国家賠償法の適用関係に気付かず、漫然と応訴して負けるようなことがあれば、弁護過誤と言われかねません。

 国立大学法人が非公務員型の法人であることから見落としやすいうえ、国立大学の教員のハラスメントに関しては国家賠償法の適用がある場合とない場合の両方が混在しているため、話がややこしくなっています。

 労働事件自体、専門性の高い領域ですが、公務員の労働事件は更に奥まったところで複雑な様相を呈しています。公務員の労働問題に関しては、本邦において数少ない専門家の一人であると自負しています。この領域に対応できる弁護士は限られているので、お困りごとをお抱えの方は、ぜひ、ご相談頂ければと思います。

 

賃金が高額であることは付加金を算定するにあたっての考慮要素にはならない

1.付加金

 労働基準法114条本文は、

「裁判所は、第二十条、第二十六条若しくは第三十七条の規定に違反した使用者又は第三十九条第九項の規定による賃金を支払わなかつた使用者に対して、労働者の請求により、これらの規定により使用者が支払わなければならない金額についての未払金のほか、これと同一額の付加金の支払を命ずることができる。」

と規定しています。

 労働基準法37条の規定というのは、時間外、休日、深夜の割増賃金を定めた規定です。

 これらの規定により、残業代の未払いがある場合、労働者は、使用者に対し、訴えを提起することにより、未払の残業代と同額の金銭を付加金として支払うよう請求することができます。

 ただ、これは「裁判所は・・・命ずることができる」とするルールであり、労働者が権利として当然に残業代と同額の金銭を請求できることを意味するわけではありません。請求したとしても、付加金の請求までは認められないこともありますし、同額の支払まで命じるのは使用者に酷であるとして何割かが減じられることもあります。

 では、裁判所は、付加金の支払を命じるか否か、命じるとしてどの程度の割合にするのかをどのように決めているのでしょうか。

 この点は、実際のところ、あまり良く分かっていません。

 付加金の支払を命じるにあたり、

「控訴人(使用者 括弧内筆者)の労働基準法違反の程度、態様、控訴人の不利益の性質・内容等諸般の事情を考慮」

すると述べた高裁判例はありますが(東京高裁平21.9.15労働判例991-153ニュース証券事件)、この程度の判示では色々なことを考慮するという以上の意味を読みとることは困難です。

 このように依拠すべきルールが雑然としている場合、何が考慮要素となるのかというよりも、何が考慮要素にならないのかといった観点から分析を加えていくことが、裁判所の考えを知るうえで有効なアプローチ方法になることがあります。

 近時公刊された判例集に、付加金を命じるにあたっての考慮要素について、目を引く判断をしている裁判例が掲載されていました。

 福岡高裁令元.6.27労働判例1212-5大島産業(第2)事件です。

2.大島産業(第2)事件

 ごく単純に言うと、本件はトラック運転手の方2名(原告甲野、原告乙山)が残業代を請求した事件です。幾つかの重要な論点がありますが、その中の一つが付加金支払の要否です。

 比較的賃金が高めであったこともあり、一審は、

原告甲野については、残業代1696万8779円、付加金1135万4561円の請求を、

原告乙山については、残業代1135万4561円、付加金872万3800円の請求を、

認めました。

 これに対し、被告会社は控訴し、

「控訴人は、一般的な大型トラック運送業者と比較して、相当高額な賃金を支給しており、利益を不当に搾取していたわけではない」

ことなどを指摘し、一審が支払いを命じた付加金の額は高額にすぎると主張しました。

 しかし、高裁は、次のように述べて、賃金が高額であることは付加金支払を不相当とする事情にはならないと判示し、一審の判断を維持しました。

(裁判所の判断)

控訴人の賃金が相当高額であることなど、控訴人の主張する・・・事情は、いずれも付加金の支払を命ずることを不相当とする事情であるということはできず、上記判断を左右するものではない。」

3.賃金が高いからといって、付加金の請求に消極的になることはない

 「諸般の事情」が考慮要素となる関係から、使用者側からは、付加金の支払を免れるため、それこそ何でもかんでも思いつく限りの事情が主張されることがあります。

 今回ご紹介した裁判例は、労働者側の賃金が高いのだから付加金の支払まで命じるのは酷ではないかという主張に反駁する論拠となるものです。

 計算の元になる賃金が比較的高額である場合、その金額規模から「本当にこんなに請求してよいのだろうか。」と付加金を請求することに及び腰になられる方も散見されます。

 しかし、法律で認められている仕組みなので、付加金を請求するにあたり、特に躊躇する必要はありません。むしろ、賃金が高額であることは、残業代を払わない理由になるわけでもなければ、付加金の支払を免れる理由にもならない、と開き直るくらいの心持ちでいてもよいのではないかと思います。

 

行政措置要求の対象行為

1.行政措置要求

 行政措置要求という仕組みがあります。

 これは国家公務員法86条の、

「職員は、俸給、給料その他あらゆる勤務条件に関し、人事院に対して、人事院若しくは内閣総理大臣又はその職員の所轄庁の長により、適当な行政上の措置が行われることを要求することができる。」

という規定を根拠とするものです。

 行政措置要求の対象は広く、

1.給与、勤務時間、休憩時間、週休日、休日、休暇等に関する事項
2.昇任、転任、昇格、休職等の基準に関する事項
3.保健、安全保持等に関する事項
4.勤務環境に関する事項
5.その他上記1~4に掲げるもの以外の勤務条件に関する事項

といったものが対象になります。

 「係長へ昇任させてほしい」「○級へ昇格させてほしい」といった個別の人事上の措置を求めるものは原則として対象になりませんが、これらの事項であったとしても、具体的事実を示して、平等取扱いの原則(国家公務員法27条)、人事管理の原則(国家公務員法27条の2)に抵触する取扱いがあることを指摘すれば、適法な措置要求として受理されることがあります。

https://www.jinji.go.jp/kouheisinsa/gyouseisoti/gyouseisoti.html

 また、勤務環境に関する事項として、「ハラスメントをやめさせてほしい」という要求も可能とされています。

https://www.jinji.go.jp/kenkyukai/pawahara-kentoukai/pawahara-kentoukai.html

https://www.jinji.go.jp/kenkyukai/pawahara-kentoukai/pawahara4shiryou.pdf

 要するに、行政措置要求がカバーする領域はかなり広く、国家公務員の労働問題においてかなり大きな可能性を持っている仕組みだと思っています。

 しかし、行政措置要求の利用実績は極めて低調です。

 人事院のホームページによると、平成22年度から平成26年度の5年間に人事院が判断を行った行政措置要求に係るものは、認容例2件、棄却例5件の7件だけです。単純計算すると、年間1件強程度の決定しかなされていないことになります。

https://www.jinji.go.jp/kouheisinsa/index.html

 人事院のデータベースによると、平成30年度、人事院には1443件もの相談が寄せられ、そのうちセクハラは54件、パワハラ366件、いじめ・嫌がらせ121件となっています。

https://www.jinji.go.jp/hakusho/h30/1-2-01-3.html

 苦情申出の段階で一定数が解決されているであろうことを考慮しても、行政措置要求の利用は活発とは言い難いように思われます。

 利用が低調であることから研究しようにも実体が分からず、実体が分からないからますます利用が促進されない、そういった悪循環が生じているように思われます。

 そうした状況下において、近時の公刊物に、行政措置要求がの取消訴訟に関する裁判例が掲載されていました。

 東京地裁平30.3.16労働判例1212-80国・人事院(文科省職員)事件です。

2.国・人事院(文科省)事件

(1)事案の概要

 本件は、大雑把に言うと、文部科学省に勤務している方が原告となって、昇格の差別取扱いの是正を求めて行政措置要求をしたところ棄却判定されたため、その取消を求めて出訴したという事件です。

 結論として、人事院の判定に裁量の逸脱・濫用はないとして、原告の請求は棄却されているのですが、幾つか気になった点があります。

(2)昇格据置きに関する差別的取扱いが行政措置要求の対象になったこと

 判決では次の事実が認定されています。

「原告は、平成25年7月9日付けで、人事院に対し、国公法86条に基づき、平成11年4月1日から平成22年3月31日までの間、文科省外への出向によって人事評価ができなかったことから給与の級の格付が据え置かれているなどと主張して、昇給据置きに関する差別的扱いの是正を要求した(以下「本件措置要求」という。)」

「人事院は、平成27年12月9日付けで、原告に対して平等取扱原則に抵触する違法な昇格差別が行われているとは認められないとして、本件措置要求を認めない旨判定し(以下「本件判定」という。)、その判定書は、平成28年1月5日、原告に到達した。」

 人事院のホームページから、平等原則違反を理由とする昇進、昇給が、行政措置要求の対象として受理される「場合があります」とされていることは知識として持っていましたが、上記裁判例の事実認定は、実際に受理された例があることを示しています。

 これは昇進、昇給差別の問題で悩んでいる方に、国賠以外の選択肢を提供するものとして意義のあることだと思います。

(3)裁量の逸脱・濫用がないかがそれなりに丁寧に認定されていること

 本件判定に裁量の逸脱・濫用がないかは存外丁寧に認定されています。

 例えば、「B大学からの復帰時の昇格差別の有無について」という論点について、次のような判示がなされています。

「文科省大臣官房人事課長作成の回答書・・・及び元□□大学理事I(以下「I元理事」という。)作成の報告書・・・中には、文科省は、□□大学人事当局との人事ヒアリング等を通じて、□□大学に出向していた原告の勤務状況について把握していたところ、I元理事は、平成17年3月18日、文科省大臣官房人事課に対し、①経済学部長の原告に対する評価は良くなく、できるだけ早く学外に異動させてほしいとの要請があること、②同学部長からは、後任にはもっと専門性のある人又は中枢に帰るような人を送ってほしいとの要請を受けていることを伝え、文科省は、上記の勤務状況等も考慮した上で、平成17年8月1日、出向から復帰した原告に対し、その職務の級を旧行(一)9級と決定したとの記載部分がある。」
「上記各証拠中の各記載部分は、原告の□□大学在勤中の評価等につき、その内容においておおむね符合しており、相互に矛盾する不合理な点は認められない。また、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、I元理事は、原告の授業につき学生の評判は良いと評価するなど、原告との関係に特段の問題はなかったことが認められ、その他、I元理事が原告に関して殊更虚偽の事実を述べる動機があったとの事情をうかがわせる客観的な証拠はないし、文科省がI元理事に対して原告の利益になることは供述しないよう働きかけたとの事実を認めるに足りる的確な証拠はない。」
「また、H学部長は、原告が所属していた□□大学経済学部の長という立場にあったことに照らせば、H学部長が原告について評価権限を有していなかったことのみによって、H学部長が原告の勤務状況を把握していなかったとまで断じることはできない。さらに、H学部長が、過去に懲戒処分を受けたことがあったとしても、あるいは、H学部長が教授会で原告のことを指して『あいつは駄目だ』という趣旨の発言をしたことや、原告が□□大学経済学部長選挙の際にH学部長への投票依頼を断ったり、同学部長と同派閥の教員が雇用しているアルバイト従業員の賃金の一部負担を断ったりしたことがあったとしても、そして、原告の授業は学生からの評判が良いものであったとしても、これらをもって同学部長が原告に対し悪感情を抱いていたとか、殊更原告を誹謗中傷したとの事実を直ちに認めることはできない。」

 上記は出向先に殊更原告の評価を下げるような動機・背景の有無に関する判示部分ですが、随分細かな事実まで拾い上げていることが分かります。この種の事件では、行政に裁量の逸脱・濫用があるといえるような例外的な事情でも認められない限り、行政の決定が覆ることはありませんが、だからといって認定をラフに行うことなく、裁判所は一つ一つの論点で比較的丁寧に事実を拾っていっているように思われます。裁判所のこうした指定は、行政措置要求の後に裁判をするうえで、当事者の励みになるように思われます。

3.行政措置要求をご検討の方へ

 民間と同様、公務員でも、昇進・昇格やハラスメントの問題など、働くことに付随する悩みを抱えている方は、少なくないはずです。

 職場を訴えるのは気が引けるものの、何等かの改善を求めて行きたい、そういったお気持ちの方は、行政措置要求という仕組みの利用を検討してみても良いのではないかと思います。また、手続をとるにあたり代理人に心当たりがない場合、当職でよろしければ、ご相談に乗らせて頂くことも可能です。

 

新卒採用の試用期間と中途採用の試用期間、きちんと区別して議論した方がいい

1.試用期間に関する議論-新卒採用と中途採用とは区別した方がいい

 ネット上の記事では、試用期間中の解雇権(留保解約権)の行使について、新卒採用者を解雇するケースと、中途採用者を解雇するケースとを一色単に議論しているものが散見されます。

 しかし、このような大雑把な議論はあまり有益な情報とはいえないと思います。むしろ、新卒採用者と中途採用者では裁判例の状況が異なるのに、これを同じ試用期間という枠組みで説明するのは、一般の方に対して、誤解を招く危険があるのではないかと思います。

2.試用期間での解雇-解約留保権の趣旨、目的の認定が先行する

 試用期間中の解雇の可否を議論するにあたり、しばしば紹介されるのが最大判昭48.12.12労働判例189-16三菱樹脂本採用拒否上告事件です。

 三菱樹脂事件は本採用拒否が許される場合について、

「本採用、すなわち当該企業との雇傭関係の継続についての期待の下に、他企業への就職の機会と可能性を放棄したものであることに思いを致すときは、前記留保解約権の行使は、上述した解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的に合理的な理由が存し社会通念上相当として是認されうる場合にのみ許されるものと解するのが相当である。換言すれば、企業者が、採用決定後における調査の結果により、または試用中の勤務状態等により、当初知ることができず、また知ることが期待できないような事実を知るに至つた場合において、そのような事実に照らしその者を引き続き当該企業に雇傭しておくのが適当でないと判断することが、上記解約権留保の趣旨、目的に徴して、客観的に相当であると認められる場合には、さきに留保した解約権を行使することができるが、その程度に至らない場合には、これを行使することはできないと解すべきである。」

と判示しています。

 要するに、ある事由が試用期間中の解雇事由として客観的合理性・社会通念上の相当性を有していると認められるかを判断するにあたっては、解約留保権の趣旨、目的の認定が先行する関係にあります。

 新規卒業者と中途採用者とでは、解約留保権の趣旨・目的が異なることが多く、試用期間中の解雇の可否を同列に議論することはできません。

3.解約留保権の趣旨

 三菱樹脂事件では新卒採用者の留保解約権の趣旨について、

「大学卒業者の新規採用にあたり、採否決定の当初においては、その者の資質、性格、能力その他上告人のいわゆる管理職要員としての適格性の有無に関連する事項について必要な調査を行ない、適切な判定資料を十分に蒐集することができないため、後日における調査や観察に基づく最終的決定を留保する趣旨でされるものと解される」

と理解しています。

 三菱樹脂事件で示されている下位規範や当てはめは、留保解約権の趣旨が上述のように理解されることを前提としたものであるため、試用期間で解雇された中途採用者から法律相談を受けた時に、これと同じような感覚で回答をすると、判断を誤る可能性があります。

 留保解約権の趣旨の理解の仕方によっては、解雇は比較的緩やかに認められることもあります。

 近時の公刊物に掲載されている裁判例、東京地判平31.2.25労働判例1212-69 ゴールドマン・サックス・ジャパン・ホールディングス事件も、このことを裏付けています。

4.ゴールドマン・サックス・ジャパン・ホールディングス事件

 この事件は試用期間の満了に伴い解雇された労働者が、解雇は客観的合理的理由、社会通念上の相当性を欠く無効なものであるとして、勤務先に対して地位確認等を求める訴えを起こした事件です。

 解雇権・留保解約権の行使が許容されるかどうかが主要な争点となりました。

 裁判所は解雇権・留保解約権行使の許否について、次のような規範を示したうえ、解雇権・留保解約権の行使は適法・有効だと判示しました。

(裁判所の判断)

「原告は、いわゆる大学新卒者の新規採用当とは異なり、その職務経験歴等を生かした業務の遂行が期待され、被告の求める人材の要件を満たす経験者として、いわば即戦力として採用されたものと認めるのが相当であり、かつ、原告もその採用の趣旨を理解していたものというべきである。」

(中略)

「その解約権の行使の効力を考えるに当たっては、上記のような原告に係る採用の趣旨を前提とした上で、当該観察等によって被告が知悉した事実に照らして原告を引き続き雇用しておくことが適当でないと判断することがこの最終決定権の留保の趣旨に徴して客観的に合理的理由を欠くものかどうか、社会通念上相当であると認められないものかどうかを検討すべきことになる。」

(中略)

「原告に対する指導の中では『いくらか改善がみられる』旨が言及されたこと等の事情があったとしても、原告を引き続き雇用しておくことが適当でないとの被告の判断が客観的に合理的(原文ママ)を欠くものであるとか、社会通念上相当なものであると認められないものであるとは、解し難い」

「したがって、本件主位的解雇は、権利の濫用に当たるとはいうことはできず、有効なものというべきである。」

5.中途採用者についての試用期間での解雇の可否は見通しを立てるのが難しい

 新規卒業者に試用期間を設ける趣旨はある程度共通しており、一定の裁判例の集積があるため、結論をある程度予測することが可能です。

 しかし、中途採用者の試用期間がどのような趣旨で設けられているのかは、各企業により考え方にバラつきがみられます。未経験者可で中途採用をかけることもあれば、即戦力を念頭に中途採用をすることもあります。配転を予定した職種で募集をかけることもあれば、特定の専門的な業務を任せるために採用をすることもあります。趣旨が様々である中で、試用期間中の可否について的確な見通しを立てることは必ずしも容易ではありません。留保解約権の趣旨によっては、改善が見られたとしても、解雇が有効と判断されることもあります。

 中途採用されたものの試用期間で解雇されてしまった方が、その効力を争えるかどうかを知りたい場合、自己判断には限界があるため、弁護士に相談してみることをお勧めします。