弁護士 師子角允彬のブログ

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親族関係が絡む解雇事件の注意点-「仕事をやらなくていい」「出勤しなくていい」「仕事を引き継いでくれ」が解雇の意思表示ではないとされた例

1.「仕事をやらなくていい」「仕事を引き継いでくれ」

 使用者から労働契約の終了が告げられる時、はっきりと「解雇する」とは言われないことがあります。このブログでも以前取り上げましたが、「明日から来なくてもいい」といったような言動がその典型です。 

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 話の脈絡や事後の事実経過にもよるものの、こうした言動が裁判所で解雇の意思表示に該当すると認定されることは十分に考えられます。

 しかし、近時公刊された判例集に、「仕事をやらなくていい」「出勤しなくていい」「仕事を引き継いでくれ」といった言動が解雇の意思表示にあたらないと判示された裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令5.7.19労働判例ジャーナル144-44 未払賃金等支払事件です。

2.東京地判令5.7.19労働判例ジャーナル144-44 未払賃金等支払事件

 本件で被告になったのは、歯科医院を経営する歯科医師です。

 原告になったのは、被告の妻で、被告の経営する歯科医院で従業員(歯科衛生士)として勤務していた方です。

 令和3年10月30日に口論となり、その後、原告は被告との同居を解消し、雇用契約上に基づく労務の提供を行わなくなりました。

 原告の方は令和3年10月30日の口論で解雇されたと主張して、働けなくなったのは被告の責任であるとして、未払賃金(バックペイ)を請求しました。

 これに対し、被告は、そもそも原告を解雇していないし、別居後一貫して復職を求め続けているのに原告が復職を拒んでいるにすぎないと主張し、原告の請求を争いました。

 裁判所は、被告の言動についての事実認定を行ったうえ、

「被告は・・・原告が被告において就労できない状態を生じさせているといえる。」

と判示しながらも、次のとおり述べて、被告の言動を解雇の意思表示とは認定しませんでした。

(裁判所の判断)

「原告及び被告は、令和2年4月ころに雇用契約(以下『本件雇用契約』という。)を締結し、原告は、同契約に基づき、インスタグラムのアカウントを作成するなどして、SNSによる集客業務を行った・・・。」

「また、原告は、土曜日・日曜日に歯科医院で歯科衛生士としての業務を行ったことがあるものの・・・、原告は、本件雇用契約に基づく業務はSNSによる集客業務のみであり、歯科衛生士としての業務は、原告が被告と交際関係又は婚姻関係にあったことから善意により無給で行ったものであると考えていたのに対し・・・、被告は、本件雇用契約に基づく業務にはSNSによる集客業務と歯科衛生士としての業務の両方が含まれると考えていた・・・。」

原告及び被告は、令和3年10月30日の夜に口論となり、その際、原告は、被告に対し、土曜日・日曜日に歯科衛生士として勤務することへの不満を述べたところ、被告は、原告に対し、〔1〕仕事に出なくてよい旨を伝えるとともに、〔2〕SNS業務についても他の者に引き継ぐよう伝えた。・・・

「被告は、他の歯科衛生士に相談し原告が土日に歯科医院に出勤する必要がないように調整した後、令和3年10月31日午前2時頃、原告に対し、『土日はみんなで交代で出ることなったから大丈夫です。今まで嫌な仕事させてごめんなさい。』とのメッセージを送信した。被告は、同日の昼過ぎには、歯科医院のグループラインに、原告が勤務予定であった土日について他の従業員が出勤する旨のメッセージを送信した・・・。また、被告は歯科医院内のアポイントを管理するシステムについて、原告をログインできなくしたうえで、歯科医院のグループラインから退出させた・・・。」

「被告は、令和3年10月30日以降、継続的に、原告に対し、原告のみが知っていたインスタグラム(被告の歯科医院ではインスタグラムを用いて患者との連絡を行っており、被告は患者と連絡が取れないと業務を行う上で重大な支障が生じると考えた。)のIDとパスワードを開示するように求めたものの、原告はこれを拒否した・・・。原告は、令和3年11月25日頃、代理人を通じて、当該IDとパスワードを開示した・・・。」

「原告は、被告と口論した直後から自身の荷物をまとめ、令和3年11月1日又は2日に鹿児島の実家に引っ越した・・・。被告は、親せきの家から帰った同月3日には原告が引っ越したことに気づき・・・、その直後に、原告に対し、『馬鹿なことしないで帰ってきて。』『頼むから帰ってこい』とのメッセージを送ったのに対し、原告は『帰る気は無いです。もう今更戻る気は無いです』『もういいです。取り返しつかなくたって。今更どうにもならん。』とのメッセージを送った・・・。」

(中略)

原告は、被告が令和3年10月30日に原告を解雇した旨主張し、その根拠として、〔1〕被告は、同日に原告に対し、歯科医院に『出なくていい、仕事やらなくていい、出勤しなくていいから、姉や姪に仕事を引き継いでくれ」と発言した(以下「原告主張の発言1』という。)、〔2〕被告は、同月31日、原告に対し、改めてクビであることを宣告し、活動を辞めるように述べた(以下『原告主張の発言2』という。)などと主張するほか、上記・・・記載の事実を根拠として主張する。

しかしながら、本件においては解雇通知書のように被告による解雇の意思表示が記載された書面は作成されておらず、また本件口論の際の被告の発言は上記1(2)(傍線部参照 括弧内筆者)のとおりであり、このような事実関係からは、解雇の意思表示がされたとは認められない。また被告が仮に原告主張の発言1のとおり発言したとしても、これは原告と被告との間の口論の際に発せられたものであり、確定的に原告と被告との間の雇用関係を一方的に解約する旨の意思表示がされたとは評価できないというべきである。さらに、原告主張の発言2については、被告はこれを否定しており・・・、他にこれを裏付ける証拠がない以上は、このような発言がされたとは認められない。

「それ以外の事実について検討すると、被告は、上記・・・のとおり、令和3年10月31日以降は、原告が歯科医院に出勤して歯科衛生士としての業務を行わないようにし、またSNSによる集客業務についても、原告に対してIDとパスワードを引き継ぐように求めているところ、これらの言動は、今後、本件雇用契約に基づいて原告が労務を提供しないことが前提となっている言動ではあるとは評価できる。しかしながら、〔1〕このような言動の発端となった令和3年10月30日の口論の際には、原告は土日に歯科衛生士として勤務をしたくない旨を表明しており、少なくとも歯科医院に勤務をしないことについては、原告の希望に沿うものであること、〔2〕原告及び被告は夫婦であるから、雇用契約の厳格な履行を求めることなく、一時的に就労を求めないことがありうる関係であり、仮に夫婦関係の悪化から一時的に就労を求めないことがあったとしても、ただちに一方的に労働関係を解約する確定的な意思表示がされたと解することはできないことからすると、上記の事実関係は、当分の間、原告が被告において就労できない状態を生じさせる言動ではあるものの、それ以上に、被告が原告を解雇する旨の意思表示をしたとまでは評価できないというべきである。」

3.就労できない状態を生じさせたとは認められたが・・・

 冒頭で述べたとおり、裁判所は上記の判示に続けて、

「被告は・・・原告が被告において就労できない状態を生じさせているといえる」

と判示しています。

 こうなると、原告に就労意思がある限り、不就労期間の賃金請求が認められるため、被告の言動が解雇であるのか否かは、それほど本質的な問題であるわけではありません(ただし、本件では原告が就労意思を喪失していたとして、不就労期間の賃金請求は棄却されています)。

 しかし、発言に加え、グループラインから退出させるなどの諸々の措置をとりながら、なお解雇の意思表示と認定されなかったことは、随分厳しい判断であるように思われます。

 こうした判断がなされた背景には、夫婦間の口論の最中での言動であったことが影響しているように思います。親族関係が背景にある労働事件の処理にあたっては、こうした特徴的な事実認定を受ける可能性があることも、意識しておいた方が良さそうです。