弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

労働安全衛生法上の労働者死傷病報告をしていなかったことが不法行為に該当するとされた例

1.労働者私傷病報告書

 労働安全衛生規則97条は、

1項で、

「事業者は、労働者が労働災害その他就業中又は事業場内若しくはその附属建設物内における負傷、窒息又は急性中毒により死亡し、又は休業したときは、遅滞なく、様式第二十三号による報告書を所轄労働基準監督署長に提出しなければならない」と、

2項で、

「前項の場合において、休業の日数が四日に満たないときは、事業者は、同項の規定にかかわらず、一月から三月まで、四月から六月まで、七月から九月まで及び十月から十二月までの期間における当該事実について、様式第二十四号による報告書をそれぞれの期間における最後の月の翌月末日までに、所轄労働基準監督署長に提出しなければならない」と規定しています。

 これを労働者私傷病報告書といいます。

 この労働者私傷病報告書について、近時公刊された判例集に、労働基準監督署の指摘を受けるまで故意に提出していなかったことが不法行為に該当するとされた裁判例が掲載されていました。名古屋高判令5.8.3労働案例ジャーナル141-24 東海交通機械事件です。

2.東海交通機械事件

 本件は、被控訴人会社の従業員であった控訴人が、同じく被告訴人会社の従業員であった被控訴人Bから暴行や暴言などのパワハラを受け、傷害や精神疾患(適応障害・パニック障害)を発症したなどと主張して、控訴人会社及び被控訴人Bに損害賠償を請求した事件です。一審において、請求すること自体は認められたものの、大部分の請求が棄却されてしまったため、原告側が控訴したのが本件です。

 本件に特徴的なのは、控訴人側が控訴審において主張を追加したことです。控訴人は、

「被控訴人会社は、事業所内の事故の全てについて労働者死傷病報告の義務があるところ、本件傷害事件により控訴人が受傷した件(以下「本件受傷」という。)について、それが明らかに労働災害であるにもかかわらず、控訴人に彦根労働基準監督署への労働災害の届出をさせず、労働安全衛生法上必要な労働者死傷病報告もしていなかった(以下『本件労災隠し』という。)。」

「しかも、被控訴人会社は、彦根労働基準監督署の指摘を受けて、令和2年4月15日になってようやく本件受傷に関する労働者死傷病報告書を提出したが、同報告書には、報告が遅れた理由に関し、『会社休日が重なり、年次有給休暇の請求を受けていたため』などと、あたかも受傷をした控訴人の側に非があるかのような虚偽の説明をしている。また、報告書の内容も、本訴訟における被控訴人Bの主張そのままであり、控訴人に本件受傷について落ち度があるかのような記載をし、逆に被控訴人Bには軽過失しかないかのような記載をしている。」

「本件傷害事件は労働災害であったのだから、控訴人は、本件受傷の治療のために年次有給休暇を取得する必要はなく、被控訴人会社の休業補償を受けて欠勤すべきものであった。しかし、D所長らは、控訴人に指示をして年次有給休暇を取得させ、平成29年1月中旬頃には、D所長は、診断書を持参した控訴人に対し、『こういうことをすると会社にいられなくなりますよ。』などと申し向けている(原判決別紙28の内容参照)。」

「このような本件労災隠しは、明らかに故意で行われたものであり、前記のとおり、彦根労働基準監督署被控訴人会社は、本件受傷について、彦根労働基準監督署からの指導を受けて、令和2年4月15日になってから、彦根労働基準監督署長宛てに労働者死傷病報告書を提出しており、その報告書の『災害発生状況及び原因』欄に、日頃の助言、注意、指導に対して控訴人の意識、姿勢、態度が一向に改まらないことについて、被控訴人Bが指導している最中、控訴人の否定的な言動を受けた被控訴人Bが一時的に昂り、控訴人の左頬付近に平手打ちを意図したものの、控訴人がこれを避けようと顔をそらせたため、結果として控訴人の左耳付近に被控訴人Bの右平手が接触してしまった旨記載したこと、同報告書の提出が遅れた理由について、彦根労働基準監督署長に対しては、本件傷害事件及び本件受傷は、社員同士による私的レベルでの口論(衝突)によるものと理解していたため、また、控訴人の療養に服した日が会社の休日と重なった上、控訴人から年次有給休暇の請求を受けていたため、労働者死傷病報告の提出事象であるとの認識がなかった旨説明し、同署の担当者に対しても、事業所内において労働者が負傷したときは粛々と労働災害として事務手続を進め、労働災害に該当するか否かは労働基準監督署の判断に委ねるべきことを知らなかった旨説明したことが認められる。」

「・・・認定事実・・・によれば、被控訴人会社は、遅くとも平成29年1月4日には本件傷害事件及び本件受傷がE営業所内で就業時間内に起きたことを認識していたものと認められ、前提事実・・・からうかがわれる被控訴人会社の規模からすると、被控訴人会社においては組織的な労務管理体制が相応に整えられているものと認められる。そのような体制下にある被控訴人会社が、労働基準監督署からの指導を受けるまで本件傷害事件及び本件受傷に係る労働者死傷病報告書を提出しなかったことは、あまりにも不自然であるし、同報告書の提出が遅れた理由についての説明内容も、不自然不合理なものといわざるを得ない。加えて、被控訴人会社が同報告書に記載した本件傷害事件の経緯や内容は、本訴訟における被控訴人Bの主張内容にほぼ沿うものであり、被控訴人Bの主張と大きく異なる控訴人の主張が全く反映されていないことも不自然であるというべきである。」

「これらの事情に照らすと、被控訴人会社は、労働基準監督署の指摘を受けるまで、故意に本件傷害事件及び本件受傷に係る労働者死傷病報告書を提出しなかったと認めるのが相当であり、この認定に反する被控訴人会社の主張は採用できない(なお、上記のとおり、被控訴人会社が労働者死傷病報告書に記載した本件傷害事件の経緯や内容には、被控訴人Bの主張と大きく異なる控訴人の主張が全く反映されていないことが認められるものの、このことをもって被控訴人会社が故意に虚偽の内容を記載した労働者死傷病報告書を提出したとまでは認め難い。)。」

「こうした被控訴人会社の行為は、控訴人が適切な時期に適切な内容の労災給付を受ける権利や控訴人の人格的利益を侵害する違法なものであり、被控訴人会社は、これにより控訴人が被った損害を賠償すべきである。への報告内容が被控訴人Bの主張のみを採用していることからしても、控訴人を害する意図を含んで行われたことは明らかであるし、仮に故意でなかったとしても、被控訴人会社が労働災害の届出をしなかったことに重過失があることは明らかである。」

と述べ、労働者私傷病報告の懈怠が不法行為に該当すると主張しました。

こうした控訴人の問題提起に対し、裁判所は、次のとおり述べて、労働者私傷病報告の欠缺の不法行為該当性を認めました。

(裁判所の判断)

「被控訴人会社は、本件受傷について、彦根労働基準監督署からの指導を受けて、令和2年4月15日になってから、彦根労働基準監督署長宛てに労働者死傷病報告書を提出しており、その報告書の「災害発生状況及び原因」欄に、日頃の助言、注意、指導に対して控訴人の意識、姿勢、態度が一向に改まらないことについて、被控訴人Bが指導している最中、控訴人の否定的な言動を受けた被控訴人Bが一時的に昂り、控訴人の左頬付近に平手打ちを意図したものの、控訴人がこれを避けようと顔をそらせたため、結果として控訴人の左耳付近に被控訴人Bの右平手が接触してしまった旨記載したこと、同報告書の提出が遅れた理由について、彦根労働基準監督署長に対しては、本件傷害事件及び本件受傷は、社員同士による私的レベルでの口論(衝突)によるものと理解していたため、また、控訴人の療養に服した日が会社の休日と重なった上、控訴人から年次有給休暇の請求を受けていたため、労働者死傷病報告の提出事象であるとの認識がなかった旨説明し、同署の担当者に対しても、事業所内において労働者が負傷したときは粛々と労働災害として事務手続を進め、労働災害に該当するか否かは労働基準監督署の判断に委ねるべきことを知らなかった旨説明したことが認められる。」

「・・・認定事実・・・によれば、被控訴人会社は、遅くとも平成29年1月4日には本件傷害事件及び本件受傷がE営業所内で就業時間内に起きたことを認識していたものと認められ、前提事実・・・からうかがわれる被控訴人会社の規模からすると、被控訴人会社においては組織的な労務管理体制が相応に整えられているものと認められる。そのような体制下にある被控訴人会社が、労働基準監督署からの指導を受けるまで本件傷害事件及び本件受傷に係る労働者死傷病報告書を提出しなかったことは、あまりにも不自然であるし、同報告書の提出が遅れた理由についての説明内容も、不自然不合理なものといわざるを得ない。加えて、被控訴人会社が同報告書に記載した本件傷害事件の経緯や内容は、本訴訟における被控訴人Bの主張内容にほぼ沿うものであり、被控訴人Bの主張と大きく異なる控訴人の主張が全く反映されていないことも不自然であるというべきである。」

「これらの事情に照らすと、被控訴人会社は、労働基準監督署の指摘を受けるまで、故意に本件傷害事件及び本件受傷に係る労働者死傷病報告書を提出しなかったと認めるのが相当であり、この認定に反する被控訴人会社の主張は採用できない(なお、上記のとおり、被控訴人会社が労働者死傷病報告書に記載した本件傷害事件の経緯や内容には、被控訴人Bの主張と大きく異なる控訴人の主張が全く反映されていないことが認められるものの、このことをもって被控訴人会社が故意に虚偽の内容を記載した労働者死傷病報告書を提出したとまでは認め難い。)。」

「こうした被控訴人会社の行為は、控訴人が適切な時期に適切な内容の労災給付を受ける権利や控訴人の人格的利益を侵害する違法なものであり、被控訴人会社は、これにより控訴人が被った損害を賠償すべきである。」

3.報告義務の懈怠が労働者との関係でも違法になるとされた

 労働者私傷病報告の提出は国に対する義務であるため、それに違反したからといって当然に不法行為が成立するというものではありません。

 しかし、本件の裁判所は、労働者私傷病報告書の不提出に不法行為該当性を認めました。損害は、慰謝料10万円、弁護士費用1万円の限度と少額にとどまっていますが、労災隠しへの対抗措置として実務上参考になります。