弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

体調不良を抱えた労働者が労務提供の意思表示をする時の留意点

1.労務提供の意思表示

 退職勧奨や解雇、ハラスメント、配転など、心理的な負荷のかかる出来事に直面した時、体調を崩してしまう方は少なくありません。

 こうした方が、勤務先からの就業命令を体調不良を理由に拒否した場合、労働契約の本旨に従った労務提供がないとして、賃金の支払を停止される例が多くみられます。

 体調不良ではあっても、休職して傷病手当金を受給するまでもないとして、この状態を解消しようとした場合、労働者としては、改めて労務提供の意思があることを、勤務先に対して表示する必要があります。

 その方法としては、代理人弁護士名で内容証明郵便を送付するなど、言葉で労務提供の意思があることを伝える方法が一般的です。しかし、事案によっては、それだけでは不十分で、医学的な根拠資料を添付しなければならない場合があります。近時公刊された判例集に掲載されている、東京地判令3.3.30労働判例ジャーナル114-50 医療法人社団偕行会事件も、そうした事案の一つです。

2.医療法人社団偕行会事件

 本件で被告になったのは、病院、診療所、介護老人保健施設を経営する医療法人社団です。

 原告になったのは、平成24年4月1日に被告との間で期間の定めのない雇用契約を締結し、平成26年4月1日以降、被告の従業員兼理事として勤務していた方です。

 被告は、平成28年9月14日、原告に自宅待機を命じました。そして、その2日後の同年9月16日、被告の臨時社員総会は「関連会社等を利用した背任及び横領の疑い」などを理由として、原告を理事から解任する決議を行いました。同日のうちに、被告は、原告に対し、知事及び総務部長職から解任し、介護職への出向を命じる通知を発出しました。

 原告は平成28年9月14日以降、被告での就労を行いませんでした。被告は、同年11月11日までは原告が有給休暇を取得したものとして取扱ったものの、同日付けで、懲戒解雇事由の調査及び審議が終了するまでの間、証拠隠滅のおそれがあることなどを理由に、就労を拒否することを原告に通知しました。

 原告は、突然理事の解任をされたことによる強いストレスを受けて持病の糖尿病が極端に悪化したとして、同年10月19日までは入院していたものの、

同年10月26日には労務提供が可能な程度まで体調が回復していたこと、

同年11月1日以降就労していないことは被告の責めに帰すべき事由によること、

平成29年4月6日ころ、被告に対して退職を希望することを申し入れたものの、その後、平成29年8月4日ころには、就業拒否が解除されれば出勤することなどが記載されている書面を送付していること、

などを指摘したうえ、平成28年11月1日以降の賃金の支払等を求める訴えを提起しました。

 本件では、被告が同日以降の賃金の支払義務を負うのかが争点になりましたが、裁判所は、次のとおり述べて、これを否定しました。

(裁判所の判断)

「仮に本件出向命令及び本件就業拒否が無効であり理由のない労務の受領拒絶であるといえるとしても、原告が平成28年11月1日以降就労しなかったことが上記の労務の受領拒絶によるものであるというためには、原告に就労の意思及び能力があったことが必要である。」

「原告は、遅くとも本件出向命令を受けた平成28年9月16日の時点で糖尿病の悪化により就労が困難であったことがうかがわれるが・・・、同年10月31日に被告に対して未だ体調が回復していない旨伝え、平成29年4月6日頃には退職を希望し・・・、その後も体調が回復した旨の連絡をすることもなかった・・・のである。それに加え、原告は、平成28年11月頃には、被告に関する醜聞を創作し、現にマスコミにリークすることまでしている・・・のである。原告は同年9月16日以降就労の意思及び能力があったと認められない。」

「これに対し、原告は、当時の代理人弁護士を通じて平成29年8月4日頃に被告に対して就業拒否が解除されれば出勤する旨など記載された書面を送付し、同月18日には賃金の支払等を求めて本件訴訟を提起したが・・・、前記のとおり原告はそれまで約11か月にわたって体調不良を理由として就労の意思を示さず、同年8月4日頃に送付した書面には原告の体調に関しては言及されていなかったこと・・・に照らすと、同書面の送付及び本件訴訟の提起の事実のみから直ちに原告に就労の意思及び能力があったと認めることはできない。また、原告は、持病の糖尿病の症状が悪化して平成28年9月29日から同年10月19日まで入院したが、遅くとも同月26日には就労可能な状態にあり、被告に対してその状況を連絡した旨主張するが、これらの事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

「したがって、平成28年9月16日以降、原告に就労の意思及び能力があったとは認められず、原告が同年11月1日以降就労していないことが被告の受領拒絶によるものであると認めることはできない。」

3.代理人弁護士名で労務提供の意思表示をしてからもダメとされた

 本件の特徴は、代理人弁護士名で労務提供の意思表示を行って以降の賃金請求も、就労の意思及び能力が認められないとして、賃金請求が認められなかったことにあります。

 通常、労働者側の代理人弁護士が、労働者を代理して、使用者側に労務提供の意思表示を行う場合、就労することが可能な健康状態にあるのか・使用者側から就労を命じられた時に稼働する意思があるのかを確認したうえで通知を発送します。そうした実務的な流れには一定程度信頼が置かれてもいいのではないかという感はありますが、裁判所は体調に関する言及のない言葉だけでは不十分だと判断しました。

 こうした事案もあるため、長期間就労していない状態が継続した後、労務提供の意思表示を行うにあたっては、就労を可能とする医学的な根拠資料の添付、少なくとも、通知文中で労務提供を行うことが可能であることを付記・説明しておくなどの工夫が必要であるように思われます。