1.症状固定
症状固定という概念があります。これは「傷病の症状が安定し、医学上一般に認められた医療を行っても、その医療効果が期待できなくなった状態」を意味する概念です。
「医療効果が期待できなくなった状態」とは、その傷病の症状の回復・改善が期待できなくなった状態をいいます。
https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/110427-1.html
https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/dl/110427-1-03.pdf
つまり、症状固定の状態に至った後、傷病の症状が有意なほど改善するということは概念的には考えられないことになります。
しかし、症状固定は労災・損害賠償実務で採用されている法的な概念であり、医学的・客観的な意味での真実と必ずしも合致するわけではありません。そのことは、前日や翌日の状態との比較において有意な差があることを必ずしも医学的に説明できるわけでもない中で「症状固定『日』」がピンポイントで定められ、その日を基準に給付金額や損害賠償金額が計算されていることからも想像がつくのではないかと思います。
法学的な概念と医学的な真実が必ずしも一致しないことから、稀に症状固定後に症状が改善するという現象が見られます。
そうした場合、リハビリ等に励んで不可能を可能にした人は嘘つき扱いされてしまうのでしょうか、また、損害賠償金額を減額されてしまうのでしょうか。
このことが問題になった裁判例が、近時の公刊物に掲載されていました。
福岡高判令元.7.18労働判例ジャーナル93-48・フルカワ事件です。
2.フルカワ事件
これは一般に労災民訴と言われる訴訟類型の控訴審です。本件は脳梗塞を発症した従業員が、当該脳梗塞は業務に起因するものであるとする労災認定を得た後、安全配慮義務違反を主張して勤務先会社を訴えた事件です。
一審は原告(被控訴人)の後遺障害を2級(神経系統の機能に著しく障害を残し、随時介護を要するもの)相当だと判示したうえ、損害額を計算しました。
これに対し、被告会社が、興信所に依頼して原告(被控訴人)の生活状況を調査したところ「歩行に支障は生じておらず、ゴミ捨て等の作業も支障なく行っていた。」などとの事実を証拠化し、「原判決の認定は、明らかに本件後遺障害の程度を過大に評価するものである」「被控訴人は、自己に不利に斟酌されかねない事情については、それを秘したり、関係者に圧力をかけたりしているのであり、その供述を軽々に信用すべきでない。」などと主張して控訴を提起したのが本件です。
裁判所は、次のとおり述べて、日常生活動作を補助具や介助なしに行うことができるようになっていたからといって、後遺障害等級の認定に影響を及ぼすことはないと判示しました。
(裁判所の判断)
「被控訴人が前妻のcと離婚したのは平成30年2月16日であり、これは被控訴人の症状固定日から約7年半が経過した時点であるから、その前後において、被控訴人が一定の日常生活動作を補助具や介助なしに行うことができたからといって、症状固定時を基準とする後遺障害等級の認定に影響を及ぼすことはないし、控訴人らが提出した興信所の調査結果・・・によっても、被控訴人は、平成30年2月ないし3月の時点で、本来の利き手ではない左手のみを使って食事をするなど、右半身が麻痺した状態であることが窺えるのであって、原判決における後遺障害等級の認定を何ら左右するものではない。」
3.症状の改善への努力は法的にも消極的に捉えられるものではない
本件の原告がどのような経過のもとで日常生活動作を補助員や介助なしで行うまでに症状を改善させたのかは分かりません。
しかし、症状固定と言われても、その事実を受け入れることができず、悩み、リハビリ等に取り組み、症状の改善に努力している方は、決して少なくないと思います。本判決は、日常生活動作の水準が向上したとしても、原告(被控訴人)の方の供述の信用性に疑義を容れはしませんでしたし、既に行われている等級認定を左右する事情であるとも評価しませんでした。本件判決は症状固定との診断にもめげずに日常生活動作を回復しようと頑張っておられる方にとっての朗報になり得るものだと思います。
フルカワ事件のことは、以前にも労働時間の推計計算の可否についての裁判例としてご紹介させて頂いたことはありますが、
https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/12/18/004831
等級認定時の生活状況と症状固定後との差が労災民訴に与える影響という意味でも重要な意味を持っているように思い、その観点からの紹介も行うことにしました。
軽々に希望的観測を述べて良い事柄だとは思っていませんし、医師から症状固定だと言われれば基本的に改善は容易には望めないのでしょうが、日常生活動作の水準が事後的に改善したとしても、そのことから直ちに前の供述が嘘であるだとか、損害賠償金を減らすだとかいった短絡的な判断がされるわけでないことは、安心して良いのではないかと思います。