弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

精神的不調を認識する契機-実際には存在しないパワーハラスメント

1.適切な手続によらない欠勤に精神的不調が影響している場合

 無断欠勤などの適切な手続によらない欠勤の背景に、精神的な不調があることは少なくありません。こうした場合、使用者は直ちに欠勤する労働者を懲戒解雇できるわけではありません。

 例えば、最二小判平24.4.27労働判例1055-5 日本ヒューレット・パッカード事件は、

精神的な不調のために欠勤を続けていると認められる労働者に対しては、精神的な不調が解消されない限り引き続き出勤しないことが予想されるところであるから、使用者である上告人としては、その欠勤の原因や経緯が上記のとおりである以上、精神科医による健康診断を実施するなどした上で(記録によれば、上告人の就業規則には、必要と認めるときに従業員に対し臨時に健康診断を行うことができる旨の定めがあることがうかがわれる。)、その診断結果等に応じて、必要な場合は治療を勧めた上で休職等の処分を検討し、その後の経過を見るなどの対応を採るべきであり、このような対応を採ることなく、被上告人の出勤しない理由が存在しない事実に基づくものであることから直ちにその欠勤を正当な理由なく無断でされたものとして諭旨退職の懲戒処分の措置を執ることは、精神的な不調を抱える労働者に対する使用者の対応としては適切なものとはいい難い。

と判示しています。

 このように欠勤の背景に精神的不調があると疑われる場合、使用者は労働者を懲戒解雇するに先立ち、治療の勧告や、休職処分等を検討しなければなりません。

 それでは、使用者側に精神的不調を疑う契機があったと主張する場合、労働者側はどのような事実を指摘すれば良いのでしょうか? 近似公刊された判例集に、この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が掲載されていました。大阪高判令2.8.5労働判例ジャーナル105-32 国立大学法人京都大学事件です。

2.国立大学法人京都大学事件

 本件は控訴人(被告)に雇用された被控訴人(原告)が、適切な欠勤の手続によらずに相当日数にわたる欠勤を繰り返したとして懲戒解雇処分を受けた事件です。被控訴人は懲戒解雇の無効を主張し、雇用契約上の地位の確認を求め、控訴人を提訴しました。

 原審が原告の請求を認容したため、被告が控訴したのが本件です。

 裁判所は、次のとおり述べて控訴を棄却し、懲戒解雇の効力を無効とした原審の判断を維持しました。

(裁判所の判断)

「控訴人が被控訴人にした本件懲戒解雇は、被控訴人の起訴休職期間が終了した平成29年3月4日以降、出勤可能な状態になったにもかかわらず、適切な欠勤の手続によらずに欠勤を続けたことを理由とするものであり、以下その有効性について検討する。」

「被控訴人は、平成29年3月4日以降、図書系および北部事務部によるパワーハラスメントに改善がみられないことを理由として欠勤を続けたものであるが、前記認定事実に照らせば、本件欠勤は、被控訴人の精神的な不調が原因となっているものと認められる。」

「すなわち、前記認定事実に照らせば、被控訴人は、平成27年9月頃から、控訴人の相談担当者に対して、被控訴人が周辺の職員から嫌がらせを受け、仕事のできない人間と扱われて、希望しない農学研究科等学術情報掛に異動させられ、異動後は、周囲の様々な人から悪意をもって見張られている旨を述べ、職場でパワーハラスメント被害を受け続けている旨を訴えていたが、実際には、このような事実が存在したわけではなかった。

「そして、被控訴人は、徐々に精神状態が悪化し、同年10月末頃には、めまい、幻覚、不眠等の明らかな精神症状を呈するに至り、同年11月2日には、休職したい旨を述べ、同月4日には、学生相談課室の精神科医により、『不眠症、妄想的な精神状態、軽度神経学的異』と診断され、このままでは神経過敏状態がますますひどくなる旨を告げられ、大学病院の精神科で診察を受けることを指導されるに至った。その後も、被控訴人は、平成28年4月頃には、窓口業務中に居眠りを繰り返し、同年5月には、通行中の学生に対する暴力事件を起こすに及び、捜査機関によって精神状態に疑問が持たれて精神鑑定が実施されるなどし、同年6月20日以降、起訴休職となり、平成29年2月に被控訴人を有罪とする第一審判決が宣告され、同年3月4日起訴休職が終了した。」

「このように、被控訴人は、平成27年9月頃から平成29年3月頃に至るまで、総じて精神的に不安定な状況にあり、同年3月4日以降、パワーハラスメントが改善されないことを理由として、長期間にわたって欠勤を続け、さらに、同年10月27日開催の人事審査委員会では、控訴人が被控訴人に対するパワーハラスメント行為をなかったことにするために、執拗に精神科を受診させて、被控訴人の幻覚、妄想をでっちあげようとしていたので、身の危険から逃れるためには欠勤をせざるを得ないなどと述べていたのである。このような経緯に照らせば、被控訴人は、根強い被害妄想に捕らわれ、精神的な不調のために、長期間にわたって、欠勤を続けたものというべきである。そして、被控訴人自身には病識がないことからすれば、精神的不調が解消されない限り、引き続き被控訴人が欠勤を続けることが予想される状況にあった。

「以上のとおり、被控訴人は精神的不調のため就労できないのであるから、控訴人としては、被控訴人の精神的不調の程度、症状、原因等を明らかにするために、精神科医への受診を再度勧め、これを拒否する場合には、受診を命ずる(本件就業規則57条2項、3項)などし、その診断結果等に応じて必要な治療を勧めた上で休職等の処分を検討すべきであった。」

「ところが、控訴人は、被控訴人が精神的不調のため就労できないとは認めず、被控訴人が正当な理由なく長期間にわたり就労義務を果たしていないと認め、これが本件就業規則36条1号に規定する『みだりに勤務を欠く』に該当し、48条の2第1号所定の懲戒事由に該当すると判断して本件懲戒解雇にまで踏み切ったものである。この判断は、本件就業規則36条1号、48条の2第1号の解釈適用を誤ったものである。」

「これに対し、控訴人は、そもそも被控訴人には精神的不調などなかったとし、これがあったとしても軽微であったから、容易には認識し得ず、雇用者としてできる措置はすべて採っていた旨を主張する。」

「しかしながら、前記認定の事実経過からすれば、控訴人としては、被控訴人が、実際には存在しない職場のパワーハラスメント被害を述べて、これを理由に欠勤を続けていたことを認識し、被控訴人が何らかの精神的不調のため就労できない状態にあるのではないかと案ずることは十分に可能であったものというべきである。少なくとも、本件では、控訴人が労働者である被控訴人の精神的な健康状態について十分な労務管理をしていたにもかかわらず、被控訴人の精神的不調に気付くことができなかったと認めることができない。

3.実際には存在しないパワーハラスメントの申告

 上述のとおり、裁判所は、実際には存在しないパワーハラスメントの申告行為が行われていたことを指摘したうえ、使用者に労働者の精神的不調を認識する契機があったと判断しました。

 労働施策総合推進法30条の2第3項に基づいて、今年の1月15日、事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(厚生労働省告示第5号)が出されました。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/seisaku06/index.html

https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000584512.pdf

 指針上、事業主は、職場におけるパワーハラスメントに係る相談の申出があった場合、事案に係る事実関係を迅速かつ正確に確認すべきとされています。こうした規定と相まって、今後は、パワーハラスメントの事実自体が確認されず、相談が申告者の精神的不調を疑う契機として認識される例も、増えて行くのではないかと思われます。