弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

従業員の過労死に取締役が責任を負うとされた事例

1.取締役への責任追及

 過労死した従業員の遺族が民事訴訟で損害賠償を請求する場合、普通は会社を被告として訴えを提起します。経営者(取締役)個人を相手に訴訟提起することは、あまりありません。

 主な理由は、

安全配慮義務違反を理由に会社に責任を問う場合、過失を立証できれば事足りること、

個人よりも会社の方が普通は賠償資力があること、

です。

 会社法429条1項が、

「役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。」

と規定していることから分かるとおり、取締役個人の責任を問うためには、「悪意又は重過失」という要件を満たしていなければなりません。

 個人の責任を追及することは、立証のハードルという観点からも、回収の実益という観点からも、あまり意味がないのです。

 しかし、峻烈な感情を抱いている場合や、会社が清算してしまっている場合には、敢えて取締役個人の責任の追及に踏み込まなければならないときがあります。

 それでは、取締役個人の責任を追及するとして、「悪意又は重過失」の壁を乗り越えることは可能なのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、従業員の過労死に対し、取締役個人が責任を負うとされた事例が掲載されていました。東京高判令3.1.21労働判例ジャーナル108-1 サンセイ事件です。

 この事件は、以前、一審判決を、

労災民訴-取締役への責任追及の壁 - 弁護士 師子角允彬のブログ

という記事の中で紹介させて頂きました。一審は取締役の個人責任を否定しましたが、控訴審では取締役のうち一名の個人責任が認められました。

2.サンセイ事件(控訴審)

 本件は、長時間労働に起因する脳出血で死亡した従業員(故G)の遺族が提起した、いわゆる労災民訴と呼ばれる損害賠償請求事件です。本件の特徴は、故Gの勤務先であった会社(被告会社)だけではなく、取締役ら(D代表取締役、E元代表取締役、F専務取締役工場長)も被告として訴えられていることです。

 D~Fらも被告として訴えられたのは、被告会社が解散のうえ、清算結了の登記をしてしまっていたため、被告会社のみを訴えても、損害賠償金を回収できるのか否かに懸念が生じたからではないかと思われます。

 一審判決は被告会社への請求を一部認容する一方、D~Fら取締役個人の損害賠償責任は否定しました。

 これに対し、遺族側が控訴したのが本件です。

 控訴審も、被控訴人取締役D、Eの責任は否定しました。しかし、被控訴人取締役Fの責任については、次のとおり述べて、これを肯定しました。

(裁判所の判断)

「被控訴人Fは、神奈川県内に所在する被控訴人会社の本店から遠く離れた岩手県内に所在するH支社に専務取締役工場長として常駐し、同支社における実質的な代表者というべき地位にあった上、平成23年4月に故Gの所属する営業技術係に配置換えによる1名増員の措置を講じていたのに、故Gの同年6月分の残業時間が80時間を超えていた旨の集計結果の報告を受けたことにより、故Gに過労死のおそれがあることを容易に認識することができ、実際にもかかるおそれがあることを認識していた。それにもかかわらず、被控訴人Fは、従前行っていた一般的な対応にとどまり、故Gの業務量を適切に調整するための具体的な措置を講ずることはなかったため、故Gの発症前1か月の時間外労働時間(85時間48分)が発症前2か月のそれ(111時間09分)より軽減されたとはいえ、依然として80時間を超えており、故Gに過労死のおそれがある状態を解消することはできなかった。その後も故Gの業務量を適切に調整するための具体的な措置が講ぜられることはなかった上、故Gが間もなくお盆休みに入り長時間の時間外労働から解放されることが予定されていたとはいうものの、むしろ、故Gにとっては、その業務を前倒しで処理しておく必要があったため、平成23年8月分で見ても、過労死をもたらすおそれのある時間外労働が続いている状態に変わりはなかった。」

「以上のような事情を総合すれば、被控訴人Fにおいては、故Gの過労死のおそれを認識しながら、従前の一般的な対応に終始し、故Gの業務量を適切に調整するために実効性のある措置を講じていなかった以上、その職務を行うについて悪意までは認められないとしても過失があり、かつ、その過失の程度は重大なものであったといわざるを得ないから、被控訴人Fは会社法429条1項所定の取締役の責任を負うというべきである。なお、故Gが高血圧につき『治療中』という虚偽申告をしたことがあるとしても、被控訴人会社の実施に係る健康診断における血圧等の数値に(当然のことながら)全く改善が見られず、故Gの高血圧等の症状が依然として深刻なものであったことを容易に認識し得た以上、上記事情は、過失相殺の類推適用においてしん酌されるのは格別、被控訴人Fの上記責任を否定する根拠となるものではなく、上記判断を何ら左右しない。」

3.オーバーワークの放置への経営責任が厳しく問われるようになった

 控訴審裁判所は、月80時間を超える時間外労働を認識しながら放置していたことを重大な過失に値すると厳しく非難しました。

 これは注目に値する判断だと思います。控訴審の事実認定は、一審裁判所と顕著な差がないからです。つまり、一審判決と控訴審判決とで結論が異なったのは、長時間労働を放置することの悪性をどう評価するのかという価値判断の差に理由があると考えられます。地裁で重過失まではないと判断されたことが、実務に対し、より強いインパクトを持つ高裁で重過失に値すると判断されました。

 損害賠償のリスクが現実的になることは、取締役に長時間労働を是正させる誘因になります。精神疾患の発症を伴わない長時間労働に慰謝料請求を認める裁判例が散見されるようになるなど、裁判所の長時間労働に対する視線が徐々に厳しくなっていることは間違いありません。本判決を機に、長時間労働の是正に向けた各種取り組みが加速することが期待されます。