弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

精神的に辛い状態を職場に打ち明けることの意義

1.精神的に辛い

 精神的な不調を抱えていても、その後のキャリアに響くことを考えて、職場に伝えることを躊躇する方は少なくありません。

 確かに、精神的な不調を訴えると、業務負荷を軽減するという名目で、重要な仕事から外されてしまう可能性があることは否定できません。

 それでも、個人的には、きちんと職場に相談しておいた方がいいと思います。

 その理由としては、

精神的な不調を軽視したまま働くと、重篤な精神障害(精神疾患)を発症したり、深刻な場合には死亡(自殺)に至ったりするなど、取返しのつかない事態になりかねないこと、

職場にきちんと相談していれば、その後、深刻な被害が生じたとしても、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求を行うなど、被害の填補に向けた法的措置を取りやすくなること、

などを挙げることができます。

 後者の法的措置との関係ですが、これは損害賠償請求に限ったことではありません。労災認定との関係でも意味を持ちます。怪我や病気の業務起因性を判断するにあたっては、予見可能性という概念が重要な役割を果たすからです。

 近時公刊された判例集にも、職場に精神的不調を伝えていたことが、心理的負荷の強弱を判断するうえでの考慮要素として指摘された裁判例が掲載されていました。大分地判令4.4.21労働判例ジャーナル127-52 国・大分労基署長事件です。

2.国・大分労基署長事件

 本件で原告になったのは、自動車の販売や損害保険代理店業務等を目的とする株式会社で、マネージャーとして各拠点に対する自動車保険等の管理、促進及び指導等の業務に従事していた方です。上司らによる勤務中のパワーハラスメント等により強い心理的負荷を受けて精神障害(当時の診断名:鬱病)を発症したとして療養補償給付の支給を申請しました。しかし、労働基準監督署長は、精神障害と業務による精神的負荷との間に相当因果関係が認められないとして不支給決定を行いました。これに対し、審査請求を行い、棄却決定の後に不支給決定の取消訴訟を提起したのが本件です。

 本件では幾つかの心理的負荷要因が主張されましたが、その中の一つに、ガイドラインの策定に関する出来事がありました。ここで言うガイドラインとは、

「本件会社に係る保険会社の代理店業務について、複数の保険会社間の公平を図りながら業績を拡大していくために設定される評価基準のこと」

であるとされています。

 原告は、ガイドライン策定をめぐり、直属の上司f(親会社の役員であり、勤務先の取締役統括部長の地位にあった方)から強い指導・叱責を受けたなどと指摘し、これが強い心理的負荷を生じさせる出来事でったと主張しました。

 裁判所は、心理的負荷の強さを「強」とは認定しませんでしたが、原告が精神的不調を職場に相談していたことなどを考慮し、次のとおり述べて、心理的負荷を「中」と評価しました。結論としても、この出来事のほか、もう一つ心理的負荷「中」の出来事が認められるとして、療養補償給付の不支給処分の取消請求を認めました。

(裁判所の判断)

「ガイドライン策定に係る上司らの対応は、別表1の30『上司とのトラブルがあった』に該当し、その内容は、平成24年度からガイドライン策定に関与してきた原告に対し、上司らがその内容を確認したり、説明を求めたりするものであって、怒鳴ったり、原告の人格を否定する旨の発言があったりするものではなく、それ自体は日常的な業務の範囲を逸脱するものとは認め難い。しかしながら、原告は、平成28年6月16日に行われたeとの間のガイドライン説明会の打合せにおいて、fからの叱責等によりノイローゼ気味であり、夜眠れない状態にあること等を打ち明けており・・・、少なくともeにおいて、原告がfとの間でトラブルないし精神的な問題を抱えていることを認識し得る状態であったと考えられる。にもかかわらず、fは、同月18日には、eが同席する場で、原告に対し、約2時間にわたってガイドラインの内容に係る説明を求めるなどしたものであり、その対応は業務上の指導として必ずしも適切であったとは言い難く、『業務をめぐる方針等において、周囲からも客観的に認識されるような対立が上司との間に生じた』に準ずるものとして、その心理的負荷の強度は『中』に該当すると認めるのが相当である。

3.「中」とはいえ軽視できない

 業務起因性が認められるためには強い心理的負荷が生じていなければなりません。心理的負荷「中」の出来事単体では、これに届きませんでした。しかし、「中」の出来事は、他の「中」の出来事と結びついて強い心理的負荷を発生させたと認められる場合があります。

 心理的負荷が「中」の出来事は重要な事実です。甘く見て良い出来事ではありません。労災認定を受けることを視野に入れるためにも、精神的不調は早目に職場に相談しておくと良いように思われます。

 

解雇基準が明確に定義・周知されている事案における解雇紛争

1.解雇基準の具体化

 労働契約法16条は、

「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」

と規定しています。

 解雇の可否は、この規定に基づいて判断されます。

 しかし、どのような事情があれば「客観的に合理的な理由」があり、「社会通念上相当」であると認められるのかどうかは条文を見ているだけでは判然としません。

 これまでに集積された裁判例を参照・分析することにより、ある程度の相場感覚は掴むことができます。しかし、率直に言うと、解雇が有効なのか無効なのかは、実際に手続を進めてみるまで分からないことが少なくありません。

 このような不明確性に対処するためか、営業職など成績の良し悪しを客観的な指標で把握しやすい職種を対象に、勤務成績不良で解雇となる基準を明確に定め、予め従業員に周知している会社があります。

 こうした会社で基準未達で解雇された場合、解雇の可否の判断は、どのようになされるのでしょうか?

 この問題を考えるうえでも、昨日ご紹介した、東京地判令4.3.17労働判例ジャーナル127-40 日本生命保険事件は参考になります。

2.日本生命保険事件

 本件で被告になったのは、生命保険業免許に基づく保険の引受、資産の運用等を行う相互会社です。

 原告になったのは、被告との間で労働契約を締結し、保険営業の業務に従事していた方です。委任契約⇒期間1か月の有期労働契約⇒期間1か月の有期労働契約を経て、無期労働契約を締結しました。

 ただし、この無期労働契約には、

「資格選考において、本人の活動成果等が、営業職員就業規則に定める基準(以下「職選基準」という)に達しない場合には、選考月の前月末をもって、営業職員としての資格を失い、本契約は終了する」

という契約条項が設けられていました。この契約条項基づいて、平成29年12月22日、原告は、被告から、本件職選基準を達成しなかったことを理由に同月末をもって労働契約が終了すると通知されました(本件退職扱い)。これを受けて、原告が地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件の被告は、

「原告は、平成29年12月の選考時、

〔1〕直近4か月の「計上N」の件数が5件以上であり、

〔2〕直近4か月の「基盤内被保険者新規契約」の件数が1件以上であるとの基準とされていた(本件職選基準)が、原告の直近4か月(同年8月ないし同年11月)の営業成績は、「計上N」の件数が1.5件であり、上記〔1〕の基準に達しなかった。」

「したがって、原告は、平成29年8月から同年11月までの営業成績が職選基準に達せず、本件労働契約は、終了条件が成就したことにより、同年12月末日をもって終了した。」

などと主張し、退職扱いは有効であると主張しました。

この事件の裁判所は、解雇権濫用法理の適用を認めたうえ、次のとおり述べて、被告の主張を容れ、解雇は有効であると判示しました。

(裁判所の判断)

前記認定のとおり、本件労働契約において、原告の営業成績が職選基準に達しない場合は営業員としての資格を失い、労働契約が終了する旨が記載され、営業職員規程において、職選基準の具体的な内容及び未達成の場合に退職となる旨が記載されていること、被告は特別教習生に対する研修において職選基準を達成することができなければ契約が終了する旨を説明していたこと、原告は、被告から交付されていた端末を通じて自らの職選基準の達成状況を確認することができたこと、cは営業職員との毎月の面談時に職選基準の達成状況を確認していたことが認められる。これらの事実に照らせば、原告は、遅くとも本件職選基準の対象期間においては、本件職選基準の内容、職選基準が未達成の場合には本件労働契約が終了するとされていたこと、及び、自らの職選基準の達成状況について認識していたものと認められる。

「これに対し、原告は、入社時に交付された会社案内には職選基準を達成しない場合に雇用契約が終了する旨の記載はなく、職選基準について理解することが可能な説明を受けたことはない旨主張する。」

「しかしながら、上記に掲げた事情に加え、前記認定のとおり、原告は、太陽生命において勤務していた際、職選基準を含む成績基準に基づき営業職員としての判定を受けていたことが認められ、これらの事情に照らせば、原告が被告における職選基準を理解していなかったということはできない。」

「原告は、職選基準に規定された能力不足の程度は明らかではなく、原告が被告に入社後2度にわたり職選基準を達成していることからすれば、原告の職務能力は雇用契約を終了させるほど低いものであったとはいえない旨主張する。

「しかしながら、被告における職選基準は、営業職員就業規則に規定され、原則として全ての営業職員に対して適用されるものであるところ、かかる基準が営業職員に対して特に高い能力を要求するものと認めるに足りる証拠はない。また、被告が、原告に対して同基準を恣意的に適用したというべき事情も窺われない。そうすると、原告が被告に入社後2度にわたり職選基準を達成していることを考慮しても、原告が本件職選基準を達成しなかったことにより、原告の職務能力が、被告において営業職員に対して求められる程度の基準に達していなかったと認めることが相当である。

「原告は、f及びcは、原告に対して営業への同行を行わないなど、原告に対する指導を十分に行っておらず、原告は、パワー・ハラスメントを受けていたことからすれば、職選基準の未達成は、被告の責任によるものである旨主張する。」

「しかしながら、前記認定のとおり、被告においては、営業職員に対し、採用後、育成担当者を付けて知識教育や同行指導、研修等を行う体制がとられていたこと、原告は、e営業所に配属後、平成29年7月29日まで、担当トレーナーであるfから営業に同行する等の指導を受けていたこと、fが同行できない場合は、原告の求めに応じてcやgが営業に同行することがあったこと、cは、原告が繰り返し不満を述べるのに対し、相当の時間をかけて対応していたこと、被告は、原告の意向等を考慮し、平成29年7月29日以降、営業部長であるcが原告を直接指導する体制に変更したこと、cは、原告との間で月2回の個別面談を行い、職選基準の達成状況を確認し、達成に向けての助言等をしていたことが認められる。他方、原告は、育成部で行われていた研修やロールプレイング大会の練習に参加しないことがあったこと、f及びcに対して全ての営業に同行を求める等の不合理な要求を繰り返し行い、自らの要求が達せられなければ些細なことについても執拗に要求を繰り返すなど、反抗的な態度を示していたこと・・・、割り当てられた基盤のうち、専ら地区エリアでの営業を行い、職域エリアでの営業を行わなかったこと・・・、営業部職員が行っていた冊子の配布当番やチョコレートの配布係の役割を拒否することがあり、また、cに対して長時間にわたり不満を述べることで他の職員の業務活動を阻害していたこと・・・などの事実が認められる。また、原告がパワー・ハラスメントを受けていたと認められないことは、後記・・・において説示するとおりである。これらの事情を考慮すれば、職選基準の未達成は、被告の責任によるものとは認められない。」

「以上によれば、本件退職取扱いは、客観的合理的理由及び社会的相当性を欠くものとは認められない。」

3.基準自体の合理性、基準適用の恣意性

 以上のとおり、裁判所は、大意、

基準自体が特に高いハードルを課しているわけではなく、

予め労働者に周知されていたうえ、

基準が恣意的に適用されているわけでもない

として、解雇を有効・適法だと判示しました。

 このような考え方に従うと、予め示されていた基準が未達である場合、多くの事案で争うことは困難になりそうです。基準自体の不合理さや、適用が恣意的であることを立証できる場面は比較的限定されているからです。

 この条件成就型退職扱い(解雇)の解雇の可否が、今後、どのような厳格度で判断されていくのか、裁判例の流れが気になります。

 

条件成就型の退職扱いに解雇権濫用法理(労働契約法16条)の適用が認められた例

1.解雇権濫用法理と雇止め法理の間隙

 労働契約法16条は、客観的合理的理由、社会通念上の相当性の認められない解雇が無効になることを規定しています。これは一般に解雇権濫用法理と言われています。

 労働契約法17条は、契約更新に向けた合理的期待がある場合など、一定の有期労働契約について、客観的合理的理由、社会通念上の相当性がなければ更新拒絶が認められないことを規定しています。これは一般に雇止め法理と言われています。

 このように、無期労働契約における解雇、有期労働契約における更新拒絶に対しては、使用者の権利の濫用を防ぐための仕組みが設けられています。

 しかし、退職扱いされる理由は、解雇、雇止めに限られるわけではありません。就業規則の規定ぶりを工夫すれば、解雇や雇止めに該当しない退職理由を設けることもできないわけではありません。例えば、無期労働契約を締結しつつも、成績が一定の基準に満たない場合、労働契約が終了するといったように、労働契約の終了事由を規定しておくことが考えられます。この場合、無期労働契約であるため、雇止め法理の適用はありません。また、こうした規定は、労働契約の終了条件を定めているだけであり、契約の終了を解雇という意思表示に係らせているわけではありません。そのため、解雇権濫用法理をストレートに適用することには疑義があります。

 それでは、このように解雇権濫用法理や雇止め法理の間隙を縫う退職理由は、何らの法的制約も受けないのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令4.3.17労働判例ジャーナル127-40 日本生命保険事件です。

2.日本生命保険事件

 本件で被告になったのは、生命保険業免許に基づく保険の引受、資産の運用等を行う相互会社です。

 原告になったのは、被告との間で労働契約を締結し、保険営業の業務に従事していた方です。委任契約⇒期間1か月の有期労働契約⇒期間1か月の有期労働契約を経て、無期労働契約を締結しました。

 ただし、この無期労働契約には、

「資格選考において、本人の活動成果等が、営業職員就業規則に定める基準(以下「職選基準」という)に達しない場合には、選考月の前月末をもって、営業職員としての資格を失い、本契約は終了する」

という契約条項が設けられていました。この契約条項基づいて、平成29年12月22日、原告は、被告から、本件職選基準を達成しなかったことを理由に同月末をもって労働契約が終了すると通知されました(本件退職扱い)。これを受けて、原告が地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 この事件では、本件退職扱いに解雇権濫用法理の適用が認められるのか否かが争点の一つになりました。

 被告は、

「本件退職取扱いは、原告と被告が合意した終了条件が、使用者の行為や恣意的な判断に基づくことなく成就したことにより、契約終了の効果が発生するものであるから、使用者の一方的な意思表示による解雇とは異なる性質のものであり、解雇権濫用法理(労働契約法16条)は適用されない。」

と主張しましたが、裁判所は、次のとおり述べて、解雇権濫用法理の適用を認めました。

(裁判所の判断)

「被告は、本件退職取扱いは、本件労働契約において定められた契約条件が成就したことにより終了したものであり、使用者が一方的に行う解雇とは異なり、解雇権濫用法理は適用されない旨主張する。」

「しかしながら、本件退職取扱いは、原告の営業成績が不良であることを理由として、原告の意思に反して退職の効果を生じさせるものであり、労働者の能力不足により解雇がされる場合と類似することから、解雇権濫用法理が適用されると解することが相当である。

3.安易な潜脱は認められない

 以上のとおり、裁判所は、契約終了条件を設定しておくという形で解雇規制を潜脱することを否定しました。

 当たり前のことながら、条項や規定の書きぶりを多少変えた程度で解雇規制を潜脱するようなことが許されたのでは、労働契約法の趣旨は水泡に帰することになってしまいます。

 解雇や雇止めといった典型的な場合に該当しなかったとしても、違和感のある退職理由を突き付けられてお困りの方は、本当に労働契約上の権利を有する地位にあることを主張できないのかを、弁護士に相談してみても良いのではないかと思います。もちろん、当事務所でも、ご相談をお受けすることは可能です。

 

固定残業代の効力の否定類型-対象者の定義が不明確

1.固定残業代の効力を争うための切り口

 最一小判令2.3.30労働判例1220-5 国際自動車(第二次上告審)事件は、固定残業代の有効要件について、

通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要である・・・。そして、使用者が、労働契約に基づく特定の手当を支払うことにより労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったと主張している場合において、上記の判別をすることができるというためには、当該手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていることを要するところ、当該手当がそのような趣旨で支払われるものとされているか否かは、当該労働契約に係る契約書等の記載内容のほか諸般の事情を考慮して判断すべきであり・・・、その判断に際しては、当該手当の名称や算定方法だけでなく、上記・・・で説示した同条の趣旨を踏まえ、当該労働契約の定める賃金体系全体における当該手当の位置付け等にも留意して検討しなければならない」

と判示しています。

 色々な呼び方がありますが、傍線部の一番目は「判別要件」だとか「明確区分性」と言われています。傍線部の二番目は、一般に「対価性要件」と言われています。

 固定残業代の効力は、この「判別要件」「対価性要件」との関係で争われる例が多くみられます。

 しかし、下級審では「判別要件」「対価性要件」とは異なる観点から、固定残業代の効力を否定するものも少なくありません。例えば、

想定残業時間が異様に長い、

残業の前提となる三六協定が締結されていない、

そもそも残業代を固定で支払うことを内容とする合意の成立が認められない、

就業規則の規定が固定残業代の合意と矛盾している、

といった場合、固定残業代の効力は、否定されることがあります。

 これに一例を加える裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令4.4.12労働経済判例速報2492-3 クレディ・スイス証券事件です。

2.クレディ・スイス証券事件

 本件で被告になったのは、クレディ・スイス・グループの一員として、総合的に証券・投資銀行業務を展開する株式会社です。

 原告になったのは、被告会社のプライベート・バンキング本部に所属し、平成26年以降、同本部内に設置されたマルチ・アセット運用部の部長として、投資一任運用業務を担当していた方です。被告会社が平成30年2月、原告の所属していたマルチ・アセット運用部を廃止し、平成31年2月18日付けで原告を解雇したことを受け、地位確認や未払割増賃金(残業代)の支払を求める訴訟を提起したのが本件です。

 残業代との関係でいうと、被告の賃金規程には、

「エグゼンプト従業員のうち、就業規則第25条の適用のない者(管理監督者等 括弧内筆者)の基本給の3割は、第2条に定める基準外賃金(時間外勤務手当、深夜勤務手当、休日勤務手当 括弧内筆者)相当分とする」

との規定がありました(本件就業規則10条2項)。

 被告は、

「原告の年俸は、1980万円であり、これは同年齢の日本人の平均年収約500万円(賃金センサス)の約4倍である。」

「そして、原告は、ヴァイス・プレジデント(VP)であり、本件就業規則上、エグゼンプト社員と位置付けられている。」

などと主張し、原告の基本給の3割は固定残業代であると主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、被告の主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

「被告会社は、原告がヴァイス・プレジデントであり、本件就業規則上、エグゼンプト社員と位置付けられるから、本件賃金規定第10条第2項により、基本給の3割は固定残業代であると主張する。」

「しかしながら、本件労働契約においても、本件就業規則においても、エグゼンプト社員の定義は明確に定められておらず、本件全証拠を検討しても、ヴァイス・プレジデントがエグゼンプト社員と位置付けられると認めるに足りる証拠はない。

「なお、被告会社は、原告の年俸が約2000万円であり、同年齢の日本人の平均年収の約4倍の賃金を得ていることも、原告がエグゼンプト社員と位置付けられるべき根拠として主張する。しかしながら、上記のとおり、そもそもエグゼンプト社員の定義が不明確であり、そのような中で、基本的な労働条件である賃金額に関わるエグゼンプト社員の該当性を、年俸額が相対的に高額であるという理由だけで認めるのは相当でないというべきである。

3.対象者の定義が不明確

 上述のとおり、裁判所は、固定残業代の対象者である「エグゼンプト従業員(社員)」の定義が不明確であるとして、固定残業代の有効性を否定しました。

 「高額の報酬を払っているのだから文句はないだろう」という安易な発想のもと、残業代に関する労務管理を疎かにしている会社は意外とあります。高賃金労働者は、時間単価も高いので、残業時間がそれほどでもなかったとしても、金額が伸びやすい傾向にもあります。

 よく分からない社員類型に区分され、残業代が支払われないことに疑問を持っている方は、一度、弁護士のもとに相談に行っても良いのではないかと思います。もちろん、当事務所でも、相談は、お受けしています。

複合要因型の解雇であるとの使用者側の主張に対し、なお整理解雇の判断枠組によると判断された例

1.整理解雇の判断枠組と複合要因型解雇

 整理解雇とは、企業が経営上必要とされる人員削減のために行う解雇をいいます。整理解雇は、労働者に帰責事由がないにもかかわらず、使用者の経営上の理由により労働者を解雇するところに特徴があり、労働者に帰責性があるその他の解雇よりその有効性は厳格に判断されるべきであるとされています。

 具体的には、①人員削減の必要性があること、②使用者が整理解雇努力をしたこと、③被解雇者の選定に妥当性があること、④手続の妥当性の四つの要素の総合判断により、解雇権濫用の有無が判断されています(以上、第一段落目の記載を含め、佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』〔青林書院、改訂版、令3〕396-397頁参照)。

 それでは、整理解雇的な要素を含みながらも、能力不足等の他の要因も関係している解雇の効力は、どのように司法審査されるのでしょうか?

 前掲『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』399頁には、

「労働者の帰責事由による勤務成績不良と経営上の理由とを区別したうえ、前者については解雇を是とするほどの勤務成績不良なのかを検討し、後者については整理解雇の4要素について充足しているかを検討し、どちらか1つを肯定できる場合でなければ、解雇を有効とすべきではないと考えられる。」

という考え方が示されています。

 しかし、上記文献にも実際に複合要因型の解雇の効力を審理した裁判例が掲載されているわけではなく、実際の裁判でどのような判断枠組が採用されるのかは、あまり良く分かっていませんでした。

 このような状況の中、近時公刊された判例集に、複合要因型の解雇であるとの使用者側の主張に対し、整理解雇の判断枠組に基づいてその効力を判断した裁判例が掲載掲載されていました。東京地判令4.4.12労働経済判例速報2492-3 クレディ・スイス証券事件です。

2.クレディ・スイス証券事件

 本件で被告になったのは、クレディ・スイス・グループの一員として、総合的に証券・投資銀行業務を展開する株式会社です。

 原告になったのは、被告会社のプライベート・バンキング本部に所属し、平成26年以降、同本部内に設置されたマルチ・アセット運用部の部長として、投資一任運用業務を担当していた方です。被告会社が平成30年2月、原告の所属していたマルチ・アセット運用部を廃止し、平成31年2月18日付けで原告を解雇したことを受け、地位確認や未払割増賃金(残業代)の支払を求める訴訟を提起したのが本件です。

 本件の被告は解雇権濫用の判断枠組について、次のとおり、整理解雇の四要素に形式的にあてはめて行く手法に反対しました。

(被告の主張)

本件解雇は、整理解雇の範疇に入るとしても、本件で原告の職位がなくなった原因は主に原告自身にあるから、能力不足解雇の要素も入った整理解雇である。すなわち、被告会社のプライベート・バンキング本部には、平成24年以前、投資一任サービスを提供する商品がなかったことから、Dからプライベート・バンキング業務の事業譲渡を受けるに当たって、Dの従業員であった原告に投資一任サービスを提供する商品を揃えさせ、これを担ってもらうことにした。しかしながら、原告が担った投資一任運用業務の業績は、原告の努力(能力)不足が原因で低迷を続け、もはや維持することができなくなったことから、上記業務を行っていたマルチ・アセット運用部を廃止せざるを得なくなり、これによって同部の部長であった原告の職位もなくなったものである。」

「また、原告は、高度専門職として雇用され、職種が特定されており、平成25年の年収は2400万円を超えるなど、高額の待遇を受けていた。原告は、このように、整理解雇の四要素が典型的に適用される終身雇用で年功型賃金制度の適用を受ける労働者と異なり、賃金を低く抑えられているわけではなく、賃金は常に市場に適合しているし、転職によってキャリアアップを重ね、より高い待遇を得ることが想定された労働者である。」

本件解雇が権利の濫用に当たるかを判断するに当たっては、以上のような本件の特色を踏まえて判断すべきであり、従来の整理解雇の四要素を形式的に当てはめて判断する手法は、事案の特質にそぐわない。

 これに対し、裁判所は、結論において解雇を有効としながらも、次のとおり述べて、解雇の効力を議論する上での規範は、整理解雇の四要素に照らして慎重に判断するのが相当であると判示しました。

(裁判所の判断)

本件解雇は、被告会社が経営上の必要性から行ったものであり、原告に帰責事由があることを理由とするものではない。したがって、本件解雇の効力については、①人員削減の必要性、②解雇回避努力、③被解雇者選定の妥当性及び④手続の相当性といった要素を総合的に考慮した上で、本件解雇が本件就業規則第42条第4号所定の『その他前各号に準ずるやむを得ない事由があるとき』に該当し、客観的に合理的な理由が認められるかや、社会通念上相当であると認められるかを検討して判断するのが相当である。

「この点に関し、被告会社は、本件解雇が整理解雇の範疇に入るとしても、原告の職位がなくなった原因が主に原告自身にあり、能力不足解雇の要素もあることや、原告が終身雇用で年功型賃金制度の適用を受ける労働者と異なり、高度専門職であり職種が特定され高待遇を受けている労働者であり、賃金が外部労働市場に適合し、転職によってキャリアアップを重ねてより高い待遇を得ることが想定された労働者であるという特色があるとして、本件解雇の効力については、上記のような特色を踏まえて判断すべきであり、従来のいわゆる整理解雇の四要素を形式的に当てはめて判断する手法はそぐわないと主張する。」

「しかしながら、被告会社の上記主張ないし指摘には傾聴に値するところがあるものの、被告会社が指摘する本件の特色は、本件解雇が会社側の経営上の必要性から行われたものであるという本件解雇の基本的性質を失わせるものではない。したがって、本件解雇についても、その有効性は上記四要素に照らして慎重に判断するのが相当である。なお、被告会社が指摘する原告の職位がなくなった経緯や労働者の性質等の本件の特色については、被告会社に信義則上求められる解雇回避努力の内容や程度等を検討するに当たっての考慮要素として斟酌することができるから、上記のようないわゆる整理解雇の四要素を総合考慮する判断枠組みを用いても、適切な解決を図ることはできるというべきである。

3.複合要因型なのかという見方もありえるとは思われるが・・・

 本件の被告は、

「整理解雇の範疇に入るとしても・・・」

と本件解雇が整理解雇の範疇にカテゴライズされること自体を積極的に争っているわけではありません。そのため、本件を複合要因型の事案といってよいのかについて、疑問もないわけではありません。

 しかし、能力不足解雇の要素が入っているという被告の指摘にも関わらず、なお、本裁判例は、解雇の効力は整理解雇の四要素に照らして慎重に判断するのが相当であるとの判断を示しました。

 一般論としていうと、整理解雇の判断の方が、本人に帰責性のある能力不足解雇の判断よりも厳格に行われます。能力不足解雇の要素を含んでいることが考慮要素として斟酌されることを差引いたとしても、

能力不足解雇/整理解雇のそれぞれで有効性を検討し、いずれか1つを肯定できる場合であれば解雇の効力を認める、

との規範に依拠するより、厳格な司法審査に服するのではないかと思われます。

 今回の裁判所の判断は、複合要因型の解雇について、一つでも整理解雇的な要素がある場合には、整理解雇の四要素の判断枠組に引き付けて考えることができるという見解と親和的であるように思われます。

複合要因型の解雇事案において別の規範を適用すべき/整理解雇の判断枠組自体を緩和すべきであるとの使用者側の主張に反駁し、

飽くまでも解雇の効力は整理解雇の4要素のもとで確認されるべきだと議論して行くにあたり、本裁判例はその活用が期待されます。

 

業務命令に従わないリスク

1.業務命令への不服従

 配転命令の効力を争う場合、異議を留保したうえ、配転先で働きながら争うのが原則です。配転命令に従わないと、正当な理由のない欠勤であるとして解雇されるからです。

 もちろん、解雇の効力を争う地位確認請求訴訟の中で、配転命令が無効であるとの判断が得られれば何の問題もありません。労働契約上の地位は回復されますし、配転先での就労を強いられることもありません。

 しかし、配転命令が無効とされる場面は極めて限定的です。配転命令が無効と認定されることを見越して配転先での労務提供を拒否することは、解雇されるリスクの高い行為と判断されることが多いのが実情です。そのため、配転先での労務提供を行い、解雇リスクを回避しつつ、配転の効力を争うのが原則とされるのです。

 この異議留保型の争い方が活用されるのは、配転の場面が典型です。しかし、このような争い方を選択肢に検討しなければならないのは、配転の場面に限られません。業務命令に従わないという場面でも同様です。業務命令に対する故意的な不服従は、改善の可能性がないという評価に直結しがちであり、解雇リスクの高い行為だからです。

 近時公刊された判例集にも、このことが分かる裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、新潟地判令4.3.28労働判例ジャーナル127-26 学校法人新潟科学技術学園事件です。

2.学校法人新潟科学技術学園事件

 本件で被告になったのは、新潟薬科大学を設置・運営する学校法人です。

 原告になったのは、被告の「健康・自立総合研究機構」(本件機構)に所属していた准教授の方です。本件機構の運営会議やセミナー会議への欠席を継続したことを理由に「職員としての能力を欠き、職務に適しないと認められた場合」に該当するとして、普通解雇されたことを受け、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 原告の方が運営会議やセミナー会議に出席しなかったのは、

いずれも重要な会議とはいえない、

パワーハラスメントの加害者ともいえるF(教授)からの出席命令自体、違法不当なものである、

という認識でのことでした。いわば、自身に正当な理由があると信じて、業務命令に故意的に従わなかったといえます。

 この事案で、裁判所は、パワーハラスメントの成立を否定したうえ、次のとおり述べて、解雇の効力を認めました。

(裁判所の判断)

「原告は、本件機構において重要な会議等である機構運営会議及び機構セミナーに出席を求められていたにもかかわらず、正当な理由なく1年以上も欠席したと認められるところ、被告が重大な債務不履行を繰り返した原告に対して本件解雇をしたことは、合理的な理由があると認められる。」

「そして、被告は、原告に対し、原告がFやHの指示に従わなかったことについて、軽度の懲戒処分等をすることなく、本件解雇に至っているものの、原告は、平成28年頃から現在まで、一貫してG及びFのパワーハラスメント等を訴えており、この主張を前提としてF及びHの指示に従っていなかったと認められることからすれば、被告において、G及びFのパワーハラスメント等があったことを前提に原告の要望(研究妨害を行わないことや就業環境を改善すること)を受入れない限り、原告に翻意の機会を与えていたとしても、原告の言動が改善される見込みはなかったというべきである。

そうすると、被告が、原告に対し、他の懲戒処分等をして改善の機会を与えることなく、本件解雇に至ったことは、やむを得ないというべきであり、社会通念上相当であったと認められる。

3.改善の見込みを否定されるリスクがある

 勤務態度の不良等を理由とする解雇の可否を検討するにあたっては、「改善の見込み」という概念が重要な指標になります。指導による改善の見込みがあるのに、そのような過程を経ず、いきなり労働関係を解消(解雇)するのは不当だといったようにです。

 不服従の理由に正当性が認められればいいのですが、そうではない場合、業務命令に対する故意的な不服従は、改善の見込みに乏しいと判断されやすい傾向にあります。

 業務命令も、配転と同様、それが濫用となる場面は極めて限定されています。そのため、業務命令の適法性に疑義がある場合でも、異議を留保したうえ、取り敢えず業務命令には従事することとにし、従事しながら業務命令の効力を争って行く途を検討する必要がありそうです。

 

労働者からの弁護士同席のもとでの協議の要望に対応しなかったことが消極的に評価された例

1.弁護士同席のもとでの協議の要望

 在職中に勤務先(使用者)と対立的な関係になってしまった時、勤務先との協議に際して、代理人弁護士を同席させたいというニーズがあります。

 勤務先が応じれば、労働者から依頼を受けた代理人弁護士が協議の場に立ち会えることに特段の問題はありません。代理人弁護士は、隣席したうえ労働者に対して専門的観点からの助言をすることができますし、勤務先が不適切な言動に及んだ場合に注意を促すこともできます。

 問題は、勤務先が代理人弁護士の立会を認めなかった場合です。

 このような場合、

一定のリスクがあることを織り込んだうえで協議を行うこと自体を拒否するのか、

異議を留保したうえで労働者単独で協議に応じるのか、

を選択することになります。

 いずれであるにせよ、その後、協議事項と関係のある理由で不利益処分が行われた場合、使用者が労働者に対して弁護士の立会を拒否したことは、どのように評価されるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。新潟地判令4.3.28労働判例ジャーナル127-26 学校法人新潟科学技術学園事件です。

2.学校法人新潟科学技術学園事件

 本件で被告になったのは、新潟薬科大学を設置・運営する学校法人です。

 原告になったのは、被告の「健康・自立総合研究機構」(本件機構)に所属していた准教授の方です。本件機構の運営会議やセミナー会議への欠席を継続したことを理由に「職員としての能力を欠き、職務に適しないと認められた場合」に該当するとして、普通解雇されたことを受け、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 原告が機構セミナー会議に出席しなかった背景には、被告からの論文紹介の指示に対し、弁護士同席の下で協議したいと申し入れたにもかかわらず、被告がこれを拒否したことがありました。原告がこのような措置に及んだのは、自分はハラスメントを受けてるという思いを持っていたからです。

 裁判所は結論として解雇を有効だと判示しましたが、被告が弁護士の同席を拒否したことに対しては、次のとおり評価しました。

(裁判所の判断)

「原告と被告においては、既に労働環境等をめぐって争いが生じており、原告は、平成30年9月以降、弁護士を通じて、被告に対して申入れ等を行っていたのであるから、被告において、平成31年4月の弁護士の同席による協議の要望についても対応することが望ましかったとはいい得る。しかし、原告は、弁護士の同席を求めたのは、G及びFによるパワーハラスメント等を前提とするものであったところ、G及びFによるパワーハラスメント等があったとは認めることができないことは上記のとおりであるから、その前提を欠く要求である以上、上記事情も機構セミナー等を欠席したことを正当化するものとはいえない。」

3.弁護士の同席について望ましかったとの価値判断が示された

 使用者との協議にあたり、労働者が代理人弁護士の同席を求めることができるのかに関しては、法律上明文の定めがあるわけではありません。

 そのため、理屈としては、弁護士の同席を求めることに権利性はないとして、無条件に使用者の判断を肯定することもありえました。

 しかし、裁判所は、弁護士同席の申し入れに対し、「対応することが望ましかった」という価値判断を示しました。

 また、セミナー欠席を正当化する要素にならないとした理由付けには「パワーハラスメント等があったとは認めることができないこと」が指摘されています。このことは、パワーハラスメント等のハラスメントの存在が事実として認められた場合、別異の判断がありえることを示唆しているといえます。

 勤務先との関係が対立的になっている時、労働者の側には代理人弁護士を同席させたいというニーズがあります。本件は労働者側敗訴の事案ではありますが、本裁判例は裁判所が代理人弁護士の同席を積極的に評価していることを示す事例として活用して行くことが考えられます。