弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

ホテルのフロント係の不活動時間の労働時間性

1.残業代の金額が跳ね上がる類型

 昨日、残業代が跳ね上がる類型として、変形労働時間制の有効要件が崩れた場合をご紹介させて頂きました。これと並んで残業代の金額が伸びる類型に、仮眠時間などの不活動時間に労働時間性が認められる類型があります。

 不活動時間は、割増率の高い深夜帯に、比較的長めに設定されることが少なくありません。そのため、これに労働時間性が認められると、残業代が一気に膨らむことになります。

 昨日、一昨日とご紹介している大阪地判令2.9.3労働判例ジャーナル106-40 ブレイントレジャー事件は、不活動時間に労働時間性が認められた事案でもあります。

2.ブレイントレジャー事件

 本件は、いわゆる残業代請求事件です。

 被告になったのは、ホテルの経営等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で業務委託契約を締結し、被告の経営するラブホテルのフロント業務に従事していた方です。業務委託契約の実質は労働契約であるとして、自らの労働者性を主張し、時間外勤務手当等(残業代)を請求する訴えを起こしました。

 本件では、原告の労働者性のほか、不活動時間の労働時間性も議論の対象になりました。

 問題になった不活動時間は、休憩・仮眠時間、昼食時間、夜食時間の労働時間性です。

 被告の就業規則では、

「フロント係,ガレージ係においては、始業時刻を午前11時、終業時刻を翌日の午前11時とし、休憩、仮眠時間は原則4時間、昼食時間は1時間、夜食時間は1時間とする。」

と規定されていました。

 被告はこれを労働時間ではないと主張しましたが、原告は、

「本件ホテルでは24時間いつでもチェックインができることとなっているものの、休憩時間とされる時間に、原告の業務を代替的に行う者を確保するなどしていなかったため、原告は、勤務時間帯中、常にモニターが設置されているフロントや、その周辺での待機を余儀なくされていた」

と主張して、これらは労働時間に該当すると主張しました。

 裁判所は、次のとおり述べて、4時間の限度で不活動時間に労働時間性を認めました。

(裁判所の判断)

「本件ホテルにおいては、原告が勤務する際、フロント係が原告一名しかおらず・・・、チェックイン及びチェックアウト時の利用客への対応や、在室中の利用客に対する軽食の提供といったフロント係の業務は、24時間体制で従事しなければならないものであった上・・・、被告は、原告が休憩や仮眠の取得を開始又は終了する特定の時刻も定めていなかった・・・。加えて、原告は、被告との間で、形式上業務委託契約を締結しており・・・、就業規則上の休憩時間の内容を明確に認識していたとはいえない。」

「以上の事実からすると、原告は、不活動時間中の一定時間帯において、フロント係の業務に対応する可能性に備え待機する必要性があったということができ、原告の勤務する時間帯に原告以外の従業員が勤務していた・・・とはいえ、他の従業員と交替するなどして、契約上定められた量の休憩時間(6時間)を取得することが保障されていたとはいえず、被告もかかる状態を認識していたものといえる。」

「そうすると、不活動時間中の一定の時間帯については、原告が、契約上の役務提供を義務付けられていたと評価することができる。」

「他方、本件ホテルでは、土曜日こそ、客室が満室になることもあったものの、平日には10室前後の客室が利用されているにとどまっている・・・。ホテルの利用客が一定時間客室に滞在することを考慮すると、特に平日においては、利用客によるチェックイン又はチェックアウトが行われる回数は限定されたものとなり、原告が、モニターを通じて利用客に対する必要な範囲の観察、料金支払い等の対応といったフロント係の業務を行う回数も限られたものとなる。加えて、軽食等の注文は、一部の利用客からのみ行われるものである上、その多くが、12時から14時までの間及び19時から21時までの間になされるものであり、早朝や深夜に行われるものは極めて少なかったこと・・・からすると、平日(月曜から金曜)の0時以降の深夜時間帯においては、実作業に従事する必要性や可能性が薄い時間帯があったというべきであり、かかる時間帯については、契約上の役務提供を義務付けられていたと評価することができない。本件で、契約上の役務提供が義務付けられていなかったと評価することができる時間は、2時間と認めるのが相当である。」

「したがって、本件請求期間中、平日(月曜から金曜)の0時から5時までの間の2時間を除く時間については、契約上役務の提供を義務付けられていたものと評価することができ、被告の指揮命令下に置かれていたものというべきであるから、実労働時間に該当する。」

3.ホテルのフロントで働いている方へ

 ホテルのフロント係で働いている方の中には、本件の原告と同じような働き方をししている人も、相当数いるのではないかと思います。

 冒頭で述べたとおり、不活動の仮眠・仮眠時間に労働時間性が認められると、まとまった額の残業代を請求できる可能性が高まります。

 仮眠や休憩を理由に給料が払われなものの、実際には仮眠や休憩をとれておらず、釈然としない、そうした思いをお抱えの方がおられましたら、ぜひ、お気軽にご相談をお寄せください。

 

残業代が跳ね上がる類型-ルーズな変形労働時間制

1.変形労働時間制

 変形労働時間制という仕組みがあります。これは、簡単に言えば、業務の繁閑に応じて労働時間を配分する制度です。

 変形労働時間制のもとでは、法定労働時間(1日8時間、1週間40時間 労働基準法32条参照)を超える所定労働時間を定めることが認められます。そして、法定労働時間を超えて働いても、それが所定労働時間を超えない限り、原則として時間外勤務をしたという扱いを受けません(ただし、一定の例外はあります)。

 変形労働時間制が導入されている企業で働いている人は、不規則なうえ、1日あたりの勤務が長時間に及んでいることが少なくありません。そのため、何等かの要因で変形労働時間制の法的効力が否定された場合、請求できる残業代は高額になる傾向があります。

 昨日ご紹介した、大阪地判令2.9.3労働判例ジャーナル106-40 ブレイントレジャー事件も、変形労働時間制の効力が否定され、残業代が跳ね上がった事件の一つです。

2.ブレイントレジャー事件

 本件は、いわゆる残業代請求事件です。

 被告になったのは、ホテルの経営等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で業務委託契約を締結し、被告の経営するラブホテルのフロント業務に従事していた方です。業務委託契約の実質は労働契約であるとして、自らの労働者性を主張し、時間外勤務手当等(残業代)を請求する訴えを起こしました。

 本件では、原告の労働者性のほか、変形労働時間制の有効性も議論の対象になりました。

 被告が採用していた変形労働時間制は、1か月単位のものです(労働基準法32条)。被告は、午前11時から翌日の午前11時までを基本的な勤務時間とし(ただし、休憩・仮眠時間4時間、昼食時間1時間、夜食時間1時間)、原告を含めた3名の従業員にフロント業務を行わせていました。結果、原告は約3日に1回の割合でフロント業務に従事することになりました。

 このような働き方をすると、1か月あたりの労働時間は、180時間を超えることになります。

 しかし、1か月単位の変形労働時間制では、

「一箇月以内の一定の期間を平均し一週間当たりの労働時間が前条第一項の労働時間(週40時間 括弧内筆者)を超えない」

定めをすることとされています(労働基準法32条の2第1項)。

 つまり、1か月あたりの労働時間は、

40時間×(30日ないし31日)/7日=171.4時間~177.1時間

以下でなければなりません。

 本件では、このように法が設けている労働時間の枠を超える所定労働時間を定めていた変形労働時間制の効力が問題になりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、変形労働時間制の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告においては、1か月単位の変形労働時間制が採用されている・・・ところ、かかる変形労働時間制が有効となるためには、変形期間である1か月内の平均労働時間が、一週間当たり40時間以内でなければならない(労基法32条の2第1項)。かかる要件を満たすためには、1か月の所定労働時間が、40時間を7日で除した数値に当該月の暦日数を乗じた数値を超えるものであってはならず、具体的には、被告の就業規則8条3項・・・で示されているとおり、1か月の暦日数が、〔1〕31日の場合は、177.1時間、〔2〕30日の場合は、171.4時間、〔3〕29日の場合は、165.7時間、〔4〕28日の場合は、160時間を上限とするものでなければならない。」

「被告は、変形期間の対象となる週及び日の特定をシフト表によって行ない、1勤務日当たりの労働時間は18時間と設定されている・・・ところ、原告は、三日に一度の頻度で業務に従事していたため、本件請求期間における原告の勤務日は、別紙2〔1〕(裁判所時間シート)のとおり・・・であり、おおよその月において、1か月当たりの勤務日が10ないし11日となっている。そうすると、被告の主張する1勤務日当たりの労働時間数18時間を前提としても、これに勤務日数を乗じた数値は、本件請求期間におけるおおよその月において、180時間を超えるものとなり、上記の上限時間を超えることとなる。」

「したがって、本件における変形労働時間制の定めが有効であるとはいえない。」

3.変形労働時間制の効力が否定された結果・・・

 上述のように変形労働時間制の効力が否定された結果、どうなったのかというと、裁判所は、被告に対し、775万8029円の残業代と、520万2182円の付加金を原告に支払うよう命じました。

 本件で原告が受け取っていた賃金(業務委託料)は、フロント業務委託費20~22万円+追加業務分(0~11万4000円)+諸費用(5000円)で構成されており、必ずしも高額であったわけではありません。

 しかし、変形労働時間制の有効性が崩れると、原則通り1日8時間を超過する労働には時間外勤務手当が発生します。丸一日稼働するとなると、1回あたりの勤務で多くの残業時間が積み重なります。結果、元賃金がそれほど高額ではなかったとしても、残業代が跳ね上がることになります。

 変形労働時間制は要件が複雑であり、個人的な実務経験に照らしても、精査すれば存外ほころびが見つかることが多いように思われます。

 変形労働時間制で働いてる人は、その変形労働時間制が本当に有効なものなのか、一度弁護士のもとに相談しに行ってみてもいいように思います。

 

社員・従業員の個人事業主化-自発的に同意してしまったら、それまでか?

1.社員・従業員の個人事業主化

 近時、一部企業の間で、社員・従業員を個人事業主化する動きがあります。名実ともに働き方を変えるもので、社員・従業員の納得のもとで進められるのであれば問題ありませんが、こうしたスキームは、往々にして労働基準法ほか関係労働法令の適用を逃れるための便法として濫用されがちです。

 それでは、会社からの働きかけに応じ、自発的に個人事業主になった方は、稼働実体が変わらなかったとしても、自分が労働者だと主張することが、できなくなってしまうのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令2.9.3労働判例ジャーナル106-40 ブレイントレジャー事件です。

2.ブレイントレジャー事件

 本件は、いわゆる残業代請求事件です。

 被告になったのは、ホテルの経営等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告が経営するラブホテルのフロント業務に従事していた方です。当初は労働契約を締結していましたが、途中で個人事業主化され、業務委託契約を結んで働いていました。

 業務委託契約を結んだ経緯に関しては、次のとおり認定されています。

(裁判所の事実認定)

「被告は、平成28年7月頃、社会保険等の加入を行うこととなり、原告を含む従業員にその旨を説明した。そうしたところ、原告を含む複数の従業員が、被告に対し、給与から社会保険料の労働者負担分が源泉徴収されるなどの結果、手取り給与額が減少することに難色を示した。そこで、被告は、これらの従業員の処遇について検討を行い、これらの従業員が、被告が『フリーランス契約』と呼ぶ業務委託契約を締結すれば、報酬額が減ることはないと判断した。被告は、原告を含む従業員に対し、『フリーランス契約』を選択することによって、手取りの報酬額が減少することを避けられる旨を伝えた上、『フリーランス契約』を希望する者を対象として、社会保険労務士を交えた説明会を開催した。同説明会においては、『フリーランス契約』を選択した者が、労働者でなくなる結果、被告に対し、労基法上の割増賃金の支払いを求めることができなくなるという説明はなされなかった。」

「その結果、原告は、本件業務委託契約書に署名押印を行ない、被告との間で業務委託契約を締結した。原告と同時期に被告との間で業務委託契約を締結した者は、原告以外にはいなかった。」

 以上の経緯のもと、業務委託契約を結んだものの、その稼働実体に特段の変化はなく、原告にとって個人事業主化は割増賃金(残業代)が支払われなくなるものでしかありませんでした。

 こうした処遇に不満を持った原告が、被告との契約を解消後、自らの労働者性を主張して、残業代を請求する訴訟を提起したのが本件です。

 裁判所は、次のとおり判示し、原告の労働者性を認めました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告との間で、形式的には業務委託契約を締結しているものの、時間的場所的な拘束を受けている上、その業務時間・内容や遂行方法が、被告との間で労働契約を締結した場合と異なるところがなく、被告の指揮監督の及ぶものであったことからすると、原告は、実質的には、被告の指揮命令下で労務提供を行っていたというべきである。」

「なお、被告は、原告の要望を受けて、原告との間で業務委託契約を締結し、原告が開業届や青色申告承認申請書を提出していることから、原告が労働者ではない旨を主張する。」

確かに、原告は、開業届及び青色申告承認申請書を提出しており・・・、それ自体は、原告が労働者であることと相容れないものである上、本件業務委託契約書への署名押印は、原告が自発的に署名押印を行ったものであって、被告の意向を受けてやむを得ずに行ったものとはいえない・・・。

しかしながら、原告は、業務委託契約の締結にあたり、被告から『労働者』に該当しなくなる結果、労基法上の割増賃金の支払いを求めることができなくなるなど、原告にとって不利益となる点につき説明を受けた上で、本件業務委託契約書に署名を行ったものではなく・・・、また、上記・・・説示の内容を踏まえると、原告は、被告からの指揮命令下において労務を提供していたということができることからすると、被告の指摘する事情は、原告が『労働者』であるとの評価を妨げるものとはいえない。

「したがって、原告は、労基法上の『労働者』に該当する。」

3.不利益となる点の説明がなければ、自発的に応じたことは主張の妨げとならない

 労働者性は、雇用契約、請負契約といった形式的な契約形式によって決まるわけではありません。実質的な使用従属性が認められるかどうかによって判断されます(昭和60年12月19日 労働基準法研究会報告 労働基準法上の「労働者」の判断基準について 参照)。

https://jsite.mhlw.go.jp/osaka-roudoukyoku/library/osaka-roudoukyoku/H23/23kantoku/roudousyasei.pdf

 したがって、業務委託契約のもとで働いている人であったとしても、労働者性を主張できるのは、当然のことです。

 本件で参考になるのは、例え客観的に労働者性が認められるような働き方をしていたとしても、自発的に個人事業主になってしまっていた場合、禁反言的な観点から、労働者性を主張することができなくなるのかという問題との関係です。

 被告からは禁反言に触れるという主張が明示的になされてたわけではありませんが、裁判所は、個人事業主化の際に、割増賃金(残業代)の支払を求めることができなくなるなど、原告にとって不利益となる点について説明がないことを指摘したうえ、個人事業主になることに原告の自発性があったことなどは、原告を労働者と評価する妨げにはならないと判示しました。

 本裁判例は、使用者側の不十分な説明のもとで個人事業主になったものの、稼働実体が変わらず後悔している方にとっての、後戻りの橋となる可能性を持っています。

 残業代の有無は、労働者と個人事業主との間にある顕著な差異の一つです。脱法的な社員・従業員の個人事業主化で残業代が払われなくなり困っている方がおられましたら、ぜひ、お気軽にご相談をお寄せください。

 

定年後再雇用-定年退職時の60%を下回る基本給を設定することが労契法旧20条違反とされた例

1.定年後再雇用-同じ仕事をさせながら賃金を下げることが許されるか?

 定年後再雇用された方の賃金水準は、多くの場合、定年前よりも低くなります。より軽易なものへと業務内容が変わっているのであれば、このような取扱いも、理解できなくはありません。しかし、定年前と全く同じ仕事をさせながら、定年後再雇用された方の賃金水準を低く抑えている企業も散見されます。

 それでは、定年後再雇用であることから、従前と同じ仕事をさせながら賃金を減少させることは、法的に許容されるのでしょうか?

 この点が問題になった過去の最高裁判例に、最二小判平30.6.1労働判例1179-34 長澤運輸事件があります。長澤運輸事件では、定年前に支給していた能率給・職務給を、定年後再雇用者に支給しないことが、労働契約法旧20条で禁止されていた不合理な労働条件の相違といえないのかが問題になりました。

 この事案の最大の特徴は、定年後再雇用の前後で、従業員の職務内容等に変更がなかったことでした。

 最高裁は、定年後再雇用であることが不合理性を判断するにあたっての考慮要素になることを認めたうえ、再雇用後の基本賃金及び歩合給の減少幅が、再雇用前の基本給、能率給及び職務給を合計した金額の2~12%に留まっていることなどを指摘し、

「嘱託乗務員と正社員との職務内容及び変更範囲が同一であるといった事情を踏まえても、正社員に対して能率給及び職務給を支給する一方で、嘱託乗務員に対して能率給及び職務給を支給せずに歩合給を支給するという労働条件の相違は、不合理であると評価することができるものとはいえないから、労働契約法20条にいう不合理と認められるものに当たらないと解するのが相当である。」

と判示しました。

 長澤運輸事件では、賞与を含めても、定年後再雇用者の年収が定年前の79%程度となるように設定されていました。こうしたことも不合理性の判断に影響を与えていることから、実務家の中には、2割程度の減少幅であれば、裁判所でもそれほど問題視されないのではないかという感覚を持つ人もいます。

 しかし、2割程度の減少幅があまり問題にされなかったということは、3割減・4割減でも問題にされないことまで意味するわけではありません。

 それでは、職務内容等が変わらない場合、定年後再雇用者の賃金をカットすることの限界は、どのあたりに求められるのでしょうか?

 この論点を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。名古屋地判令2.10.28労働判例ジャーナル106-1 名古屋自動車学校事件です。

2.名古屋自動車学校事件

 本件は、定年後再雇用された人の基本給を、定年退職時の45~48.8%以下にすること(役付手当、賞与、嘱託職員一時金を除く総支給額でみて賃金を定年退職時の56.1%~63.2%にすること)の不合理性が問題になった事案です。長澤運輸事件と同じく、定年後再雇用の前後で職務の内容等が同一であることから、こうした差異を設けることが許容されるのかが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、60%を割り込む水準の基本給を定めることは違法だと判示しました。

(裁判所の判断)

「原告らは、正職員定年退職時と嘱託職員時でその職務内容及び変更範囲には相違がなかったにもかかわらず、原告らの嘱託職員としての基本給は、正職員定年退職時と比較して、50%以下に減額されており、その結果、原告らに比べて職務上の経験に劣り、基本給に年功的性格があることから将来の増額に備えて金額が抑制される傾向にある若年正職員の基本給をも下回っている。また、そもそも、原告らの正職員定年退職時の賃金は、同年代の賃金センサスを下回るものであったところ、原告らの嘱託職員として勤務した期間の賃金額は、上記のような基本給の減額を大きな要因として、正職員定年退職時の労働条件で就労した場合の60%をやや上回るかそれ以下にとどまることとなっている。」

「そして、このことは、原告らが嘱託職員となる前後を通じて、被告とその従業員との間で、嘱託職員の賃金に係る労働条件一般について合意がされたとか、その交渉結果が制度に反映されたという事情も見受けられないから、労使自治が反映された結果であるともいえない。」

「以上に加えて、基本給は、一般に労働契約に基づく労働の対償の中核であるとされているところ、現に、原告らの正職員定年退職時の毎月の賃金に基本給が占める割合は相応に大きく、これが賞与額にも大きく影響していたことからすれば、被告においても、基本給をそのように位置付けているものと認められる。被告における基本給のこのような位置付けを踏まえると、上記の事実は、原告らの正職員定年退職時と嘱託職員時の各基本給に係る相違が労働契約法20条にいう不合理と認められるものに当たることを基礎付ける事実であるといえる。」

(中略)

「以上のとおり、原告らは、被告を正職員として定年退職した後に嘱託職員として有期労働契約により再雇用された者であるが、正職員定年退職時と嘱託職員時でその職務内容及び変更範囲には相違がなく、原告らの正職員定年退職時の賃金は、賃金センサス上の平均賃金を下回る水準であった中で、原告らの嘱託職員時の基本給は、それが労働契約に基づく労働の対償の中核であるにもかかわらず、正職員定年退職時の基本給を大きく下回るものとされており、そのため、原告らに比べて職務上の経験に劣り、基本給に年功的性格があることから将来の増額に備えて金額が抑制される傾向にある若年正職員の基本給をも下回るばかりか、賃金の総額が正職員定年退職時の労働条件を適用した場合の60%をやや上回るかそれ以下にとどまる帰結をもたらしているものであって、このような帰結は、労使自治が反映された結果でもない以上、嘱託職員の基本給が年功的性格を含まないこと、原告らが退職金を受給しており、要件を満たせば高年齢雇用継続基本給付金及び老齢厚生年金(比例報酬分)の支給を受けることができたことといった事情を踏まえたとしても、労働者の生活保障の観点からも看過し難い水準に達しているというべきである。

そうすると、原告らの正職員定年退職時と嘱託職員時の各基本給に係る金額という労働条件の相違は、労働者の生活保障という観点も踏まえ、嘱託職員時の基本給が正職員定年退職時の基本給の60%を下回る限度で、労働契約法20条にいう不合理と認められるものに当たると解するのが相当である。

3.元々賃金が低かったことは影響しているであろうが・・・

 裁判所は、原告らの定年退職時の賃金が、賃金センサス上の平均賃金を下回る水準であったことを指摘しています。本件は、元々低かった賃金を、定年退職後、更に大幅にカットした事案であり、一般化できるわけではないのだろうと思います。

 それでも、定年退職時の60%という形で、基本給の切り下げが許容される限度を具体的に設定したことは、大きな意義があるように思われます。

 定年後再雇用の労働条件の切り下げに係る問題は、今後、高齢化が更に進むとともに、更に顕在化して行くことが想定されます。労働契約法旧20条にしても、その後継となる短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律8条、9条にしても、決して扱いの簡単な条文ではありません。労働条件の切り下げに疑問を持った場合には、その適否を弁護士に相談してみることをお勧めします。

 

劇団員の労働者性が一歩前進した事例-稽古・出演の時も労働者

1.劇団員の労働者性

 昨年の2月、入団契約を結んだ劇団員の労働者性について判示した裁判例を紹介しました(東京地判令元.9.4労働判例ジャーナル95-48 エアースタジオ事件)。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/02/20/010316

 エアースタジオ事件の裁判所は、会場整理、セットの仕込み・バラシ、衣裳、小道具、ケータリング、イベントなど裏方業務の遂行との関係では労働者性を認めながらも、稽古や出演については労働者性を否定するという独特の判示をしました。

 この判決は控訴されており、東京高裁がどのような判断をするのかが気になっていました。近時公刊された判例集に、控訴審判決(東京高判令2.9.3労働判例ジャーナル106-38 エアースタジオ事件)が掲載されていたので、ご紹介させて頂きます。

2.エアースタジオ事件(控訴審)

 本件は未払賃金請求・残業代請求の可否等に関連して、劇団員の労働者性が争点となった事件です。出演・稽古との関係で労働者性を否定するなどした原審の判断に対し、これを不服とした原告劇団員が控訴したのが本件です。

 原告・控訴人劇団員は、次のような主張をして、出演・稽古との関係でも労働者性が認められるべきだとの議論を展開しました。

(原告・控訴人劇団員の主張)

「公演への出演及びその前提となる稽古も、被控訴人の指定する劇場及び稽古場で実施されていたのであって場所的拘束があったし、公演日程については被控訴人において年間スケジュールが組まれており、稽古日程については被控訴人の従業員であるプロデューサーの業務マニュアル・・・において『(プロデューサーが)演出と相談して稽古日程を決める』等の記載があり、被控訴人において決定している。このように、出演及び稽古についても、被控訴人において決定し、各出演者に対してプロデューサー等を通じて指示が出ていたのであるから、労務提供の時間及び場所について指揮命令があったといえる。」

 こうした原告の主張を受け、裁判所は、次のとおり述べて、稽古・出演との関係でも原告は労働者に該当すると判示しました。

(裁判所の判断)

「被控訴人は、本件カフェにおける業務を除き、本件劇団における業務について、控訴人が労働基準法上の労働者であることを争っているところ、同法の労働者と認められるか否かは,契約の名称や形式にかかわらず、一方当事者が他方当事者の指揮命令の下に労務を遂行し、労務の提供に対して賃金を支払われる関係にあったか否かにより判断するのが相当と解される。」

「そして、本件劇団において控訴人が従事した業務は多様なものであるところ、控訴人と被控訴人が労働者と使用者の関係にあったか否かは,上記観点を踏まえ、控訴人が、劇団における各業務について、諾否の自由を有していたか、その業務を行うに際し時間的、場所的な拘束があったか、労務を提供したことに対する対価が支払われていたかなどの諸点から個別具体的に検討すべきである。

(中略)

「確かに、控訴人は、本件劇団の公演への出演を断ることはできるし、断ったことによる不利益が生じるといった事情は窺われない・・・。」

「しかしながら、劇団員は事前に出演希望を提出することができるものの、まず出演者は外部の役者から決まっていき、残った配役について出演を検討することになり(原審におけるP6及びP5の証言によると1公演当たりの出演者数20から30人に対して劇団員の出演者数4人程度)、かつ劇団員らは公演への出演を希望して劇団員となっているのであり、これを断ることは通常考え難く、仮に断ることがあったとしても、それは被控訴人の他の業務へ従事するためであって、前記のとおり、劇団員らは、本件劇団及び被控訴人から受けた仕事は最優先で遂行することとされ、被控訴人の指示には事実上従わざるを得なかったのであるから、諾否の自由があったとはいえない。また、劇団員らは、劇団以外の他の劇団の公演に出演することなども可能とはされていたものの、少なくとも控訴人については、裏方業務に追われ(小道具のほか、大道具、衣装、制作等のうち何らかの課に所属することとされていた。)他の劇団の公演に出演することはもちろん、入団当初を除きアルバイトすらできない状況にあり、しかも外部の仕事を受ける場合は必ず副座長に相談することとされていたものである。その上、勤務時間及び場所や公演についてはすべて被控訴人が決定しており、被控訴人の指示にしたがって業務に従事することとされていたことなどの事情も踏まえると、公演への出演、演出及び稽古についても、被控訴人の指揮命令に服する業務であったものと認めるのが相当である(控訴人が本件劇団を退団した後に制定された被控訴人の就業規則によれば、出演者が出演を取りやめる場合は代役を確保することが求められており、控訴人が本件劇団在籍中も同様であったものと窺われる。)。」

「これに対し、被控訴人は、〔1〕公演への出演に当たっての稽古には場所的拘束は存在しない、〔2〕本件劇団の劇団員は、作成された年間スケジュールの中から自らが参加したい演目に自由に参加希望を出すことができ、公演への出演は任意であった、〔3〕本件劇団の劇団員は、業務マニュアルに拘束されるものでなければ、同マニュアル通りに活動しているか否かを管理されるものでもないから、時間的拘束も存在しない旨主張する。」

「しかしながら、仮に稽古の場所が本件各劇場以外の場合もあったとしても、稽古自体は当然本件劇団の指示に従って行うものであるし、公演の演目に出演すること自体が任意であったとしても、出演して演技を行うに当たって本件劇団の指揮命令が及ぶことは前記説示のとおりである。被控訴人の上記主張は採用できない。」

3.業務との関係で労働者性を判断する枠組みは堅持

 稽古・出演との関係での労働者性について、結論が真逆になったこともさることながら、より目を引くのが、高裁も原告・控訴人の労働者性について、

「劇団における各業務について・・・個別具体的に検討すべき」

と判示した点です。具体的な業務との関係で、一つの契約(入団契約)が労働契約と理解されたり、されなかったりするという地裁独特の判断は、高裁でも受け入れられているように見えます。

 以前にも述べましたが、これはフリーランスの保護等を考えるにあたり、非常に画期的なことです。この判決は、芸能人・俳優といった職業の方の法的保護を考えるにあたり、労働法を活用する可能性を示唆するものです。

 業務毎の労働者性の認定が、労働時間の認定とどのように違うのかといった今後解明されなければならない問題はありますが、保守的な東京高裁が劇団員の方の保護に踏み込んだ判断を示したのは画期的なことです。

 (時として最低賃金以下の水準にもなる)低賃金・低報酬で過酷な働き方をしている劇団員、芸能人の方は、決して少なくないと思います。労働者性が認められれば、最低賃金との差額を請求したり、残業代を請求したりする余地が出てきます。今回ご紹介したような裁判例もあるので、お困りの方は、ぜひ、お気軽にご相談頂ければと思います。

 

業務委託契約を利用した脱法的労働者派遣で被派遣者に労働者性が認められた事例

1.労働者派遣法の脱法スキーム

 労働者派遣事業は「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律」(労働者派遣法)によって、業務が適正に行われるように規制されています。

 こうした法規制を逃れるための古典的な方法に、業務委託契約利用したスキームがあります。例えば、A社から一定の業務を受託したB社が、その受託業務を個人Cに再委託します。その後、個人CをA社のもとで働かせるといった形がとられます。労働契約を業務委託契約だと言い張る形での脱法手段に、一捻りを加えたものです。

 当然のことながら、業務委託契約の形式を利用したからといって、労働契約が労働契約でなくなることはありません。上記の例で言うと、Cに労働者性が認められる場合、Cは労働者としての地位をB社に対して主張することができます。近時公刊された判例集にも、こうした業務委託契約を利用した労働者派遣の脱法スキームが否定された例が掲載されていました。大阪地判令2.9.4労働判例ジャーナル106-36 サンフィールド事件です。

2.サンフィールド事件

 本件で被告になったのは、竹本油脂株式会社(竹本油脂)から営業行為を受託している合同会社です。

 原告になったのは、被告が受託した竹本油脂の営業行為を行っていた方です。被告との間で「フィールド業務委託契約書」等の書面を取り交わし、被告からの指示を受け、竹本油脂から指揮命令を受けて働いていました。こうした事実関係のもと、被告に対し、労働者として未払賃金等の支払を求めたのが本件です。

 しかし、被告は、これを業務委託契約であるとして、原告が損害賠償を履行するまで、月額基本料(業務委託料)は支払わないと主張しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり判示し、原告の労働者性を認めました。

(裁判所の判断)

「そもそも当該契約が雇用契約に該当するか否かは、形式的な契約の文言や形式のいかんにかかわらず、実質的な使用従属性を、労務提供の形態や報酬の労務対償性及びこれらに関連する諸要素をも勘案して総合的に判断すべきである。」

「これを本件について検討するに、前記認定事実によれば、〔1〕原告に、被告からの具体的な仕事の依頼や業務従事の指示等に対する諾否の自由があったとはいえないこと・・・、〔2〕原告は、業務内容及びその遂行方法について、被告又は被告を通じて竹本油脂から、具体的な指揮命令を受けていたこと・・・、〔3〕原告は、被告の命令、依頼等により、通常予定されている業務以外の業務に従事することがあったこと・・・、〔4〕原告は、被告又は被告を通じて竹本油脂から、勤務場所及び勤務時間の指定及び管理を受けており、労務提供の量及び配分についての裁量はなかったこと・・・、〔5〕原告が原告以外の者に労務の提供を委ねることは予定されていなかったこと・・・が認められ、これらの事実によれば、原告の労務提供の形態は、被告の指揮監督下において労務を提供するというものであったということができる。」

「また、前記認定事実によれば、原告の報酬は、出来高制ではなく、時間を単位ないし基礎として計算され、欠勤した場合は応分の報酬が控除され、いわゆる残業をした場合には通常の報酬とは別の手当が支給されるものであったことが認められ・・・、これらの事実によれば、原告の報酬は、被告の指揮監督下で一定時間労務を提供したことの対価であり労務対償性を有していたということができる。」

「加えて、前記認定事実によれば、原告の採用過程は労働者のそれと同じであり・・・、原告は業務に要した経費を負担していないことが認められ・・・、本件全証拠によっても、原告の報酬が他の労働者の報酬と比して高額であるとか、原告が自己の資金と計算で事業を行っているといった事実は認められない。」

「以上によれば、原告は、被告の指揮監督下で労務を提供し、労務の対価として報酬を得ていたものであり、原告と被告は使用従属関係にあるということができるから、本件契約は雇用契約に当たるというべきである。」

「これに対し、被告は、本件契約は業務委託契約であると主張し、本件契約書の表題や本件契約書及び本件覚書には『委託業務』や『委託の対価』といった文言があり・・・、報酬は原告からの請求書に基づいて支払う形態がとられていること・・・が認められる。」

「しかし、上記契約書の表題や文言が、実際の労務提供の形態や報酬の対価と合致せず、実質を伴うものでないことは、既に認定・説示したとおりである。」

「また、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、請求書の書式データは被告が作成したものであり、原告が入力した内容についても被告代表者が了解しない部分については修正を指示されるなど、原告が自由に作成できるものではなかった上、その内容をみても労務対償性を否定するものではないことが認められる。」

「さらに、前記認定事実・・・及び証拠・・・によれば、被告の業務の実態は労働者派遣でありながら、被告は資金繰りが苦しいことを理由に労働者派遣事業の許可を受けていなかったことが認められ、かかる事実によれば、本件契約書等の文言や原告から請求書を提出させて報酬を支払う形態は、被告が労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律違反を免れんがため外形を整えたにすぎないとの疑いを払拭できない。」

「したがって、前記認定に反する被告の主張は採用できない。」

3.みなし申込み制度はあるが・・・

 偽装請負(業務委託を含む)には、みなし申込み制度が適用されます。これは、偽装請負の事実が認められる場合、役務の提供を受ける者が派遣労働者に対して労働契約の申込みをしたものとみなしてしまう仕組みをいいます(労働者派遣法40条の6第1項5号)。

 しかし、みなし申込み制度が適用されるためには、

「この法律又は次節の規定により適用される法律の規定の適用を免れる目的」

が必要になります。

 この要件の認定のハードルが高いため、みなし申込み制度を利用して派遣先に対して労働契約上の地位を主張することは、それほど容易ではありません。こうした場合に、使用者としての責任を追及しようとすれば、派遣元・業務委託者を対象にすることが考えられます。

 労働契約であることが認められると、残業代の請求ができるようになるなど、業務委託契約にはない様々なメリットが発生します。偽装請負(偽装業務委託)でお悩みの方方がおられましたら、ぜひ、お気軽にご相談ください。

 

退職者への行き過ぎた慰留に不法行為該当性が認められた例

1.辞められない会社

 一昔前に「辞められない会社」という退職妨害をしてくる使用者の存在が話題になりました。こうした退職妨害行為の横行を受けて、現在では、退職したい労働者向けに、法律事務所が退職代行・退職に向けた交渉代理などのサービスの提供を提供することも一般的になりつつあります。

 どれだけ使用者が退職を阻止しようとしたとしても、辞意を固めた労働者の退職を阻止する方法はありません。また、退職代行・退職交渉を依頼するような労働者の方は、とにかく会社と関わり合いになりたくないというニーズを持っている人が多くみられます。そのため、それなりに酷い退職妨害が行われているケースでも、退職後に敢えて不法行為として裁判に訴えるケースは、それほど見られなかったように思われます。

 しかし、近時公刊された判例集に、退職者への行き過ぎた慰留に不法行為該当性が認められた裁判例が掲載されていました。東京地判令2.9.17労働判例ジャーナル106-28 ルーチェ事件です。適法な慰留と違法な退職妨害との境界を知るうえで参考になる事例として紹介させて頂きます。

2.ルーチェ事件

 本件で被告になったのは、美容院の経営及びコンサルタント等を目的とする株式会社(被告会社)と、その代表取締役(被告P2)です。

 原告になったのは、被告会社で勤務していた美容師の女性です。被告会社を退職した後、残業代を請求するとともに、パワーハラスメントを受けたことにより人格権を侵害されたと主張して損害賠償を請求する訴訟を提起しました。

 この損害賠償請求の理由を構成するパワーハラスメントの一つに、被告P2による行き過ぎた慰留がありました。

 裁判所では、次の事実が認められています。

(裁判所で認定された事実)

「原告は、平成29年8月27日、被告P2に対し、退職したい旨告げ、退職の理由として、原告の祖母が病気で施設に入っており、原告の母も病気であるので家を手伝いたいなどの旨説明した。」

「被告P2は、原告の退職を慰留しようとし、原告に対し、原告の母と直接話をすることを申入れるなどしたが、その際、原告に対し、『小学生と話をしているようでらちがあかない。』旨述べた。」

「被告P2は、平成29年8月29日、原告の母と面談した。原告の母は、上記面談の際、被告P2に対し、原告の退職理由に関し、原告がそれまで何度か仕事で壁にぶつかることがあり、その都度励ますなどしたが、被告会社で仕事を続けることに不安を感じ悩んでいることなどを説明した。」

「被告P2は、平成29年8月30日、P9(店長・スタイリスト 括弧内筆者)の同席の下、原告と面談した。」

「被告P2は、前記cの面談の際やその前後の頃、原告に対し、『辞めるのは恩を仇で返す行為である。』、『辞めることは感謝の気持ちがない。』、『次の人を探せ。』、『自分の要求を一方的に言っている。』、『わがまま。』、『おまえがやっていることは北朝鮮がミサイルを落としているのと一緒だ。』、『100対0で原告が悪い。』、『おまえの母親もおまえも目を見て話せない。』などの旨述べた。」

 こうした事実関係を前提とし、裁判所は、次のとおり述べて、被告P2の慰留行為に不法行為該当性を認めました。

(裁判所の判断)

被告P2の発言は、その経緯に照らすといずれも原告の退職を慰留する中でされたものであるということができるが、その一連の発言を全体としてみると、原告に対する侮辱的又は威圧的なものということができるのであって、労働者に退職の自由があることに鑑みると、退職の理由に関する原告の説明と原告の母の説明とが整合しない部分があったことを考慮しても、被告P2の上記発言は退職を慰留するための説得の域を超えて違法に原告の人格権を侵害するものというべきである。

したがって、前記・・・で認定した被告P2の発言について、被告P2は不法行為により、被告会社は会社法350条により連帯して損害賠償責任を負う。

(中略)

「被告P2の不法行為、すなわち・・・被告P2の発言は全体として侮辱的又は威圧的なものであって、原告が受けた屈辱感は相応のものであったというべきであるが、原告の退職を慰留する中での短期間の間にされたものであり、退職の理由に関する原告の説明と原告の母の説明とが整合しない部分があったという経緯を考慮すると、原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料の額は5万円と認めるのが相当である。

3.僅か5万円ではあるが・・・

 本件で認定された慰謝料は5万円でしかありません。しかし、

『辞めるのは恩を仇で返す行為である。』、

『辞めることは感謝の気持ちがない。』、

『次の人を探せ。』、

『自分の要求を一方的に言っている。』、

『わがまま。』、

『100対0で原告が悪い。』、

といったフレーズに違法性が認められた意義は大きいと思います。なぜなら、こうしたフレーズは退職妨害をしてくる会社が使う決まり文句だからです。どの会社も言うことが似たり寄ったりであるため、裁判所の判示事項は、退職妨害をしてくる会社を広く牽制できる可能性があります。

 退職に関する交渉は、当事務所でも取り扱っています。本件のように、残業代を請求するついでに妨害行為の違法性を問題にすることも考えられると思います。お困りの方は、ぜひ、お気軽にご相談ください。