弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

社員・従業員の個人事業主化-自発的に同意してしまったら、それまでか?

1.社員・従業員の個人事業主化

 近時、一部企業の間で、社員・従業員を個人事業主化する動きがあります。名実ともに働き方を変えるもので、社員・従業員の納得のもとで進められるのであれば問題ありませんが、こうしたスキームは、往々にして労働基準法ほか関係労働法令の適用を逃れるための便法として濫用されがちです。

 それでは、会社からの働きかけに応じ、自発的に個人事業主になった方は、稼働実体が変わらなかったとしても、自分が労働者だと主張することが、できなくなってしまうのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令2.9.3労働判例ジャーナル106-40 ブレイントレジャー事件です。

2.ブレイントレジャー事件

 本件は、いわゆる残業代請求事件です。

 被告になったのは、ホテルの経営等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告が経営するラブホテルのフロント業務に従事していた方です。当初は労働契約を締結していましたが、途中で個人事業主化され、業務委託契約を結んで働いていました。

 業務委託契約を結んだ経緯に関しては、次のとおり認定されています。

(裁判所の事実認定)

「被告は、平成28年7月頃、社会保険等の加入を行うこととなり、原告を含む従業員にその旨を説明した。そうしたところ、原告を含む複数の従業員が、被告に対し、給与から社会保険料の労働者負担分が源泉徴収されるなどの結果、手取り給与額が減少することに難色を示した。そこで、被告は、これらの従業員の処遇について検討を行い、これらの従業員が、被告が『フリーランス契約』と呼ぶ業務委託契約を締結すれば、報酬額が減ることはないと判断した。被告は、原告を含む従業員に対し、『フリーランス契約』を選択することによって、手取りの報酬額が減少することを避けられる旨を伝えた上、『フリーランス契約』を希望する者を対象として、社会保険労務士を交えた説明会を開催した。同説明会においては、『フリーランス契約』を選択した者が、労働者でなくなる結果、被告に対し、労基法上の割増賃金の支払いを求めることができなくなるという説明はなされなかった。」

「その結果、原告は、本件業務委託契約書に署名押印を行ない、被告との間で業務委託契約を締結した。原告と同時期に被告との間で業務委託契約を締結した者は、原告以外にはいなかった。」

 以上の経緯のもと、業務委託契約を結んだものの、その稼働実体に特段の変化はなく、原告にとって個人事業主化は割増賃金(残業代)が支払われなくなるものでしかありませんでした。

 こうした処遇に不満を持った原告が、被告との契約を解消後、自らの労働者性を主張して、残業代を請求する訴訟を提起したのが本件です。

 裁判所は、次のとおり判示し、原告の労働者性を認めました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告との間で、形式的には業務委託契約を締結しているものの、時間的場所的な拘束を受けている上、その業務時間・内容や遂行方法が、被告との間で労働契約を締結した場合と異なるところがなく、被告の指揮監督の及ぶものであったことからすると、原告は、実質的には、被告の指揮命令下で労務提供を行っていたというべきである。」

「なお、被告は、原告の要望を受けて、原告との間で業務委託契約を締結し、原告が開業届や青色申告承認申請書を提出していることから、原告が労働者ではない旨を主張する。」

確かに、原告は、開業届及び青色申告承認申請書を提出しており・・・、それ自体は、原告が労働者であることと相容れないものである上、本件業務委託契約書への署名押印は、原告が自発的に署名押印を行ったものであって、被告の意向を受けてやむを得ずに行ったものとはいえない・・・。

しかしながら、原告は、業務委託契約の締結にあたり、被告から『労働者』に該当しなくなる結果、労基法上の割増賃金の支払いを求めることができなくなるなど、原告にとって不利益となる点につき説明を受けた上で、本件業務委託契約書に署名を行ったものではなく・・・、また、上記・・・説示の内容を踏まえると、原告は、被告からの指揮命令下において労務を提供していたということができることからすると、被告の指摘する事情は、原告が『労働者』であるとの評価を妨げるものとはいえない。

「したがって、原告は、労基法上の『労働者』に該当する。」

3.不利益となる点の説明がなければ、自発的に応じたことは主張の妨げとならない

 労働者性は、雇用契約、請負契約といった形式的な契約形式によって決まるわけではありません。実質的な使用従属性が認められるかどうかによって判断されます(昭和60年12月19日 労働基準法研究会報告 労働基準法上の「労働者」の判断基準について 参照)。

https://jsite.mhlw.go.jp/osaka-roudoukyoku/library/osaka-roudoukyoku/H23/23kantoku/roudousyasei.pdf

 したがって、業務委託契約のもとで働いている人であったとしても、労働者性を主張できるのは、当然のことです。

 本件で参考になるのは、例え客観的に労働者性が認められるような働き方をしていたとしても、自発的に個人事業主になってしまっていた場合、禁反言的な観点から、労働者性を主張することができなくなるのかという問題との関係です。

 被告からは禁反言に触れるという主張が明示的になされてたわけではありませんが、裁判所は、個人事業主化の際に、割増賃金(残業代)の支払を求めることができなくなるなど、原告にとって不利益となる点について説明がないことを指摘したうえ、個人事業主になることに原告の自発性があったことなどは、原告を労働者と評価する妨げにはならないと判示しました。

 本裁判例は、使用者側の不十分な説明のもとで個人事業主になったものの、稼働実体が変わらず後悔している方にとっての、後戻りの橋となる可能性を持っています。

 残業代の有無は、労働者と個人事業主との間にある顕著な差異の一つです。脱法的な社員・従業員の個人事業主化で残業代が払われなくなり困っている方がおられましたら、ぜひ、お気軽にご相談をお寄せください。