弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

普段あたりさわりのない評価をしていた部下に本音を伝える時の留意点

1.部下や後輩に対する評価

 部下や後輩の仕事ぶりを評価することは、難しい業務の一つです。期待した水準に達していなかったとしても、そのことをストレートに伝えることが、必ずしも良い結果に繋がるとは限らないからです。できない点ばかり指摘していては人は意欲を失います。多少の粗には気にせず、良い評価を伝えて自信を与えた方が、能力の向上に結び付くことは、決して少なくありません。しかし、だからといって、問題点を指摘せず、あたりさわりのない評価ばかりしていても、それはそれで成長に繋がりません。

 上司の中には、こうした困難さから目を背け、本音では低い評価をしていても、本人に対してはあたりさわりのない評価を出し続けるといった対応をとる方もいます。しかし、このような対応をしていると、何かの拍子に本音ベースでの評価に直面させざるを得なくなった時、部下との間に強い軋轢が生じることがあります。近時公刊された判例集に掲載されていた、大阪高判令2.7.3労働判例1231-92 国・京都上労基署長(島津エンジニアリング)事件も、そうした軋轢が問題になった裁判例の一つです。

2.国・京都上労基署長(島津エンジニアリング)事件

 本件は労災の不支給処分の取消訴訟です。

 原告(控訴人)の方が勤めていたのは、機器・装置の開発・設計・製図、テクニカルイラストレーション、コンピュータソフトウェアの技術業務等を事業内容とする株式会社(本件会社)です。

 原告は、本件会社との間で有期雇用契約を結び、契約社員として働いていた方です。

 正社員登用試験に関係する課長面談や社長面談により適応障害等の精神障害に罹患したとして、休業補償給付の支給を申請しました。しかし、労働基準監督署長は原告の休業補償給付の申請支給しない処分を行いました。一審でも労働基準監督署の判断は維持され、原告の請求は認められませんでした。本件は、その控訴審判決です。

 課長面談で原告の方がストレスを感じたのは、課長から辛辣な評価を伝えられたうえ、正社員への推薦を拒まれたからです。

 課長は、部下とのコミュニケーションツールである行動育成計画書の上では、原告の働きぶりについて、「目標を順調にクリアされているようですね。」「引き続き目標に向かって行動を続けてください。」「達成度が高くきっちりと取り組まれたと評価いたします。」「高い達成度おそれいります。」「改善提案以外の達成度は80アーセンとを超えておりすばらしいと思います。」などと肯定的評価を数多く記載していました。しかし、その一方、管理職間では原告の方を5段階(A、B、C1、C2、C3)で下位15%に当たるC2に分類し続けていました。このように本人に問題が覆い隠されていたところ、面談で本音ベースでの評価に触れることになり、これが原告の方に強い衝撃を与えました。

 こうした業務負荷について、裁判所は、次のとおり評価し、適応障害等の業務起因性を認めました。

(裁判所の判断)

「G課長は、控訴人の業務評価について、仕事の効率を考えていないといった消極的な評価をし、昇給査定のための課長考課でも下位評価をしていたが、それを控訴人に対して業務の課題として明確に伝えて指導するわけではなく、かえって行動育成計画書では肯定的評価を多数記載しており、過去に控訴人の正社員登用試験の推薦をしたことがあったのであるから、控訴人にとっては、自らの業務遂行について改善の機会を与えられることなく、いきなり正社員登用試験受験につき推薦されないという対応をされることは予想外のことであったというべきである。他方で、G課長は、控訴人が資格取得の勉強に時間を費やしていたことを知ってはいたが、それが正社員登用のためのものであることを知らなかったことや、正社員登用試験の受験申請書を受理してもその申請の経緯や意向を確認しなかったことからすれば、職場の暑さ対策やパソコンの不具合対応の件も含め、控訴人との間で職務上当然求められる意思疎通を適切に行っていなかったということができる。・・・」

「かかる状況のもと、本件出来事1(G面談)は、正社員登用試験受験申請をした控訴人に対し、その申請の経緯や意向を確認しないまま、控訴人について上記受験申請に必要な部署長の推薦をしない旨述べたものであるから、控訴人にとっては全くの予想外のことであって不意打ちといわざるを得ないものである。」

「しかも、G課長は、前記のとおり、正社員登用試験受験の機会を平成26年は与えないというにとどまらず、控訴人が今後の組織運営に必要としない人材であって契約社員としても将来の雇用の継続が困難になることを予測させることまで述べており、これは、上記推薦をしないことを伝える面談の場において告げる必要のない内容であるとともに、従前の経緯からは全く予想外の業務評価である。」

「加えて、G課長は、控訴人が本件会社に入社する時から充実感等を感じていたテクニカルライターの仕事に関して、控訴人が自信を有していたライティング技術には、スキルにおいて特出したものはない旨の発言もしており、これも日頃指摘されていない業務評価であって、不意打ちに当たり、控訴人の自負心を著しく傷つけるものであったといえる。」

「さらに、G面談は、控訴人とG課長の二人だけが在室した部屋で1時間以上に及び、その中で、G課長が、上司として、興奮状態の控訴人を宥めたり、次年度以降の受験につながる話し方をしていないものであって、その伝え方も部下の心情に対する配慮を著しく欠くものであったといわざるを得ない。・・・」

「そして、本件出来事2(社長面談②)は、控訴人が一縷の望みともいえる期待をして面談したJ社長が、G面談の2日後に、控訴人に対し、平成25年4月19日の社長面談①の発言に何ら言及しないままに、G課長から消極的な意見が出たので合格は難しいなどと伝え、G面談によって精神的な打撃を受けた控訴人に対し、さらに追い打ちをかけるように精神的な打撃を与えるものである・・・」

以上検討したところによれば、本件出来事1については、控訴人が、平成25年3月の契約社員従業員規則の改正という契約社員の地位に関する重要な改正に関して、社長面談①でのJ社長の発言が本件会社の組織として一貫した方針に基づくとはいい難いものであったのに、その発言を契機として、正社員登用試験受験に向けて努力を重ね、行動育成計画書では課題への取組について肯定的評価を受けていたにもかかわらず、G課長が控訴人に対し、『正社員登用試験受験の推薦をしない』と告げたもので、控訴人にとっては全く予想外の不意打ちであること、G課長の発言内容はそれだけでなく、その場で告げる必要がなく、かつ、全くの予想外の内容である、今後の組織運営に必要としない人材であるという業務評価まで告げたこと、G課長は、上司として、控訴人の自尊心を傷つけるような発言を含め長時間にわたって面談をし、興奮状態の控訴人を宥めたり、次年度以降の受験につながる話し方をせず、部下の心情に著しく配慮を欠く方法で行ったという点において、労務管理上極めて不合理かつ不適切な対応であったというべきである。そして、本件出来事2もG面談を追認するものでやはり不適切な対応であったというべきである。

「控訴人は、G面談については、『気を失うぐらいでしたし、話が終わった後も立てないぐらいでした。』・・・、社長面談②については、『あんなに期待させておいて、受かる受からないは別として、受けられないなんて、受けられないにしても、これだけひどいことを言われて、こんな努力もして、本当に何だったんだろうと頭が真っ白になりました。』・・・などというのであり、本件各出来事の直後に本件疾病を発病していることも併せ考慮すると、控訴人が本件各出来事によってかなりの心理的負荷を受けたと認められる。そして、この心理的負荷は、上記判示の本件出来事1の労務管理上の不合理性及び不適切性並びに本件出来事2の不適切性によるもの、すなわち客観的な事由によるものであり、控訴人に特殊なものとは解されず、控訴人と職種、年齢、経験などが類似する同種の労働者にとっても、同様にあり得る受け止め方ということができる。そうすると、本件各出来事は、総合して、認定要件における『業務による強い心理的負荷』の原因であると評価することができる。」

「したがって、本件疾病の発病前6か月の間に業務による強い心理的負荷があったと認められる」

3.取消訴訟ではあるが・・・

 本件は労災不支給の取消訴訟ではありますが、裁判所が示した考え方は労災民訴(労災で填補されない損害について、別途、使用者に損害賠償を求めること)でも応用可能なものだと思います。

 表向きは色よいことを述べつつも、裏では低評価をするといった手法は、公正とはいえません。こうした矛盾が表面化したことで、精神疾患の発症に繋がる負荷を受けた労働者は、労災という観点からだけではなうく、民事訴訟で損害の賠償を求めるといった選択も考えられます。

 お困りの方がおられましたら、ぜひ、お気軽にご相談ください。

妊娠中の解雇を理由とする慰謝料請求

1.違法解雇を理由とする慰謝料請求

 違法な解雇により精神的苦痛を受けた労働者は、不法行為に基づいて慰謝料を請求することができます。しかし、実務上は、地位確認・賃金請求が認められれると、それに伴って精神的苦痛も慰謝されるとの理由で、慰謝料請求が認められない事例は少なくありません(第二東京弁護士会 労働問題検討委員会『2018年 労働事件ハンドブック』〔労働開発研究会、初版、平30〕377-378頁参照)。

 しかし、これには例外もあります。その一つが、妊娠中の労働者等に対して解雇が行われた場合です。男女雇用機会均等法は、9条3項で妊娠等を理由とする解雇等の不利益取扱いを禁止し、9条4項で妊娠中の女性労働者等への解雇は原則として無効になると定めています。こうしたルール設定がなされている背景もあり、妊娠中の労働者等を対象とする解雇に関しては、それが違法・無効とされた場合、比較的柔軟に慰謝料請求が認められています。近時公刊された判例集に掲載されていた、名古屋地判令2.2.28労働判例1231-157 アニマルホールド事件も、妊娠中に解雇された労働者からの違法解雇を理由とする慰謝料請求を認めた事案の一つです。

2.アニマルホールド事件

 本件は、売上金の窃取等を理由として妊娠中に解雇された労働者が、解雇の違法無効を主張し、地位確認等を請求した事件です。請求の趣旨には、違法解雇を理由とする慰謝料請求も掲げられていました。

 被告になったのは、動物病院の経営等を業務目的として設立された株式会社です。

 原告になったのは、被告が経営する動物病院でトリマーとして勤務していた方です。平成30年1月上旬に妊娠が発覚し、同月中に被告会社に妊娠したことを知らせていました。

 平成30年6月1日、被告会社は、原告に対し、同年7月1日付けで普通解雇することを告げました。その理由となったのが、売上金等の窃盗です。

 これに対し、原告は、窃盗の事実は存在しないとして、解雇の違法無効を主張し、地位確認や慰謝料の支払い等を求める訴訟を提起しました。

 裁判所は、

「平成30年5月11日を含む被告会社が主張する41回の窃取についてそのうち1回でも原告が行ったものであるとは認めることはできない。」

と判示し、解雇が違法無効であると判示したうえ、次のとおり述べて、原告の慰謝料請求を認めました。

(裁判所の判断)

「本件解雇は、客観的合理性・社会的相当性を欠いており、権利濫用と評価され、認定事実の平成30年5月11日以降の経過や本件訴訟での主張立証状況に鑑みても性急かつ軽率な判断といわざるを得ず、少なくとも被告会社に過失が認められることは明らかであるから、原告の雇用を保持する利益や名誉を侵害するものとして、不法行為を構成するというべきである。」

(中略)

「解雇により被る不利益は、主として、本来得られたはずの賃金という財産的利益に関するものであり、未払賃金等の経済的損害のてん補が認められる場合には、これによっても償えない特段の精神的苦痛が生じたといえることが必要と解するのが相当である。」

「原告は、被告会社から確たる証拠もなく窃取を理由に産前休業の直前に解雇されたものであること、本件解雇の通告後、認定事実のとおり、その影響と思われる身体・精神症状を呈して通院していることに照らすと、未払賃金の経済的損害のてん補によっても償えない特段の精神的苦痛が生じたと認めるのが相当である。

「これまで述べた認定説示その他本件に顕れた一切の事情を総合考慮すれば、原告の精神的苦痛に対する慰謝料額としては50万円が相当である。」

3.妊娠中であれば妊娠とは無関係な違法解雇でも慰謝料を請求しやすい

 男女雇用機会均等法との関係で、余程法律に無理解な使用者を除けば、妊娠を理由として労働者を解雇するといった暴挙には及びません。仮に、本音が妊娠した労働者に辞めてもらいたいという点にあったとしても、妊娠とは無関係な解雇事由を主張します。

 そうした背景があるためか、一見すると妊娠とは関係なさそうな事由が構成されている場合でも、妊娠中の労働者への解雇が無効とされる場合、裁判所は、比較的柔軟に慰謝料請求を認める傾向があるように思われます。

 そのため、妊娠中に解雇された労働者が、その効力を争う場合、妊娠とは関係なさそうな解雇事由が構成されていたとしても、慰謝料請求を付加・併合しておくことが推奨されます。

社会保険に加入してもらえなかったことを理由とする慰謝料請求

1.社会保険に加入してもらえない

 健康保険法48条は、

「適用事業所の事業主は、厚生労働省令で定めるところにより、被保険者の資格の取得及び喪失並びに報酬月額及び賞与額に関する事項を保険者等に届け出なければならない。」

と規定し、労働者を使用する事業主に、被保険者資格を取得したことを届け出る義務を負わせています。

 また、厚生年金保険法27条は、

「適用事業所の事業主又は第十条第二項の同意をした事業主・・・は、厚生労働省令で定めるところにより、被保険者・・・の資格の取得及び喪失・・・並びに報酬月額及び賞与額に関する事項を厚生労働大臣に届け出なければならない。」

と規定し、労働者を使用する事業主に、被保険者資格を取得したことを届け出る義務を負わせてます。

 しかし、労働事件を処理していると、使用者から社会保険に加入してもらえていなかったケースが散見されます。

 こうした場合、社会保険に加入していたとすれば得られたはずの金銭的利益について、損害賠償を請求することが考えられます。

 ただ、健康保険法にしても厚生年金保険法にしても、技術的性格が強く、加入していたとすれば得られたであろう金銭的利益が具体的に幾らなのかを特定することは、必ずしも容易ではありません。

 それでは、こうした損害額特定の技術的困難性を回避するため、精神的苦痛に対する慰謝料請求の形式をとって使用者に損害賠償を請求することはできないでしょうか?

 昨日ご紹介させて頂いた、大分地判令2.3.19労働判例1231-143 鑑定ソリュート大分ほか事件は、この問題についても有益な示唆を含んでいます。

2.鑑定ソリュート大分事件

 本件は取締役の労働者性が問題になったほか、使用者の社会保険への加入義務の不履行が問題となった事案です。

 本件で被告になったのは、不動産鑑定評価業務を主たる事業目的とする株式会社です。

 原告になったのは、不動産鑑定士の方です。平成28年6月1日、被告会社の本店で不動産鑑定評価に関する業務を月額報酬制で行う契約を交わし、同日付けで取締役に就任したことを内容とする登記がなされました。その後、平成30年1月17日に被告会社の代表取締役から、

「明日から出て来なくてよい。君の私物についてはこちらの方で私物かどうかを判断した上で後日郵送するから事務所に来ることはならない。」

などと言われ、翌日の臨時株主総会で取締役解任決議がなされました。

 これに対し、実質的には労働者であるところ、取締役解任の通知は解雇の意思表示であると主張して、被告に対し、地位確認等を求める訴訟を提起したのが本件です。

 本件では被告会社が社会保険への加入を怠っていたため、原告は地位確認に加え、社会保険への加入義務の不履行により精神的苦痛を被ったとして、慰謝料を請求しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり判示し、慰謝料請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「健康保険法48条及び厚生年金保険法27条が、適用事業所の事業主は、労働契約を締結した被用者が健康保険及び厚生年金保険の被保険者の資格を得たことを保険者に届け出るべき旨規定する趣旨には、同事業所で使用される労働者に対して保険給付を受ける権利を具体的に保障することが含まれ、同労働者も、同事業主との間で労働契約を締結するに当たり、同事業主において同届出をすることを期待するのが通常であり、かつ、合理的なものであるから、同事業主は、労働契約上、同届出をすべき債務を負うと解されるところ、前記1のとおり、原告は被告会社の労働者であるから、被告会社は、健康保険法3条3項2号、厚生年金保険法6条1項2号により、適用事業所の事業主といえ、上記債務の不履行責任を負い得る立場にあるといえる。」

「しかしながら、被告会社が上記債務の不履行責任を負うとしても、同債務不履行による損害は、その算定の困難性はともかく、原則として経済的な不利益にとどまるから、労働者が事業主に対してしばしば上記各保険への加入手続を求めていたにもかかわらず、事業主が虚偽の説明をしたり、加入手続を求めるのであれば解雇や給与の減額をするなどの不利益処遇を示唆したことが主たる原因となって同各保険に加入できなくなったりしたなどの慰謝料を認めるべき特段の事情がない限り、上記債務の不履行により同労働者が精神的損害を被ったと認めることはできないところ、本件においては、そのような特段の事情を認めるに足りる証拠はないから、原告に精神的損害が発生したとは認められない。

3.慰謝料請求は認められにくいか?

 上述のとおり、裁判所は、発生する損害が経済的なものに留まることから、原則として慰謝料請求の対象にはならないと判示しました。

 社会保険への加入義務の不履行を理由とする慰謝料請求に関しては、これを認めた裁判例もなくはありません(奈良地判平18.9.5労働判例925-53豊国工業事件)。しかし、

「原告が被保険者資格を取得したにもかかわらず保険給付を得られなくなった(ママ)については、原告が被告に対してしばしば加入を求めていたにもかかわらず、被告担当者が事実に反する説明をしたり、解雇や給与の減額などの不利益処遇を口にしていたことが大きな原因であったというべきことなど、前記認定のような諸事情にかんがみると、20万円の慰謝料の支払を命ずるのが相当である。」

と判示されていることからも分かるとおり、豊国工業事件では、担当者により事実に反する説明や不利益処遇の示唆がなされていました。

 鑑定ソリュート大分ほか事件は、慰謝料請求を原則として否定しつつも、例外的に慰謝料請求が認められる場面についても判示しています。豊国工業事件は、まさに例外的に慰謝料請求が認められる場面に該当する事案であり、これがあるからといって一般的に慰謝料請求が認められるとは言いにくいように思われます。

 また、法人の役員は元々健康保険や厚生年金保険の被保険者資格を有しています(昭和24年7月28日保発第74号)。そのため、本件ではそれほど厳密には問題になりませんが、請負人や業務委託の形で働いていた人が労働者性を主張して社会保険への加入義務の不履行を主張する局面においては、被保険者と取り扱わなかったことに対する故意・過失の要件も問題になる可能性もあります。

 やはり、現行の裁判実務の傾向として、社会保険に加入してもらえなかったことを理由とする慰謝料請求は、それほど容易ではないのだろうと思われます。

 

報酬が勤務時間と関係なく定められ、兼業が認められている取締役でも、労働者性を主張できる可能性はある

1.労働者性の判断基準

 取締役、請負人、業務受託者など、雇用以外の法形式のもとで働いている人がいます。こうした方々の働き方に関わる問題を考えるにあたっては、労働者かどうかが重要な意味を持ちます。労働者性が認められれば、労働基準法や労働契約法をはじめとする労働法令を適用することができるからです。

 委任契約、請負契約、業務委託契約(準委任契約)といった契約類型では、現実にある力関係を捨象し、当事者双方が対等であることを前提にした形式的なルール設定がなされています。

 しかし、労働法は、労働者と使用者の力関係に格差があることを前提としたうえ、契約の一方当事者である労働者を保護することを意図して作られています。

 そのため、私的自治・当事者対等の原則のもとで放り出されるのか、それとも、労働者として労働法令による保護を受けられるのかは、働く人にとって、死活問題になることも少なくありません。

 それでは、労働法令の適用を受けられる労働者なのか、そうではないのかは、どのように切り分けられているのでしょうか。

 昭和60年12月19日に、労働省労働基準法研究会が、「労働基準法の『労働者』の判断基準について」という報告書をまとめています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000xgbw-att/2r9852000000xgi8.pdf

 この報告書は、

「『労働者』であるか否か、すなわち『労働者性』の有無は『使用される=指揮監督下の労働』という労務提供の形態及び『賃金支払』という報酬の労務に対する対償性、すなわち報酬が提供された労務に対するものであるかろうかということによって判断される」

と述べています。

 この指揮監督下の労働、報酬の労務対償性の二つの基準は、総称して「使用従属性」と呼ばれます。

 労働者か否かは、使用従属性の有無によって判断されます。こうした観点から、報告書は、

1 「使用従属性」に関する判断基準

(1)「指揮監督下の労働」に関する判断基準

(2)「報酬の労務対償性」に関する判断基準

2 「労働者性」の判断を補強する要素

との章立てのもと、種々の考慮要素の意味付けを行っています。

2.労働者性の判断に当たっての留意点

 報告書で示されている判断基準は、実務に対して強い影響力を持っています。行政でも司法でも、労働者性の判断は、基本的には、報告書で示されている基準に準拠して行われています。

 この報告書を理解するにあたり注意しなければならないのは、「重要な要素」とされている項目と「補強要素」とされている項目との間には、考慮要素としての重みに明確な差異があることです。

 労働者性が認められるのか否かの判断に本質的な影響を与えるのは、「重要な要素」とされている部分です。「補強要素」とされている部分は、結論にそれほど重要な影響を与えるわけではありません。

 重要な要素というのは、例えば、仕事の依頼、指示等に対する諾否の自由の有無です。報告書には、

「具体的な仕事の依頼、業務従事の指示等に対して拒否する自由を有しない場合には、一応、指揮監督関係を推認させる重要な要素となる。」

といったように記述されています。

 補強要素とされているのは、例えば、報酬の性格が使用者の指揮監督の下に一定時間労務を提供していることに対する対価と判断されることや、専属性の程度といった事情をいいます。

 この補強要素とされているチェックポイントでは、負けたとしても、それほど大したことはありません。重要な要素の部分で勝っていれば、労働者性が認められる可能性は十分にあります。

 近時公刊された判例集にも、そのことが分かる裁判例が掲載されていました。大分地判令2.3.19労働判例1231-143 鑑定ソリュート大分ほか事件です。

3.鑑定ソリュート大分事件

 本件は取締役の労働者性が問題になった事件です。

 本件で被告になったのは、不動産鑑定評価業務を主たる事業目的とする株式会社です。

 原告になったのは、不動産鑑定士の方です。平成28年6月1日、被告会社の本店で不動産鑑定評価に関する業務を月額報酬制で行う契約を交わし、同日付けで取締役に就任したことを内容とする登記がなされました。その後、平成30年1月17日に被告会社の代表取締役から、

「明日から出て来なくてよい。君の私物についてはこちらの方で私物かどうかを判断した上で後日郵送するから事務所に来ることはならない。」

などと言われ、翌日の臨時株主総会で取締役解任決議がなされました。

 これに対し、実質的には労働者であるところ、取締役解任の通知は解雇の意思表示であると主張して、被告に対し、地位確認等を求める訴訟を提起したのが本件です。

 被告は、兼業が許容されていたことや、報酬が勤務時間等に関係なく定められていたことを指摘したうえ、原告の労働者性を争いました。

 しかし、裁判所は、次のとおり判示し、原告の労働者性を認めました。

(裁判所の判断)

「原告について被告会社の取締役就任登記がされており、原告は取締役就任の承諾書に署名押印しているが、同登記がされてから取締役解任登記がされるまでの約1年8箇月の間、原告が被告会社の取締役としての権限を行使したことはなく、被告会社の経営に関わることはなかったのであり、このことからすれば、本件契約締結に際し、原告には、被告会社の取締役という立場に見合った権限はそもそも付与されておらず、取締役として活動することも予定されていなかったものと認められる。」

「他方、原告は、被告会社の取締役であった被告Y2から、大分事務所で業務を行うに当たって原告が遵守すべき事項として午前9時から午後5時までを業務時間とする旨が規定された本件社内規程を交付され、実際に、兼業を除いては、基本的にその業務時間どおりに業務を行っていて、業務を行うに当たっては、その内容や納期等について被告Y2から指示を受けるとともに、業務の進捗状況も被告Y2により把握・管理され、業務に後れがあったときは、その遅れを取り戻すよう命じられるなどしており、また、被告Y2において、原告のスケジュールの把握が可能であった。これらのことからすれば、原告は、兼業を除いては、被告Y2の指揮監督の下で、時間的場所的拘束を受けつつ業務に従事していたものと認められる。

以上によれば、被告会社における原告の取締役登記は名目的なものにすぎず、原告は、実質的に被告会社の労働者であって、本件契約は、労働契約であったと認められる。

「これに対し、被告会社は、原告が国土交通省の土地鑑定委員会の定める地価公示鑑定評価員の応募要件を満たす不動産鑑定の実務経験を積むことを目的に本件契約を締結したのであるから、原告は取締役であって労働者ではなかった旨主張するが、仮にそのような目的であったとしても、その目的を達成するための実務経験は取締役としてのものでも労働者としてのものでもよい・・・のであるから、上記目的は原告の労働者性を否定する事情になり得ない。」

「また、被告会社は、原告が、兼業を認められていたこと、依頼される業務について諾否の自由を有していたこと、被告Y2から逐一業務遂行上の指揮命令を受けておらず、業務遂行方法や業務場所及び業務時間に裁量を有していたことから、原告は取締役であって労働者ではなかった旨主張するが、兼業を認められていることから直ちに労働者性が否定されるものではないし、原告が依頼される業務について諾否の自由を有していたか、仮に諾否の自由を有していたとして、それがどの程度に自由であったかは証拠上明らかではなく、上記・・・の説示のとおり、原告は、行うこととなった業務の遂行について、被告Y2からの指揮命令を受けていたものであるから、原告が本件契約において裁量を有していたとしても、それが労働者性を否定するほどの広い裁量であったとは認められない。

「さらに、被告会社は、本件契約に基づき原告に支給された報酬が、勤務時間等に関係なくその額が定められたものであり、原告の業務に対する対価ではなく、役員報酬と位置付けられるから、原告は取締役であって労働者ではなかった旨主張するが、報酬額が勤務時間等に関係なく定められたとしても、そのことから直ちにそれを役員報酬とみなければならないものではない。

4.補強要素の部分をみるだけで悲観しないこと

 一般の方の中には、取締役、兼業可能、定額報酬制と並ぶと、それだけで労働者としての権利を主張するのは無理だろうと思い込んでしまう方もいるかも知れません。

 しかし、各要素と報告書の記載を紐づけてみると、どれも大した考慮要素ではないことが分かります。

 報告書は、労働者性の判断にあたっては

「雇用契約、請負契約といった形式的な契約形式のいかんにかかわらず」

実質的な使用従属性を判断するとしています。

 また、兼業が可能であることは、「『労働者性』の判断を補強する要素」の一内容としての位置づけしか与えられていません。

 報酬の労務対償性に関する判断基準の中には、報酬が時間給である場合への言及はあっても、月に定額の報酬を受け取っている場合への言及は見られません。

 重要度の劣る考慮要素の部分で、それほど望ましい評価が導かれなかったとしても、仕事の指示等に対する諾否の自由の有無や、指揮監督の有無、拘束性の有無など、より積極的な位置付けを与えられている評価項目の部分で労働者性が認められる場合、裁判所が労働者性を認めることは十分に有り得ます。

 報告書の内容は技術的であり、一般の方が目を通して結論を予測しようとしたとしても、あまり上手くは行かないのではないかと思います。

 取締役、請負人、業務受託者の方で、契約を解消されたことに納得できない、残業代が払われないのはおかしいのではないか、といった疑問をお抱えの方は、労働法の適用ができる事案ではないのかを、一度、弁護士に相談してみても良いのではないかと思います。

 

整理解雇場面での職種限定合意と解雇回避措置の一つとしての他職種への配置転換の可能性

1.解雇回避措置の一つとしての他職種への配置転換の可能性

 一般論として、解雇の可否を検討するにあたっては、前もって解雇回避のために相当な措置がとられていたのかどうかが、考慮要素の一つになります。そして、解雇回避のために相当な措置がとられたと認められるかどうかを判断するにあたっては、他職種への配置転換の可能性が検討されたのかが、一定の重みを持ってきます。

 しかし、職種限定の合意がある労働者を解雇する場合にも、同様に配置転換の可能性を検討しなければならないかは議論があります。

 例えば、佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、初版、平29〕207頁は、

「高額の給与待遇で労働契約を締結」している「高度専門職に職種限定の合意が成立している場合、当該専門職種としての業務遂行に能力不足が認められると、職種を限定して採用している以上、解雇回避措置の一つとして他職種への配置転換の可能性を検討しなくとも解雇が肯定される余地がある。」

と記述しています。

 このように、能力不足解雇の場合、職種限定の合意があることは、配置転換の可能性を検討しなかったことへの反撃材料として機能します。

 それでは、これが整理解雇の局面であった場合は、どうでしょうか? 整理解雇の場合でも、職種限定の合意があることは、配置転換の可能性を検討しないまま行われた解雇を正当化する事情として機能するのでしょうか?

 昨日紹介した奈良地判令2.7.21労働判例1231-56 学校法人奈良学園事件は、この論点についても、興味深い判断を示しています。

2.学校法人奈良学園事件

 本件は、学部再編に伴って解雇等された複数の大学教員らが、解雇の効力を争い、地位確認等を求めて出訴した事件です。

 被告になったのは、奈良学園大学を設置する学校法人です。

 原告らは、いずれも、同大学のビジネス学部又は情報学部で、教授、准教授、専任講師として勤務していました。しかし、大幅な定員割れによる財政の悪化を打開するため、被告大学の理事会は、ビジネス学部・情報学部を廃止し、人間教育学部・保険医療学部・現代社会学部を新設することなどを決定しました。その過程で過員となった原告らは、被告に解雇等されることになりました。

 被告は解雇の有効性を主張するにあたり、

「原告らは、いずれも大学教員であり、優れて専門的な職業を有する者であるから、職種限定で被告に雇用されていたものというべきであり、他職種・他科目担当への割当ても不可能であるから、本件解雇及び本件雇止めについて整理解雇法理は適用されない。」

という議論を展開しました。能力不足解雇の局面で、職種限定合意が果たしている機能を、整理解雇の場面にも応用しようとしたのだと思われます。

 こうした被告の主張に対し、裁判所は、次のとおり述べて、職種限定合意がある場合にも、整理解雇の局面では、配置転換の可能性が検討されなければならないと判示しました。

(裁判所の判断)

「原告X1ら5名に対する本件解雇は、平成26年度の本件大学ビジネス学部及び情報学部の学生募集の停止により、来年度留年見込みの学生6名程度を除いて両学部の学生が不在となり、原告X1ら5名は過員といわざるを得ないこと、大学教員としての専門性を生かす場が大学内にはなく、被告の財務状況から過員の教員を雇用する余裕がないことから、本件就業規則23条1項6号の規定に該当することを解雇事由とするものである。そうだとすると、本件解雇は、被告の経営上の理由による人員削減のために行われた整理解雇に他ならないから、本件解雇の有効性の判断に当たっては、いわゆる整理解雇法理に従い、①人員削減の必要性、②解雇回避努力を尽くしたか否か、③人選の合理性、④整理解雇手続の相当性を考慮要素として、労契法16条所定の客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であると認められるか否かを判断すべきである。」

「また、原告X6ら2名に対する本件雇止めは、本件解雇の解雇事由と同様に、ビジネス学部及び情報学部の学生の大半が平成29年3月末日までに卒業することや被告の逼迫した財政の状況等を理由としていることからすると、本件雇止めについて労契法19条柱書所定の客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であると認められるか否かの判断においても、上記の整理解雇法理に関する上記の判断枠組みが妥当するものと解するのが相当である。」

被告は、前記・・・のとおり、原告らはいずれも大学教員であり、優れて専門的な職業を有する者であるから、職種限定で被告に雇用されていたというべきであり、他職種・他科目担当への割当ても不可能であるから、本件解雇及び本件雇止めについて整理解雇法理は適用されない旨主張する。しかしながら、仮に原告らと被告との間の労働契約において職種限定の合意があったとしても、そのことから直ちに本件解雇及び本件雇止めの有効性の判断に当たり、いわゆる整理解雇法理の適用が排除されることになるものではないし、ましてや、上記・・・のとおり、被告は、経営上の人員削減の必要性を理由に本件解雇及び本件雇止めに及んでいるのであるから、その有効性の判断に当たっては整理解雇法理に従うべきものであり、被告の上記主張は採用することができない。

3.能力不足解雇の場面とは異なる

 上述のとおり、裁判所は、職種限定の合意があるからといって、整理解雇法理の適用は排除されないと判示しました。その後、他学部への配属可能性の検討が不十分であったことが問題視され、解雇回避措置の相当性が否定されたことは、昨日の記事で書いたとおりです。

 やはり、労働者に一定の責任があることを前提とする能力不足解雇の場面と、労働者に責任のない整理解雇の場面とを同視することには、無理があるのだと思われます。

 職種限定のある専門職の方でも、整理解雇を避けたい場合、配置転換を求めて使用者と交渉する余地があることは、留意しておいてもよいのだろうと思います。

 

学部廃止に伴う大学教授の整理解雇-他学部への異動の可否を検討する必要はあるか?

1.整理解雇の解雇回避措置

 整理解雇については、①人員削減の必要性、②解雇回避措置の相当性、③人選の合理性、④手続の相当性を中心に、その有効性が検討されています(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕363頁参照)。

 解雇回避措置の相当性を判断するにあたっては、ⓐ広告費・交通費等の経費削減、ⓑ役員報酬の削減等、ⓒ残業規制、ⓓ従業員に対する昇給停止や賞与の減額・不支給、賃金削減、ⓔワークシェアリングによる労働時間の短縮や一時帰休、ⓕ中途採用・再雇用の停止、ⓖ新規採用の停止・縮小、ⓗ配転・出向・転籍の実施、ⓘ非正規従業員との間の労働契約の解消、ⓙ希望退職者の募集等の措置がとられているかが問題になります(前掲『労働関係訴訟の実務』372頁参照)。

 これらの考慮要素は相対的なもので、

「企業が倒産の危機にあるような場合には、人員削減の必要性が高いにもかかわらず、解雇回避措置を十分に講じるだけの企業体力がない場合が多く、このような場合にまで、多額の出費や多くの時間を必要とする性質の解雇回避措置も必ずとらなければならないとするのは過剰な要求というべきであろうし、企業規模や労務内容の専門性によっては、配転・出向やワークシェアリングといった手法を検討し得ないような場合もあるのであり、このような場合には、こうした解雇回避措置をとることまでは求められていあにというべきであろう。

と理解されています。

 労務内容の専門性が高い業務の一つに、大学教授があります。それでは、学部廃止に伴って大学教授を解雇する場合、配転等の措置をとることの要否は、どのように理解されるのでしょうか? また、配転を検討する必要がある場合、どのようなポストが検討対象になるのでしょうか?

 この点が問題になった裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。奈良地判令2.7.21労働判例1231-56 学校法人奈良学園事件です。

2.学校法人奈良学園事件

 本件は、学部再編に伴って解雇等された複数の大学教員らが、解雇の効力を争い、地位確認等を求めて出訴した事件です。

 被告になったのは、奈良学園大学を設置する学校法人です。

 原告らは、いずれも、同大学のビジネス学部又は情報学部で、教授、准教授、専任講師として勤務していました。しかし、大幅な定員割れによる財政の悪化を打開するため、被告大学の理事会は、ビジネス学部・情報学部を廃止し、人間教育学部・保険医療学部・現代社会学部を新設することなどを決定しました。その過程で過員となった原告らは、被告に解雇等されることになりました。

 解雇回避措置の相当性について、原告らは、

「社会科学系の新たな学部が設置されるのであれば、原告らを配属させることは可能であり、本件解雇及び雇止めを回避することは容易であった。」

と主張しました。

 これに対し、被告は、

「中等学校教育職員への配置転換の募集、事務職員への配置転換の募集」

など解雇回避努力は尽くしていると主張しました。

 こうした状況のもと、裁判所は、次のとおり述べて、解雇回避努力が尽くされたとはいえないと判示しました。

(裁判所の判断)

被告は、本件大学のビジネス学部及び情報学部の学生募集の停止をした平成26年度以降、両学部の教員を対象に希望退職の募集や転退職等に関する説明会を開催し、退職金の割増しを行う希望退職を募るほか、初、中等学校の教育職員や事務職員への配置転換の希望を募るなどの対応をしていた。

「また、認定事実・・・のとおり、被告は、理事長、常勤理事及び常勤監事の平成28年度の報酬を、理事長については20%、その他の者については10%の削減をすることを決定したほか、同イのとおり、同年11月14日開催の常勤理事会において、職員の同年度賞与の削減が取り上げられ、常勤理事の高等学校長らの了承が得られなかったことから賞与の削減には至らなかったものの、人件費の削減に向けた取組をしようとしていたことが窺える。」

「しかしながら、原告らは、いずれも本件大学のビジネス学部又は情報学部の教授、准教授ないし専任講師という大学教員であり、高度の専門性を有する者であるから、教育基本法9条2項の規定に照らしても、基本的に大学教員としての地位の保障を受けることができると考えられる。また、認定事実・・・のとおり、被告は、平成28年6月17日にA1大学教員異動選考基準を制定しており、平成26年度に新設された人間教育学部及び保健医療学部へのビジネス学部又は情報学部からの異動者の選考に当たっては、専門性の高い授業を担当するための業績が文部科学省の教員審査で『可』の判定がされているとか、共通教育科目について幅広い教養教育の授業を担当するための業績が同省の教員審査で『可』の判定がされていることなどが定められているところ、被告は、原告らを人間教育学部又は保健医療学部に異動させることができるかどうかを検討するための前提となる文部科学省による教員審査を受けさせていない・・・。」

「また、認定事実・・・のとおり、本件大学のビジネス学部及び情報学部の教員のうち、R1教授その他の2名の合計3名について、同省のAC教員審査で『可』の判定がされ、その後、他の2名が他校へ転出したことから、R1教授のみが人間教育学部に異動している。そして、原告らのこれまでの経歴、専門分野及び本件大学における担当可能科目は、認定事実・・・のとおりであるところ、これらの内容に照らすと、ビジネス学部及び情報学部に在籍する学生がほとんどいなくなったことにより過員となった教員たる原告らを人間教育学部又は保健医療学部に異動させ、担当可能科目を担当させることがおよそ不可能であるとはいえず、そのために必要な手続である文部科学省によるAC教員審査を受けさせ、『可』の判定が得られるかどうかを確認することは十分に可能であったと考えられる。しかしながら、本件記録を検討しても、被告が原告らについてAC教員審査を受けさせる努力をした形跡は認められない(むしろ、被告は、ビジネス学部及び情報学部の教員は過員であるとして、希望退職の募集や初、中等学校の教育職員、事務職員への配置転換の打診に終始している。)。

「加えて、認定事実・・・のとおり、被告は、原告X6ら2名に対する本件雇止めに係る定年退職後再雇用期間満了通知書において、本件雇止めの理由として、被告の財政状況が逼迫していることを挙げているが、そうであれば、本件解雇及び本件雇止めに先立って、被告の職員の総人件費を削減するための賃金の切下げ等が検討されてしかるべきであるが、認定事実・・・のとおり、被告において、平成28年度賞与の削減に向けた検討を除き、賃金の切下げ等の総人件費の削減はされておらず、削減に向けた努力がなされた形跡も窺えない。」

「以上によれば、被告は、ビジネス学部及び情報学部に在籍する学生がほとんどいなくなったことによる教員の過員状態を解消するため、希望退職の募集や事務職員、初、中等学校の教員への配置転換の希望を募るなどの解雇ないし雇止めを回避するための努力はしていたものということはできるものの、解雇回避努力が尽くされたものと評価することは困難である。」

3.大学教授の地位の特殊性

 冒頭で述べたとおり、専門性が高くなればなるほど、配転による解雇回避可能性を検討しなければならない度合いは低くなるのが普通です。

 大学教授は専門性の高い職種の一つです。しかし、裁判所は、大学以外の教育職員や事務職員への配置転換を検討するだけでは足りず、先ず他学部で働くことができるかを検討しなければならないといったように、配転を利用した解雇回避措置に厳格な理解を示しました。

 その背景には、裁判所も指摘する

「・・・教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。

との規定(教育教育法9条2項)からも分かるとおり、法的に独特な地位が付与されていることが挙げられます。

 少子化とともに、今後とも、大学の組織再編は続くと思われますが、大学教授は専門職の中でもかなり特殊な職業です。労働事件として処理するにあたっては、他の専門職とは異なる独特な考察が必要になります。そのため、事件化する場合には、慣れた弁護士に依頼をする必要があります。

 問題を抱えた時、相談先に心当たりのない方は、当事務所への相談も、ご検討頂けると、嬉しく思います。

新型コロナウイルスの流行が賃金仮払いの仮処分に与える影響

1.賃金仮払いの仮処分

 解雇された労働者は、その時から収入の途を絶たれます。生活費に余裕のない労働者が解雇の効力を争う方法としては、

労働審判を申立て、短期間での紛争解決を図る、

雇用保険の仮給付を受給する、

他社就労する、

賃金仮払いの仮処分を申立てる

といった方法があります。

 これらの方法には、それぞれ長所と短所があります。

 例えば、労働審判の申立ては、金銭解決には向いていても、復職に拘る場合には適しません。雇用保険の仮給付は、被保険者期間が足りていない場合など、雇用保険の受給資格がない場合には使えません。他社就労は、条件の良いところだと、就労意思を失ったと認定される危険があります。そのため、どの方法を選択するのかは、労働者のニーズや置かれた状況から、個々の事案に応じて考えて行くことになります。

 上記の方法のうち、賃金仮払いの仮処分とは、賃金の支払を受けられる地位を暫定的に定めてもらう手続をいいます。あくまでも仮の地位を定めてもらうものであり、敗訴したら返金する必要はありますが、これが認められた場合、労働者は賃金の支払を受けながら、解雇の効力を争っていくことができます。

 この賃金仮払いの仮処分について、近時公刊された判例集に、興味深い裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、大阪地判令2.7.30労働経済判例速報2431-9 Y交通事件です。何が興味深いのかというと、新型コロナウイルスの影響による企業側の減収減益が、仮払いの認められる金額に影響を与えていることです。

2.Y交通事件

 本件は、就労拒否された労働者が申し立てた仮処分事件です。仮処分事件では、賃金の仮払を求める労働者を債権者と、賃金を支払う立場にある会社を債務者といいます。

 本件で債務者になったのは、タクシー会社です。

 債権者になったのは、生物学的性別は男性であるものの、性別に対する自己意識は女性である性同一性障害の方です。債務者と労働契約を締結し、タクシー乗務員として勤務していました。

 しかし、債務者は、化粧をしていたことなどを理由に、債権者に対し「乗らせるわけにはいかない。」と述べ、債権者の就労を拒否しました。こうした取り扱いを受け、不就労を理由に賃金を支払われなくなった原告の方が、経済的に困窮し、賃金仮払いの仮処分を申し立てたのが本件です。

 本件では保全の対象となる賃金支払請求権の存否のほか、これが認められる場合に、どの範囲で仮払いが認められるのかも争点になりました。

 債権者は、就労を拒否された日(令和2年2月7日)以前の賃金の平均値を根拠に、月額33万円を仮に支払うよう求めました。

 しかし、債務者は、

「新型コロナウイルスの影響によって、タクシー会社は債務者のみならず、厳しい経営環境にさらされており、売上額が激減している。これに伴って、債務者が従業員に支給した給与額も激減することとなり、・・・令和元年12月度には従業員の平均給与額が月額38万8654円であったのに対し、令和2年4月度には月額11万4664円となり、同年5月度には月額8万0774円となった。新型コロナウイルスの影響は今後も続くことが明らかであり、債権者の被保全債権額が月額33万円であるということはできない。」

と述べ、仮払いの対象額はもっと少なくするべきだと主張しました。

 裁判所は、被保全債権の存在は認められるとしたものの、次のとおり述べて、仮払いの額を月額18万円と定めました。

(裁判所の判断)

債権者の賃金は、基本給、固定残業代、割増賃金及び歩合給で構成されている・・・ところ、新型コロナウイルス感染症のまん延や緊急事態宣言の影響により、債務者を含むタクシー業者の売上げが大きく減少していること・・・に鑑みると、債権者の賃金のうち、基本給及び固定残業代以外の部分については、新型コロナウイルス感染症がまん延し、緊急事態宣言が行われるに至った時点以前と同程度の金額が支払われるとの疎明があるとはいえない。これに加え、疎明資料・・・及び審尋の全趣旨によれば、債権者は、単身で生活しており、令和2年2月7日に債務者から就労を拒否されて以降、収入がなく、預金を取り崩して生活しており、現時点で同預金は相当程度目減りしているとうかがわれることや、令和2年1月から同年2月までの2か月間についての、1か月間に要する生活費の概算額やその内容等に照らせば、債権者の申立ては、支払金額につき月額18万円の範囲で保全の必要性があり、その支払期間は、本件審理の経過等に照らし、本件申立てにかかる審理が終了した令和2年7月から、本案の第一審判決言渡しに至るまでの間とするのが相当である。

3.歩合給の存在が影響したのであろうが・・・

 減収減益であるからといって、基本給が一方的に減額されることはありません。本件で新型コロナウイルスによる減収減益が仮払金額に影響を及ぼしたのは、債権者の賃金のうち歩合給が相当部分を占めていたからではないかと推測されます。

 しかし、新型コロナウイルスの影響で企業が減収減益になっている場合、歩合給の労働者が流行前と同程度の賃金が得られたことまで疎明することは、現実問題、極めて困難ではないかと思われます。こうした疎明まで求められるとなると、事実上、仮処分で従前と同様の賃金の仮払を受ける途は閉ざされてしまうことになりかねません。

 裁判所の判断は、労働者にとって酷であり、その妥当性には疑問もありますが、当面、新型コロナウイルスの流行がおさまりそうにない中で、こうした裁判例が出たことは、手続選択にあたり、留意しておく必要があろうかと思います。