弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

新型コロナウイルスの流行が賃金仮払いの仮処分に与える影響

1.賃金仮払いの仮処分

 解雇された労働者は、その時から収入の途を絶たれます。生活費に余裕のない労働者が解雇の効力を争う方法としては、

労働審判を申立て、短期間での紛争解決を図る、

雇用保険の仮給付を受給する、

他社就労する、

賃金仮払いの仮処分を申立てる

といった方法があります。

 これらの方法には、それぞれ長所と短所があります。

 例えば、労働審判の申立ては、金銭解決には向いていても、復職に拘る場合には適しません。雇用保険の仮給付は、被保険者期間が足りていない場合など、雇用保険の受給資格がない場合には使えません。他社就労は、条件の良いところだと、就労意思を失ったと認定される危険があります。そのため、どの方法を選択するのかは、労働者のニーズや置かれた状況から、個々の事案に応じて考えて行くことになります。

 上記の方法のうち、賃金仮払いの仮処分とは、賃金の支払を受けられる地位を暫定的に定めてもらう手続をいいます。あくまでも仮の地位を定めてもらうものであり、敗訴したら返金する必要はありますが、これが認められた場合、労働者は賃金の支払を受けながら、解雇の効力を争っていくことができます。

 この賃金仮払いの仮処分について、近時公刊された判例集に、興味深い裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、大阪地判令2.7.30労働経済判例速報2431-9 Y交通事件です。何が興味深いのかというと、新型コロナウイルスの影響による企業側の減収減益が、仮払いの認められる金額に影響を与えていることです。

2.Y交通事件

 本件は、就労拒否された労働者が申し立てた仮処分事件です。仮処分事件では、賃金の仮払を求める労働者を債権者と、賃金を支払う立場にある会社を債務者といいます。

 本件で債務者になったのは、タクシー会社です。

 債権者になったのは、生物学的性別は男性であるものの、性別に対する自己意識は女性である性同一性障害の方です。債務者と労働契約を締結し、タクシー乗務員として勤務していました。

 しかし、債務者は、化粧をしていたことなどを理由に、債権者に対し「乗らせるわけにはいかない。」と述べ、債権者の就労を拒否しました。こうした取り扱いを受け、不就労を理由に賃金を支払われなくなった原告の方が、経済的に困窮し、賃金仮払いの仮処分を申し立てたのが本件です。

 本件では保全の対象となる賃金支払請求権の存否のほか、これが認められる場合に、どの範囲で仮払いが認められるのかも争点になりました。

 債権者は、就労を拒否された日(令和2年2月7日)以前の賃金の平均値を根拠に、月額33万円を仮に支払うよう求めました。

 しかし、債務者は、

「新型コロナウイルスの影響によって、タクシー会社は債務者のみならず、厳しい経営環境にさらされており、売上額が激減している。これに伴って、債務者が従業員に支給した給与額も激減することとなり、・・・令和元年12月度には従業員の平均給与額が月額38万8654円であったのに対し、令和2年4月度には月額11万4664円となり、同年5月度には月額8万0774円となった。新型コロナウイルスの影響は今後も続くことが明らかであり、債権者の被保全債権額が月額33万円であるということはできない。」

と述べ、仮払いの対象額はもっと少なくするべきだと主張しました。

 裁判所は、被保全債権の存在は認められるとしたものの、次のとおり述べて、仮払いの額を月額18万円と定めました。

(裁判所の判断)

債権者の賃金は、基本給、固定残業代、割増賃金及び歩合給で構成されている・・・ところ、新型コロナウイルス感染症のまん延や緊急事態宣言の影響により、債務者を含むタクシー業者の売上げが大きく減少していること・・・に鑑みると、債権者の賃金のうち、基本給及び固定残業代以外の部分については、新型コロナウイルス感染症がまん延し、緊急事態宣言が行われるに至った時点以前と同程度の金額が支払われるとの疎明があるとはいえない。これに加え、疎明資料・・・及び審尋の全趣旨によれば、債権者は、単身で生活しており、令和2年2月7日に債務者から就労を拒否されて以降、収入がなく、預金を取り崩して生活しており、現時点で同預金は相当程度目減りしているとうかがわれることや、令和2年1月から同年2月までの2か月間についての、1か月間に要する生活費の概算額やその内容等に照らせば、債権者の申立ては、支払金額につき月額18万円の範囲で保全の必要性があり、その支払期間は、本件審理の経過等に照らし、本件申立てにかかる審理が終了した令和2年7月から、本案の第一審判決言渡しに至るまでの間とするのが相当である。

3.歩合給の存在が影響したのであろうが・・・

 減収減益であるからといって、基本給が一方的に減額されることはありません。本件で新型コロナウイルスによる減収減益が仮払金額に影響を及ぼしたのは、債権者の賃金のうち歩合給が相当部分を占めていたからではないかと推測されます。

 しかし、新型コロナウイルスの影響で企業が減収減益になっている場合、歩合給の労働者が流行前と同程度の賃金が得られたことまで疎明することは、現実問題、極めて困難ではないかと思われます。こうした疎明まで求められるとなると、事実上、仮処分で従前と同様の賃金の仮払を受ける途は閉ざされてしまうことになりかねません。

 裁判所の判断は、労働者にとって酷であり、その妥当性には疑問もありますが、当面、新型コロナウイルスの流行がおさまりそうにない中で、こうした裁判例が出たことは、手続選択にあたり、留意しておく必要があろうかと思います。