弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

性同一性障害の男性の化粧を禁止することは許されるのか?

1.性同一性障害

 性同一性障害(Gender Dysphoria/Gender Identity Disorder; GD/GID)とは、性別の自己認知(Gender Identity;心の性)と身体の性(Sex)が一致せずに悩む状態であるとされています。

性同一性障害 | 泌尿器科の病気について | 名古屋大学大学院医学系研究科 泌尿器科学教室

 性自認や性的指向で少数派に属していることは、当事者の悩みや不安のもとになるほか、不当な差別の原因にもなるため、国をはじめ多くの団体・個人が、啓発活動を行っています。

http://www.moj.go.jp/JINKEN/LGBT/index.html

 このような活動が進んだこともあり、性的少数者の性自認や性的指向を尊重しようという社会的な気運は、年々高まりつつあります。そして、こうした社会情勢は、裁判所の判断にも影響を与えています。

 近時公刊された判例集に、性同一性障害の男性に化粧を禁止することの可否が問題となった裁判例が掲載されていました。大阪地決令2.7.20労働経済判例速報2431-8 Y交通事件です。

2.Y交通事件

 本件は、就労拒否された労働者が申し立てた仮処分事件です。仮処分事件では、賃金の仮払を求める労働者を債権者と、賃金を支払う立場にある会社を債務者といいます。

 本件で債務者になったのは、タクシー会社です。

 債権者になったのは、生物学的性別は男性であるものの、性別に対する自己意識は女性である性同一性障害の方です。債務者と労働契約を締結し、タクシー乗務員として勤務していました。

 しかし、債務者は、化粧をしていたことなどを理由に、債権者に対し「乗らせるわけにはいかない。」と述べ、債権者の就労を拒否しました。こうした取り扱いを受け、不就労を理由に賃金を支払われなくなった原告の方が、経済的に困窮し、賃金仮払いの仮処分を申し立てたのが本件です。

 債務者による就労拒否の根拠になったのは、就業規則の身だしなみ規定(本件身だしなみ規定)です

 債務者の就業規則には、

「身だしなみについては、常に清潔に保つことを基本とし、接客業の従業員として旅客その他の人に不快感や違和感を与えるものとしないこと。また、会社が就業に際して指定した制服名札等は必ず着用し、服装に関する規則を遵守しなければならない。」

という身だしなみ規定が設けられていました。

 女性乗務員が顔に化粧を施して乗務をすることは、本件身だしなみ規定に違反するとは捉えられていませんでした。

 しかし、債務者は、

「タクシーでは、乗務員と乗客が閉ざされた狭い空間を一定時間共有することになり、乗務員が乗客に対し不快感を与えることがあってはならない。快不快を決める権限は乗客の側にあるというべきところ、男性乗務員が、乗客に身体的な接触を持とうとすることはもちろんのこと、化粧をすることについても不快に感じる乗客が多く、債務者は、債権者に対し、服務規律に従って乗客に不快感を与えるような身だしなみで乗務することがないよう伝えていた。男性乗務員が化粧をした場合、不快感や違和感を抱く乗客が多くならざるを得ないことからすると、男性乗務員の化粧を禁止することには十分な合理性がある。」

などと述べ、原告男性に対する就労拒否は正当であると主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、債務者の主張を排斥し、債権者に女性職員と同等に化粧を施すことを認めました。

(裁判所の判断)

「社会の現状として、眉を描き、口紅を塗るなどといった化粧を施すのは、大多数が女性であるのに対し、こうした化粧を施す男性は少数にとどまっているものと考えられ、その背景には、化粧は、主に女性が行う行為であるとの観念が存在しているということができる。そのため、一般論として、サービス業において、客に不快感を与えないとの観点から、男性のみに対し、業務中に化粧を禁止すること自体、直ちに必要性や合理性が否定されるものとはいえない。」

「しかしながら、債権者は、医師から性同一性障害であるとの診断を受け、生物学的な性別は男性であるが、性自認が女性という人格である・・・ところ、そうした人格にとっては、性同一性障害を抱える者の臨床的特徴・・・に表れているように、外見を可能な限り性自認上の性別である女性に近づけ、女性として社会生活を送ることは、自然かつ当然の欲求であるというべきである。このことは、生物学的性別も性自認も女性である人格が、化粧を施すことが認められていること、あるいは、生物学的性別が男性である人格が、性自認も男性であるにもかかわらず、業務上、その意に反して女性的な外見を強いられるものではないこととの対比からも、明らかである。外見を性自認上の性別に一致させようとすることは、その結果として、A渉外担当が『気持ち悪い』などと述べた・・・ように、一部の者をして、当該外見に対する違和感や嫌悪感を覚えさせる可能性を否定することはできないものの、そうであるからといって、上記のとおり、自然かつ当然の欲求であることが否定されるものではなく、個性や価値観を過度に押し通そうとするものであると評価すべきものではない。そうすると、性同一性障害者である債権者に対しても、女性乗務員と同等に化粧を施すことを認める必要性があるといえる。

加えて、債務者が、債権者に対し性同一性障害を理由に化粧することを認めた場合、上記のとおり、今日の社会において、乗客の多くが、性同一性障害を抱える者に対して不寛容であるとは限らず、債務者が性の多様性を尊重しようとする姿勢を取った場合に、その結果として、乗客から苦情が多く寄せられ、乗客が減少し、経済的損失などの不利益を被るとも限らない。

(中略)

「以上によれば、債務者が、債権者に対し、化粧の程度が女性乗務員と同等程度であるか否かといった点を問題とすることなく、化粧を施した上での乗務を禁止したこと及び禁止に対する違反を理由として就労を拒否したことについては、必要性も合理性も認めることはできない。

したがって、債務者は、債権者の化粧を理由として、正当に債権者の就労を拒否することができるとの主張を採用することはできない。

3.社会が変われば差別の口実も消える

 この判決で最も興味深いと思ったのは、

「債務者が、債権者に対し性同一性障害を理由に化粧することを認めた場合、上記のとおり、今日の社会において、乗客の多くが、性同一性障害を抱える者に対して不寛容であるとは限らず、債務者が性の多様性を尊重しようとする姿勢を取った場合に、その結果として、乗客から苦情が多く寄せられ、乗客が減少し、経済的損失などの不利益を被るとも限らない。」

と社会情勢の変化を指摘したうえで、

男性乗務員の化粧→敬遠による乗客減→経済的損失などの不利益、

との因果経路を否定している部分です。社会から偏見がなくなりつつあることが、会社の主張を排斥する根拠に使われています。

 この判示には、社会的な人権意識の高まりが裁判所を動かし、裁判所の判断が更に社会や企業に警鐘を鳴らし、更に不合理な差別を解消する方向に世の中を動かしていくという、裁判の持つ可能性が表れています。

 性同一性障害をめぐっては、一昨年12月にも、トイレの使用をめぐって画期的な判決が言い渡されています。

性同一性障害者が自認する性別に対応するトイレを使用する利益と行政措置要求の可能性 - 弁護士 師子角允彬のブログ

 人権意識、差別解消に向けた気運が急速に高まっている分野であり、今後とも裁判例の動向が注目されます。

 

不正行為の調査をするための自宅待機期間中の賃金の支払義務

1.不正行為の調査をするための自宅待機命令

 非違行為を犯したことが疑われる従業員に対し、不正調査に支障が生じることを避けるため、懲戒処分を行うまでの間、自宅待機が命じられることがあります。

 自宅待機命令の法的性質に関しては二通りの理解があります。

 一つは、使用者が業務命令として自宅待機を命じたという理解です。この場合、非違行為が認められる事案であっても、使用者から命じられた自宅待機という労務提供を履行している以上、労働者は待機期間中の賃金を全額請求することができます。

 もう一つは、労務提供の受領拒絶とする理解です。この場合、危険負担法理に従い、労務提供の受領拒否が使用者の責めに帰すべき事由によるかによって賃金支払の要否が決まることになります(民法536条2項参照)。不正行為の再発や証拠隠滅のおそれなどの緊急かつ合理的な理由が存する場合等を除き、通常、労務提供の受領拒否は使用者側の都合(帰責事由)によると理解されています。そのため、実務上、自宅待機期間中の賃金は、全額支給されるのが一般的です(以上、第二東京弁護士会 労働問題検討委員会編『2018年 労働事件ハンドブック』〔労働開発研究会、初版、平30〕209-210頁参照)。

 このように、自宅待機命令期間中の賃金支給が不要とされるケースは限定的なのですが、近時公刊された判例集に、全額不支給の適法性を認めた裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した東京地判令2.6.25労働判例ジャーナル105-46 まるやま事件です。

2.まるやま事件

 本件で被告になったのは、繊維品の月賦販売や卸売販売等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で無期雇用契約を締結していた方です。職務上の地位を利用して金品の供与を受けたことなどを理由に、被告から懲戒解雇処分を受けたことから、解雇の無効を主張して、地位確認等を求める訴えを提起しました。

 本件では、懲戒解雇処分に先立つ自宅待機命令期間中、原告に賃金が全く支払われなかったことから、待機期間中の賃金支払の要否も、争点の一つになりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、使用者の賃金支払義務を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は平成30年6月2日に原告に対して自宅待機を命じ(本件自宅待機命令)、原告は同日から就労していない・・・。」

「この点、被告は本件自宅待機命令により原告の労務の提供の受領を拒絶する意思を明確にしたといえるが、就業規則98条2項は同項に定める事由がある場合には賃金を支払わずに自宅待機を命じることができるものとされており、その場合には原告の不就労は被告の『責めに帰すべき事由』(民法536条2項)によるものといえないことになる。そこで、就業規則98条2項に定める事由、すなわち『社員の行為が諭旨解雇又は懲戒解雇事由に該当又はそのおそれがあり、不正行為の再発や証拠隠滅のおそれがあ』ったといえるか否かについて検討する。」

「前記・・・で認定したとおり、平成30年6月1日の時点で、被告において原告がインストラクター代等を不正に収受していた疑いを抱く根拠があったから、懲戒解雇事由に該当するおそれがあったといえる。」

「そして、インストラクター代等の請求は原告が担当する取引先である重松貿易からの商品の仕入れに関してされたものであり、その証拠となり得る物等が職場内にあった可能性があったといえること、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告は健康社の買付け業務担当者として各店舗の店長に指示することが可能な立場にあったと認められること、前記のとおり原告は同月13日の事情聴取の際に不誠実な回答に終始し、税務代理権限証明書への署名、押印を拒否したことに照らすと、遅くとも原告に対する事情聴取がされた同月13日の時点では原告による証拠隠滅のおそれがあったというべきである。」

「そうすると、遅くとも同月13日の時点では『社員の行為が諭旨解雇又は懲戒解雇事由に該当又はそのおそれがあり、不正行為の再発や証拠隠滅のおそれがあ』ったというべきである。」

「したがって、被告が原告に対して賃金を支払っていない平成30年6月16日以降の原告の不就労は被告の『責めに帰すべき事由』によるものとは認められず、被告は原告に対して同日から解雇日である同月28日までの賃金の支払義務を負わない。」

3.不正調査に協力すべきか?

 本件では、不正調査に対する原告の非協力的な態度が理由の一つとなって、不正行為の再発・証拠隠滅のおそれを認定され、使用者の賃金支払義務が否定されました。

 昨日、

会社から不正行為の調査を受ける時、どのように対応すべきか - 弁護士 師子角允彬のブログ

という記事を書きました。

 この記事の中で、不正調査に積極的に協力すべきか/消極的な対応に留めておくのかの判断基準ついて、大雑把な私見を示させて頂きましたが、細かなところでは、自宅待機期間中の賃金請求に繋げるかどうかも一つのポイントになります。

 冒頭で示したとおり、実務上は、不正行為の調査をするための自宅待機期間中の賃金は、全額支払われるのが一般です。しかし、使用者側から待機期間中の賃金の支払を止められる場合、不正調査に積極的に協力する姿勢を示すことで、不正行為の再発・証拠隠滅のおそれの認定を妨げるという対応が選択肢に生じます。

 使用者側の手持ちの客観証拠だけでも有効な懲戒解雇処分がなされそうであること、自宅待機期間が長期に及ぶと見込まれること、使用者が自宅待機期間中の賃金の支払を停止しようとしていることなどの状況の下では、最低限、自宅待機期間中の賃金の支払を確保することに力点を置き、不正調査に積極的に協力するという選択が合理性を持つことがあります。

 昨日も書いたとおり、不正行為の調査が現在進行している時に、どのように対応するのかは、極めて判断の難しい問題の一つです。選択肢の絞り込みにしても、意思決定の考慮要素にしても、かなり複雑で高度な判断が必要になります。そのため、不正行為の調査対象になった時には、出来る限り早い段階で対応を弁護士に相談することが推奨されます。

 

会社から不正行為の調査を受ける時、どのように対応すべきか

1.不正行為の調査への対応のアドバイス

 会社から不正行為の調査を受けている労働者の方から、どのように対応すればよいのかと相談を受けることがあります。

 不正行為をしていないというのであれば、やっていないということを説明して行くだけなので、比較的話は単純です。しかし、実際に不正行為をしている場合、事実関係を解明しようとする会社に、どこまで協力するのかは、判断に迷うことも、少なくありません。

 一つの考え方は、会社に徹頭徹尾協力してしまうことです。洗いざらい会社に話してしまえば、それは、反省の情という観点から、懲戒処分の処分量定を低減させる一つの事情になります。また、調査への協力を拒否したこと自体を非違行為として構成されることも避けることができます。しかし、不正行為の態様が悪い場合、特に、懲戒解雇が視野に入ってくるようなケースでは、洗いざらい会社に話して不正行為の全貌を明らかにしてしまうことが、重たい懲戒処分を誘発してしまうことがあります。

 もう一つの考え方は、協力を拒否することです。一切合切協力を拒否してしまえば、会社は自供なしで認定できるレベルでしか非違行為を認定することはできません。そういう意味では、懲戒処分の量定を軽くすることに繋がります。しかし、不正行為の調査に協力しないこと自体を新たな非違行為として捉えられかねない危険があるほか、反省していないという悪情状が生じることを覚悟しなければなりません。

 上記の二つのモデルは極論を示したものです。実際の対応は、いずれかのモデルを基本方針としつつも、事案に応じて弊害を緩和するための調整を施しながら、対応を決めて行くことになります。大雑把に言えば、協力しても懲戒解雇まではされなそうな場合には前者の方針に傾くし、洗いざらいしゃべって協力すると非違行為のインパクトから反省の情を考慮されても懲戒解雇になりそうな場合には後者の方針に傾くことになるのではないかと思います。

 このように不正行為の調査を受ける時に、どのように対応するのかは難しい問題を孕んでいるのですが、近時公刊された判例集に、防御活動として、どこまでならやってもいいのかを知るうえで参考になる裁判例が掲載されていました。東京地判令2.6.25労働判例ジャーナル105-46 まるやま事件です。

2.まるやま事件

 本件で被告になったのは、繊維品の月賦販売や卸売販売等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で無期雇用契約を締結していた方です。被告から懲戒解雇処分を受けたことから、地位確認等を求める訴えを提起しました。

 被告が作成した懲戒処分通知書には、処分理由として、次の事実が記載されていました。

「(ア)原告は、その地位を利用して取引先(仕入先)に割増請求をさせ、当該割増分の金員を受領する行為を相当期間にわたって行ったことが、『職務上の地位を利用して、金品の供与を受け、不正の利益を得たとき』(就業規則99条2項19号)に該当する(以下、この懲戒解雇事由を『本件懲戒解雇事由〔1〕』という。)。」

「(イ)原告は、上記の行為に関して弁明の機会を与えられたにもかかわらず、事案解明に資する書面(税務代理権限証明書)への署名、捺印の指示を拒否し、弁解の命令を拒否したことが、『正当な理由がなく業務上の指示又は命令に従わないとき』(就業規則99条2項11号)に該当する(以下、この懲戒解雇事由を『本件懲戒解雇事由〔2〕』という。)。」

 注目に値するのは、「本件懲戒事由〔2〕」との関係です。

 刑事事件では、罪を犯した場合であっても、捜査機関からの任意の協力要請は拒否することができますし(その場合に強制処分を受けるリスクは計算に入れておく必要がありますが)、都合の悪いことは黙秘していて問題ありません(憲法38条、刑事訴訟法198条2項等参照)。

 それでは、労働事件の懲戒処分の効力を論じる場面でも、同様に考えることができるのでしょうか?

 この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、署名・捺印の拒否は問題であるものの、弁解の拒否は問題ではないとの判断を示しました。

(裁判所の判断)

「被告は、平成30年5月30日に魚津税務署から原告に給与以外の収入がある疑いがあるとして税務調査を受けるなどし、同年6月1日に重松貿易が原告の指示によりインストラクター代等の支払をするなどしたことをP9から聴取したのであり・・・、同日の時点で被告において原告がインストラクター代等を不正に収受していた疑いを抱く根拠があったといえる。このことに照らせば、被告がその調査の一環として原告に対して税務調査に係る資料の開示を受けるのに必要な税務代理権限証明書への署名押印や事実関係の説明を求めることは、正当な業務命令又は業務指示であるというべきである。

「そして、原告は、調査に必要な税務代理権限証明書への署名、押印を拒否しており・・・、これに正当な理由があったとうかがわせる証拠がないことに照らすと、『正当な理由がなく業務上の指示又は命令に従わないとき』(就業規則99条2項11号)に該当する。他方で、原告は、上記の事情聴取の際、少なくとも平成30年5月30日の電子メールにおいて『ヨシノ東洋』やプロスパラスについて自ら言及しながら、これらを知らないと述べるなど不誠実な回答に終始して十分な説明をしなかったとはいえるが・・・、この点については、事情聴取が原告に対する本件懲戒解雇事由〔1〕の弁明の機会の付与を兼ねたものと理解されることや原告が事情聴取自体には応じたことに照らすと、直ちに業務命令等に違反したものとは断じ難い。

3.調査への不協力自体が非違事由になり得るので注意

 上述のとおり、裁判所は、税務代理権限証明書への署名押印の拒否を業務命令違反に該当するとする反面、事情聴取の時に十分な説明をしなかったことは業務命令違反にはあたらないと判示しました。自分の不正行為を黙っていることは許容できても、会社が必要な調査をすることに協力しなことは許容できないという発想なのだと思います。

 労働事件の不正調査への対応は、刑事弁護に類似する面もあります。しかし、これと全く同様に考えてしまうと、足元を掬われかねないことになります。刑事弁護としてなら完全黙秘が有効な局面でも、労働事件として懲戒処分が問題となる局面では、そうではない可能性もあります。

 会社からの調査に対し、どのような基本姿勢を打ち立てるか、協力する場合にどのような行為にどこまで協力するのかは、極めて専門性の高い問題です。しかも、将来不相当に重たい懲戒処分が下された場合の橋頭堡を構築する作業なので、弁護士の技術の巧拙が結論にも影響します。

 自力で対応するのは無謀であるため、不正行為に関しては、会社から調査を受け始めたら、できるだけ早い段階から弁護士を関与させることを推奨します。

 東京近郊にお住まいの方は、当事務所でお力になることも可能です。不正行為をした負い目があると、心情としてなかなか相談し辛いのは理解できますが、状況がシビアな時こそ、弁護士の関与が必要です。該当の方は、お気軽にご相談頂ければと思います。

 

変形労働時間制が無効になった場合の残業代の計算の仕方-1倍の部分の賃金は支払われているといえるか?

1.変形労働時間制

 変形労働時間制という仕組みがあります。これは、簡単に言えば、業務の繁閑に応じて労働時間を配分する制度です。

 変形労働時間制のもとでは、法定労働時間(1日8時間、1週間40時間 労働基準法32条参照)を超える所定労働時間を定めることが認められます。そして、法定労働時間を超えて働いても、それが所定労働時間を超えない限り、原則として時間外勤務をしたという扱いを受けません(ただし、一定の例外はあります)。

 変形労働時間制には、単位期間を1か月とするもの(労働基準法32条の2)、1年とするもの(労働基準法32条の4)、1週間とするもの(労働基準法32条の5)の三種類があります。いずれの変形労働時間制も導入要件が複雑で、子細に分析をしてみると、その効力に疑義のあるものが少なくありません。

 それでは、変形労働時間制が要件の欠缺によって無効になった場合、残業代は、どの範囲で発生するのでしょうか?

 例えば、有効要件を充足しない変形労働時間制のもと、1日11時間の対価として1万1000円が支払われていたとします。

 この場合、所定労働時間が1日8時間に圧縮される結果、1万1000円は8時間労働の対価として理解され、残り3時間分の時間外勤務手当は全然支払われていないことになるという考え方があります。

 他方、変形労働時間制が無効でも、1万1000円が11時間分の労働の対価として合意されていることに変わりはなく、3時間分に相当する残業代の割増部分(25%部分)の追加支払が必要になるだけだという考え方もあります。

 近時公刊された判例集に、この論点について判示した裁判例が掲載されていました。東京地判令2.6.25労働判例ジャーナル105-48 イースタンエアポートモータース事件です。

2.イースタンエアポートモータース事件

 本件は、いわゆる残業代請求事件です。

 被告会社では1か月単位の変形労働時間制が採用されていましたが、これは法定の要件を満たしていませんでした。本件では、法定の要件を満たさず変形労働時間制が無効になる場合に、時間外勤務手当の支払義務が、どの範囲で発生するのかが争点の一つになりました。

 原告労働者は、

「1箇月単位の変形労働時間制が法の要件を満たさずその適用が許されない場合には、労基法13条、32条2項により、所定労働時間を1日8時間を超えて定めた部分は無効となるから、所定労働時間は1日8時間に短縮される。本件各契約において、被告が所定労働時間1日11時間の対価として支払った賃金は、適法な所定労働時間である1日8時間に対する賃金となり、残りの3時間の労働については全く賃金が支払われていないことになるから、1日8時間を超える労働である3時間に対する賃金として、労基法37条1項の『通常の労働時間の賃金』の1.25倍の賃金を支払う必要がある。」

と主張しました。

 これに対し、被告会社は、

「被告は、本件各契約の所定労働時間である本件シフト表に定めた労働時間の対価として月ごとに定められた賃金を支払ったから、1日の所定労働時間を11時間と定めた場合は、その11時間に対する労基法37条1項の『通常の労働時間の賃金』の1倍の賃金は既に支払われているといえる。本件シフト表に定める所定労働時間の対価として月ごとに定められた賃金が支払われたことについては原告らも認めており、争いがない事実である。したがって、1日8時間を超える所定労働時間である3時間の労働に対する割増賃金としては、労基法37条1項の『通常の労働時間の賃金』の0.25倍の賃金を支払うことで足りる。」

と反論しました。

 裁判所は、次のとおり述べて、被告の反論を排斥し、原告の主張に係る考え方を採用しました。

(裁判所の判断)

「本件各契約の所定労働時間のうち、1日につき8時間を超える部分の合意は、1箇月単位の変形労働時間制が法の要件を満たさずその適用が許されない場合には、労基法32条2項に違反することとなるから、労基法の直律効を定める同法13条の『この法律で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約・・・の部分』に当たり、その部分が無効となり、所定労働時間は1日8時間に短縮され、1日8時間を超えてした労働は時間外労働となる。その場合において、賃金額の合意がどのように影響を受けるかは、労基法には定めはないから、本件各契約の合理的な解釈によることとなる。そして、労働契約は基本的には私的自治が妥当し(労働契約法1条)、労基法違反により無効となるのは労基法に違反した部分のみと解されるところ(労基法13条の第2文)、時給制や日給制においては賃金と所定労働時間数が厳密に対応・牽連しているのと比して、月給制においては国民の祝日や曜日により1箇月当たりの所定労働時間が他の月より短くても賃金減額が行われなかったり、遅刻・早退の場合において賃金減額が必ずしも行われなかったりするなど、所定労働時間と賃金とが厳密な対応・牽連関係にないことからすれば、月給制においては1箇月の所定労働時間と月ごとの賃金額とが一体の関係にあるとはいえないというべきであり、月給制においては、無効となるのは1日8時間を超える所定労働時間の部分のみであり、月ごとの賃金額のこれに対応する部分は無効とはならないと解するのが相当である。そうすると、月給制である本件各契約においては、無効となるのは1日8時間を超える所定労働時間を定めた部分のみであり、賃金を支払う合意が、本件シフト表のうち無効となる所定労働時間数が占める割合に応じて部分的に無効となることはないと解される。

「そうすると、本件シフト表のうち無効となる所定労働時間数が占める割合に応じた賃金額の部分を、その余の賃金額から切り出して、その支払をもって、無効となる時間数の労働に対する賃金として弁済したという被告主張の解釈はとり得ないこととなる。

3.賃金額の合意がどうなるかは契約解釈によって決まる?

 変形労働時間制が要件の欠缺により無効になる場合の処理について、裁判所は、二者択一的に結論が導かれるわけではなく、契約解釈によって定まるとの見解を示しました。

 ただ、月給制の場合、契約は原告が主張したように解釈されるとし、法定労働時間を超える部分の残業代は、1.25倍の割増賃金のうち、「1」の部分も含めて支払われなければならないと判示しました。

 残業代を計算する係数が1.25になるのか0.25になるのかは、金額にかなりの影響を及ぼします。この論点で月給制労働者に有利な理解を示したことは、労働者側に好ましい判断だと思います。

 経験上、変形労働時間制は、その効力を否定することができれば、かなりの金額の残業代を請求できることが多々あります。この変形労働時間制は何かおかしい、そうした違和感を覚えた方は、要件の充足性と残業代請求の可否について、一度、弁護士に相談してみると良いと思います。もちろん、当事務所でも、ご相談をお受けすることは可能です。

 

解雇事件にみる組織内弁護士(インハウス)の能力や適格性

1.組織内弁護士

 組織内弁護士(インハウス)とは、

「官公署又は公私の団体・・・において職員若しくは使用人となり、又は取締役、理事その他の役員となっている弁護士」

をいいます(日本組織内弁護士協会 定款4条1項)。

定款・会規 | 日本組織内弁護士協会|JILA

 組織内弁護士は、近時、その数を急速に拡大しています。

 日本組織内弁護士協会の統計資料によると、2001年には66人でしかありませんでしたが、2020年には2629人の組織内弁護士がいるとされています。

組織内弁護士の統計データ | 日本組織内弁護士協会|JILA

https://jila.jp/wp/wp-content/themes/jila/pdf/transition.pdf

 従来、数が少ないことから、組織内弁護士に対する解雇の効力が争われる裁判例を目にすることは稀でした。

 しかし、組織内で働く法曹有資格者が増えたためか、近時公刊された判例集に、能力・適格性不足、協調性不足を理由とする組織内弁護士への解雇の可否が争点となった裁判例が掲載されていました。東京地判令2.6.10労働判例ジャーナル105-52 パタゴニア・インターナショナル・インク事件です。

2.パタゴニア・インターナショナル・インク事件

 本件で被告になったのは、衣料品の通信販売等を目的とし、米国カリフォルニア州に本店を置く外国会社です。

 原告になったのは、本邦の大学を卒業後、米国ニューヨーク州の弁護士資格を保有していた方です。日本支社リーガルカウンセルとして、年収1600万円で、被告と雇用契約を締結していました。被告から能力・適格性不足、協調性不足を理由に普通解雇されたため、地位確認等を求めて訴訟を提起しました。

 能力・適格性不足との関係で、被告は、原告が、

「外国法人の政治活動への法的規制の問題で社外弁護士の見解を自分の意見に沿うように曲げて伝え」たこと、

「外部コンサルタントとの業務委託契約締結に関連する不正競争防止法上の問題について社外弁護士が自分の意向に沿う結論を出すようにリードし」たこと、

「酒税法について誤ったアドバイスをして被告をリスクに晒し」たこと、

「レポートライン(組織内で報告、決裁、人事評価等を行う系統)に関する業務命令に違反して被告日本支社長を自分の上司とすることを拒否し」たこと、

「税務署に提出する書類を担当部署のチェックを受けずに提出したため当該書類に不正確な数字が記載されてしまい税務署の被告への信用を損なうリスクを惹起し、また、被告日本支社の被告米国本社からの信用を毀損し」たこと、

「実務的なアドバイスを提供することを放棄し」たこと、

「在宅勤務制度がないにもかかわらず頻繁に出社しなかった」こと

を解雇事由として主張しました。

 こうした被告の主張に対し、裁判所は、次のとおり述べて、原告の能力・適格性不足を認め、解雇を有効だと判示しました。

(裁判所の判断)

「原告は、平成28年9月、本件業務委託契約の案件について、P4から本件業務委託契約の締結作業を進めるよう指示された当初から、これが不正競争防止法に反する疑いがあるとの見解を表明していたところ、大橋弁護士から、これに反して、本件業務委託契約締結の法的リスクは相当程度限定的であるとの助言等を受けたので、既にP6からP9が本件業務委託契約における業務内容はアマゾン社の営業秘密の持ち出しに該当するものではないと回答したとの報告を受けており、その他、P9がアマゾン社に対して負う守秘義務の内容等を調査した訳でもなく、本件業務委託契約の業務内容がP9の守秘義務違反となると断定するべき客観的な根拠はなかったにもかかわらず、大橋弁護士に対し、本件業務委託契約がP9の守秘義務違反となる旨被告が知っているとの、根拠不十分な情報を断定的に提供し、その結果として大橋弁護士から得た助言をP4に報告したものである。」

「すなわち、原告は、大橋弁護士の法的見解を本件業務委託契約が不正競争防止法に違反するとの自己の見解と合致させるために、大橋弁護士に対して客観的な根拠のない事実を断定的に提供して、大橋弁護士の被告に対する助言を誤らせたものというべきであって、原告の上記行為は、被告における本件業務委託契約締結に関する法的リスクの有無の判断を誤らせる危険を生じさせたものである。

「また、前記・・・に認定のとおり、原告は、平成28年12月、被告日本支社が本件公聴会に従業員を動員して開発反対の意思を表明する方針を持っていたところに、外国法人の政治活動とされる行動は回避が無難であるとの助言をしたものであるが、この際、大橋弁護士はこれと異なる法的見解を述べていたにもかかわらず、P4に対して、大橋弁護士も原告の見解と同様の見解を示したかのような報告をしたものである。さらに、原告の上記助言の法的根拠は不明であり、その正確性自体も疑問である。

原告の上記助言は、本件公聴会の案件に係る法的リスクの判断を誤らせ、被告の志向していた環境危機に警鐘を鳴らし解決に向けて実行するとの行動を妨げるおそれを生じさせたものである。

「そして、前記・・・に認定のとおり、原告は、平成29年6月1日、P4から、他の従業員と協議をした上で問題を解決し、困難な状況の克服に必要な選択肢を提案するべく、率先して行動することが期待されているなどの旨、具体的な要望を交えての指導を受けたものであり、かつ、その指導内容は、リーガルカウンセルとして単なる法的リスクの助言をするだけでなく、助言を要する部門のニーズを把握して法的リスクを踏まえた解決策を助言することを求めるという、明確なものであった。ところが、前記・・・に認定のとおり、原告は、その後も、ストアイベントにおける本件ビールの配布が既に開始されていた状況で、これが酒税法に抵触するおそれがあるとの助言をするのみで、これを克服するための解決案を提示することもなく、しかも、食品衛生法などその他の法令による規制を考慮しての助言をするには及ばず、やはり、上記指導に沿った業務を行うことができなかったばかりか、原告の本人尋問における供述中には、同年8月15日、P4が原告に対してビジネス部門においてやりたいことを実現する手助けをしてほしいとの指摘をしたことについて、P4の話が具体的に何のことを言っているのか分からなかった、一般的な話としてそういうこともあるのかなと思ったとの供述部分があることを併せて考慮すれば、原告は、結局、P4の上記具体的かつ明確な指導の内容を理解することができず、あるいは理解して受け入れようとしなかったものと認められる。

「その他、前記・・・に認定のとおり、原告には、経理部門から入手するべき決算書を経理部門に所属しないP14から入手したにもかかわらず、決算書の入手先を問われた際、P14が経理部門に所属していた時期に決算書を入手したなどと虚偽の報告をしたり、行政書士が酒類販売事業免許の申請書類のうち一部しか送付しなかったのに対し、原告は確認のためにその全部の送付を依頼しなかったりするなど、リーガルカウンセルとしての適性を疑われてしかるべき行為があったことが認められる。」 

「原告がリーガルカウンセルとしての職務を遂行する十分な能力と適格性があることが本件雇用契約の内容となっていたことは当事者間に争いがなく、前提事実・・・のとおり、本件雇用契約におけるリーガルカウンセルの業務内容には法的アドバイス、分析を提供することのみならず、被告日本支社のビジネスゴール達成をサポートするビジネスパートナーとしての役割を果たすことも含まれていたのであるから、本件雇用契約上、原告には法的助言等を必要とする他の部門に対して法的リスクを述べるのみならず、同部門のニーズを汲み取った上で上記リスクを踏まえた解決策の提案等をすることが求められていたものであり、かつ、原告はこのことを認識してしかるべきであったというべきである。

「そして、上記・・・に説示のとおり、原告は、法的リスクを踏まえた解決策を提案することなく、自己の見解に固執して、外部の弁護士の見解が自己の見解に合致するよう誘導したり、外部の弁護士の見解が自己の見解と異なるにもかかわらず自己の見解と同じであるとの報告をしたりして、被告日本支社の法的リスクに対する判断を誤らせる危険を生じさせ、さらに、P4からこの点につき具体的かつ明確な指導を受けた後も、不十分かつ法的リスクを指摘するにとどまる助言をしたり、行政機関への申請書類の確認を怠ったりしたものであって、原告には、本件雇用契約で求められるリーガルカウンセルとしての能力と適格性が不足していたものと認められる。

「さらに、原告は、前記・・・に認定のとおり、被告日本支社におけるレポートラインがP4のみであることを否定し、P4との打合せでその旨確認した後も、表向きには理解した旨述べながら結局上記レポートラインを前提とした目標設定を行わず、前記・・・に認定のとおり、在宅勤務にこだわって書類中の法務承認欄への押印を適時に行えないとの弊害を生じさせるなど、自己の見解に固執する傾向が顕著であった。原告のこの傾向は、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告は、P4から上記指導等を受けた後、P10から本件公聴会の案件について法律上のリスクを把握してもらった上でどのようなことをすることが可能かのアドバイスがほしかったと申入れられたのを受けて、P10及びP7に対し、ビジネス部門に同調していてはビジネス部門が異なる意見を議論する機会がなく成長がない、リーガルの見解を検討した上でリスクをとるというビジネス判断するのは部門の力量であるなどの旨記載した電子メールを送信したことが認められ、ここに及んでもなお、自己の問題点を把握しようとしていなかったことからもうかがわれる。

「以上に述べたところによれば、原告には、被告におけるリーガルカウンセルとしての能力や適格性が不足し、その改善の可能性がなく、就業規則44条(c)号の定める解雇事由(勤務成績又は能率が不良で改善の見込みがない)に該当する事実があったものと認められる。」

3.裁判所の期待値は高く、踏み込んだ判断がなされる

 専門職の職務遂行の適否を判断するにあたっては、一定の裁量を前提にすることが少なくありません。

 しかし、裁判所は、

外部の弁護士と組織内弁護士とで、どちらの言っていることが正しいのか、

助言の内容が法的リスクの判断を誤らせていないか、

リスクの指摘に留まらない解決策の提案ができていたのか、

といった、かなり立ち入った内容にまで踏み込んだうえ、組織内弁護士の能力や適格性を判断しています。

 こうした判断の背景には、法律事務の適否について、判断できるだけの十分な知見を有しているという裁判所の自負が影響しているのかも知れません。

 本件は米国弁護士に関する事案ですが、数が急増している以上、いずれは日本弁護士が解雇の効力を争う事案も出てくる可能性があります。

 債務の本旨に添った労務提供の内容が何かは、個々の労働契約毎に異なるため、安易な一般化はできません。しかし、裁判所が組織内弁護士の能力や適格性をどのように理解しているのかを知るにあたり、本件は参考になる事案だと思います。

労災(公務災害)の認定申請の放置への対応(国家賠償よりも行政訴訟)

1.労災認定の標準処理期間

 労災の請求を行うと、労基署が調査を行い、労基署長が支給・不支給の決定を行います。請求を行ってから支給・不支給が判断されるまでの標準処理期間は、災害や給付の種類によって1か月から8か月の範囲で定められています(平成25年10月1日 基労管発1001第2号/基労補発1001第2号/基労保発1001第1号 『労働基準法施行規則の一部を改正する省令の施行に伴う事務連絡の改正について』参照)。

https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc0176&dataType=1&pageNo=1

 標準処理期間が最も長いのは、精神障害に係るもので、8か月と定められています。ただ、これも、平成25年2月26日 基労0226第1号『労災補償業務の運営に当たって留意すべき事項について』という文書で、6か月以内に短縮することが求められているなど、迅速な判断に努めることが求められています。

https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tb9032&dataType=1&pageNo=1

 このように、労災には、請求者を長期間に渡って不安定な状態に置き続けない工夫が設けられています。

 しかし、実務上、労災の支給・不支給の判断に長い期間を要することは、まま見られます。こうした場合、不安定な状態に置かれた労働者が、国に対して慰謝料等の損害賠償を求める余地はないのでしょうか?

 このことが問題になった事案が、近時公刊された判例集に掲載されていました。高知地判令2.6.17労働判例ジャーナル105-56 国・法務大臣事件です。

2.国・法務大臣事件

  本件は自衛官候補生に任命された方が原告となって提起した、国家賠償請求事件です。

 この方は平成24年8月6日に、

「TFCC損傷及び両膝タナ障害であるため、手術が必要」

との診断を受けました。

 TFCC損傷とは

「手関節尺側の手根骨と尺骨末端に介在する軟部組織で三角繊維軟骨とその周囲の靭帯構造からなる三角繊維軟骨複合体(TFCC)が損傷して生ずる外傷」

をいいます。

 また、タナ障害とは、

「タナ障害とは、膝関節包の中にあるタナと呼ばれる骨膜ヒダが、膝蓋骨と大腿骨の間に挟まれて炎症を起こす症状」

をいいます。

 原告の方は、これら損傷・傷害が訓練に起因する公務災害であるとして、平成25年11月5日に公務災害申請を行いました。

 しかし、この申請には、かなりの時間がかかりました。

 結論が出ないことから、原告の方は、平成29年9月14日、

「自衛官が公務災害の申請をした場合、相当期間内に応答処分されることによって焦燥や不安の気持ちを抱かされない利益は、内心の静謐な感情を害されない利益として、不法行為法上保護される利益と解され、被告は、かかる相当期間内に当該申請に対し応答処分すべき条理上の作為義務を負うと解される(最高裁判所昭和61年(オ)第329号,第330号平成3年4月26日第二小法廷判決・民集45巻4号653頁(以下『平成3年判決』という。))。」

(中略)

「被告は,平成24年10月18日の相談から起算すれば約5年2か月間、平成25年11月5日の公務災害申請から起算しても約4年1か月間、公務災害申請を放置されたのであり、被告が公務災害の認定業務を徒に放置したものであるから、かような被告の不作為は、国賠法上違法というべきである。」

などと主張し、不作為の違法性を問題にする訴訟を提起しました。

 本件は、その後、ようやく

平成29年12月21日付けで両膝タナ障害が、

平成30年4月26日付けで左手首TFCC損傷が

公務災害であると認定され、

平成31年2月4日付けで右手首TFCC損傷が

公務外災害であると認定されるという経過が辿られています。

 こうした事実関係のもと、裁判所は、次のとおり判示し、原告の請求を認めない判断をしました。

(裁判所の判断)

「一般的には、各人の価値観が多様化し、精神的な摩擦が様々な形で現れている現代社会においては、各人が自己の行動について他者の社会的活動との調和を充分に図る必要があるから、人が社会生活において他者から内心の静穏な感情を害され精神的苦痛を受けることがあっても、一定の限度では甘受すべきものというべきではあるが、社会通念上その限度を超えるものについては人格的な利益として法的に保護すべき場合があり、それに対する侵害があれば、その侵害の態様、程度いかんによっては、不法行為が成立する余地があるものと解される(平成3年判決)。

「原告は、平成25年11月5日、本件公務災害申請を行ったが、両膝タナ障害については平成29年12月21日まで、左手首TFCC損傷については平成30年4月26日まで、右手首TFCC損傷については平成31年2月4日まで、それぞれ本件公務災害申請に対する公務災害認定の結果が通知されなかったため・・・、両膝タナ障害については約4年1か月間、左手首TFCC損傷については約4年5か月間、右手首TFCC損傷については約5年3か月間、公務災害申請に対する結果が通知されなかったといえる。そうすると、原告が、本件公務災害申請に係る認定手続において、上記期間中に不安や焦燥の気持ちを抱いたということはできる。

「しかしながら、原告は、本件公務災害申請時において、既に両手首及び両膝の痛みの原因を認識しており、その原因であるTFCC傷及びタナ障害は奇病難病とはいい難く、日常生活に重大な支障をもたらす傷害とはいえないといった事情を考慮すれば、原告が抱いたかかる不安や焦燥は、本件公務災害申請に対する処分がなされることによって解消する性質のものといわざるを得ない。それゆえ、かかる不安や焦燥を抱かされないという利益は、国賠法上保護された権利又は利益と認めることはできない。

仮に、上記の利益が国賠法上保護された権利又は利益であるとすれば、これに対する侵害の有無が問題となるものの、本件公務災害申請からこれに対する処分がなされた期間を考慮したとしても、原告が抱いた不安や焦燥は、上記の事情からして、なお社会通念上受忍すべき限度に留まるものといわざるを得ないから、国賠法1条1項の要件である権利侵害があるとはいえない。

「したがって、いずれにせよ、原告の主張には理由がない。」

3.国家賠償よりも行政訴訟

 上述のとおり、裁判所は、不作為の国家賠償法上の違法性を否定しました。不安や焦燥を抱かされない利益が権利性を否定されたことや、4年以上待たされてなお受忍限度内とされたことを考えると、申請の放置が違法とされるケースは、極めて限定的になるのではないかと思います。

 行政庁が申請に対していつまで経っても処分をしてくれない場合、不作為の違法確認の訴え(行政事件訴訟法37条)、義務付けの訴え(行政事件訴訟法37条の3)といった救済手段をとることができます。

 国家賠償による事後的な救済を得られる余地が乏しい以上、ある程度待ってみても処分をしてもらえない場合には、こうした手続を検討してみてもよいのではないかと思います。国家賠償法上の違法性と、不作為の違法確認の訴えの中で判断される違法性とはイコールではないため、国家賠償法上の違法性がなくても、不作為の違法確認の訴えが認められることは十分にありえます。

 処理の遅延にお困りで、手続を検討してみたいという方がおられましたら、ぜひ、一度、ご相談頂ければと思います。

 

適性判断のための有期雇用と試用期間

1.試用期間後の本採用拒否に係る規制の潜脱手段としての有期雇用

 試用期間の定めが解約留保権付労働契約であると理解される場合、本採用拒否は解雇として理解されます。この場合、試用期間中であったとしても、客観的合理的理由・社会通念上の相当性が認められない限り、使用者は労働者の本採用を拒否することができません(第二東京弁護士会 労働問題検討委員会『2018年 労働事件ハンドブック』〔労働開発研究会、第1版、平30〕52頁参照)。

 こうした試用期間に係る規制を潜脱するため、有期雇用契約が用いられることがあります。試用期間を有期雇用契約に置き換え、使用者にとって好ましい場合には期間満了時に無期雇用契約を締結し、好ましくない場合には期間満了とともに契約を終了させてしまうといったようにです。

 しかし、これは法の潜脱以外の何物でもありません。こうした潜脱を防ぐため、最三小判平2.6.5労働判例564-7 神戸弘陵学園事件は、

「使用者が労働者を新規に採用するに当たり、その雇用契約に期間を設けた場合において、その設けた趣旨・目的が労働者の適性を評価・判断するためのものであるときは、右期間の満了により右雇用契約が当然に終了する旨の明確な合意が当事者間に成立しているなどの特段の事情が認められる場合を除き、右期間は契約の存続期間ではなく、試用期間であると解するのが相当である」

と述べ、適正評価・判断のための有期雇用契約を試用期間として理解するべきだと判示しています。

 神戸弘陵学園以降、契約期間の定めを無期労働契約の試用期間であると評価し、留保解約権行使の適法性を判断した裁判例は一定数存在します。他方、期間満了により雇用契約が当然に終了する旨の明確な合意が当事者間に存在しているなど「特段の事情の有無を論じた裁判例は、大阪地判平15.4.25労働判例850-27愛徳姉妹会(本採用拒否)事件がみられます(前掲『2018年 労働事件ハンドブック』57頁参照)。

 このように有期労働契約を試用期間の代わりに用いるという法潜脱手段は、最高裁判例により厳しく制限されている状態にありました。

 しかし、近時公刊された判例集に、労働者の能力や適性を判断するために有期労働契約を利用することを正面から認めたうえ、期間満了による労働契約の終了を認めた裁判例が掲載されていました。東京地判令2.6.23労働判例ジャーナル105-56 電通オンデマンドグラフィック事件です。

2.電通オンデマンドグラフィック事件

 本件で被告になったのは、広告・宣伝業務やセールスプロモーションに関する業務等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、

「平成30年4月1日から同年9月30日まで」

を契約期間として、被告と労働契約を結んだ方です。期間を平成30年10月1日から平成31年3月31日までとして、契約を一度更新された後、雇止めを受けました。これに対し、本件の契約期間は「業務内容や社風などを双方で確認する」ための試用期間であるとして、地位確認等を求める訴えを提起しました。

 原告が契約期間を試用期間であると認識した背景事情として、裁判所は、次の事実を認定しています。

「P3取締役は、平成30年3月9日、原告に対し、メールを送信し、原告を採用する方針に決まったことを伝えた。」

「P3取締役は、同メールにおいて、被告の中途採用制度の概要について、『当社の中途採用では、初めの6か月間を社員試用期間として、初回の採用契約は『有期契約社員』となります。この6か月間において、業務内容や社風などを双方で確認することとし、『有期契約社員』を経て、その後に『正規社員』採用となります。』、『有期契約期間は社の業務状況や、作業に取組みスキルの過不足などを判断したうえで、最長1年間に延長する場合が有ります。(6か月間契約・2回まで)』などと説明した上で、原告に対し、上記中途採用条件を同月2日の面接での説明内容などと併せて検討した上で、最終的に被告への入社を希望するか否かを確定して欲しいと依頼した。」

「原告は、同月10日、P3取締役に対し、上記メールに対する返答として、『試用期間に関して親切にご説明頂き、ありがとうございます。内容は承知致しました。』、『こちらの入社希望は変わっておりません。』と返信した。」

「P3取締役は、原告に対し、被告への入社希望を了承した旨を伝え、同月14日に採用条件などを説明するために面談を行う旨を連絡した。」

 こうした事実関係を前提としながらも、裁判所は、次のとおり述べて、雇用期間の定めが試用期間であることを否定し、契約は終了しているとして、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「本件労働契約を締結するに当たり、被告が原告に対し、本件労働契約が6か月間の期間の定めのある有期契約社員としての契約であると説明し、本件労働契約の締結及び更新の際に、原告が署名して被告に提出した本件採用条件承諾書1及び同2には、いずれも『雇用形態 有期契約社員』と明記され、『契約期間』として『2018年4月1日から2018年9月30日まで(6ヵ月)』又は『2018年10月1日から2019年3月31日まで(6ヵ月)』と定められていたことからすると、本件労働契約が有期労働契約として締結されたことは明らかであり、そこで定められた期間は契約の存続期間であると認められる。

「原告は、被告のP3取締役が採用面接の際に原告に説明したように、本件労働契約の期間は『社員試用期間』であり、『業務内容や社風などを双方で確認する』ための期間であるから、その性質は試用期間であり、本件労働契約は解約権留保付きの無期労働契約であると解されるべきであると主張する。」

「しかしながら、法律上、有期労働契約の利用目的に特別な限定は設けられておらず、労働者の能力や適性を判断するために有期労働契約を利用することもできると解される。特に、本件のような中途採用の場合には、即戦力となる労働者を求めていることが少なくなく、即戦力となることを確認できた者との間でのみ正社員としての労働契約を締結するための手段として、有期労働契約を利用することには相応の合理的理由があると認められる。したがって、労働契約において期間を定めた目的が労働者の能力や適性の見極めにあったとしても、それだけでは当該期間が契約期間なのか、試用期間なのかを決めることはできないというべきである。期間の定めのある労働契約が締結された場合に、その期間が存続期間なのか、それとも試用期間であるかは、契約当事者において当該期間の満了により当該労働契約が当然に終了する旨の合意をしていたか否かにより決せられるというべきである。

「これを本件についてみるに、上記・・・のとおり、原告と被告は、本件労働契約において原告の地位を6か月間の期間の定めのある有期契約社員と定めていることや、本件有期契約社員規則2条が有期契約社員の労働契約において定められる期間は『契約期間』であると明記し、同規則3条が原則として『契約期間満了時には当然にその契約は終了する。』、例外的に契約が更新される場合であっても、その回数は1回に、その期間は6か月以内に限られ、『この場合も、継続的な雇用ではない。』と明確に定めていることに照らすと、原告と被告は、本件労働契約を締結するに当たり、期間の満了により本件労働契約が当然に終了することを明確に合意していたと認められる。

「この点に関し、原告は、本件労働契約において期間を定めた趣旨・目的が労働者の適性を評価・判断することにあるにもかかわらず、当該期間を契約の存続期間であると解するのは、最高裁平成元年(オ)第854号同2年6月5日第三小法廷判決・民集44巻4号668頁(神戸弘陵学園事件 括弧内筆者)に反するとも主張する。しかしながら、同判例は、契約当事者間に期間の満了により当該労働契約が当然に終了する旨の合意があったか否かが不明な事案に関するものであり、これと事案を異にする本件には当てはまらないというべきである。

3.神戸弘陵学園事件の判示に反しているのではないか

 有期労働契約は、その性質上、期間の満了とともに、当然に終了する形式をとります。

 そのため、電通オンデマンドグラフィック事件の裁判所が判示しているように、有期労働契約と試用期間とが、

「契約当事者において当該期間の満了により当該労働契約が当然に終了する旨の合意をしていたか否かにより決せられる」

のだとすれば、有期労働契約が試用期間と理解される場面は、殆どなくなってしまうのではないかと思います。

 これは、本件の原告が主張するとおり、有期雇用契約を用いた試用期間に係る規制の潜脱の抑止を図る最高裁の神戸弘陵学園事件の趣旨に反しているように思われます。

 電通オンデマンドグラフィック事件が孤立した裁判例で終わるのか、それとも同様の判断枠組を用いる裁判例が続いて従来の実務が変更を迫られるのか、今後の裁判例の動向が注目されます。