1.自認する性別に対応するトイレを使用する利益
昨年12月、身体的性別は男性であるものの、自認している性が女性である方に対し、女性用トイレの自由な使用を認めなかったことを違法だと判示した判決が言い渡され、マスコミで話題になりました(※ 表現に関しては末尾注釈も参照のこと)。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53272270S9A211C1CC1000/
この裁判例の判決文が近時公刊された判例集に掲載されていました(東京地判令元.12.12労働判例ジャーナル96-1 経済産業省職員(性同一性障害)事件)。
判決は、
「性別は、社会生活や人間関係における個人の属性の一つとして取り扱われており、個人の人格的な生存と密接かつ不可分のものということができるのであって、個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができることは、重要な法的利益として、国家賠償法上も保護されるものというべきである。このことは、性同一性障害者特例法が、心理的な性別と法的な性別の不一致によって性同一性障害者が被る社会的な不利益の解消を目的の一つとして制定されたことなどからも見て取ることができる。そして、トイレが人の生理的作用に伴って日常的に必ず使用しなければならない施設であって、現代においては人が通常の衛生的な社会生活を送るに当たって不可欠のものであることに鑑みると、個人が社会生活を送る上で、男女別のトイレを設置し、管理する者から、その真に自認する性別に対応するトイレを使用することを制限されることは、当該個人が有する上記の重要な法的利益の制約に当たると考えられる。そうすると・・・、原告が専門医から性同一性障害との診断を受けている者であり、その自認する性別が女性なのであるから、本件トイレに係る処遇は、原告がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができることという重要な法的利益を制約するものであるということになる。」
と性自認に一致するトイレを利用する利益が重要な法的利益であると位置づけたうえ、
「経産省(経済産業大臣)による庁舎管理権の行使に一定の裁量が認められることを考慮しても、経産省が・・・本件トイレに係る処遇を継続したことは、庁舎管理権の行使に当たって尽くすべき注意義務を怠ったものとして、国家賠償法上、違法の評価を免れない。」
と女性用トイレの利用制限に国家賠償法上の違法性を認めました。
民間にも波及する可能性のある画期的な判断だと思われます。
ただ、判断の内容もさることながら、私は、この判決から読み取れる行政措置要求の可能性にも注目しています。
2.行政措置要求
行政措置要求は、国家公務員法86条の、
「職員は、俸給、給料その他あらゆる勤務条件に関し、人事院に対して、人事院若しくは内閣総理大臣又はその職員の所轄庁の長により、適当な行政上の措置が行われることを要求することができる。」
という規定を根拠にした仕組みです。
この仕組みを利用して、国家公務員は、勤務条件の改善に向けた様々な要求を出すことができます。
しかし、現状、行政措置要求の利用は、極めて低調です。
人事院のHPによると、行政措置要求は、平成22年度から平成26年度までの5年間で、認容2件、棄却5件と7件しか判定が行われていません。
https://www.jinji.go.jp/kouheisinsa/index.html
経済産業省職員(性同一性障害)事件で特徴的なのは、国家賠償請求だけではなく、行政措置要求の棄却判定の取消訴訟も併合して提起されていることです。
訴訟提起に先立って、原告の方は、女性用トイレを自由に利用させることを要求事項とした行政措置要求を行っていました。
人事院は、原告の方の要求事項を、
「申請者が女性トイレを使用するためには性同一性障害である旨を女性職員に告知して理解を求める必要があるとの経済産業省当局・・・による条件を撤廃し、申請者に職場の女性トイレを自由に使用させること」
と整理したうえで、要求(要求事項a)は認められないとの判定をしていました。
本件では国家賠償請求のほか、上記判定に対する取消訴訟も提起され、これが認容されています。
より具体的に言うと、裁判所は、
「本件トイレに係る処遇については、遅くとも平成26年4月7日の時点において原告の性自認に即した社会生活を送るといった重要な法的利益等に対する制約として正当化することができない状態に至っていたことは、上記・・・において説示したとおりである。しかしながら、本件判定は、本件トイレに係る処遇によって制約を受ける原告の法的利益等の重要性のほか、上記・・・において取上げた諸事情について、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮した事項の評価が合理性を欠いており、その結果、社会観念上著しく妥当を欠くものであったと認めることができる。」
「したがって、本件判定のうち要求事項aを認めないとした部分は、その余の原告の主張についての検討を経るまでもなく、その裁量権の範囲を逸脱し、又はその濫用があったものとして、違法であるから、取消しを免れない。」
と判示しています。
3.行政措置要求の対象行為
私が注目しているのは、トイレ使用の制限に関する事項が行政措置要求の対象行為であることを、人事院も裁判所も全く問題にしていないことです。
行政措置要求の対象行為は、
「勤務条件であれば執務環境の整備、器具の設置等事実上の行為であると運用上のものであると、制度の改善要求とを問わないものとされ、その具体的内容は、職員団体の交渉事項の範囲と同じである。」
と理解されています(森園幸男ほか編『逐条国家公務員法』〔学陽書房、全訂版、平27〕743頁参照)。
しかし、
「勤務条件でない事項については行政措置要求を行うことはできない」
とされているほか、
「管理運営事項については、これを行政措置要求の対象とすることはできない」
ともされています(前掲文献743-744頁参照)。
紛争実例が少ないうえ、管理運営事項と勤務条件は密接に関連していることから、何が対象になって何が対象にならないのかの線引きが外部からは、極めて分かりにくい様相を呈していました。
トイレの利用の可否のような施設管理に関わる事項までが対象になり得るとすれば、行政措置要求の対象行為は、かなり広く構成することができるのではないかと思います。
4.行政措置要求の持つ可能性
行政措置要求の優れたところは、具体的な措置を要求できる点にあります。国家賠償請求では金銭を要求できるだけですが、行政措置要求では必要な作為を求めることができます。
経済産業省職員(性同一性障害)事件の主文第1項は、
「人事院が平成27年5月29日付けでした国家公務員法(昭和22年法律第120号)第86条の規定に基づく原告による勤務条件に関する行政措置の各要求に対する平成25年第9号事案に係る判定のうち原告が女性トイレを使用するためには性同一性障害者である旨を女性職員に告知して理解を求める必要があるとの経済産業省当局による条件を撤廃し、原告に職場の女性トイレを自由に使用させることとの要求を認めないとした部分を取り消す。」
となっています。
判決が確定すれば、行政は判決の趣旨に従った措置をとらなければならなくなります。
性同一性障害の方に限らず、就労にあたり行政に対して一定の配慮を求めたい公務員の方、一定の配慮さえあればより自分らしく働けると考える公務員の方は、決して少なくないだろうと思います。
そういった方は、行政措置要求の積極的な活用を検討してみても良いかもしれません。
※ 令和2年3月18日注釈追記
冒頭の「身体的性別は男性であるものの」との表現を「戸籍上の性別は男性」とすることへの問題提起を頂きました。
このことに関する私の認識を追記します。
上記表現は判決文の表記に準じています。
判決文中の文言として抜き出すと、原告の方は、
「原告の身体的性別(生物学的な性別)は男性であり、自認している性別(心理的な性別)は女性である。」
と認定されています。
表現を訂正すべきかに関しては、改めて検討しましたが、判例紹介という本記事の性質上、判旨を正確に理解するにあたっては、要約においても可能な限り原典の表現をそのまま活かした方が好ましいとの立場から、冒頭の表現は判決文に従った形を維持することにしました。
判決が上記のような文言を用いたことの当否、ブログでの紹介の仕方の当否(紹介にあたってまで原典の表現をそのまま踏襲する必要があるのか)に関して、傾聴すべき見解があることは理解しましたが、法専門家としての私の考え方は上述のとおりです。