弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

就職妨害・大学院進学の強要がアカデミックハラスメントに該当するとされた事例

1.アカデミックハラスメント

 アカデミックハラスメントという和製英語があります。これは大学や大学院の構成員間で発生するハラスメントを総称する概念として用いられる言葉です。

 法律用語ではないため、統一的な定義はありませんが、各大学は独自に概念定義を行って、アカデミックハラスメントの防止に努めています。

 例えば、私の出身校である一橋大学では、

「教育・研究上の地位や権限、または優位性を利用して、相手の教育・研究・職務を妨害するような不適切な言動をすること、また、勉学・研究・職務の意欲や環境を著しく阻害したり、職務を逸脱して精神的・肉体的な苦痛や困惑を与えるもの」

をアカデミックハラスメントとして定義しています。

http://www.hit-u.ac.jp/harassment/index.html

http://www.hit-u.ac.jp/harassment/pdf/guideline.pdf

 ただ、概念定義が各大学の判断に依存していることと、厳しい指導・教育とハラスメントとの境界線を画することが難しいことから、何がアカデミックハラスメントに該当するのかは、今一、明確に分かっているわけではありません(法律用語ではないため、アカデミックハラスメントに該当したとしても、そのことから直ちに一定の法的な効果が導かれるものではありませんが)。

 そのため、アカデミックハラスメントに関して、紛争案件となり得るものとそうではないものとを適切に切り分けられるようになるためには、一つ一つの裁判例をフォローして感覚を磨いて行くしかありません。

 パワーハラスメントほど裁判例が豊富にあるわけではないことも、アカデミックハラスメントの概念の理解を困難にしているのですが、近時公刊された判例集に、アカデミックハラスメントに関して目を引く裁判例が掲載されていました。

 鳥取地判令2.2.21労働判例ジャーナル98-18 国立大学法人鳥取大学事件です。何が興味の対象になったのかというと、就職希望の理科系学部の大学生に推薦書を書かず、大学院進学を勧めたことが非違行為(大学教授による権限濫用・逸脱)として認定されているところです。

 理科系の大学生や大学院生を中心に特定の研究室に拘束される問題が存在することは認識していましたが、この問題を明確に教授の権限濫用・逸脱だと判示した裁判例は珍しいのではないかと思います。

2.国立大学法人鳥取大学事件

 この事件では懲戒処分(停職)の効力を争う形で、アカデミックハラスメント行為の存否・該当性が争われた事件です。

 被告になったのは、鳥取大学を設置する国立大学法人です。

 原告になったのは、鳥取大学の大学院工学研究科及び工学部教授として勤務していた方です。

 アカデミックハラスメントの被害者になったのは、鳥取大学工学部物質工学科の元学生で、原告の研究室に配属されていた方です(以下、この方は「c」と表記します)。

 cは学科推薦(教授職等にある者からの推薦書の提出を要件として求人に応募することができる制度)を受けるため、推薦書の作成を原告に依頼しました。

 しかし、原告はcに対して、

「『院試を受け合格する』ことを条件に、推薦書も書こうと思います。そのために、勉強もしてください。」

などと書かれたメールを送信するとともに、大学院進学を勧めました。

 結局、cは鳥取大学の大学院の入学試験に不合格となり、推薦書が作成されることはありませんでしたが、これがcの自由な進路選択の権利を侵害するアカデミックハラスメントに該当するのかが問題になりました。

 cからのハラスメント申告を受け、鳥取大学のハラスメント等防止・対策委員会は事案の調査を行いました。調査結果を踏まえた同委員会からの報告に基づいて、被告学長は、

「cが就職を希望していた企業への推薦書を合理的な理由もなく書かず、cの自由な進路選択の権利を侵害したこと」

などを理由に、原告に対して停職1か月の懲戒処分を行うとともに、また、懲戒処分を学生に対するアカデミックハラスメント事案として学内で公表しました。

 この停職処分の無効確認などを求めて原告が被告を訴えたのが本件です。

 裁判所は、次のとおり述べて、懲戒処分は有効であるとし、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「被告は、原告がcの就職により自己の研究テーマへの悪影響が生ずることを危惧し、自己の研究テーマをcに大学院で継続させることが目的であったと主張するところ、これに沿う以下の点を指摘できる。」
「原告が、平成27年7月15日、学科推薦での就職を希望するcに対し、推薦書作成に当たって大学院入学試験の合格という条件を提示したことは、前述したとおりである。」
「学科推薦を利用して企業からの内定を得た学生は、大学院入学試験を受験して合格したとしても、大学院への進学を断念せざるを得ない状況に置かれることになるから、その条件を付されたcとしては、就職を希望するノーテープ工業に応募するためには、まずは進学することのない大学院の入学試験に合格しなければならず、かつ、大学院入学試験の合格はノーテープ工業の就職活動には関係がないから、これは明らかに不合理な条件である。また、大学院入学試験の合格発表までの間に、他の学生と競合するなどの理由で、学科推薦を利用したノーテープ工業への就職活動が行えなくなる可能性もあり、その不合理さは明らかである。このような明らかに不合理な条件を提示したという事実からは、原告は、cに大学院の入学試験を受けさせ、最終的には大学院に進学する方向に強く誘導しようと意図したことが推認できる。そして、その理由は、cの希望や能力とは関係がないというのは、前述したとおりである。」
「また、原告は、同月20日午前9時頃、唐突に、cが行っている研究テーマについては500万円の外部資金を獲得していることを伝えた上で、重大な研究プロジェクトに参画していることを自覚しているかと問い質すような本件メール・・・を送信し、cに大学院進学を強く勧めたことは、前述したとおりである。」
「原告が、同月15日に推薦書作成に条件を提示した後、同月20日に本件メール・・・を送信したことからすると、そのメールに記載された内容によりcを大学院に進学するようさらに強く説得しようとしたものと推認できるが、そのメールに記載されていることは、cの研究テーマに外部資金が獲得されているとの指摘である。
「この点、外部資金を獲得した重要な研究プロジェクトにcが参画しているということが客観的には事実であったとしても、そのことは、研究者である原告の問題であり、当時大学生に過ぎないcがことさらに認識し、自覚しなければならないことではないし、大学生が就職を犠牲にしてまで遂行しなければならないものではない。原告が、cに対し、500万円という多額の金額を強調し、重大なプロジェクトであることを強調して大学院に進学するよう勧めている理由は、原告が、cの将来を考えて大学院に進学するよう勧めたものではなく、むしろ、cが大学院に進学しなければ、自身のその重要な研究プロジェクトに継続的に携わる担当者がいなくなり、当該研究の進捗に支障を来すことになるため、これを避けたいという思いからcに大学院に進学するよう勧めたものと考えざるを得ない。
「そして、原告は、同月21日の面談においても、cが直ちに推薦書を作成するよう求めたのに対し、cの話に傾聴することなく、原告の考えを述べ、大学院進学を強く勧めている。」
「確かに、・・・鳥取大学工学部では、教授が学生に大学院へ進学するよう指導することは特異なことではないといえるが、教授が学生の希望に反してまで再三にわたり大学院進学を強く勧める必要性はなく、そのようなことが許容されるはずもない。原告が、cから再度の推薦書作成依頼がなされた状況においても、大学院進学を強く勧めた背景には、原告の個人的な動機があると考えるのが自然である。
「加えて、・・・、原告は、調査委員会の聴取においては、本件推薦書作成に条件を付した理由は大学院に進学して欲しかったからである旨を説明し(なお、原告は、第1回調査委員会の聞き取り調査においても、cの学力不足に言及してはいるものの、その場での回答の推移のほか、前述したところからも、それが本件推薦書を書かなかった理由でないことは明らかである。)、cが選択していた研究テーマが重要なものであり、大学院に行く人にやってもらいたいという希望があったという原告自身の都合が影響した旨の説明をしている。このような説明は、原告が本件推薦書を作成しなかった理由が、原告の重要な研究を円滑に進めるためであったということを裏付けている。」
「以上の・・・の事情に照らすと、原告が本件推薦書を作成しなかった理由は、被告主張のとおり、cが就職することにより自己の研究テーマへの悪影響が生ずることを危惧し、自らの研究テーマをcに大学院で継続させることが目的であったものと認められる。
そして、これは、自身の研究を優先し、学生の進路選択の希望をないがしろにするものであって、学科推薦の推薦書を作成しない合理的な理由になり得ないことは明らかであり、原告が本件推薦書を作成しなかったことについて、その裁量を逸脱、濫用したものというほかない。

3.研究のために行われる就職妨害・大学院進学の強要

 上記に引用した以外にも、本件の裁判所は、懲戒処分の前提となる事実の認定、推薦書作成に関する教授の裁量などについて、詳細な判断を行っています。その判示事項は、就職妨害・大学院進学の強要の問題の背景や実体を理解するうえで、非常に参考になります。

 就職妨害・大学院進学の強要の問題は、比較的よく耳にする割には、それほど裁判例になっていないというイメージを持っています。

 それは、

不安定な概念定義のもと、アカデミックハラスメントに該当する事実と、それがなぜ問題なのかを正確に伝えて行く作業は、元々難しい作業であること、

加害者側の知的水準が高く、もっともらしい理屈の構築能力に優れていること(防御の壁を突き崩しにくいこと)、

が背景にあるのではないかと思います。

 アカデミックハラスメントの所属組織への被害申告は、それ単体で経済的な利益を獲得できるようなものではないため、費用との兼ね合いで弁護士が関与しにくい問題の一つです。

 しかし、本来、弁護士などの法専門職のサポートを受けて行うことが望ましいと思っています。

 自分だけでの対応に限界を感じている方は、一度、弁護士のもとに問題提起の仕方を相談に行ってみてもよいと思います。加害者への損害賠償請求に繋げることができそうな事案であれば、ある程度、費用的な問題はクリアできるかと思います。

 

人事管理の一環であっても本人の同意なく医師から医学所見を聴取するのは違法

1.人事管理の一環としての医学所見の取得

 病歴等に係る情報は、法律上「要配慮個人情報」(個人情報保護法2条3項)として定義されており、個人情報保護法による保護が図られています。

 個人情報保護法上、個人情報を第三者に提供するためには、原則として本人の同意を得ておく必要があります(個人情報保護法23条1項)。これにより、医療機関を受診した方には、当該医療機関から無断で第三者に医学所見を提供されることのない立場を保障されることになります。

 ここで言う第三者には、当然、職場も含まれます。

 職場には労働者安全衛生法などの法令に基づいて本人の同意を得ないで健康診断の結果等の医学所見を入手することができる場合もありますが、それは飽くまでも個人情報保護法上の例外です。

 職場であっても、労働者から提出された診断書の内容以外の情報について医療機関から健康情報を収集する必要がある場合には、あらかじめこれらの情報を取得する目的を労働者に明らかにして承諾を得るとともに、必要に応じ、これらの情報は労働者本人から提出を受けることが望ましいと理解されています(厚生労働省 雇用管理分野における個人情報のうち健康情報を取り扱うに当たっての留意事項 第3-5参照https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000027272.html

https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/0000167762.pdf)。

 ただ、「望ましい」との表現からも分かるとおり、法の建付けとしては、医学所見等の個人情報を保護する責任を負っているのは基本的には医療機関であり、医学所見等の無断での第三者提供に対し、第一次的に責任を問われるのは、第三者提供を行った医療機関になるのではないかと思います。

 しかし、無断での第三者提供を行った医療機関や医師に個人情報保護法違反や秘密漏示罪(刑法134条1項)の問題が生じることは別として、法令に基づく場合に該当しないにもかかわらず、労働者の同意を得ないまま、医学所見等の個人情報を医師から積極的に聴取しに行った職場に何等かの責任が発生することはないのでしょうか。

 昨日、「素人による発達障害というレッテル貼りは違法」という表題のもと、退職勧奨の場面で、医師でもない素人が労働者を発達障害者とレッテル貼りして罵倒したことが違法だと判断された裁判例を紹介しました(甲府地判令2.2.25労働判例ジャーナル98-16 国立大学法人山梨大学事件)。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/05/15/193759

 この事案は、上記の論点だけではなく、医学所見を労働者に無断で医師から取得することの適否という観点からも、興味深い判断がされています。

2.国立大学法人山梨大学事件

 職場が労働者の医学所見を無断で医師から取得することの適否という観点から本件事案の概要を述べると、次のとおりとなります。

 本件で被告になったのは、山梨大学を設置・管理する国立大学法人です。

 原告になったのは、被告の事務職員であった方です。

 被告のP3人事課長は、職場での問題行動が目立ったことから、病気や障害に問題があるのではないかと考え、原告に対して、産業医である精神科のP5医師と面談するように指示しました。

 これを受けて、原告はP5医師と面談するとともに、P6心理士による心理検査を受けました。

 その後、P3人事課長及びP4課長補佐は、

「P5医師から、P6心理士の作成した本件心理検査の結果についての報告書のコピーの交付を受けるとともに、P5医師から、当該結果を踏まえ、原告は、発達障害のいくつかパターンの傾向に当てはまるところもあり、社会の中でコミュニケーションを取ることは難しいが、現状の判断基準に照らすと、病気や発達障害とまではいえず、原告のパーソナリティに起因するものであるとの見解を聴取」

しました。

 このP5医師による原告の診察結果は、被告において、人事管理の一環として当初から使用する予定でしたが、P3人事課長及びP4課長補佐は、P5医師から原告の診察結果等を聞き取ることについて、原告に了解を得ていませんでした。

 その後、P3人事課長らが原告と面談し、退職勧奨を行ったという流れになります。

 原告は、P3人事課長らが、原告の承諾を得ることなく、無断で原告の医療情報を取得したことなどを問題視し、被告に対して損害賠償請求を行いました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、無断での医療情報の取得に権利侵害性を認めました。

(裁判所の判断)

P3人事課長は、原告にP5医師との面談を受けるように指示し、人事管理の一環として使用するつもりであったにもかかわらず、原告から検査結果を聞くことに対する同意を取らないまま、P5医師から原告との面談内容及び本件心理検査の結果とこれに対するP5医師の所見を聴取し、原告との本件面談において、原告が発達障害ではないことを知っていたにもかかわらず、別紙『本件面談のP3人事課長の原告に対する発言』記載のとおり、『発達障害なんですよ』、『検査で明らかになったように・・・体本来の機能・・・が損なわれている』などと発言したことが認められる。」
P3人事課長がP5医師から得た情報は、精神科の医師であるP5医師が原告と面談した内容、本件心理検査の結果及びP5医師の所見であるが、これらは、個人の内面の心理及び人格に関する情報であって、一般人の感受性を基準として、他者に知られたくない私的事柄に属するプライバシー性の強い情報であるといえるから、たとえ人事管理の一環であったとしても、本人の同意がなければその情報を取得することは許されないものと解するのが相当である。そうすると、P3人事課長によるこれらの情報の取得には、原告の同意がなかったのであるから、原告のプライバシーを侵害する行為である。

3.新型コロナウイルスとの関係では・・・

 現在、私の所属している第二東京弁護士会では、国の緊急事態宣言を受けて、運営している法律相談センターの業務を一時休止しています。

 ただ、困っている人が多く出て来るはずなのに、法律相談の窓口を閉めてしまうのは具合が悪いだろうということで、法律相談センターの休止期間中にも相談に対応できる弁護士のリストが作成されています。

 リストは専門分野毎に作成されていて、労働問題関係では私を含む6名の弁護士がリストアップされています。

https://niben.jp/news/ippan/2020/202004102593.html

https://niben.jp/news/news_pdf/rodo_0422.pdf

 その関係もあり、新型コロナウイルスの影響下における労働相談の状況・傾向は注視しているのですが、コロナハラスメントとも言うべき問題が生じていることが確認されています。医療情報の取得との関係では、新型コロナウイルスに罹患していないことの医学的なエビデンスが提出できるまで会社に来るなと言われたなどの問題があるようです。

 今のところ、私の観測する範囲内では、勤務先が労働者の頭越しに医療機関から情報を取得したという事例はありません。しかし、医療機関が、看護師等の従業員の医療情報について、当該看護師等が通院している医療機関から、頭越しに情報を取得するといったことは、普通ないにしても、あってもおかしくはないように思います。過去の裁判例との関係で、HIVに罹患した事実が、本人の知らないところで、検査先大学病院から、勤務先病院に対して漏洩された事件などがあるからです(福岡地裁久留米支判平26.8.8労働判例1112-11社会福祉法人A事件)。

 HIVに関しては適切な治療を受けていれば感染の心配はありませんが(札幌地判令元.9.17労働判例1214-18 社会福祉法人北海道社会事業協会事件の判示参照 https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/02/27/011921)、新型コロナの問題は感染の問題があるため、使用者による他の労働者に対する安全配慮義務の履行の問題と、個々の労働者のプライバシーの問題をどのように調整するのかという難しい問題が生じます。

 本件で問題になった発達障害も感染する類の疾患ではありませんが、レッテルを張られることが差別と結びついているという点では同様で、本件の判示事項は、新型コロナウイルスの問題に絡んで、本人の頭越しに職場が労働者の医療情報にアクセスした場合にも影響力を持ってくる可能性があるのではないかと思います。

 差別と結びついた医療情報へのアクセスの問題を考えるにあたっては、今後とも裁判例の動向を注視して行く必要があります。

 

素人による発達障害というレッテル貼りは違法

1.発達障害というレッテル

 日常生活の中で器用でない振る舞いをする人に対し、医師でもないのに「あいつは発達障害だ。」というレッテルを貼って、辛くあたる人がいます。

 本当に下らないと思いますが、弁護士業務をしていると、それなりの頻度で目にします。それは、職場内いじめの一場面であったり、DVが絡む離婚事件で夫婦の一方が他方に向ける暴言であったりします。

 近時公刊された判例集にも、素人判断で部下を発達障害呼ばわりして退職勧奨をしたことが違法だと判示された裁判例が掲載されていました。甲府地判令2.2.25労働判例ジャーナル98-16 国立大学法人山梨大学事件です。

2.国立大学法人山梨大学事件

 本件で被告になったのは、山梨大学を設置・運営する国立大学法人です。

 原告になったのは、被告の事務職員であった方です。

 本件は、勤務成績の不良等を理由として解雇された原告が、その効力を争い、地位確認等を求めるとともに、解雇に先立つ退職勧奨時の言動を問題視して、損害賠償を請求した事件です。 

 幾つかの興味深い論点がありますが、そのうちの一つが退職勧奨時の言動です。

 原告の方は、被告のP3人事課長、P4人事課長補佐の指示のもと、P5医師(精神科)を受診しました。また、被告附属病院におけるP6臨床心理士による心理検査も受けました。

 その後、P3人事課長は原告と面談を行い、退職勧奨を行いました。原告が発達障害であるとの発言は、この時のものです。

 この面談でのP3人事課長の言動は辛辣で、裁判所では次の発言があったことが認定されています。

(P3人事課長の原告に対する発言の一部)

〔1〕「はっきり言います、努力しても覚えられないんですよ。」
〔2〕「あの程度の仕事で給料もらえると思わないでほしいんですわ。事務職員てのは、そんなもんじゃないから。」
〔3〕「今回医者の方からもこういう風な話が来て、業務適性が基本的にない。いわゆる団体生活が根本的にできない。これ事務職員としては、致命的なんですよ。・・・それはあなたの性格が問題なんではなくて、今回の検査で明らかになったように、気質的なもの。体本来の機能としてのものが損なわれているってことが、この数字に出ているんですよ。」
(中略)
〔5〕「他の一般部署に移してもトラブルを起こして処分を受けて、懲戒処分になってくのが関の山ですから。」
〔6〕「もういくらP1さんが頑張る努力するって言っても無理だろうと思います。」
〔7〕「就業したのが間違いですよ。」
〔8〕「はっきり言って、あの仕事で常勤の給料を払ってるコストはないってこと。」
〔9〕「ほんとはタライ回しにする前に、タライ回しにするときに、ほんとは辞職勧告、辞めさせるべきだったと思いますわ。」
〔10〕「組織の中に自己主張は必要ないんですよ。」、「当たり前じゃないですか。」
〔11〕「どんどんどんどん端っこに追いやられて、もう仕事にかかわってきたら逆に邪魔になるから。」
〔12〕「何かひょっとしたら別の原因があるんじゃないかな?っていうのが、今回の検診に結びついたわけですよ。で、検診の答えとして、それが結果としてでてきてるんですよ。はっきり言いますね。発達障害なんですよ、これ。」、「発達障害なんですよ。」、「こういう症状はそうです。要するにこれは発達障害の症状なんですよ。」
〔13〕「仕事くれなかったから仕事できないんだって、そんな姿勢、攻撃的な姿勢っていうのは、はっきり言えば組織の人間の発想とすれば全く必要のない発想なんですよ。」
〔14〕「だいたい歳いってからね人間知恵がついてくるから症状が低くなってくるという傾向がみえるんですよ。普通はね歳行ってくると人間丸くなるから。それが、P1さんの場合は逆にでている。若いときの方が、もっともっと素直で、もっともっとこう努力を周りに見てもらえてた、と想像させる内容なんですよ。」
〔15〕「正直言ってP1さんに私たち事務職員のポストはないんですわ。率直にもっと率直に言うと、さっき辞職勧告っていいましたよね?職務遂行能力がない。これは私たち事務職員にとっては致命的なんですよ。」
〔16〕「単純に言います。能力がなく、トラブルを起こす危険をはらんでいる。それだけです。もう危険性だけで排除されるんです。」
〔17〕「隅っこに追いやられてから、能力が発揮する場なんてあるわけないでしょ。隅っこに追いやられる前に能力は発揮すべきもんでしょうに。そういう、懲罰的処分を受けないと、わからないっていう発想自体がおかしいんですよ。」
「そんな懲罰的に処分を受けるなんて終わりですよ、それは。それから復帰できる人なんて知らない。」、「基本的には一回そんなとこ追いやられたら、二度と復帰できませんよ。終わりですって。それなのに再起のチャンスを与えろなんてのは、図々しいにも程があるっていう発想ですよ。」
〔18〕「実はP1さんだけじゃないんだ。あと数人おんなじような方がいらっしゃるんだ。その方についても追々私の方からも話つもりにしてますが。」
(後略 発言引用ここまで)
 しかし、P3人事課長は医師資格を有しているわけではありませんし、P5医師から事前に、

「原告は、発達障害のいくつかパターンの傾向に当てはまるところもあり、社会の中でコミュニケーションを取ることは難しいが、現状の判断基準に照らすと、病気や発達障害とまではいえず、原告のパーソナリティに起因するものである」

との見解を聴取していました。

 本件では、こうしたセンシティブな情報を勝手に取得したことや、発達障害でないにもかかわらず、面談で原告を発達障害扱いしたことが問題視されました。

 後者の問題(原告を発達障害扱いした問題)に対し、裁判所は、次のとおり判示し、P3人事課長による退職勧奨の違法性を認めました。

(裁判所の判断)

「P3人事課長は、P5医師から原告が発達障害ではないことを聴取していたにもかかわらず、原告との本件面談において、原告が発達障害であると虚偽の病名を繰り返し告げ、原告は体本来の機能が損なわれている旨、また、本件心理検査の結果によれば、発達障害である旨断言しており、原告の名誉感情を不当に害するものである。
「そして、P3人事課長は、本件面談において、原告が発達障害であるとの虚偽の事実の告知に引き続いて、原告に対し、トラブルを起こす危険性だけで排除される旨、懲罰的に処分を受けるなんて終わり、それから復帰できる人なんて知らない旨、基本的に排除している、集団で排除している旨を発言していることからすれば、P3人事課長による退職勧奨は、原告に対し、不当な心理的圧力を加え、かつ、名誉感情を不当に侵害するような態様により行われたものであり、原告の自由な意思決定を不当に妨げたものとして、社会通念上相当な範囲を逸脱した違法なものと評価することが相当である。

3.素人による勝手なレッテル貼りへの警鐘

 発達障害とうい言葉・概念が世の中に広く認知されたことに積極的な側面があることは確かだと思います。しかし、流行語のように取り扱われた結果、本件のように差別用語に近い意味合いで用いられる場面も生じています。

 冒頭で述べたとおり、発達障害という言葉が差別的・侮辱的な脈絡の中で使われている場面はそれなりの頻度で目にします。個人的な経験の範疇で言うと、日常的というほど多くはありませんが、稀というほど少なくもありません。

 このようなレッテル貼りに傷つけられている人を見るたびに、苦々しく思ってはいましたが、本件の判示は、一定の事実関係を前提とするものではあるものの(発達障害ではないと知っていた)、医師でもない素人による発達障害であるとのレッテル貼りを違法だと評価した点において、画期的なものだと思います。

 他の事案にも応用できる可能性を持っていますし、こうした裁判例が存在することは、広く周知されると良いと思います。

 

タクシー運転手の方へ 歩合給から残業代を差し引かれていたら・・・

1.歩合給から割増賃金を差し引く仕組み

 タクシー会社の賃金規程を見ていると、歩合給から残業代を差し引く賃金制度が少なくないように思われます。

 こうした賃金制度のもとでは、同額の売上を生じさせた場合、所定労働時間内にその売上を達成した場合であっても、時間外勤務をしてその売上を達成した場合であっても、トータルでは同額の賃金が支払われることになります。

 こうした賃金制度は、会社側から見れば、従業員に対し、効率よく売上を生じさせる誘因を与える合理的な仕組みに映ります。

 しかし、現行の労働基準法は、賃金と労働時間を結びつけた仕組みをとっています。

 こうした法体系のもとでは、時間外労働が長くなればなるほど、支払われるべき賃金額は増えて行かなければ辻褄が合いません。

 したがって、歩合給から残業代を差し引いて、同額の売上である限り、時間外勤務があろうがなかろうが、トータルで支払われる賃金額を同じにする仕組みは、現行法体系とは相性の悪いものとなっています。

 それでは、こうした歩合給から残業代を差し引く賃金制度を設けることは、現行法上、許容されていると考えてよいのでしょうか。こうした仕組みのもとで残業代を払っていたとして、それは有効な残業代の支払と認められるのでしょうか。

 この点が問題になった事件で、近時、重要な最高裁判決が言い渡されました。

 最一小判令2.3.30労働判例ジャーナル98-2 国際自動車(差戻し)事件です。

2.国際自動車(差戻し)事件

 本件は、まさに、歩合から割増賃金を差し引くことの適否が問題になった事件です。

 最高裁は、次のとおり述べて、こうした賃金制度のもとで支払われた割増賃金は、有効な時間外勤務手当等の弁済にはならないと判示しました。

(裁判所の判断)

「割増金は、深夜労働、残業及び休日労働の各時間数に応じて支払われることとされる一方で、その金額は、通常の労働時間の賃金である歩合給(1)の算定に当たり対象額Aから控除される数額としても用いられる。対象額Aは、揚高に応じて算出されるものであるところ、この揚高を得るに当たり、タクシー乗務員が時間外労働等を全くしなかった場合には、対象額Aから交通費相当額を控除した額の全部が歩合給(1)となるが、時間外労働等をした場合には、その時間数に応じて割増金が発生し、その一方で、この割増金の額と同じ金額が対象額Aから控除されて、歩合給(1)が減額されることとなる。そして、時間外労働等の時間数が多くなれば、割増金の額が増え、対象額Aから控除される金額が大きくなる結果として歩合給(1)は0円となることもあり、この場合には、対象額Aから交通費相当額を控除した額の全部が割増金となるというのである。」

本件賃金規則の定める各賃金項目のうち歩合給(1)及び歩合給(2)に係る部分は、出来高払制の賃金、すなわち、揚高に一定の比率を乗ずることなどにより、揚高から一定の経費や使用者の留保分に相当する額を差し引いたものを労働者に分配する賃金であると解されるところ、割増金が時間外労働等に対する対価として支払われるものであるとすれば、割増金の額がそのまま歩合給(1)の減額につながるという上記の仕組みは、当該揚高を得るに当たり生ずる割増賃金をその経費とみた上で、その全額をタクシー乗務員に負担させているに等しいものであって、前記(1)アで説示した労働基準法37条の趣旨に沿うものとはいい難い。また、割増金の額が大きくなり歩合給(1)が0円となる場合には、出来高払制の賃金部分について、割増金のみが支払われることとなるところ、この場合における割増金を時間外労働等に対する対価とみるとすれば、出来高払制の賃金部分につき通常の労働時間の賃金に当たる部分はなく、全てが割増賃金であることとなるが、これは、法定の労働時間を超えた労働に対する割増分として支払われるという労働基準法37条の定める割増賃金の本質から逸脱したものといわざるを得ない。

結局、本件賃金規則の定める上記の仕組みは、その実質において、出来高払制の下で元来は歩合給(1)として支払うことが予定されている賃金を、時間外労働等がある場合には、その一部につき名目のみを割増金に置き換えて支払うこととするものというべきである(このことは、歩合給対応部分の割増金のほか、同じく対象額Aから控除される基本給対応部分の割増金についても同様である。)。そうすると、本件賃金規則における割増金は、その一部に時間外労働等に対する対価として支払われるものが含まれているとしても、通常の労働時間の賃金である歩合給(1)として支払われるべき部分を相当程度含んでいるものと解さざるを得ない。そして、割増金として支払われる賃金のうちどの部分が時間外労働等に対する対価に当たるかは明らかでないから、本件賃金規則における賃金の定めにつき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と労働基準法37条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することはできないこととなる。

「したがって、被上告人の上告人らに対する割増金の支払により、労働基準法37条の定める割増賃金が支払われたということはできない。」

※ 労働基準法37条の趣旨

「使用者に割増賃金を支払わせることによって、時間外労働等を抑制し、もって労働時間に関する同法の規定を遵守させるとともに、労働者への補償を行おうとする趣旨」

3.判別可能性の理解の深化

 最高裁は歩合給から残業代を差し引く仕組みの適法性を、固定残業代の問題と同じく判別可能性の要件との関係で理解しました。

 判別可能性は、従来、金額や時間数が明確に定められているのかといった観点から議論されていました(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕132頁等参照)。

 歩合給から残業代を引く仕組みは、残業代自体は明確に計算できるため、伝統的な理解からすれば、判別可能性は認められることになります。現に原審は判別可能性はあるとし、未払賃金があるとは認められないと判示しました。

 しかし、最高裁は時間外労働をすればするほど歩合が減少する仕組みは、時間外労働を抑制するとともに労働者への補償を行おうとする労基法37条の趣旨に反することを指摘したうえで、本件で割増賃金として支給されている金銭の実質は歩合給で、時間外勤務の要素が含まれているにしても、歩合としての部分と時間外勤務の対価としての部分を区別することができないから判別可能性がないと判示しています。

 これは、従来考えられていた判別可能性の概念を。労基法37条の趣旨を使って深化させたものだと理解できます。

 冒頭で触れたとおり、歩合給から残業代を差し引く賃金制度は、タクシー業界では、それほど珍しいものではないと思います。それだけに、この判決が実務に与える影響はかなり大きいのではないかと推察されます。

 歩合給から残業代を差し引かれる賃金制度のもとで働いているタクシー運転手の方などは、違和感を覚えたら、残業代の請求をすることができないのかを弁護士のもとに相談してみても良いのではないかと思います。

 

異動に伴う賃金減額の効力に関する相談を、東亜ペイント事件の枠組みで回答することは適切か?

1.異動に伴う賃金減額

 ネット上に、

「『上司のパワハラ』報告したら“自分も異動”に…こんな配置転換、理不尽だ!」

という記事が掲載されています。

https://www.bengo4.com/c_5/n_11193/

 記事は、

「『上司のパワハラを本部に報告したところ、自分が異動させられることになった』と、アルバイトの男性が相談を寄せている。時給が1150円から900円になるという。」

とうい事例を設定し、

「配置転換は会社の裁量とされる。とはいえ、本人からすれば、パワハラ告発後の異動は、『報復人事』にしか感じられないだろう。こうした配転の仕方に問題はないのだろうか。」

と問題提起しています。

 これに対し、回答者となっている弁護士の方は、

「会社が命じる人事異動は、確かに労働契約上、会社に配置転換権が認められ、その行使については、広く裁量が認められるところではあります。」

「しかし、次のようなときには、この配置転換権の行使が「配置転換権の濫用」にあたるとして無効となるとされています。」

「『業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であっても、当該命令が他の不当な動機・目的をもってなされたとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等』(東亜ペイント事件、最高裁昭和61年7月14日判決)。」

「とはいえ、業務上の必要性と労働者の受ける不利益の比較衡量が中心となることから、濫用にあたるか否かの判断自体が難しく、さらに会社の主観的な意図を立証することも容易ではないでしょう。」

「ご相談の内容では、異動により時給が1150円から900円になったということですから、労働者が受ける不利益の程度は相当大きなものと言えるため、会社としても業務上の必要性をより具体的に根拠づける必要があるでしょう。」

「また、この人事異動の判断より前に、上司からのパワハラ被害を本部に申告していたということであれば、

・その後に、会社が当該パワハラ被害に対して真摯な対応をしていたか
・人事担当者と当該労働者のやり取りの内容

などから、当該配転命令に不当な目的があったと推認させることも不可能ではなく、配置転換権の濫用という主張が認められる可能性もあると思います。」

と東亜ペイント事件を引用して回答しています。

 しかし、賃金減額を伴う配置転換の効力を東亜ペイント事件の枠組みの中で議論することに関しては、やや疑問に思います。

2.配置転換と賃金減額の問題

(1)仕事の内容と賃金が結びついてない会社の場合

 職務(仕事の内容)と賃金が結びついていない会社(賃金がポストではなく属人的な職務遂行能力と結びついている会社)では、配置転換の効力の問題と賃金減額の効力の問題は基本的には別個の問題として理解されると思います。

 決定中で賃金制度が明確には認定されているわけではありませんが、例えば、東京地決平14.6.21労働判例835-60 西東社事件は、

「労働契約も契約の一種であり、賃金額に関する合意は雇用契約の本質的部分を構成する基本的な要件であって、使用者及び労働者の双方は、当初の労働契約及びその後の昇給の合意等の契約の拘束力によって相互に拘束されているから、労働者の同意がある場合、懲役処分として減給処分がなされる場合その他特段の事情がない限り、使用者において一方的に賃金額を減額することは許されない。

(中略)

配転命令により業務が軽減されたとしても、配転と賃金とは別個の問題であって、法的には相互に関連していないから、配転命令により担当職務がかわったとしても、使用者及び労働者の双方は、依然として従前の賃金に関する合意等の契約の拘束力によって相互に拘束されているというべきである。
「したがって、本件においても、債務者が債権者に対する配転命令があったということも契約上の賃金を一方的に減額するための法的根拠とはならない。」

と配置転換の効力と賃金減額の問題とは別個の問題だと整理しています。

 配置転換の効力と賃金減額の効力を結び付け、東亜ペイント事件の枠内で効力を議論することは、果たして一般的な理解なのかなという疑問があります。

 仕事の内容と賃金との結びつきがないか希薄である場合、私の感覚では、配置転換はともかく、賃金減額に関しては、同意していないのだから基本的には無効だと回答しても差し支えないように思います。

(2)仕事の内容と賃金が結びついている会社の場合

 この場合、仕事の内容が変わるのだから、それに合わせての賃金の減額も比較的簡単に認められそうにも見えます。しかし、話はそう単純ではありません。

 例えば、仙台地決平14.11.14労働判例842-56 日本ガイダント仙台営業所事件は、営業職から営業事務職への賃金減額を伴う配転について、

本件配転命令は、債権者の職務内容を営業職から営業事務職に変更するという配転の側面を有するとともに、債務者においては職務内容によって給与等級に格差を設けているところ・・・、債権者が営業職のうちの高位の給与等級であるPⅢに属していたことから、営業事務職に配転されることによって営業事務職の給与等級であるPIとなった結果、賃金の決定基準である等級についての降格(昇格の反対措置にあたる。以下この意味で「降格」という。)という側面をも有している。」
「配転命令の側面についてみると、使用者は、労働者と労働契約を締結したことの効果として、労働者をいかなる職種に付かせるかを決定する権限(人事権)を有していると解されるから、人事権の行使は、基本的に使用者の経営上の裁量判断に属し、社会通念上著しく妥当性を欠き、権利の濫用にわたるものでない限り、使用者の裁量の範囲内のものとして、その効力が否定されるものではないと解される。」
「他方、賃金の決定基準である給与等級の降格の側面についてみると、賃金は労働契約における最も重要な労働条件であるから、単なる配転の場合とは異なって使用者の経営上の裁量判断に属する事項とはいえず、降格の客観的合理性を厳格に問うべきものと解される。」
労働者の業務内容を変更する配転と業務ごとに位置付けられた給与等級の降格の双方を内包する配転命令の効力を判断するに際しては、給与等級の降格があっても、諸手当等の関係で結果的に支給される賃金が全体として従前より減少しないか又は減少幅が微々たる場合と、給与等級の降格によって、基本給等が大幅に減額して支給される賃金が従前の賃金と比較して大きく減少する場合とを同一に取り扱うことは相当ではない。従前の賃金を大幅に切り下げる場合の配転命令の効力を判断するにあたっては、賃金が労働条件中最も重要な要素であり、賃金減少が労働者の経済生活に直接かつ重大な影響を与えることから、配転の側面における使用者の人事権の裁量を重視することはできず、労働者の適性、能力、実績等の労働者の帰責性の有無及びその程度、降格の動機及び目的、使用者側の業務上の必要性の有無及びその程度、降格の運用状況等を総合考慮し、従前の賃金からの減少を相当とする客観的合理性がない限り、当該降格は無効と解すべきである。そして、本件において降格が無効となった場合には、本件配転命令に基づく賃金の減少を根拠付けることができなくなるから、賃金減少の原因となった給与等級PIの営業事務職への配転自体も無効となり、本件配転命令全体を無効と解すべきである(本件配転命令のうち降格部分のみを無効と解し、配転命令の側面については別途判断すべきものと解した場合、業務内容を営業事務職のまま、給与について営業職相当の給与等級PⅢの賃金支給を認める結果となり得るから相当でない。)。」

と判示しています。

 これは大幅な賃金減を伴う降格配転について、配転の側面における使用者の裁量を重視することを否定し、

「労働者の適性、能力、実績等の労働者の帰責性の有無及びその程度、降格の動機及び目的、使用者側の業務上の必要性の有無及びその程度、降格の運用状況等を総合考慮し、従前の賃金からの減少を相当とする客観的合理性」

という降格の枠内で当該措置の有効性を検討することとし、降格として無効なら配転としても無効だという判断枠組みを示したものです。

 こうしてみると、降格配転の問題は、東亜ペイント事件の規範とは大分異なる枠組みが採用されていることが理解できるのではないかと思います。

 設例の事案が、仕事の内容と賃金とが結びついた会社における出来事であったとしても、帰責性もないのに時給を大幅に減額することは不可、それに合わせて配置転換も無効という議論が成り立つ余地は十分にあると思います。

 少なくとも、東亜ペイント事件の判断枠組のもとで見通しを述べるかといえば、私なら述べないですし、記事で回答をしている弁護士の方よりは、労働者側にとって楽観的な回答を述べるのではないかと思います。

※ 降格配転の問題は、山川隆一ほか編著『労働関係訴訟Ⅰ』〔青林書院、初版、平30〕167頁以下の吉川昌寛判事の論文も参考になると思います。

3.労働事件は弁護士によって回答が変わりやすいのでセカンド・オピニオンを

 労働事件は依拠すべき法条が抽象的で、それだけ見ていても正確な見通しを立てることはできません。膨大な裁判例がルールやトレンドを形成しているため、知識や経験の差が回答内容に相違を生みやすい傾向があります。

 他の弁護士から厳しい見通しを告げられたとしても、セカンド・オピニオンをとってみると、そうでもなかったということは普通にあり得ると思います。

 当事務所でもご相談を受け付けておりますので、気になる方は、お気軽にご連絡ください。

 

退職勧奨の場面における再雇用の約束はあてにならない

1.再雇用の約束

 新型コロナウイルスの影響を受け、「雇用保険・・・の給付を受けた方がいい」との判断のもと、多数の従業員との間で再雇用含みの退職合意を交わしたタクシー会社があります。

 このタクシー会社の社長が、最近になって、

「僕が再雇用を約束したかどうか。してないですよ! 夢や希望は語っているかもしれませんが」

と言い出したようです。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200512-00037774-bunshun-soci

 このタクシー会社に限ったことではなく、退職勧奨の場面では、しばしば再雇用が約束されることがあります。

 しかし、この再雇用の合意はあてにならないことが少なくありません。また、再雇用してくれなかったとしても、そう簡単に合意退職の効力を否定できるわけではありません。近時公刊された判例集に掲載されていた、東京地判令元.10.25労働判例ジャーナル97-40 アイ・コーポレイション事件も、再雇用の約束を真に受けた労働者が割を食った事件です。

2.アイ・コーポレイション事件

 本件は合意退職の効力が問題となった事件です。

 被告になったのは、不動産の売買・賃貸・管理等を業とする有限会社です。

 原告になったのは、被告の元従業員です。

 原告は、慢性的な経営不振の状況にあった被告会社の取締役(被告B)から、別会社を設立する計画があると告げられ、当該会社に転職し働いてみないかと勧誘を受けたため、被告会社を退職しました。

 しかし、その後、別会社が設立される気配がなかったため、詐欺や錯誤を理由に合意退職の効力を否定し、地位確認等を求めて被告会社を訴えました。

 この事案において、裁判所は、次のとおり判示し、原告の地位確認請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「原告は、・・・被告会社からの退職に際し、被告Bが別会社を設立するなどという話をしたことから、原告は、被告会社からの退職を決意したものであり、退職の意思表示は詐欺取消し又は錯誤により無効となると認められるべきであると主張し、原告本人の供述にはこれに沿う部分もある。」
「確かに、原告の退職の際、新たに設立された会社で稼働するとの話がなされたこと、もっとも、その後、その話が頓挫していることは、被告らもこれを認め・・・、被告Bもこれに沿う供述をしているところである・・・。」

「もっとも、被告会社は、上記事実を超えて、被告Bによる欺罔行為があったことを争っているところ、被告Bが殊更原告をその旨誤信させて退職の意思表示をさせようとしたとの事実を裏付けるまでの的確な証拠はない。むしろ、原告の退職経緯に関しては、原告の営業活動について顧客から複数苦情が生じたことから被告Bにおいて退職を勧奨し、原告もけじめとして退職を決意した側面もあったこと・・・を窺うことができるほか、被告Bは、新会社での稼働の話をしたことはあるが、そのようなことも考えていると言ったにとどまる旨供述しているところであって、かかる供述の信用性を覆すに足りる証拠もない。」

「そうしてみると、原告の退職に際して、欺罔行為があったとの原告主張事実は認めるに足らず、これに反する原告の主張は採用することができない。」

「また、錯誤無効の主張についても、・・・原告自身、けじめとして退職を決意したことが窺われるほか、そもそも設立される別会社での稼働が一義的に約されていたものとも認め難いところであって、要素の錯誤があったとはたやすく認め難く、この点を措いても、重過失があることは否めない。

「したがって、退職の意思表示について錯誤無効を認めるに足らず、この点をいう原告の主張も採用することができない。」

3.地位の回復への種々のハードル(詐欺の故意・合意の明確性・別動機・重過失)

 再雇用の約束があり、それが履行されなかったとしても、その救済は決して容易ではありません。

 意思表示を詐欺で取り消すためには、単に再雇用の約束が守られなかったというだけでは足りず、相手方に騙すつもりがあったことを立証しなければなりません。しかし、その立証は一般に容易ではありません。

 また、再雇用の合意の履行を求めるにあたっては、合意としての明確性が問題になります。具体的な労働条件まで詰められていなければ、合意を根拠に履行を求めるのは極めて困難です。近時も、育休明けに契約社員になった時の「本人が希望する場合は正社員への契約再変更が前提です」との約定について、停止条件付き無期労働契約の締結を含むものとも、正社員復帰合意を含むものとも認められないと判示した裁判例が公表されています(東京高判令元.11.28労働判例1215-5 ジャパンビジネスラボ事件)。

 錯誤を主張するにあたっては、退職を決意するにあたっての別の動機の存在が問題になります。本件では営業活動の苦情へのけじめが錯誤無効への阻害要因として働いています。また、重大な過失がある場合には、錯誤無効の主張は認められません(民法95条参照)。何が重大な過失なのかは必ずしも明確ではありませんが、本件事案では重過失があることも否めないと判示されています。

 再雇用の約束は、その時期や内容が余程明確に定義されていない限り、基本的にはあまりあてにならないと思います。約束が破られた時に、救済が用意な類の合意でもありません。

 したがって、再雇用が提案されたとしても、提案は話半分くらいに聞くに留め、あまり安易に退職に合意しない方が良いだろうと思われます。

 

就業規則の懲戒事由の定めは懲戒対象行為を限定する機能を果たしているのだろうか

1.懲戒処分の有効要件(懲戒事由の定め)

 使用者が労働者を懲戒するためには、

「あらかじめ就業規則において懲戒の種別及び事由を定めておくことを要する」

と理解されています(最二小判平15.10.10労働判例861-5フジ興産事件参照)。

 しかし、実務上、懲戒事由を定める就業規則の規定が茫漠としていることは珍しくありません。

 厚生労働省のモデル就業規則においても、懲戒事由を定める規定の中には、

「その他この規則に違反し又は前各号に準ずる不都合な行為があったとき。」

「その他前各号に準ずる不適切な行為があったとき。」

などという条項が挿入されていて、事実上、あらゆる非違行為が懲戒処分・懲戒解雇の対象になる形がとられています。

 それでは、このような「その他~」条項を利用して、懲戒対象行為を把握することに、何等かの限界はないのでしょうか。

 この点が問題になった事案に、大阪地判令2.1.31労働判例ジャーナル97-10 日本郵便事件があります。

2.日本郵便事件

 本件は定年間際に懲戒解雇された従業員が、懲戒解雇の無効を主張して、受け取れるはずであった退職金と、定年後再雇用で得られるはずであった賃金相当額の支払を求めて、勤務先であった日本郵便を訴えた事件です。

 従業員が懲戒解雇されたのは、郵便局長の採用試験に関係して、受験者から金銭や商品券を受け取っていたからです。

 ただ、この従業員は郵便局長の採用試験に関して具体的な職務権限を持っていたわけではありませんでした。

 日本郵便の就業規則の懲戒事由には、

職務に関して直接間接を問わず、不正又は不当に金銭その他の利益を授受し、提供し、要求し、若しくは授受を約束し、その他これらに類する行為を行い、又はこれらの行為に関与したとき」(14号)

という規定がありましたが、職務関連性がないため、本件ではこの規定を用いて原告に懲戒処分を行うことはできませんでした。

 そのため、日本郵便は、具体的な懲戒事由を定めた後に規定されていた

「その他前各号に準ずる程度の不適切な行為があったとき」(17号)

という条項に該当することを根拠に、原告を懲戒解雇しました。

 これに対して、原告から、

「『その他~』みたいな条項を根拠に懲戒処分を下せるとなると、何でもありではないか。」

とクレームがつけられたのが本件です(なお、説明の便宜から表記のような言葉を用いましたが、実際にはもっと格調の高い言葉が使われています)。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、日本郵便のした懲戒解雇に問題はないと判断しました。

(裁判所の判断)

「原告は、平成22年1月頃から平成27年1月頃までの間、郵便局長採用試験を経て大阪市南部地区の郵便局長に採用された者合計9名に対し、同試験の受験時又は採用通知後に、紹介料と称して金員の支払等を要求し、商品券合計210万円分を受け取ったほか、ある団体の会費として現金を原告指定口座に振り込ませるなどしたこと(本件行為)が認められる。」
「そして、・・・被告の郵便局長採用試験は、支社長が実施すべきものであり、原告は、形式的にはこれについて何らの職務権限も有していなかったと認められるから、原告による本件行為は、本件就業規則81条1項14号にいう『職務に関して』行われたものとはいえず、同号の懲戒事由に該当するものとはいえない。
「しかしながら、・・・原告は、本件行為の当時、大阪市南部地区連絡会に属する西成梅南通郵便局の郵便局長として、被告に現に勤務していたこと、そのため、当時、同連絡会の統括局長であったP3に採用希望者を紹介したり、郵便局長採用試験における小論文の書き方等を指南したりすることができる立場にあったことが認められ、原告は、このような被告における職務上の地位ないし立場を利用して、実際にはP3に対するお礼として金品の授受等が必要なわけではなく、これをするつもりがなかったにもかかわらず、採用希望者らに対し、採用されるためには世話になった人に対するお礼が必要である旨を告げて、金品等を交付するよう要求し、採用通知後に、これを受領するなどしたことが認められる。」
「以上のような原告の職務上の地位ないし立場や本件行為の具体的な内容に照らせば、本件行為は、被告の郵便局長に採用されるためには、金品の授受が必要であるとの誤解を生じさせ、ひいては郵便局長の採用選考の公正性に強い疑問を生じさせ、その結果、郵便局という公共性の高い機関の長として、高い清廉性が求められる郵便局長の職務ないし職務上の地位に対する信用を著しく毀損するものであるといえるから、本件就業規則81条1項14号に準ずる程度の不適切な行為として、同項17号の懲戒事由に当たるものというべきである。
「これに対し、原告は、本件行為が本件就業規則81条1項17号の一般規定に当てはまると解することは、罪刑法定主義類似の要請から、就業規則において具体的な懲戒事由を定める実質的意味を失わせるものとして極めて不当である旨主張する。」
「しかしながら、・・・本件就業規則81条1項においては、1号ないし16号で具体的な懲戒事由を規定した上で、17号で『その他前各号に準ずる程度の不適切な行為があったとき』と規定しているのであり、その規定振り自体が、就業規則において具体的な懲戒事由を定める実質的意味を失わせるほど抽象的なものとはいえないし、14号が『職務に関して』『不正又は不当』な金銭の授受等を懲戒事由と定めていることからすると、その趣旨は、収賄罪(日本郵便株式会社法19条1項)に該当し違法である場合でなくとも、被告の社員としての職務の公正性や信用を害する行為を懲戒事由としたものと解される。このような同項14号の趣旨に照らせば、本件行為が被告の社員としての職務の公正性や信用を害する行為といえることから、これを同項17号の懲戒事由に当たると解することは、同項1号から16号までの具体的な懲戒事由に該当するものでなくとも、これらに準ずる程度の不適切な行為を懲戒事由と定める17号の趣旨に合致するものというべきであり、原告の上記主張は理由がないものというほかない。

3.全く無限定ではないのだろうが・・・

 裁判所は具体的な懲戒事由の趣旨から懲戒事由・不適切行為の枠を措定し、その枠(趣旨)の中に収まっている行為だから懲戒対象行為にしても問題ないというロジックを展開しています。

 しかし、裁判所は懲戒対象行為を画する枠として用いたのは、

「社員としての職務の公正性や信用を害する行為」

という極めて茫漠とした概念です。

 これでは、会社にとって好ましくない行為が広範に該当してしまい、やはり「何でもあり」という感が否めません。

 全くの無限定とまではいえないにしても、実務上、就業規則の懲戒事由の定めに、懲戒対象行為を限定する機能はそれほどないだろうとは思います。

 好ましいとは思われませんが、こうした裁判例が存在することは、労働者の側も意識しておく必要があります。