弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

採用面接で嘘をつくことは例外なく責められるべきことなのか?-HIV訴訟

1.採用面接での嘘

 採用面接の場面で、正直に答えると不利益を受ける可能性のある質問を受けた時、嘘をついてしまう人は少なくありません。

 それが労働能力の評価に直結することであれば、嘘が露見した時に、内定取消や解雇などの不利益な取扱いを受けるのも、仕方ありません。

 しかし、嘘が労働能力の評価に結びつかない非本質的な事項に関するものである場合など、内定取消や解雇が酷な事案があることは確かです。

 こうした場合に内定取消・解雇の効力を争うと、使用者側からは、しばしば、

「どのような事項について嘘をついたかが問題なのではない。嘘をついたということ自体が信頼関係を構築するうえで問題なのだ。」

という趣旨の主張が返ってきます。

 しかし、労使は互いに丸裸の付き合いをするような間柄ではないのだから、使用者が企業機密にアクセスできる労働者を限定できるのと同様、労働者の側にも秘匿できるプライバシー領域は存在するのだろうと思います。

 そのような意味で、やはり「どのような事項について嘘をついたか」は内定取消・解雇の効力を考えるにあたり、重要な要素になるのだろうと思います。

 採用面接における告知義務と労働者のプライバシーの問題が衝突する典型的な場面は疾病です。医学的にはそれほどの危険性はないけれども、社会的な偏見の強い疾病に罹患しているかどうかを尋ねられた場合、これを殊更に否定することは許されるのでしょうか。

 このことが問題になった事案が近時の判例集に掲載されていました。札幌地判令元.9.17労働判例1214-18 社会福祉法人北海道社会事業協会事件です。

 昨年の6月に、代理人弁護士がHIVについての理解不足に起因する不適切な尋問を連発し、それが全国報道されるという不名誉を晒した医療機関の話を本ブログで紹介しましたが、その判決になります。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/06/14/133702

2.社会福祉法人北海道社会事業協会事件

 これは、端的に言えば、HIV感染を理由に内定取消を受けた方が原告となって、内定取消をした就職先(病院を経営する社会福祉法人)に対して、内定取消の違法性やプライバシー権の侵害を理由に損害賠償を請求した事件です。

 原告は、被告病院が行っていた社会福祉士の求人に応募し、採用面接を受けました。

 その際、面接担当者から持病の有無を尋ねられましたが、HIVに感染している事実は告げませんでした(平成29年12月25日)。

 原告は採用内定を受けましたが、その後、被告病院は過去の自病院に保管されていた原告の過去の医療記録を確認し、HIVに感染している情報を把握しました。

 被告病院が改めて原告の持病について質問をしたところ、原告はHIVに感染している事実を否定する返答をしました(平成30年1月12日)。

 これを受けて、被告病院が、原告に宛てて、

「12月25日の面接時の健康状態、服用している薬の有無、1月12日の病気に関する質問に対して正確な回答をいただけませんでした。」

と内定取消通知を発想したという流れになります。

 被告病院は、例によって例のごとく、

「本件内定取消しの理由は、原告がHIVに感染しているためではなく、原告が平然と職場にうそをつく人物であることから、信頼関係を築くことが困難であると判断したためである。」

と嘘をつくこと自体が問題だ理論を展開しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、HIVの告知義務を否定したうえ、虚偽の発言をしたとしても原告を非難することはできないと判示しました。

 結論として、裁判所は、慰謝料150万円、弁護士費用15万円の合計165万円の限度で損害賠償請求を認容しています。

(裁判所の判断)

「近年、HIVに関する医学的知見が進展し、治療方法が確立されてきているものの、現在でもなおHIV感染者に対する社会的偏見や差別が根強く残っていることは、公知の事実である・・・。また、HIV感染者に対する調査結果によれば、HIV感染者の8割近くは職場にHIV感染の事実を伏せたまま働いており、また、半数近くの者が同僚や雇用者の無理解や偏見を感じると回答していることが認められる・・・。このことからすれば、本件報告書にも明言されているように・・・、HIVに感染しているという情報は、極めて秘密性が高く、その取扱いには極めて慎重な配慮が必要であるというべきである。本件ガイドラインが労働者の採用選考に当たってHIV検査を行わないこととし、HIV感染の有無に関する労働者の健康情報についての秘密保持の徹底を定め・・・、本件報告書もHIV感染に関する情報は職業上の特別の要求がある場合を除いて原則として収集すべきではないとしているのも・・・、HIV感染情報の有する上記の特性を踏まえたものであると解される。」
「一方、HIVは、性行為を除く日常生活によっては感染せず(性行為による感染率も1%程度と極めて低いものである。)、血液を介しての感染についても、HIVが存在する血液の輸血や注射器具の共用など、極めて例外的な状況でのみ感染が想定されるものである・・・。これを踏まえ、本件ガイドラインにおいても、HIV感染それ自体によって仕事への適性は損なわれないことから、HIV感染それ自体は解雇の理由とはならず、HIV感染者が感染自体によって不利益な処遇を受けることがあってはならない旨が明記されているところであり、こうした指針は、労働者が通常の勤務において業務上HIVを含む血液等に接触する危険性が高い医療機関等の職場においても妥当するものとされている・・・。」
「そして、原告についてみても・・・、原告のHIVは抗ウイルス薬により検出感度以下となっており、免疫機能も良好に維持されていると認められるのであって、主治医も、就労に問題はなく、職場での他者への感染の心配はないとの所見を示している。加えて、被告病院においては、原告が社会福祉士として稼働することが予定されていたところ・・・、社会福祉士は患者等に対して相談援助を行う事務職であるから、そもそも原告が被告病院における通常の勤務において業務上血液等に接触する危険性すら乏しいことは明らかである。現に、原告は、現在は、自らがHIV感染者であることを上司等に告げた上で、精神科病院において精神保健福祉士として稼働しているのである・・・。そうすると、原告が被告病院で稼働することにより他者へHIVが感染する危険性は、無視できるほど小さいものであったというべきである。
以上の事情を総合考慮すると、原告が被告に対しHIV感染の事実を告げる義務があったということはできない。

「原告が被告に対しHIV感染の事実を告げる義務はなかったのであるから、原告が本件面接において持病の有無を問われた際に上記事実を告げなかったとしても、これをもって内定を取り消すことは許されないというべきである。」
「また・・・、HIVに感染しているという情報は、極めて秘密性が高く、その取扱いには極めて慎重な配慮が必要であるのに対し、HIV感染者の就労による他者への感染の危険性は、ほぼ皆無といってよい。そうすると、そもそも事業者が採用に当たって応募者に無断でHIV検査をすることはもちろんのこと、応募者に対しHIV感染の有無を確認することですら、HIV抗体検査陰性証明が必要な外国での勤務が予定されているなど特段の事情のない限り、許されないというべきである。」
「本件では、上記特段の事情は認められないのであって、被告病院が原告にHIV感染の有無を確認することは、本来許されないものであった。そうだとすると、原告が平成30年1月12日に被告病院総務課職員から持病について質問された際にHIV感染の事実を否定したとしても、それは自らの身を守るためにやむを得ず虚偽の発言に及んだものとみるべきであって、今もなおHIV感染者に対する差別や偏見が解消されていない我が国の社会状況をも併せ考慮すると、これをもって原告を非難することはできない。

3.嘘も非難できないことはあるだろう

 感染して発病することは稀で、しかも治る病気であるのに、隔離政策がとられ、ハンセン病患者に対して深刻な人権侵害が生じたという事件があります。

https://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/01/h0131-5/histry.html

https://www.niid.go.jp/niid/ja/leprosy-m/1841-lrc/1693-general.html

https://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/leprosy/about

 医学的な知見が確立しても社会的な偏見や差別はそう簡単になくならないことや、社会的偏見や差別が人をどれだけ苦しめるかを知るうえでの教訓になる事件です。

 HIVの実体を正確に認定したうえ、社会的偏見や差別の解消されていない社会状況では虚偽の発言をしたとしても非難できないとした裁判所の判断は、バランス感覚のある適切な判断だと思います。

 嘘をつくこと自体問題だ理論は一見するともっともらしく聞こえはしますが、現実はそう単純に割り切れるものではなく、許されるべき嘘もないわけではないのだろうと思います。