弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

パワハラ訴訟は時機を逸してはならない-事件化の選択肢を維持するためには

1.事件化するタイミング

 このブログ上で、何度か、古い事件は問題にしにくいと言及してきました。

 パワハラの有無をめぐる損害賠償請求訴訟では、その傾向が特に顕著であるように思います。近時公刊された判例集にも、そのことを読み取れる裁判例が掲載されています。東京地判令元.10.29労働判例ジャーナル97-36 西京信用金庫事件です。

2.西京信用金庫事件

 本件で原告になったのは、信用金庫の元従業員の方です。

 上司(P3支店長)からパワーハラスメントを受けたことで精神疾患を発症したとして、信用金庫に対し、職場環境配慮義務違反を主張して損害賠償請求訴訟を提起したのが本件です。

 本件で原告が主張したのは、

「P3支店長は、平成26年12月8日午後6時頃から午後8時頃まで、β支店の支店長席の付近において、原告に対し、『年金獲得に俺は命をかけてきた。俺のやり方は絶対に間違っていない。なんでお前ら俺が言ったことができないんだよ。死ぬ気でやってみろよ。命がけで仕事するんだよ。今日寝なくていいから。一日くらい寝なくても死なないから、明日までに決意書書いてこい。』と発言し、原告は、翌朝までに『決意』と題する書面(・・・以下『本件決意書』という。)を作成して提出することを強制された・・・」

といったパワハラです。原告はこうした行為を全部で五つ主張しました。

 これに対し、被告側は、原告の主張を創作であるとして、全面的に否認しました。

 このように主張が真っ向から対立する中、原告が立証の中心に置いたのは、医療機関の診療記録と元同僚の証言・陳述書でした。

 これらの証拠は、原告の主張に沿う内容になっていました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、パワハラの事実は認定できないとし、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「原告の医療機関の受診や診断書の記載内容の経緯は、前記認定事実・・・のとおりであり、とりわけ、P9医師作成に係る平成30年1月27日付けの診断書には、適応障害の発病の状況について、原告の主張に沿う記載がある。しかし、P9医師の原告に係る初診の時期は平成29年5月24日であり、原告が被告を退職した平成27年8月から1年8か月余りを経過しているものであるから、P9医師の診断内容は、原告の説明に基づく事実関係を前提とするものである可能性があり、少なくとも、本件訴訟において前提とすべき事実関係に基づき診断した内容であるとは認められず、この診断内容をもって直ちに本件パワハラ行為の存在を肯定することはできない。また、その余の診断書類も、これによって本件パワハラ行為の存在を認めるに足りるものとはいえない。」

「証人P4の供述、β支店配属の従業員であった者の各陳述書・・・には、原告の主張・供述に沿う部分がある。しかし、証人P4は、原告の同僚であったが、平成27年10月頃に被告を退職したものであって、現在まで原告と交際がある友人であり・・・、本件証拠上うかがわれる関係性に照らし、原告の供述を支えるに足りる客観的な証拠力があるとまではいえない。また、上記各陳述書についても、その作成者らと原告や被告等との利害関係その他の関係や、被告に対する心情等その信用性を肯定するに足りる諸事情の存否は明らかでなく、にわかに採用することはできない。」

(中略)

「以上の検討のほか、原告が被告に対して初めて損害賠償を求めたのは平成30年1月9日であり、被告を退職してから2年以上も経過した時期のことであること・・・、被告の人事部による原告との面談記録の存在(乙4及び5。なお、原告は、本人尋問において、これらの記載内容の真実性等を否定するが、原告の供述に対する弾劾証拠としては一定の証拠力を有するものというべきである。)等の諸事情を総合考慮すると、P3支店長の供述が虚偽であると断ずるだけの客観的な根拠は見当たらないというべきであり、本件パワハラ行為についての原告の供述は、にわかに採用することができない。」

3.人証は難あり、初診時期の遅れは医療記録の価値を減殺する

 本件では、元同僚の証言、陳述書は、利害関係等を理由に信用性が否定されてしまいました。また、医療記録は初診時期と退職との間に1年8か月もの懸隔があったことから、原告が一方的に認識する事実に基づいて作成・診断された可能性があるとして、証拠としての価値を否定されました。

 パワハラで同僚の証言を立証計画に組み入れることは実務上なくはありませんが、証拠価値の高い証言を引き出せる利害関係の希薄な同僚は、そもそも証言に協力してくれないことが多いですし、証言に協力してくれるような人は、利害関係が濃いため証言を重視してもらうのが難しいというジレンマがあります。

 そのため、パワハラの有無を争点とする損害賠償請求訴訟で立証の核になり易いのは医療記録になります。

 こうした構造の事件では、医療記録の信憑性をどのように確保するのかが鍵になります。そのため、パワハラ行為がなされた時と、初診・診断時期との間に長期間の懸隔があることは、訴訟を有利に進めるうえで無視できない消極要素になります。

 パワハラに関しては、証拠化や事件化の時期が事件の帰趨を分けることが少なくありません。

 実際に事件にするかは後で考えても問題ないので、事件にすることを考える場合には、パワハラ行為が行われてから、できるだけ時間を近接した時期に、証拠化の方法も含めて弁護士に対応を相談しておくことをお勧めします。そうでないと、事件化するという選択肢を失いかねないからです。

 

セクハラー頭肩ポンポンもダメ、1回でもダメ。

1.セクシュアルハラスメント

 職場でのセクハラについては、厚生労働省から、 

「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(平成 18 年厚生労働省告示第 615 号)」

という文書が出されています。

 この文書では、

「職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されること」

「職場におけるセクシュアルハラスメント」

として定義されています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/seisaku06/index.html

https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000605548.pdf

 セクシュアルハラスメントには対価型と環境型があり、上記の告示では、

「事務所内において上司が労働者の腰、胸等度々触ったため、当該労働者が苦痛に感じてその就業意欲が低下していること。」

が環境型セクシュアルハラスメントの典型例とされています。

 それでは、腰や胸に触るのは問題なく不適切であるとして、頭や肩に触ることは法的にどのように理解されるのでしょうか。

 また、度々ではなく一回だったらどうでしょうか。

 この点に言及された裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されています。

 東京地判令元.11.27労働判例ジャーナル97-28 幻冬舎メディアコンサルティング事件です。

2.幻冬舎メディアコンサルティング事件

 この事件は自然退職の効力が争われた事件です。

 自然退職というのは、傷病から回復しないまま私傷病休職期間が満了して、そのまま退職に至ることを言います。

 原告の方は、適応障害やパニック障害に罹患して休職し、被告から休職扱いとされ、休職期間満了により自然退職とされました。これに対し、適応障害やパニック障害は、私傷病ではなく、業務上の疾病であるから自然退職の対象にならないと主張し、勤務先を被告として地位確認や賃金の支払を求める訴訟を提起したのが本件です。

 原告の方は、自分が適応障害やパニック障害に罹患した理由として、種々の出来事を主張しました。

 その中の一つに、セクシュアルハラスメントがあります。

 具体的に言うと、原告の方は、次のようなセクシュアルハラスメントを受けたと主張しました。

(原告の主張)

「平成27年の秋頃、髪型を変えた原告に対して、c副社長は、『いいじゃん』と述べながら原告の頭を撫でたことがあった。また、c副社長は、平成28年3月頃、四半期に一度の全体会議の後の納会において、原告が同人に対し『がんばります』と挨拶をした直後に、原告の頭を撫でたこともあった。さらに、同年5月頃、c副社長は、原告を地下の個室に呼び出し、アポイントが取れていない等として原告を叱責したのち、原告の頭を撫でた。c副社長が3回にわたって原告の頭を撫でたことは、いずれもセクシュアルハラスメントである。」

 これに対し、被告会社は、次のような主張をしました。

(被告の主張)

「c副社長は、原告との面談時に、営業成績が上がらず、アポイントが取れないことなどを理由に泣き出してしまった原告を激励するために、原告の肩または後頭部をやさしくポンポンとたたいたことが一度あるだけであり、セクシュアルハラスメントに当たる行為をしたことはなく、しかも、その時期は、本件疾病の発病からおおむね6か月間より以前のことである。」
「いずれにせよ、c副社長の原告に対する言動について、業務起因性が認められるような業務上の強い心理的負荷となる具体的出来事に当たるものは存在しない。」

 以上の当事者双方の主張を前提に、裁判所はセクシュアルハラスメントの存否等について、次のとおり判示しました。

(裁判所の判断)

c副社長が、平成27年秋頃から平成28年5月頃にかけて、原告の頭を撫でるなどの行為をしたとの原告の主張については、ユニオンからの申入れに対する被告の調査結果・・・に照らせば、少なくとも一度は存在したことが認められ、職場における不適切な行為として、セクシュアルハラスメントに当たり得るものの、その時期は、本件疾病の発病から1年以上前であり、かつ、原告本人尋問の結果・・・を含む本件の全証拠に照らしても、それが本件疾病の発病時期である平成29年5月頃まで継続していたと認められるような具体的な事情は見当たらないことからすると、これらの出来事が本件疾病の発病に有意な影響を与えたとは認められない。」

 裁判所は、その他の諸々の事情についても言及し、結論として、適応障害やパニック障害は業務上の疾病には該当しないとして、原告の請求を棄却する判決を言い渡しています。

3.頭肩ポンポンもダメ、(少なくとも)1回でもダメ

 異性への身体的接触に対する裁判所の姿勢は、かなり厳格であるという印象があります。行政解釈上のセクシュアルハラスメントの典型例は胸・腰とされていますが、頭や肩といった部位であれば許容されるというわけではありません。また、行政解釈上はセクシュアルハラスメントに該当するといえるためには、ある程度の継続性が必要になってきますが(冒頭の「度々」の文言参照)、本判決は「少なくとも1回」の接触でもセクシュアルハラスメントに当たり得るという判断をしています。

 本件はセクシュアルハラスメントに対する損害賠償をテーマとする裁判ではないため、セクシュアルハラスメントに該当し得る行為が認められたからといって、加害者と評されたc副社長に民事的な責任が生じるわけではありません。

 しかし、法令順守に厳しめの会社では、こうした判決が出たことを契機として、加害者に対して何等かのペナルティが科せられる可能性は否定できません。

 異性への身体的接触に伴う事件は後を絶ちませんし、紛争になったときには、かなり古い出来事まで掘り起こされる可能性があります。したがって、リスク管理上は、業務上の必要性が顕著である場合を除き、極力、同僚への身体的接触は避けておいた方が無難だと思われます。

 

固定残業代の合意の明確性-金額と時間数の双方の明示が必要?

1.基本給組込型の固定残業代の有効要件

 基本給組込型の固定残業代の有効要件を判示した著名な最高裁判例に、最一小判平24.3.8労働判例1060-5 テックジャパン事件があります。

 テックジャパン事件の最高裁判決は、基本給組込型の固定残業代の有効要件として、

「通常の労働時間の賃金に当たる部分と・・・時間外の割増賃金に当たる部分とを判別」

できることを掲げています。

 そして、テックジャパン事件最高裁判決には、櫻井龍子裁判官により、

「毎月の給与の中にあらかじめ一定時間(例えば10時間分)の残業手当が算入されているものとして給与が支払われている事例もみられるが、その場合は、その旨が雇用契約上も明確にされていなければならないと同時に支給時に支給対象の時間外労働の時間数と残業手当の額が労働者に明示されていなければならないであろう。さらには10時間を超えて残業が行われた場合には当然その所定の支給日に別途上乗せして残業手当を支給する旨もあらかじめ明らかにされていなければならない(差額支払合意 括弧内筆者)と解すべきと思われる。」

との補足意見が付せられています。

 櫻井龍子裁判官の補足意見のうち、差額支払合意に関しては、これを固定残業代の有効要件とは理解しない考え方が一般的です(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕123頁参照)。

 それでは、判別要件が具備されていると認められるために、時間外労働の時間数と残業手当の額の双方が労働者に明示されていなければならないと判示されている部分はどうでしょうか。

 この問題については、時間数と金額の双方が定められることまで必要とする理解と、必ずしも双方が定められている必要はないとする理解と、二通りの考え方があり、未だ定説のない状態にあります。

 こうした議論状況のもと、固定残業代の合意の有効性を判断するにあたり、時間数と金額の双方の定めが必要であるかのように読むことができる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令1.11.22労働判例ジャーナル97-40 未払賃金等支払請求事件です。

2.未払賃金等支払請求事件

 本件で被告になったのは、「喫茶レストランシーザー」(本件店舗)を設置し、飲食業を営んでいる個人の方です。

 原告になったのは、被告の元従業員の方です。原告の方が、退職の後、被告に対して、時間外勤務手当等の支払を請求する訴えを提起したのが本件です。

 本件には複数の争点がありますが、そのうちの一つが固定残業代の有効性です。

 本件では労働契約書や労働条件通知書が作成されておらず、労働条件の認定は求人広告によって行われました。求人広告上、勤務時間について「8:00~19:00(勤務無時間等は応相談)」との記載があったため、原告の所定労働時間は午前8時から午後7時までと認定されています。

 原告は法定労働時間(8時間)を超える所定労働時間が定められていると主張しましたが、被告は、

所定労働時間は午前8時から午後5時まで(休憩1時間)である、

また、

月額支給額のうち2万円は固定残業代である、

との主張を展開し、原告の主張を争いました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、固定残業代としての有効性を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、・・・原告との間で2万円の固定残業代の合意があった旨主張し、証人Cの証言にもこれに沿う部分がある。」
「しかしながら、原告は、上記被告の主張事実を否認し、原告本人も、そのような合意などしていないとして反対趣旨の供述をしているところ、被告主張事実を裏付ける的確な証拠はない。証人Cの上記証言も、午後5時から午後7時までの分として固定残業代が合意されたなどと供述する一方・・・、20時間程度だと思う、特に何時間の対価かを決めてはいないとも供述するなど・・・、明確な合意という観点からは曖昧というほかない。かえって、被告は、給与の支給に際して、その指摘に係る固定残業代を固定残業代名目で別途支払うというようなことをしておらず、むしろ、基本給に含めて支給をしている・・・。これらの点に照らすと、同証言はたやすく採用することができず、原被告間で固定残業代の合意が成立していたとは認めることができない。」

3.元々不明確な合意であったが・・・

 本件は労働契約書も労働条件明示書面(労働条件通知書)も作成されていないうえ、所定労働時間が法定労働時間を超えているなど、極めて杜撰な労務管理が行われていました。こうした状況のもとで、固定残業代に関する合意が否定されたのは、直観的には当然のことのように思われます。

 ただ、金額を特定して固定残業代の有効性を主張する被告に対し、裁判所が残業時間数の特定がラフであることを指摘して合意の明確性を否定したことは、注目に値するように思われます。固定残業代の合意の有効要件として、金額と残業時間数の双方を定めることを必要としているようにも理解できるからです。

 金額・残業時間数のいずれか一方しか定められていない固定残業代は、それなりに目にしているように思われます。こうしたタイプの固定残業代の効力を争うにあたり、本件は活用の可能性のある裁判例として位置付けることができるのではないかと思われます。

 

 

解雇に納得しない場合、その場での反論が必要か?

1.時間が経つと事件化が困難になる

 一般論として、時間の経過は事件化を困難にします。

 その傾向は解雇事件にもあてはまり、弁護士向けの実務書にも、

「裁判例は、解雇から長期間経過した後は、信義則上、もはや無効の主張をしえなくなるとしているものが多い」

「実務上は、解雇から相当期間経過してから提訴する場合には、裁判所からなぜ長期間経って提訴したのか疑問を呈されたり、解雇の承認や就労意思の喪失とみなされたりする可能性がある」

などの記載が見られます(第二東京弁護士会労働問題検討委員会『2018年 労働事件ハンドブック』〔労働開発研究会、第1版、平30〕364頁参照)。

 そのため、違法な解雇が行われた時には、できるだけ速やかに使用者側の主張に反論し、解雇の効力を争う姿勢を明らかにするのが事件処理の原則ではあります。

 しかし、突然解雇を告げられて動転し、労働者が即座に反論できないことは、決して珍しいことではありません。

 こうした場合に、解雇に対して即座に反論しなかったことは、事実認定上、どのように評価されるのでしょうか。

 この問題が扱われた近時の裁判例に、東京地判令元.10.30労働判例ジャーナルNo.97-34 VERDAD事件があります。

2.VERDAD事件

 本件で被告になったのは、総合美容サロンの経営、歯のセルフクレンジングサロンの運営等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告の経営する歯科専門セルフホワイトニングサロンで勤務していた方です。

 平成29年4月1日以降、原告が被告で就労していないことは争いなく、同年3月31日に解雇されたのか合意退職が成立したのかが争点の一つとなりました。

 被告会社は、

「解雇に納得しないのであれば、労働者としては反論をして職場にとどまろうとするのが自然であるから、何も反論をしていない原告の言動はあまりにも不自然であ」(る)

などと、その場で解雇に対する反論が行われていないことを根拠に、合意退職の成立を主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて被告会社の主張を排斥し、合意退職ではなく解雇の事実を認定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、〔1〕解雇に納得しないのであれば、労働者としては反論をして職場にとどまろうとするのが自然であるから、何も反論をしていない原告の言動はあまりにも不自然であり、・・・などと主張する。」

「しかしながら、上記〔1〕については、原告は、解雇と伝えられて頭が真っ白になったために何も反論をしなかった旨供述するところ、このような状況は不自然とはいえない

3.解雇であることが比較的明白な事案ではあったが・・・

 本件の裁判所は、問題の事案が解雇であると認定する根拠として、

「被告代表者は、平成29年3月31日、原告に対して解雇する旨を伝えたことが認められる。この点に関する原告の供述は、原告が同年3月31日の被告代表者との面談後に労働基準監督署等に相談し・・・、同年5月30日に東京労働局に対しあっせんの申請をしていること・・・や、被告が発行した退職証明書に退職の事由として『即時解雇」』いう記載があること・・・と整合的である」

ことを指摘しています。

 本件の被告は自ら作成した退職証明書の退職事由の欄に「即時解雇」と記載するなどの行動に及んでおり、前述のような経験則に依拠しなかったとしても、解雇に関する外形的事実の認定が大きく揺らぐことはなさそうな事案だったと思います。

 ただ、そうは言っても、

「その場で反論をしていない。」

といった大して意味のなさそうな事実を、あたかも労働者が解雇を承認していたかのように指摘し、主張を組み立ててくる使用者は一定数います。本裁判例は、そうした使用者側の主張への反駁の根拠として、活用の余地のある裁判例だと思います。

 

労働条件の利益変更を主張するにあたり、就業規則の変更が必要か?

1.就業規則による労働条件の変更

 労働契約法9条本文は、

「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。」

と就業規則を変更することで労働条件を不利益に変更することを、原則として禁止しています。

 就業規則で労働条件を不利益に変更するためには、

「変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものである」

ことが必要です(労働契約法10条)。

 このように就業規則による労働条件の不利益変更は厳格に規制されていますが、就業規則により労働条件を労働者の有利に変更することに関しては、労働契約法上、特段の規制が設けられているわけではありません。

 それでは労働条件を有利に変更することが比較的緩やかに認められるとして、どの程度までラフに考えることができるのでしょうか。

 この問題を考えるうえで、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令元.11.27労働判例ジャーナル97-26 エコシステム事件です。

2.エコシステム事件

 本件で原告になったのは、タクシー事業を営んでいる株式会社です。給料の過払い分があるとして、タクシー乗務員として就労していた被告P3に対し、過払い分に相当する金銭の返還を求めて訴えを提起しました。

 これに対し、被告P3は給料に過払いが生じていることを争うとともに、残業代を請求する反訴を提起しました。

 残業代の計算に関連し、就業規則の賃金規程に規定されていたものよりも従業員に有利な歩合率が社内報で周知されていた場合に、そのことをどのように評価するのかが問題になりました。

 この問題に対し、裁判所は、次のとおり述べて、社内報に賃金規程の内容を補充する効力があると判示しました。

(裁判所の判断)

本件社内報記載の『特約』は、本件賃金規程の歩合率に加算して支払うものであることが認められる。本件社内報が賃金規程の内容を原告の従業員に有利に変更するものであり、それが原告社内において周知されていたことからすると・・・、本件社内報は、本件賃金規程の内容を補充する効力を有するものと解される。

(中略)
「以上によれば、本件労働契約において、本件社内報記載の『特約』が付加された本件賃金規程の定めが、労働契約の内容になっていたと解するのが相当である。」

3.自己に有利なルールの変更を主張する場合、社内報を根拠にできることもある

 当然のことながら、労働者の有利に労働条件が変更されたことは、それ自体が紛争の対象になることを、あまり想定できません。そのため、個別合意によることなく集団的な処理として労働者の有利に労働条件を変更する場合、その形式として就業規則の変更によることが必要なのか、どのような実体的要件のもとで変更が可能になるのかは、それほど議論されていなかったように思います。

 エコシステム事件は、労働者の有利に労働条件を変更するにあたっては、必ずしも就業規則変更の形式による必要がないこと(社内報のようなラフな文書でも労働条件を変更する効力を持ち得ること)、周知性さえあれば変更の実体的効力が認められることを示しています。

 本件は、会社側から社内文書で一旦付与された利益が事後的に奪われそうになった場合などの局面において、活用の可能性がある裁判例として注目されます。

 

使用者から連絡を待つように指示され、そのまま放置されたら・・・

1.放置の帰責事由該当性と就労意思

 民法536条2項本文は、

「債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債権者は、反対給付の履行を拒むことができない。」

と規定しています。

 この条文があることにより、使用者の責めに帰すべき事由によって労務を提供することができなくなった労働者は、反対給付である賃金を請求することができます。

 近時、新型コロナウイルスの影響か、休業についてきちんとした説明もなされないまま、ただ単に自宅待機を言い渡され、労働者が放置されるという例を見聞することがあります。

 こうした場合、労働者は使用者に対して賃金を請求することができるのでしょうか。

 この問題を考えるうえでの参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令元.10.30労働判例ジャーナル97-40 TWO EYES GLOBAL LIMITED事件です。 

2.TWO EYES GLOBAL LIMITED事件

 本件で被告になったのは、レストラン、バー、ナイトクラブの経営や、衣料品等の輸出入及び販売等を目的とする株式会社です。

 原告は平成28年9月から被告が経営する飲食店(本件店舗)で働いていた方です。

 平成29年1月分の賃金が支払われず、社会保険に加入することもなかったため、平成29年2月23日に原告と被告代表者との間でミーティングが行われました。

 しかし、本件店舗の売上が上がっていないことを問題視する被告代表者との間での話し合いが、まとまることはありませんでした。

 平成29年2月24日、原告が本件店舗に出勤したところ、被告代表者から本件店舗の鍵を返した上で退勤し、被告からの連絡を待つように指示されました。

 その後、原告はLNEで賃金の支払を求めたり、何度電話しても連絡がつかないがいつまで自宅待機なのかを尋ねたりしました。

 しかし、被告からの連絡はありませんでした。

 こうした態度を受け、原告が被告に対して未払賃金等の支払を求める訴えを提起したのが本件です。

 原告の請求に対し、被告は、

「原告が本件店舗を訪れて被告に対して就労意思を示したことはなく、原告の就労意思は消滅し、本件労働契約も事実上解約されていたというべきである。」

など反論しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、被告の主張を排斥し、原告による未払賃金の請求を認めました。

(裁判所の判断)

「被告は、原告に対し、平成29年1月分以降の賃金を支払っていないところ、原告は、同年2月24日、本件店舗に出勤した際に、被告代表者から、本件店舗の鍵を返した上で退勤し、被告からの連絡を待つように指示されたものの、その後、被告からの連絡がなく、原告が被告代表者に架電しても連絡が付かない状況であったというのであるから、同日以降、原告は、被告の責めに帰すべき事由によって本件労働契約に基づく債務を履行することができなくなっていたということができる。
「そうすると、被告は、原告に対する同月23日までの賃金はもちろん、同月24日以降の賃金についても支払を拒むことができないこととなる(民法第536条第2項前段)。」
「なお、・・・原告は、同年3月21日に、被告に対し、未払賃金等請求書を送付し、何度電話しても連絡が付かないが、いつまで自宅待機なのかを尋ねるなどしており、同年2月24日以降も、被告における就労意思を有していたと認められるところ、本件各証拠によっても、その後、・・・原告が被告における就労意思を喪失したと認めるに足りる事情は認められない。

3.店が閉められていた事案ではないが・・・

 被告は、平成29年3月以降、WEBサイト上で、本件店舗について、リニューアルオープンした旨の情報を掲載しており、本件は閉店や事業規模の縮小が認定されている事案ではありません。

 しかし、適切な説明もなく自宅待機を指示され、その後の連絡もなく、ただ単に放置された場合の労働者の地位を理解するうえで、一定の参考にはなります。

 使用者の側にも資力の乏しさがうかがわれる時に、どのような救済が考えられるのかは検討を要する問題ではありますが、新型コロナウイルス関係で、休業手当も支給されないまま、ただ単に自宅待機を命じられ、その後の連絡もなく放置されている労働者の方は、こうした裁判例を根拠に法的措置をとってみることも、考えられるかも知れません。

 

均等法、育児介護休業法上の「不利益な取扱い」に該当するための量的な不利益性

1.均等法、育休法上で禁止される「不利益な取扱い」

 男女雇用機会均等法9条3項は、

事業主は、その雇用する女性労働者が妊娠したこと、出産したこと、労働基準法(昭和二十二年法律第四十九号)第六十五条第一項の規定による休業を請求し、又は同項若しくは同条第二項の規定による休業をしたことその他の妊娠又は出産に関する事由であつて厚生労働省令で定めるものを理由として、当該女性労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。

と規定しています。

 また、育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律10条は、

事業主は、労働者が育児休業申出をし、又は育児休業をしたことを理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。

と規定しています。

 このように事業主には、労働者が妊娠・出産・育児休業の取得等をしたことを理由に「不利益な取扱い」をすることが禁止されています。

 それでは、この「不利益な取扱い」に該当するといえるためには、不利益性がありさえすれば、その量は問われないのでしょうか。それとも、法違反といえるためには、質的に不利益であるだけでは足りず、一定の量・程度が必要になるのでしょうか。

 この問題に対する裁判所の姿勢を推知する裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令元.11.13労働判例ジャーナル97-30 アメリカン・エキスプレス事件です。

2.アメリカン・エキスプレス事件

 本件で被告になったのは、クレジットカードを発行する外国会社です。

 原告になったのは、平成26年1月時点で、東京のべニューセールスチームのチームリーダーとして37人の部下を持っていた方です。

 原告の方は、平成26年12月ころに妊娠し、平成28年7月まで育児休業等を取得しました。

 育児休業中に行われた組織変更により原告のチームが消滅したため、平成28年8月1日の育児休業等からの復帰にあたり、被告は原告を新設したアカウントセールス部門のマネージャーに配置しました(本件措置1-2)。

 この配属先は部下のないポストでした。部下がいないことは、部下が獲得したカード枚数及び利用金額が反映される業績連動部分(コミッション)の支給額が減少することを意味していました。

 原告の方は、こうしたポジションの変更が均等法や育休法が禁止する「不利益な取扱い」に該当するとして、逸失利益等を請求する訴訟を提起しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、本件措置1-2が「不利益性な取扱い」であることを否定しました。

(裁判所の判断)

「被告の人事制度及び給与体系等に照らせば、給与等の従業員の処遇の基本となるのは被告においてはジョブバンドであるといえるから、例えばいわゆる職能資格制度における職能等級をさげるというような典型的『不利益な取扱い』としての降格は、本件においては、ジョブバンドの低下を伴う措置をいうと解することが相当である。その意味では、本件措置1-2はジョブバンドの低下を伴わない措置であり、いわば役職の変更にすぎず、上記典型的『不利益な取扱い』としての降格ということはできない。」
「以上に対し、原告は、本件措置1-2の後、アカウントマネージャーとして部下を持たされず、管理職としての業務とは異なるバンド30以下の従業員と同様の業務に従事することとなり、また、部下を持たなくなったことにより部下の獲得したカードの枚数及び利用金額が反映されるコミッションの支給額が減少したほか、過大なターゲットを設定されたことによりインセンティブの支給額が減少し、さらに、原告が配置されたアカウントセールス部門は、業務内容やキャリアステップが不明なチームであり、原告の希望に反し、Z6副社長の説明と異なる配置であったなどとして、アカウントマネージャーは実質的にバンド35に相当する役職とはいえず、本件措置1-2は降格に当たる旨主張する。」
「しかしながら、前記認定事実によれば、アカウントマネージャーである原告の業務内容は、アカウントセールスやリファーラルセールスの立案、実行に関する業務とされていたのであり、原告に与えられた業務内容がベニューセールスにおいてバンド30以下の従業員が従事していた業務と同様のものであるとは認められない。また、給与について受ける不利益をみても、前記認定事実によれば、コミッションについては、平成29年度からのアカウントマネージャーのカード獲得枚数当たりの支給率及び支給比率はチームリーダーと比べて相当高く設定され(コミッション単価については約15倍、コミッション支給比率については約17倍)、原告が自らカードを獲得する活動を行うことも可能であったことからすれば、部下を持たなくなったことにより直ちにコミッションの支給額が減少したと認めることはできない。また、・・・原告が過大なターゲットを設定されてインセンティブの支給額が減少したと認めることもできない。なお、仮に原告が部下を持たなくなったことによりコミッションの支給額が減少する可能性が高まるということができるとしても、給与の相当割合を占める基本給は減少しないことからすれば、原告の受ける不利益の程度が大きいということはできない。さらに、前述したアカウントマネージャーの業務内容に照らせば、アカウントセールス部門の業務内容やキャリアステップが不明であるとの原告の主張も失当である。なお、本件措置1-2がZ6副社長の説明と異なる配置であったと認めることができないのは前記・・・で認定説示したとおりであり、また、仮に原告の希望に反する措置であるとしても、そのことから直ちに不利益な取扱いに当たるということもできない。」
「そうすると、本件措置1-2により原告が部下を持たなくなったという点を考慮しても、上記の事情に照らせば、アカウントマネージャーが実質的にバンド35に相当する役職とはいえないということはできず、原告の主張は失当であって採用することができない。
(中略)
「以上からすれば、本件措置1-2は、降格又は不利益な配置変更として、均等法9条3項、育介法10条所定の『不利益な取扱い』に当たるということはできない。」

3.基本給が減少しなければ不利益な取扱いにならないのだろうか?

 原告の方は、平成26年度の支給額に相当するコミッション及びインセンティブをもとに逸失利益を算定し、次のとおり損害を主張しています。

「平成28年8月から平成29年6月までのコミッションとして253万8756円(28万2084円×9か月)が支給されるべきであったが、実際の支給額は19万2789円であり,234万5967円が損害となる。」
「平成28年第4四半期、平成29年第1、2四半期のインセンティブとして403万5000円(134万5000円×3回)が支給されるべきであったが,実際の支給額は40万円であり,363万5000円が損害となる。」

 被告は、

「原告に支給されたコミッション及びインセンティブの金額については認める。」

としているのでコミッション及びインセンティブの減少幅自体は原告の主張するとおりだと思われます。

 厚生労働省の「子の養育又は家族の介護を行い、又は行うこととなる労働者の職業生活と家庭生活との両立が図られるようにするために事業主が講ずべき措置に関する指針」(平成 21 年厚生労働省告示第 509 号)は次のとおり規定しています。

「配置の変更が不利益な取扱いに該当するか否かについては、配置の変更前後の賃金その他の労働条件、通勤事情、当人の将来に及ぼす影響等諸般の事情について総合的に比較考量の上、判断すべきものであるが、例えば、通常の人事異動のルールからは十分に説明できない職務又は就業の場所の変更を行うことにより、当該労働者に相当程度経済的又は精神的な不利益を生じさせることは、・・・『不利益な配置の変更を行うこと』に該当する」(第2-11-(3)ホ 参照)。

 組織変更により復帰すべき原職が消滅したことはある程度考慮しなければならないにしても、部下がいなくなったことの持つ社会的な意義や、本件にみられる賃金の業績連動部分の大幅減を考えると、不利益な取扱いに該当すると評価できる余地もあったのではないかと思います。

 しかし、裁判所は基本給の減少が認められないことなどを理由に不利益な取扱いへの該当性を認めませんでした。

 裁判所の判断の当否は措くとして、量的な不利益性をかなり厳格に把握する裁判例が存在することは、法的措置をとるのか否かを判断するにあたり、考慮しておく必要があります。