弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

労働事件の仮処分-資産のある人が依頼する合理性は乏しい

1.労働事件の仮処分

(1)賃金支払の仮処分

 解雇の効力を争う事件などで、係争中の労働者の生活を維持するための方法の一つとして、賃金仮払いの仮処分があります。これは使用者から生活を維持するために必要な限度での賃金を、仮に支払ってもらうための手続です。

 賃金仮払いの仮処分を認めてもらうためには、被保全権利(賃金請求権)だけではなく保全の必要性があることを疎明しなければなりません。

 賃金仮払いの保全の必要性は、

「争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるためこれを必要とするとき」(民事保全法23条2項)

に限って認められます。

 この保全の必要性の認定は、

「固定収入の有無、貯金などの資産の有無、同居家族の収入の有無、家計の状況(収支の状況)に基づいて」

疎明していくことが必要になります(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、第1版、平29〕265頁参照)。

 この疎明は比較的厳格で、資産を保有しないことの立証にあたっては、通帳のコピーの提出まで求められます(第二東京弁護士会労働問題検討委員会『2018年 労働事件ハンドブック 2018』〔労働開発研究会、第1版、平30〕366頁参照)。

 公表裁判例を見る限り、賃金仮払いの仮処分が認められるようなケースでは、めぼしい資産の存在がないと認定されている場合が殆どです。そのため、保全の必要性が認められるレベルの預金額の限界値が幾らなのかは判断しづらいのですが、月の支出合計26万9000円、雇止め日付近の預貯金残高が約46万円(雇止め:平成28年5月18日、預金残高:平成28年5月9日時点)であった場合に、保全の必要性を認めた裁判例があります(東京地決平28.10.7 LLI/DB判例秘書登載)。保全の必要性が認められるような事件の労働者の資産の水準はこのようなレベルであり、1000万円を超えるような預貯金があって保全の必要性が認められることは先ずないと思います。

(2)仮の地位を定める仮処分

 賃金仮払い以外にも、仮の地位を定める仮処分という類型の仮処分があります。これは賃金の支払を超えて、労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に実現するための仮処分です。

 仮の地位を定める仮処分の保全の必要性は、

「賃金支払が受けられないこと以外に解雇による債権者に生ずる著しい損害は通常は想定できないから、地位保全仮処分の保全の必要性は否定するのが一般である。」

「実務上、解雇による著しい損害として主張されることがあるのが、㋐外国人の在留期間更新の利益、㋑社会保険の加入の利益、㋒就労による技術低下防止の利益、㋓寮や社宅や研究施設をりようできる利益、㋔組合活動上の利益等の各喪失であり、これらを理由として保全の必要性を認めた裁判例も存在する」

と理解されています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、第1版、平29〕264頁参照)。

 「社会保険の加入利益」も保全の必要性を基礎づける事情の一つではありますが、私の感覚では、抽象的に社会保険に加入する利益があることを指摘するだけで、保全の必要性の疎明として十分であると裁判所に認めてもらうことは難しいように思います。

(以下に記載していた記事は、都合により削除しました)

 

雇用保険の手続不履践による疑似労働者の救済手続-損害賠償請求か確認請求か?

1.雇用保険の未加入と債務不履行責任

 事業主は、雇用保険の対象となる労働者を雇入れた場合、その者が被保険者になったことを公共職業安定所長に届出る義務があります(雇用保険法7条、雇用保険法施行規則6条参照)。

 しかし、実体は労働契約であるにもかかわらず、業務委託などの事業者間での契約の形が仮装されている場合、雇用保険の加入手続が履践されることはありません。

 このような場合、労働者は、使用者に対し、何等かの損害の賠償を請求することはできないのでしょうか。

 この論点を考えるにあたっては、雇用保険法上の救済措置との関係が問題になります。

 事業主が雇用保険の被保険者資格の取得を届け出ていなかったとしても、労働者は被保険者資格を有していたことの確認を請求することができます(雇用保険法8条及び9条参照)。遡及確認によって被保険者資格が取得を取得できるのは、原則として2年前までに限られはしますが(雇用保険法14条2項2号、22条4項、雇用保険に関する業務取扱要領 20502(2)遡及適用参照)、確認請求をすることによって雇用保険を受給すること自体ができなくなるわけではありません。

 そのため、雇用保険の受給が可能であるならば、事業主が雇用保険の加入手続を履践しなかったとしても、損害を認定することはできないのではないのかが問題となります。

 この問題に関する裁判所の姿勢は、肯定例(高年齢求職者給付金について大阪地判平27.1.29労働判例 1116-5 医療法人一心会事件、慰謝料について東京地判平18.11.1労働判例926-93 グローバルアイ事件)と否定例(大阪地判平元.8.22労働判例546-27 山口(角兵衛寿し)事件)が混在しており、それほど明確には分かっていません。

 こうした議論状況のもと、近時公刊された判例集に、この論点を判示した裁判例が掲載されていました。大阪地判令2.1.17労働判例ジャーナル97-18 思いやり整骨院事件です。

2.思いやり整骨院事件

 本件で原告になったのは、整骨院(本件整骨院)の院長を務めていた柔術整復師の方です。

 被告になったのは、「思いやりグループ」と称する本件整骨院を含む複数の事業所若しくは法人からなる集団の中で、「統括」等と呼称される地位にあった方です。

 院長を辞めた後、未払賃金等の支払を求めて、統括を訴えたのが本件です。

 原告の請求の中には、雇用保険の手続不履践による損害賠償請求(給付相当額及び慰謝料)も含まれていました。

 これに対し、被告とされた統括側は、原告・被告間の契約は業務委託契約である(だから「賃金」は発生しないし、雇用保険に加入手続をとるべき義務があったわけでもない)という争い方をしました。

 裁判所は、原告・被告間の契約が労働契約であることを認め、一定の限度で未払賃金等の請求を認容する判決を言い渡しましたが、雇用保険の手続不履践による損害賠償請求は棄却しました。

 雇用保険の手続不履践による損害賠償請求の可否に係る判示は、次のとおりです。

(裁判所の判断)

「事業者は、要件を充足する被用者に係る雇用保険資格取得届について手続を履践すべき義務を負うものの、これは公法上の義務であり、直ちに当事者間の契約上の義務となるものではないが、前記認定事実のとおり、本件整骨院に関する『正社員』に係る求人情報に『社会保険完備』との記載があり、原告がこれを閲覧した上で、被告との雇用契約締結に至っていること・・・が認められるという本件特有の事情に照らせば、被告は、原告との関係においても、雇用契約に付随する義務として、このような手続を履践すべき義務を負うと認めることが相当であり、これに反する被告の主張は採用できない。」
「しかし、雇用関係終了後であっても、制度上、関係機関に対する被用者側の申出によって雇用保険資格取得や保険料納付に関して手続を行う余地があり得ることに照らせば、必ずしも原告主張どおりの失業等給付に相当する損害が発生したものとは認められず、仮にこのような損害の発生が観念できたとしても、被告による前記手続を履践すべき義務を怠った債務不履行との間の相当因果関係の存在を認めることはできない。また、原告は、本件整骨院の院長を務めている間、被告に対し、雇用保険資格取得届の手続をするよう求めた形跡は見当たらず、原告においてそのような取扱いを受け容れていたとみる余地があることに照らせば、被告に対して慰謝料の支払を命ずるまでの精神的損害が発生したと認めるには足りない。
「以上によれば、主位的請求のうち雇用保険資格取得届について手続を履践すべきであるにもかかわらずこれを怠ったという債務不履行に基づく損害賠償に係る部分・・・は理由がない。」

3.雇用保険を受給したい疑似労働者の方は、すぐに確認請求を

 思いやり整骨院事件の判決は、冒頭で述べたような手続があることを根拠に「損害」や「因果関係」が認められないと判示しました。

 また、雇用保険の資格取得手続を求めなかったことを根拠に慰謝料請求も認められませんでした。

 冒頭で指摘したとおり、損害賠償請求を肯定した裁判例も存在しはするのですが、裁判例の傾向は決して安定しているわけではありません。

 裁判をやっているうちに遡及適用の2年が経過してしまうことも懸念されるため、雇用保険を受給できないことに疑問のあるフリーランス(疑似労働者)の方は、損害賠償にかけるよりも、できるだけ速やかに確認請求を行うことが推奨されます。

 

懲戒処分にあたっての弁明の機会、二段階の機会付与が必要か?

1.懲戒処分の構造

 懲戒処分の有効性は、二つの観点から審査されます。

 一つは、懲戒事由に該当する事実を認定できるのか否かです。事実認定の問題として、使用者が懲戒事由として主張する事実自体を認定することができない場合、処分の相当性を問うまでもなく、懲戒処分は無効となります。

 もう一つは、懲戒事由に該当する事実自体は認定できるとして、それに対する処分が相当と認められるか否かです。懲戒事由に該当する事実が認定できたとしても、下された処分が懲戒事由に該当する事実とのバランスを失している場合、やはり懲戒処分の効力は否定されます。

 適正な手続のもとで懲戒処分を下したと言えるためには、原則として、労働者に弁明の機会を付与する必要があります。

 それでは、この弁明の機会は、どの段階で付与されることが必要なのでしょうか。懲戒事由の認定の段階と、相当性を判断する段階と、二つの段階のそれぞれにおいて弁明の機会が保障されていなければならないのでしょうか。

 この点が問題になった裁判例に、東京地判令元.11.7 労働判例ジャーナル97-32 辻・本郷税理士法人事件があります。

2.辻・本郷税理士法人事件

 本件はパワハラを理由に訓戒の懲戒処分を受けた労働者(原告)が、懲戒事由に該当する事実遺体が認められないとして、勤務先に対し損害賠償等を請求した事件です。

 裁判所は、原告の請求を棄却するにあたり、弁明の機会付与について、次のとおり判示しています。

(裁判所の判断)

「被告の就業規則においては、『懲戒を行う場合は、事前に本人の釈明、又は弁明の機会を与えるものとする』との規定があるのみであり、釈明の機会を付与する方法については何ら定められていない。そして、本件懲戒処分に先立ち行われた本件調査は、法的判断に関する専門的知見を有し、中立的な立場にある山田弁護士が、被告から依頼を受けて行ったものであるから、釈明の機会の付与の方法として適切な方法がとられたということができ、被告の就業規則において必要とされる手続が履践されたというべきである。したがって、原告の主張は採用することができない。」
「なお、本件調査の対象は懲戒事由であるパワーハラスメントの有無に関するものであり、懲戒処分の相当性についての意見聴取を含むものではないが、本件訴訟において原告は、本件懲戒処分の手続の瑕疵の点を除けば、専ら懲戒事由の存否を争っているのであり、また、訓戒の処分が被告の懲戒処分の中では最も軽いものであることなどからすれば、懲戒処分の相当性についての意見聴取がされていないからといって、被告の就業規則において必要とされる手続が履践されていないということはできない。

3.事実認定で勝負するのか、相当性で勝負するのか

 一定の限定は付していますが、裁判所は懲戒事由に該当する事実の認定の段階で弁明の機会を付与すれば、必ずしも処分量定の局面で、改めて弁明の機会を与える必要はないと判示しています。

 懲戒処分の対象になった労働者が、懲戒事由に該当する事実自体が認められないとして争う場合、懲戒処分の相当性に意見を述べることは普通ありません。「仮に、懲戒事由に該当する事実があるとしても・・・」といった弱気な主張をしてしまうと、「懲戒事由に該当する事実が認定されることを積極的に争うわけではなのだないのだな。」という誤ったメッセージ性を、相手方や裁判所に与えかねないからです。このような意味において、懲戒事由の存否を争うのか、懲戒処分の相当性を争うのかは二者択一的な関係に立ちます。

 二段階で弁明の付与が要求されるわけではないとすると、選択を誤れば折角付与される弁明の機会を無駄にしてしまうことにもなりかねません。

 懲戒処分の効力を争うにあたっては、懲戒事由に該当する事実の存在を争うのか、懲戒会自由に該当する事実の存在自体は前提として事実と処分とのバランスの観点を争うのかを、明確に意識・検討しておく必要があります。

 

コミュニケーション能力不足が争点となる事件で噛み合わない準備書面を作成すること

1.コミュニケーション能力不足を理由とする解雇事件

 コミュニケーション能力不足を理由とする解雇が争点となる事件で、使用者側の主張と噛み合わない準備書面を出し、そうした手続態度がコミュニケーション能力不足の裏付けとされた裁判例が公刊物に掲載されていました。那覇地決令元.11.18労働経済判例速報2407-3 学校法人A学園(試用期間満了)事件です。

2.学校法人A学園(試用期間満了)事件

 本件は解雇された労働者が債権者として申し立てた、仮の地位を定めることなどを求める保全事件です。

 本件の債務者(使用者)は学校法人です。債権者(労働者)は債務者との間で有期労働契約を締結し、言語教育部の事務職員として働いていた方です。3か月の試用期間の満了時に、コミュニケーションスキル及び協調性への不安を理由に、試用期間をもう3か月延長されました。その後、延長された試用期間の満了時に、依然として問題が改善されていないとして、解雇されました。これに対して、解雇の無効を主張し、仮の地位を定める仮処分等の申立に及んだのが本件です。

 裁判所は、次のとおり述べて債権者(労働者)のコミュニケーション能力不足を認定し、仮処分の申立を却下しました。

(裁判所の判断)

「債務者は、本件会議の後、債権者がミーティングの場で最低限の発言すらしようとせず、素っ気ない態度に終始したと主張しているが、前記のとおりの債権者のコミュニケーション上の問題点に加え、債権者は、日本語ランチテーブルのミーティングで反対意見を述べたこと自体がA及びB副学長によって失礼と取られたと憤慨し、本件準備書面で、意見を述べたこと自体が失礼と扱われて不当であり、このため発言を控えるようにしていたと主張していることからすると(なお、前記のとおり、A及びB副学長は、発言内容やその伝え方を問題にしているのであって、反対意見を述べること自体を咎めているわけではなく、むしろ、積極的に意見を交わすべきと伝えている。)、債務者の主張に近い状況にあったことが窺える。
「このような状況では、債権者がAに友好的な対応をとるとは考えにくいから、債権者は、ミーティング以外でも、Aや債権者と非友好的な同僚とは積極的なコミュニケーションをせず、むしろ、自身が許容されると考える中で最低限度のコミュニケーションに終始したことが推認できる。」
「債権者は本件仮処分手続において、債務者が問題点として指摘する、無断で試験時期をずらしたこと、勤務時間内にボランティアに参加したこと、退勤時間を他の同僚とずらしたこと等について、自身の判断の正当性を主張している。しかし、仮にこれらの事項について債権者の主張に合理性があったとしても、これらの事項は、少なくとも事前に上司や関係する他の職員に相談しなければ職員間で無用な軋轢を生む可能性をはらむものばかりであり、債権者の方から念のために積極的な相談、報告といったコミュニケーションをすべきであったといえる。しかし、前記のとおりの債権者のコミュニケーション上の問題点及び飽くまで自身の判断の正当性の主張に力点を置く本手続における債権者の対応からすると、上記の問題点に関する債権者の対応は、債務者の職場で求められる最低限のコミュニケーションの域に達していなかったことが容易に想像できる。

3.論点を的確に把握しない準備書面は±ゼロではなく消極要因となる

 本件で使用者側が設定した解雇理由は、意見を述べた時の発言内容や言い方にありました。しかし、労働者側は、意見を述べたこと自体を問題視されたという主張を準備書面上で展開していたようです。

 結果、どうなったのかというと、そうした手続態度を、まさにコミュニケーション能力が欠如していたことの裏付けとして指摘される羽目になりました。

 個人的な経験に照らすと、対立当事者が噛み合わない主張を強引に展開してくる事件では、比較的好ましい結論が得られていることが多いように思われます。まともに論争すれば勝てないことを態度で示しているようなものだからです。そういう意味では、論点が的確に把握されていない準備書面は単に無益というだけではなく、有害無益なのだと思います。

 争点を的確にとらえる主張をすることは、どのような訴訟類型でも重要なことではありますが、コミュニケーション能力不足が争点となる事件においては、特に敏感になっておく必要があるのだと思われます。

 

有給休暇の買取代金の法的性質

1.有給休暇の買い取り

 労働者が使用者に有給休暇の買い取りを求めたとしても、これに応じる義務が使用者に生じるわけではありません。

 しかし、実務上、退職日までに使い切ることができなかった有給休暇があるなどの場面で、労使間で有給休暇の買い取りが合意されることは、それなりに見られます。

 それでは、この時に合意された有給休暇の代金の法的性質はどのように理解されるのでしょうか。

 なぜ、このようなことが問題になるのかというと、法的性質によって適用されるルールが違ってくるからです。

 例えば、民事上の売買代金債権として理解するのであれば、法定利率は年3%になります(改正民法404条1項2項)。しかし、労働基準法上の賃金に該当する場合、退職の日の翌日から年14.6%の割合による遅延利息の請求が可能になります(賃金の支払の確保等に関する法律6条1項)。

 元々買取義務があるわけではないので、買取の合意が成立した場合に、使用者側が代金を支払わないことは稀です。

 そのため、買取代金の支払をめぐって訴訟が係属する事態に至ることがなく、裁判所が有給休暇の買い取り代金の法的性質をどのように理解するのかは、あまり良く分かっていませんでした。

 そうした状況の中、有給休暇の買取代金の法的性質を判示した裁判例が公刊物に掲載されていました。

 東京地判令元.11.27労働判例ジャーナル97-40 未払賃金等支払請求事件です。

2.未払賃金等支払請求事件

 この事件で被告になったのは、行政書士資格を有し、佐藤国際法務事務所の所長を務めるとともにSATO不動産の屋号を用いて不動産仲介業を営んでいる方です。

 原告になったのは、平成25年1月に被告に雇われ、平成30年4月11日に退職した方です。被告は平成25年4月ころから賃金の支払を遅滞し始めており、原告の退職時に、有給休暇の買取分を含めて合計674万2497円の未払賃金を、分割で支払うことを合意しました。

 その分割金の支払が滞ったため、原告が合意したお金の支払を求めて被告を訴えたのが本件です。

 被告が本人訴訟で対応したためか、明示的に有給休暇の買取代金の法的性質が争点になったわけではありませんが、この問題について、裁判所は次のとおり判示して、買取代金の賃金該当性を認めました。

(裁判所の判断)

「本訴請求に関し、被告が、原告に対し、未払賃金債務を負っていること、その額は本訴提起時点で674万2497円であったことについては争いがない。」
「前記前提事実のとおり、被告は、弁論終結までの間に、原告に対し、合計45万円を弁済したことが認められる。これらの弁済金は、原告の指定により、支払期の早い未払賃金元本に充当する。」
「したがって、被告は、原告に対し、629万2497円を支払う義務がある。」
「また、同金額は、平成30年3月分までの未払賃金603万1211円、同年4月分の未払賃金11万8810円、有給休暇の買上分14万2476円の合計額であるところ、有給休暇の買上分については、賃金該当性が問題となり得る。この点、労働基準法11条によれば、賃金は、労働の対象として使用者が労働者に対して支払うものというところ、労働者が有給休暇を取得した場合、労働者は使用者から労務の提供を免除されているが、労基法39条9項に従って支払われる金銭は、同条項の文言等から賃金であると解するのが相当である。そうすると、退職に当たり残余有給休暇を買い取る合意に基づいて支払われる金銭についても、有給休暇を取得した場合に支払われる金銭とその性質は異ならないと解すべきであるから、残余有給休暇の買取合意に基づく14万2476円についても、賃金に当たると解するのが相当である。

3.有給休暇買取代金の部分も14.6%の遅延利息の対象にした

 以上の論理構成のもと、裁判所は有給休暇の買取代金も14.6%の遅延利息の対象になると判示しました。

 最初に述べたとおり、有給休暇の買取合意は、義務がないものを買い取るという建付けになるため、買取の資力がないにもかかわらず使用者がこれに応じることは、あまり想定できません。

 そのため、実務的に頻繁に活用する余地があるというわけではないとは思いますが、珍しい裁判例であるため、備忘も兼ねて記事として掲載することにしました。

 

取締役就任にあたっての留意点-雇用契約終了の黙示的合意

1.取締役就任

 従業員(労働者)と取締役とでは、地位の安定の度合いが全く異なります。

 従業員の解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合には無効となります(労働契約法16条)。

 しかし、取締役などの会社役員は、株主総会決議によって、いつでも解任することができます(会社法339条1項)。正当な理由のない解任に関しては、残任期分の報酬に見合う損害賠償を支払う必要が生じますが(同条2項)、逆に言えば、損害賠償さえすれば、ただ単に気に入らないという理由で解任することもできます。

 本邦の法制では、従業員が取締役を兼務することが認められています。そのため、従業員であることと、取締役であることとは、必ずしも矛盾しません。従業員が取締役に就任したとしても、当然に従業員の地位が失われるわけではありません。

 しかし、取締役として具体的に担当する職務によっては、明示的に雇用契約を終了させる合意をしなかったとしても、従業員としての地位が失われることがあるので注意が必要です。そのような判示をした裁判例が、近時公刊された判例集にも掲載されていました。大阪地判令2.1.24労働判例ジャーナル97-16加賀金属事件です。

2.加賀金属事件

 本件はパワーハラスメント行為等を理由として解任された従業員兼務取締役の方が、雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認などを求めて訴えを提起した事件です。

 被告会社は、取締役就任に伴って、雇用契約は終了していると争いました。

 これに対し、裁判所は、次のように判示して、原告による地位確認請求を認めない判断をしました。

(裁判所の判断)

「被告は、平成20年9月27日の取締役就任、さらには、その後の平成22年8月20日、原告に対して使用人職務を委嘱する旨の取締役会決議をしており、引き続き製造部長との役職名を付与していることが認められる・・・。この点は、引き続き使用人としての役職名を付与したという外形のみにとどまらず、取締役会決議という被告内部での意思決定の下、原告に使用人としての地位を兼ねさせていたとの評価が妥当し得る事情である。」
「そして、このような取締役会決議の存在につき、被告は、退職金共済に加入させるための形式上のものとして行ったにすぎないとも主張するが、その後においても、原告について退職金共済の加入が継続されていたとみられるところ、平成24年以降の取締役の重任に際してそのような決議がされていないことに照らせば、被告の主張には必ずしも合理性があるとは認められない。被告は、取締役就任によって原告が労働者性を喪失したとして、その後の待遇面や担当職務等について様々な指摘を行うものではあるが、前記取締役会決議の存在及びそのような事情が持ち得る意味合いに照らせば、被告が主張する諸事情を総合したとしても、原告と被告の間に本件雇用契約を終了させる旨の黙示的な合意があったとは認めるに足りないというべきである。

(中略)
「原告は、平成27年6月1日、被告から常務取締役の役職名を付与されているが・・・、その役職名自体、明らかに従業員とは一線を画するものであるとともに、引き続き営業部長の役職名が付与されていたであろうe取締役とは異なり、製造部長等といった使用人の地位を示す役職名が付与されないようになっている・・・。そして、原告が関与した具体的な職務内容の中には、原告は、常務取締役就任後である平成28年8月22日、労使協定に関する書面について、常務取締役との肩書を付した上で、使用者側の唯一の署名者として署名押印していることなど・・・、従業員としての地位の保有とは明らかに矛盾抵触するというべきものが見受けられるようになっている(原告は、b社長が八方美人的な性格であり、同協定書の内容が従業員の反発を招く恐れのあるものであったため、原告に対して署名押印するよう指示をした旨指摘するが、原告が同協定書に署名押印をして然るべき立場ないし地位にあったことに変わりはなく、原告の指摘によって同事情が持つ意味合いや評価に大きな違いが生ずるものではない。)。さらに、原告の報酬額を中心とした待遇面に着目すれば、前記認定事実のとおり、取締役就任時において、b社長及びd専務との報酬額の差は顕著であったというべきであるが、平成24年度期以降その差は縮小していき、常務取締役就任前後である平成26年度期(b社長年額1008万円、d専務年額960万円、原告年額900万円)及び平成27年度期(b社長年額960万円、d専務年額1060万円、原告年額950万円)には、その差は更に縮小したものとなっている・・・。」
以上の諸事情を総合考慮すれば、原告と被告の間に、原告が平成27年6月1日に常務取締役に就任した際、本件雇用契約を終了させる旨の黙示的な合意が成立したものと認定することが相当である。

3.平取締役と常務取締役

 裁判所は平取締役への就任にあたっては雇用契約終了の黙示的な合意の存在は認めませんでしたが、肩書等の変更を伴う常務取締役への就任にあたっては雇用契約終了の黙示的な合意が認められると判示しました。

 明示的な合意がなくても、黙示的な合意があるとして、知らない間に従業員としての地位が失われているというのは、かなり怖いことだと思います。

 この裁判例がどれだけの通用力を持つのかは分かりませんが、取締役への就任にあたっては、それが不安定な立場に身を置くことに繋がる可能性を、十分に理解しておく必要があります。

 

労働者の供述による就労意思の認定-どこまでの積極性が必要なのか?

1.就労意思の認定

 解雇無効の判断を勝ち取ったとしても、就労の意思が認定されないと、バックペイ(解雇無効の判断が出た時に、解雇の意思表示がなされた時点に遡って支払ってもらえる賃金のこと)を得られないことがあります。

 そのことを十分に留意したうえで、労働者側が当事者尋問を準備する必要があることは、以前、このブログで指摘させて頂いたとおりです。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/04/14/010059

 それでは、就労の意思が失われたと認定されないためには、どの程度、積極的な供述があればよいのでしょうか。消極的なことを言ってしまったら、就労意思を認定してもらうことはできなくなってしまうのでしょうか。

 昨日ご紹介させて頂いた、東京高判平31.3.14労働判例1218-49コーダ・ジャパン事件は、この問題を考えるうえでも参考になります。

2.コーダ・ジャパン事件

 コーダ・ジャパン事件は、時間外勤務手当(残業代)の請求が問題になるとともに、解雇の効力が問題になった事件でもあります。

 解雇という切り口から言うと、本件は、パワハラを理由に勤務先を普通解雇された労働者が、その効力を争って、地位確認と未払賃金の支払いを求めた事件です。

 裁判所は結論として解雇は無効だと判示しました。

 しかし、バックペイの請求には、単純に解雇を無効としてもらうだけでは足りません。就労の意思や能力を認定してもらう必要があります。他社就労しながら解雇の効力を争う場面では、就労意思や能力(就労可能性)が問題になることは少なくありません。

 本件の原告労働者も解雇された後に他社就労していたため、バックペイの請求にあたり就労の意思の認定が問題になりました。

 この局面において、裁判所は、次のように判示して、就労意思の存在を認定しました。

(裁判所の判断)

使用者が労働者の就労を事前に拒否する意思を明確にしている場合には労働債務は履行不能となるが、当該労働者は、使用者の責に帰すべき事由によるものであることを主張立証したときは賃金を請求することができるところ(民法536条2項)、その前提として、労働者が客観的に就労する意思と能力とを有していることを主張立証しなければならない。
「これを本件についてみると、・・・一審原告は、同僚である松為との本件暴力トラブルがあり、そのことなどを理由として本件解雇をされ、本件解雇直後である平成26年9月下旬には新たな職場に就職し、その後、1回の転職はあったものの、本件解雇以降は、ほぼ一貫して新たな職場における職務に専念しているものと認められる。しかし、他方、本件訴訟において、一審被告との間で、一貫して労働契約上の地位にあることの確認を求め、職場復帰の意思を示していること、転職先の給与額が一審被告において一審原告が支給されていた平均給与支給額よりも相当低額であること、一審原告本人尋問の結果中には、一審原告訴訟代理人の『法律的に違法なことを全部改めてくれたら、会社(注:一審被告)に戻る考えはありますか。』との質問に対し、一審原告が『少しは。』と回答するにとどまる供述が存在するが、訴訟係属中であって紛争が解決していない間は、職場復帰に不安を有し、上記のような控え目な供述をするにとどまるのもやむを得ないといえ、上記供述をもって就労意思を有していないとは認め難いこと、被控訴人が控訴人に対して職場復帰を命じたにもかかわらず、控訴人がこれに応じずに労務提供をしないといった事実は認められないこと、以上の事情によれば、本件解雇後において、一審原告が一審被告において客観的に就労する意思と能力を有しており、一審原告の労働債務が履行不能であるのは、使用者である一審被告の責に帰すべき事由によるものであると認められる。そうすると、割増賃金を控除した本件解雇前3か月間の平均支給月額57万5666円からその4割を控除した月額34万3999円の支払を求める一審原告の本件解雇後の賃金請求には理由がある。」

3.「問:戻る考えは?-答:少しは。」でも就労意思の認定は可能

 本件の労働者は、代理人弁護士からの復職意思を尋ねる質問に対し、「少しは。」としか回答しなかったようです。

 しかし、裁判所は紛争状態においては控え目な供述をするのもやむを得ず、上記の発言から就労意思を否定することはできないと判示しました。

 本件は主尋問の発言ではありますが、使用者側からの反対尋問によって就労意思について労働者本人から消極的な発言を引き出されたとしても、この裁判例で述べられている経験則を使うことにより、ある程度の手当は可能になります。

 就労意思の認定という観点からも、本件は他の事案に活用する余地のある重要な裁判例であると思われます。