弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

パワハラ訴訟は時機を逸してはならない-事件化の選択肢を維持するためには

1.事件化するタイミング

 このブログ上で、何度か、古い事件は問題にしにくいと言及してきました。

 パワハラの有無をめぐる損害賠償請求訴訟では、その傾向が特に顕著であるように思います。近時公刊された判例集にも、そのことを読み取れる裁判例が掲載されています。東京地判令元.10.29労働判例ジャーナル97-36 西京信用金庫事件です。

2.西京信用金庫事件

 本件で原告になったのは、信用金庫の元従業員の方です。

 上司(P3支店長)からパワーハラスメントを受けたことで精神疾患を発症したとして、信用金庫に対し、職場環境配慮義務違反を主張して損害賠償請求訴訟を提起したのが本件です。

 本件で原告が主張したのは、

「P3支店長は、平成26年12月8日午後6時頃から午後8時頃まで、β支店の支店長席の付近において、原告に対し、『年金獲得に俺は命をかけてきた。俺のやり方は絶対に間違っていない。なんでお前ら俺が言ったことができないんだよ。死ぬ気でやってみろよ。命がけで仕事するんだよ。今日寝なくていいから。一日くらい寝なくても死なないから、明日までに決意書書いてこい。』と発言し、原告は、翌朝までに『決意』と題する書面(・・・以下『本件決意書』という。)を作成して提出することを強制された・・・」

といったパワハラです。原告はこうした行為を全部で五つ主張しました。

 これに対し、被告側は、原告の主張を創作であるとして、全面的に否認しました。

 このように主張が真っ向から対立する中、原告が立証の中心に置いたのは、医療機関の診療記録と元同僚の証言・陳述書でした。

 これらの証拠は、原告の主張に沿う内容になっていました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、パワハラの事実は認定できないとし、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「原告の医療機関の受診や診断書の記載内容の経緯は、前記認定事実・・・のとおりであり、とりわけ、P9医師作成に係る平成30年1月27日付けの診断書には、適応障害の発病の状況について、原告の主張に沿う記載がある。しかし、P9医師の原告に係る初診の時期は平成29年5月24日であり、原告が被告を退職した平成27年8月から1年8か月余りを経過しているものであるから、P9医師の診断内容は、原告の説明に基づく事実関係を前提とするものである可能性があり、少なくとも、本件訴訟において前提とすべき事実関係に基づき診断した内容であるとは認められず、この診断内容をもって直ちに本件パワハラ行為の存在を肯定することはできない。また、その余の診断書類も、これによって本件パワハラ行為の存在を認めるに足りるものとはいえない。」

「証人P4の供述、β支店配属の従業員であった者の各陳述書・・・には、原告の主張・供述に沿う部分がある。しかし、証人P4は、原告の同僚であったが、平成27年10月頃に被告を退職したものであって、現在まで原告と交際がある友人であり・・・、本件証拠上うかがわれる関係性に照らし、原告の供述を支えるに足りる客観的な証拠力があるとまではいえない。また、上記各陳述書についても、その作成者らと原告や被告等との利害関係その他の関係や、被告に対する心情等その信用性を肯定するに足りる諸事情の存否は明らかでなく、にわかに採用することはできない。」

(中略)

「以上の検討のほか、原告が被告に対して初めて損害賠償を求めたのは平成30年1月9日であり、被告を退職してから2年以上も経過した時期のことであること・・・、被告の人事部による原告との面談記録の存在(乙4及び5。なお、原告は、本人尋問において、これらの記載内容の真実性等を否定するが、原告の供述に対する弾劾証拠としては一定の証拠力を有するものというべきである。)等の諸事情を総合考慮すると、P3支店長の供述が虚偽であると断ずるだけの客観的な根拠は見当たらないというべきであり、本件パワハラ行為についての原告の供述は、にわかに採用することができない。」

3.人証は難あり、初診時期の遅れは医療記録の価値を減殺する

 本件では、元同僚の証言、陳述書は、利害関係等を理由に信用性が否定されてしまいました。また、医療記録は初診時期と退職との間に1年8か月もの懸隔があったことから、原告が一方的に認識する事実に基づいて作成・診断された可能性があるとして、証拠としての価値を否定されました。

 パワハラで同僚の証言を立証計画に組み入れることは実務上なくはありませんが、証拠価値の高い証言を引き出せる利害関係の希薄な同僚は、そもそも証言に協力してくれないことが多いですし、証言に協力してくれるような人は、利害関係が濃いため証言を重視してもらうのが難しいというジレンマがあります。

 そのため、パワハラの有無を争点とする損害賠償請求訴訟で立証の核になり易いのは医療記録になります。

 こうした構造の事件では、医療記録の信憑性をどのように確保するのかが鍵になります。そのため、パワハラ行為がなされた時と、初診・診断時期との間に長期間の懸隔があることは、訴訟を有利に進めるうえで無視できない消極要素になります。

 パワハラに関しては、証拠化や事件化の時期が事件の帰趨を分けることが少なくありません。

 実際に事件にするかは後で考えても問題ないので、事件にすることを考える場合には、パワハラ行為が行われてから、できるだけ時間を近接した時期に、証拠化の方法も含めて弁護士に対応を相談しておくことをお勧めします。そうでないと、事件化するという選択肢を失いかねないからです。