弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

固定残業代の合意の明確性-金額と時間数の双方の明示が必要?

1.基本給組込型の固定残業代の有効要件

 基本給組込型の固定残業代の有効要件を判示した著名な最高裁判例に、最一小判平24.3.8労働判例1060-5 テックジャパン事件があります。

 テックジャパン事件の最高裁判決は、基本給組込型の固定残業代の有効要件として、

「通常の労働時間の賃金に当たる部分と・・・時間外の割増賃金に当たる部分とを判別」

できることを掲げています。

 そして、テックジャパン事件最高裁判決には、櫻井龍子裁判官により、

「毎月の給与の中にあらかじめ一定時間(例えば10時間分)の残業手当が算入されているものとして給与が支払われている事例もみられるが、その場合は、その旨が雇用契約上も明確にされていなければならないと同時に支給時に支給対象の時間外労働の時間数と残業手当の額が労働者に明示されていなければならないであろう。さらには10時間を超えて残業が行われた場合には当然その所定の支給日に別途上乗せして残業手当を支給する旨もあらかじめ明らかにされていなければならない(差額支払合意 括弧内筆者)と解すべきと思われる。」

との補足意見が付せられています。

 櫻井龍子裁判官の補足意見のうち、差額支払合意に関しては、これを固定残業代の有効要件とは理解しない考え方が一般的です(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕123頁参照)。

 それでは、判別要件が具備されていると認められるために、時間外労働の時間数と残業手当の額の双方が労働者に明示されていなければならないと判示されている部分はどうでしょうか。

 この問題については、時間数と金額の双方が定められることまで必要とする理解と、必ずしも双方が定められている必要はないとする理解と、二通りの考え方があり、未だ定説のない状態にあります。

 こうした議論状況のもと、固定残業代の合意の有効性を判断するにあたり、時間数と金額の双方の定めが必要であるかのように読むことができる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令1.11.22労働判例ジャーナル97-40 未払賃金等支払請求事件です。

2.未払賃金等支払請求事件

 本件で被告になったのは、「喫茶レストランシーザー」(本件店舗)を設置し、飲食業を営んでいる個人の方です。

 原告になったのは、被告の元従業員の方です。原告の方が、退職の後、被告に対して、時間外勤務手当等の支払を請求する訴えを提起したのが本件です。

 本件には複数の争点がありますが、そのうちの一つが固定残業代の有効性です。

 本件では労働契約書や労働条件通知書が作成されておらず、労働条件の認定は求人広告によって行われました。求人広告上、勤務時間について「8:00~19:00(勤務無時間等は応相談)」との記載があったため、原告の所定労働時間は午前8時から午後7時までと認定されています。

 原告は法定労働時間(8時間)を超える所定労働時間が定められていると主張しましたが、被告は、

所定労働時間は午前8時から午後5時まで(休憩1時間)である、

また、

月額支給額のうち2万円は固定残業代である、

との主張を展開し、原告の主張を争いました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、固定残業代としての有効性を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、・・・原告との間で2万円の固定残業代の合意があった旨主張し、証人Cの証言にもこれに沿う部分がある。」
「しかしながら、原告は、上記被告の主張事実を否認し、原告本人も、そのような合意などしていないとして反対趣旨の供述をしているところ、被告主張事実を裏付ける的確な証拠はない。証人Cの上記証言も、午後5時から午後7時までの分として固定残業代が合意されたなどと供述する一方・・・、20時間程度だと思う、特に何時間の対価かを決めてはいないとも供述するなど・・・、明確な合意という観点からは曖昧というほかない。かえって、被告は、給与の支給に際して、その指摘に係る固定残業代を固定残業代名目で別途支払うというようなことをしておらず、むしろ、基本給に含めて支給をしている・・・。これらの点に照らすと、同証言はたやすく採用することができず、原被告間で固定残業代の合意が成立していたとは認めることができない。」

3.元々不明確な合意であったが・・・

 本件は労働契約書も労働条件明示書面(労働条件通知書)も作成されていないうえ、所定労働時間が法定労働時間を超えているなど、極めて杜撰な労務管理が行われていました。こうした状況のもとで、固定残業代に関する合意が否定されたのは、直観的には当然のことのように思われます。

 ただ、金額を特定して固定残業代の有効性を主張する被告に対し、裁判所が残業時間数の特定がラフであることを指摘して合意の明確性を否定したことは、注目に値するように思われます。固定残業代の合意の有効要件として、金額と残業時間数の双方を定めることを必要としているようにも理解できるからです。

 金額・残業時間数のいずれか一方しか定められていない固定残業代は、それなりに目にしているように思われます。こうしたタイプの固定残業代の効力を争うにあたり、本件は活用の可能性のある裁判例として位置付けることができるのではないかと思われます。