弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

就職妨害・大学院進学の強要がアカデミックハラスメントに該当するとされた事例

1.アカデミックハラスメント

 アカデミックハラスメントという和製英語があります。これは大学や大学院の構成員間で発生するハラスメントを総称する概念として用いられる言葉です。

 法律用語ではないため、統一的な定義はありませんが、各大学は独自に概念定義を行って、アカデミックハラスメントの防止に努めています。

 例えば、私の出身校である一橋大学では、

「教育・研究上の地位や権限、または優位性を利用して、相手の教育・研究・職務を妨害するような不適切な言動をすること、また、勉学・研究・職務の意欲や環境を著しく阻害したり、職務を逸脱して精神的・肉体的な苦痛や困惑を与えるもの」

をアカデミックハラスメントとして定義しています。

http://www.hit-u.ac.jp/harassment/index.html

http://www.hit-u.ac.jp/harassment/pdf/guideline.pdf

 ただ、概念定義が各大学の判断に依存していることと、厳しい指導・教育とハラスメントとの境界線を画することが難しいことから、何がアカデミックハラスメントに該当するのかは、今一、明確に分かっているわけではありません(法律用語ではないため、アカデミックハラスメントに該当したとしても、そのことから直ちに一定の法的な効果が導かれるものではありませんが)。

 そのため、アカデミックハラスメントに関して、紛争案件となり得るものとそうではないものとを適切に切り分けられるようになるためには、一つ一つの裁判例をフォローして感覚を磨いて行くしかありません。

 パワーハラスメントほど裁判例が豊富にあるわけではないことも、アカデミックハラスメントの概念の理解を困難にしているのですが、近時公刊された判例集に、アカデミックハラスメントに関して目を引く裁判例が掲載されていました。

 鳥取地判令2.2.21労働判例ジャーナル98-18 国立大学法人鳥取大学事件です。何が興味の対象になったのかというと、就職希望の理科系学部の大学生に推薦書を書かず、大学院進学を勧めたことが非違行為(大学教授による権限濫用・逸脱)として認定されているところです。

 理科系の大学生や大学院生を中心に特定の研究室に拘束される問題が存在することは認識していましたが、この問題を明確に教授の権限濫用・逸脱だと判示した裁判例は珍しいのではないかと思います。

2.国立大学法人鳥取大学事件

 この事件では懲戒処分(停職)の効力を争う形で、アカデミックハラスメント行為の存否・該当性が争われた事件です。

 被告になったのは、鳥取大学を設置する国立大学法人です。

 原告になったのは、鳥取大学の大学院工学研究科及び工学部教授として勤務していた方です。

 アカデミックハラスメントの被害者になったのは、鳥取大学工学部物質工学科の元学生で、原告の研究室に配属されていた方です(以下、この方は「c」と表記します)。

 cは学科推薦(教授職等にある者からの推薦書の提出を要件として求人に応募することができる制度)を受けるため、推薦書の作成を原告に依頼しました。

 しかし、原告はcに対して、

「『院試を受け合格する』ことを条件に、推薦書も書こうと思います。そのために、勉強もしてください。」

などと書かれたメールを送信するとともに、大学院進学を勧めました。

 結局、cは鳥取大学の大学院の入学試験に不合格となり、推薦書が作成されることはありませんでしたが、これがcの自由な進路選択の権利を侵害するアカデミックハラスメントに該当するのかが問題になりました。

 cからのハラスメント申告を受け、鳥取大学のハラスメント等防止・対策委員会は事案の調査を行いました。調査結果を踏まえた同委員会からの報告に基づいて、被告学長は、

「cが就職を希望していた企業への推薦書を合理的な理由もなく書かず、cの自由な進路選択の権利を侵害したこと」

などを理由に、原告に対して停職1か月の懲戒処分を行うとともに、また、懲戒処分を学生に対するアカデミックハラスメント事案として学内で公表しました。

 この停職処分の無効確認などを求めて原告が被告を訴えたのが本件です。

 裁判所は、次のとおり述べて、懲戒処分は有効であるとし、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「被告は、原告がcの就職により自己の研究テーマへの悪影響が生ずることを危惧し、自己の研究テーマをcに大学院で継続させることが目的であったと主張するところ、これに沿う以下の点を指摘できる。」
「原告が、平成27年7月15日、学科推薦での就職を希望するcに対し、推薦書作成に当たって大学院入学試験の合格という条件を提示したことは、前述したとおりである。」
「学科推薦を利用して企業からの内定を得た学生は、大学院入学試験を受験して合格したとしても、大学院への進学を断念せざるを得ない状況に置かれることになるから、その条件を付されたcとしては、就職を希望するノーテープ工業に応募するためには、まずは進学することのない大学院の入学試験に合格しなければならず、かつ、大学院入学試験の合格はノーテープ工業の就職活動には関係がないから、これは明らかに不合理な条件である。また、大学院入学試験の合格発表までの間に、他の学生と競合するなどの理由で、学科推薦を利用したノーテープ工業への就職活動が行えなくなる可能性もあり、その不合理さは明らかである。このような明らかに不合理な条件を提示したという事実からは、原告は、cに大学院の入学試験を受けさせ、最終的には大学院に進学する方向に強く誘導しようと意図したことが推認できる。そして、その理由は、cの希望や能力とは関係がないというのは、前述したとおりである。」
「また、原告は、同月20日午前9時頃、唐突に、cが行っている研究テーマについては500万円の外部資金を獲得していることを伝えた上で、重大な研究プロジェクトに参画していることを自覚しているかと問い質すような本件メール・・・を送信し、cに大学院進学を強く勧めたことは、前述したとおりである。」
「原告が、同月15日に推薦書作成に条件を提示した後、同月20日に本件メール・・・を送信したことからすると、そのメールに記載された内容によりcを大学院に進学するようさらに強く説得しようとしたものと推認できるが、そのメールに記載されていることは、cの研究テーマに外部資金が獲得されているとの指摘である。
「この点、外部資金を獲得した重要な研究プロジェクトにcが参画しているということが客観的には事実であったとしても、そのことは、研究者である原告の問題であり、当時大学生に過ぎないcがことさらに認識し、自覚しなければならないことではないし、大学生が就職を犠牲にしてまで遂行しなければならないものではない。原告が、cに対し、500万円という多額の金額を強調し、重大なプロジェクトであることを強調して大学院に進学するよう勧めている理由は、原告が、cの将来を考えて大学院に進学するよう勧めたものではなく、むしろ、cが大学院に進学しなければ、自身のその重要な研究プロジェクトに継続的に携わる担当者がいなくなり、当該研究の進捗に支障を来すことになるため、これを避けたいという思いからcに大学院に進学するよう勧めたものと考えざるを得ない。
「そして、原告は、同月21日の面談においても、cが直ちに推薦書を作成するよう求めたのに対し、cの話に傾聴することなく、原告の考えを述べ、大学院進学を強く勧めている。」
「確かに、・・・鳥取大学工学部では、教授が学生に大学院へ進学するよう指導することは特異なことではないといえるが、教授が学生の希望に反してまで再三にわたり大学院進学を強く勧める必要性はなく、そのようなことが許容されるはずもない。原告が、cから再度の推薦書作成依頼がなされた状況においても、大学院進学を強く勧めた背景には、原告の個人的な動機があると考えるのが自然である。
「加えて、・・・、原告は、調査委員会の聴取においては、本件推薦書作成に条件を付した理由は大学院に進学して欲しかったからである旨を説明し(なお、原告は、第1回調査委員会の聞き取り調査においても、cの学力不足に言及してはいるものの、その場での回答の推移のほか、前述したところからも、それが本件推薦書を書かなかった理由でないことは明らかである。)、cが選択していた研究テーマが重要なものであり、大学院に行く人にやってもらいたいという希望があったという原告自身の都合が影響した旨の説明をしている。このような説明は、原告が本件推薦書を作成しなかった理由が、原告の重要な研究を円滑に進めるためであったということを裏付けている。」
「以上の・・・の事情に照らすと、原告が本件推薦書を作成しなかった理由は、被告主張のとおり、cが就職することにより自己の研究テーマへの悪影響が生ずることを危惧し、自らの研究テーマをcに大学院で継続させることが目的であったものと認められる。
そして、これは、自身の研究を優先し、学生の進路選択の希望をないがしろにするものであって、学科推薦の推薦書を作成しない合理的な理由になり得ないことは明らかであり、原告が本件推薦書を作成しなかったことについて、その裁量を逸脱、濫用したものというほかない。

3.研究のために行われる就職妨害・大学院進学の強要

 上記に引用した以外にも、本件の裁判所は、懲戒処分の前提となる事実の認定、推薦書作成に関する教授の裁量などについて、詳細な判断を行っています。その判示事項は、就職妨害・大学院進学の強要の問題の背景や実体を理解するうえで、非常に参考になります。

 就職妨害・大学院進学の強要の問題は、比較的よく耳にする割には、それほど裁判例になっていないというイメージを持っています。

 それは、

不安定な概念定義のもと、アカデミックハラスメントに該当する事実と、それがなぜ問題なのかを正確に伝えて行く作業は、元々難しい作業であること、

加害者側の知的水準が高く、もっともらしい理屈の構築能力に優れていること(防御の壁を突き崩しにくいこと)、

が背景にあるのではないかと思います。

 アカデミックハラスメントの所属組織への被害申告は、それ単体で経済的な利益を獲得できるようなものではないため、費用との兼ね合いで弁護士が関与しにくい問題の一つです。

 しかし、本来、弁護士などの法専門職のサポートを受けて行うことが望ましいと思っています。

 自分だけでの対応に限界を感じている方は、一度、弁護士のもとに問題提起の仕方を相談に行ってみてもよいと思います。加害者への損害賠償請求に繋げることができそうな事案であれば、ある程度、費用的な問題はクリアできるかと思います。