弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

退職勧奨の場面における再雇用の約束はあてにならない

1.再雇用の約束

 新型コロナウイルスの影響を受け、「雇用保険・・・の給付を受けた方がいい」との判断のもと、多数の従業員との間で再雇用含みの退職合意を交わしたタクシー会社があります。

 このタクシー会社の社長が、最近になって、

「僕が再雇用を約束したかどうか。してないですよ! 夢や希望は語っているかもしれませんが」

と言い出したようです。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200512-00037774-bunshun-soci

 このタクシー会社に限ったことではなく、退職勧奨の場面では、しばしば再雇用が約束されることがあります。

 しかし、この再雇用の合意はあてにならないことが少なくありません。また、再雇用してくれなかったとしても、そう簡単に合意退職の効力を否定できるわけではありません。近時公刊された判例集に掲載されていた、東京地判令元.10.25労働判例ジャーナル97-40 アイ・コーポレイション事件も、再雇用の約束を真に受けた労働者が割を食った事件です。

2.アイ・コーポレイション事件

 本件は合意退職の効力が問題となった事件です。

 被告になったのは、不動産の売買・賃貸・管理等を業とする有限会社です。

 原告になったのは、被告の元従業員です。

 原告は、慢性的な経営不振の状況にあった被告会社の取締役(被告B)から、別会社を設立する計画があると告げられ、当該会社に転職し働いてみないかと勧誘を受けたため、被告会社を退職しました。

 しかし、その後、別会社が設立される気配がなかったため、詐欺や錯誤を理由に合意退職の効力を否定し、地位確認等を求めて被告会社を訴えました。

 この事案において、裁判所は、次のとおり判示し、原告の地位確認請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「原告は、・・・被告会社からの退職に際し、被告Bが別会社を設立するなどという話をしたことから、原告は、被告会社からの退職を決意したものであり、退職の意思表示は詐欺取消し又は錯誤により無効となると認められるべきであると主張し、原告本人の供述にはこれに沿う部分もある。」
「確かに、原告の退職の際、新たに設立された会社で稼働するとの話がなされたこと、もっとも、その後、その話が頓挫していることは、被告らもこれを認め・・・、被告Bもこれに沿う供述をしているところである・・・。」

「もっとも、被告会社は、上記事実を超えて、被告Bによる欺罔行為があったことを争っているところ、被告Bが殊更原告をその旨誤信させて退職の意思表示をさせようとしたとの事実を裏付けるまでの的確な証拠はない。むしろ、原告の退職経緯に関しては、原告の営業活動について顧客から複数苦情が生じたことから被告Bにおいて退職を勧奨し、原告もけじめとして退職を決意した側面もあったこと・・・を窺うことができるほか、被告Bは、新会社での稼働の話をしたことはあるが、そのようなことも考えていると言ったにとどまる旨供述しているところであって、かかる供述の信用性を覆すに足りる証拠もない。」

「そうしてみると、原告の退職に際して、欺罔行為があったとの原告主張事実は認めるに足らず、これに反する原告の主張は採用することができない。」

「また、錯誤無効の主張についても、・・・原告自身、けじめとして退職を決意したことが窺われるほか、そもそも設立される別会社での稼働が一義的に約されていたものとも認め難いところであって、要素の錯誤があったとはたやすく認め難く、この点を措いても、重過失があることは否めない。

「したがって、退職の意思表示について錯誤無効を認めるに足らず、この点をいう原告の主張も採用することができない。」

3.地位の回復への種々のハードル(詐欺の故意・合意の明確性・別動機・重過失)

 再雇用の約束があり、それが履行されなかったとしても、その救済は決して容易ではありません。

 意思表示を詐欺で取り消すためには、単に再雇用の約束が守られなかったというだけでは足りず、相手方に騙すつもりがあったことを立証しなければなりません。しかし、その立証は一般に容易ではありません。

 また、再雇用の合意の履行を求めるにあたっては、合意としての明確性が問題になります。具体的な労働条件まで詰められていなければ、合意を根拠に履行を求めるのは極めて困難です。近時も、育休明けに契約社員になった時の「本人が希望する場合は正社員への契約再変更が前提です」との約定について、停止条件付き無期労働契約の締結を含むものとも、正社員復帰合意を含むものとも認められないと判示した裁判例が公表されています(東京高判令元.11.28労働判例1215-5 ジャパンビジネスラボ事件)。

 錯誤を主張するにあたっては、退職を決意するにあたっての別の動機の存在が問題になります。本件では営業活動の苦情へのけじめが錯誤無効への阻害要因として働いています。また、重大な過失がある場合には、錯誤無効の主張は認められません(民法95条参照)。何が重大な過失なのかは必ずしも明確ではありませんが、本件事案では重過失があることも否めないと判示されています。

 再雇用の約束は、その時期や内容が余程明確に定義されていない限り、基本的にはあまりあてにならないと思います。約束が破られた時に、救済が用意な類の合意でもありません。

 したがって、再雇用が提案されたとしても、提案は話半分くらいに聞くに留め、あまり安易に退職に合意しない方が良いだろうと思われます。