弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

退職届の提出が雇用契約の解約の意思表示とみることはできないとされた例

1.退職届の提出

 退職届の提出は、

辞職(労働者の一方的な意思表示による労働契約の解約)、

合意退職の申込み、

のいずれかであると理解されます。

 いずでれであるにせよ、一旦してしまった退職の意思表示の効力を否定できる場面は、錯誤・詐欺・強迫など意思表示に瑕疵があるなど一定の場合に限定されています。

 ただ、裁判例は退職の意思表示を慎重に認定する傾向があり、意思表示の瑕疵を問題にしなければならない場面そのものに絞りをかけています。

 近時公刊されたは判例集にも、退職届を提出した事実を認定しながら、それを雇用契約の解約の意思表示とみることはできないとした裁判例が掲載されていました。東京地判令4.6.16労働判例ジャーナル131-52 医療法人社団東聖会事件です。退職の効力を争うにあたり参考になるため、ご紹介させて頂きます。

2.医療法人社団東聖会事件

 本件で被告になったのは、有償診療所(本件医院)や介護センター等の医療施設を経営する医療法人(被告法人)と、被告法人の経営を支配していた個人(被告B)です。

 原告になったのは、被告との間で雇用契約を締結していた方多数です。本件の原告らは未払賃金や解雇予告手当、退職金等を請求しました。ただ、その内の2名(原告C及び原告D)は、雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認も請求していました。

 本件で特徴的な判断が示されているのは、原告Dの請求との関係です。

 原告Dは、令和3年1月7日付けで、被告法人に対し、令和3年1月31日を退職日とする退職届を提出していました(本件退職届)。

 被告らは、本件退職届の提出により、原告Dとの間の雇用契約は解約されたと主張しました。

 これに対し、原告Dは、

「令和2年11月7日、何ら理由もなく、被告Bから『あなたの居場所はない。』などと言われ事実上の解雇を言い渡された。原告Dは、これに従うほかないと考え、退職を望む意思など一切ないにもかかわらず、形式的に本件退職届出をした。したがって、本件退職届出は、雇用契約の解約の申入れと評価されるべきものではない。」

などと主張し、雇用契約の解約の効力は生じていないと主張しました。

 このような主張の応酬のもと、裁判所は、次のとおり述べて、退職届の提出を雇用契約の解約の意思表示とみることはできないと判示しました。

(裁判所の判断)

「本件退職届出の事実自体には争いがないところ、原告Dは、本件退職届出は、被告Bから令和2年11月7日に事実上の解雇を言い渡されたことを契機とするものであると主張する。当該事実上の解雇通告について、被告らは、いったんはそのような事実があったことを前提に、原告Dの問題点を指摘して『解雇の合理性及び相当性は十二分に存在すると解する。』と主張をしておきながら(第1回弁論準備手続期日で陳述された被告ら第1準備書面)、その後、『解雇を言い渡した事実はない。』と否認に転じている(第2回口頭弁論期日で陳述された被告ら第2準備書面)。もっとも、被告らが当該変遷について何ら合理的な説明をしないことからすれば、弁論の全趣旨に照らし、当該事実を認めることができる。」

「また、証拠・・・によれば、本件退職届出に用いられた『退職届』には、『退職事由』として『必要のない契約見直しを威圧的に求め、パワハラを受けた』、『病院再開が未定で本来の看護業務ができず職を奪われた』などと被告Bを非難する文言が書かれていたことが認められる。」

「これらを考え合わせると、原告Dが陳述書・・・で述べるとおり、本件退職届出は、被告Bから事実上の解雇を言い渡された原告Dが、それに従うほかないとの諦観を抱きながらも、被告Bに対する不満を伝える趣旨でされたものであり、自ら雇用契約を解約しようとする意思を表示しようとしたものではなかったと認めることができる。そして、少なくとも被告B及び同人が実質的に支配している被告法人にとっては、そのことは明らかだったといえる。

したがって、本件解約届出を、原告Dによる被告法人との間の雇用契約の解約の意思表示とみることはできない。

3.退職届を提出してしまっていても挽回できた例

 退職届を提出してしまっていると、錯誤、詐欺、強迫等のない事案では、もうどうにもならないと思い込んでいる方が少なくありません。セカンドオピニオンを求める相談を受けていると、弁護士からそのような回答をされている例を見かけることもあります。

 しかし、退職届を提出してしまっている事案であっても、経緯や状況によっては、退職の効力を争うことができます。本件も、そうした事例として参考になります。