1.人事管理の一環としての医学所見の取得
病歴等に係る情報は、法律上「要配慮個人情報」(個人情報保護法2条3項)として定義されており、個人情報保護法による保護が図られています。
個人情報保護法上、個人情報を第三者に提供するためには、原則として本人の同意を得ておく必要があります(個人情報保護法23条1項)。これにより、医療機関を受診した方には、当該医療機関から無断で第三者に医学所見を提供されることのない立場を保障されることになります。
ここで言う第三者には、当然、職場も含まれます。
職場には労働者安全衛生法などの法令に基づいて本人の同意を得ないで健康診断の結果等の医学所見を入手することができる場合もありますが、それは飽くまでも個人情報保護法上の例外です。
職場であっても、労働者から提出された診断書の内容以外の情報について医療機関から健康情報を収集する必要がある場合には、あらかじめこれらの情報を取得する目的を労働者に明らかにして承諾を得るとともに、必要に応じ、これらの情報は労働者本人から提出を受けることが望ましいと理解されています(厚生労働省 雇用管理分野における個人情報のうち健康情報を取り扱うに当たっての留意事項 第3-5参照https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000027272.html
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/0000167762.pdf)。
ただ、「望ましい」との表現からも分かるとおり、法の建付けとしては、医学所見等の個人情報を保護する責任を負っているのは基本的には医療機関であり、医学所見等の無断での第三者提供に対し、第一次的に責任を問われるのは、第三者提供を行った医療機関になるのではないかと思います。
しかし、無断での第三者提供を行った医療機関や医師に個人情報保護法違反や秘密漏示罪(刑法134条1項)の問題が生じることは別として、法令に基づく場合に該当しないにもかかわらず、労働者の同意を得ないまま、医学所見等の個人情報を医師から積極的に聴取しに行った職場に何等かの責任が発生することはないのでしょうか。
昨日、「素人による発達障害というレッテル貼りは違法」という表題のもと、退職勧奨の場面で、医師でもない素人が労働者を発達障害者とレッテル貼りして罵倒したことが違法だと判断された裁判例を紹介しました(甲府地判令2.2.25労働判例ジャーナル98-16 国立大学法人山梨大学事件)。
https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/05/15/193759
この事案は、上記の論点だけではなく、医学所見を労働者に無断で医師から取得することの適否という観点からも、興味深い判断がされています。
2.国立大学法人山梨大学事件
職場が労働者の医学所見を無断で医師から取得することの適否という観点から本件事案の概要を述べると、次のとおりとなります。
本件で被告になったのは、山梨大学を設置・管理する国立大学法人です。
原告になったのは、被告の事務職員であった方です。
被告のP3人事課長は、職場での問題行動が目立ったことから、病気や障害に問題があるのではないかと考え、原告に対して、産業医である精神科のP5医師と面談するように指示しました。
これを受けて、原告はP5医師と面談するとともに、P6心理士による心理検査を受けました。
その後、P3人事課長及びP4課長補佐は、
「P5医師から、P6心理士の作成した本件心理検査の結果についての報告書のコピーの交付を受けるとともに、P5医師から、当該結果を踏まえ、原告は、発達障害のいくつかパターンの傾向に当てはまるところもあり、社会の中でコミュニケーションを取ることは難しいが、現状の判断基準に照らすと、病気や発達障害とまではいえず、原告のパーソナリティに起因するものであるとの見解を聴取」
しました。
このP5医師による原告の診察結果は、被告において、人事管理の一環として当初から使用する予定でしたが、P3人事課長及びP4課長補佐は、P5医師から原告の診察結果等を聞き取ることについて、原告に了解を得ていませんでした。
その後、P3人事課長らが原告と面談し、退職勧奨を行ったという流れになります。
原告は、P3人事課長らが、原告の承諾を得ることなく、無断で原告の医療情報を取得したことなどを問題視し、被告に対して損害賠償請求を行いました。
この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、無断での医療情報の取得に権利侵害性を認めました。
(裁判所の判断)
「P3人事課長は、原告にP5医師との面談を受けるように指示し、人事管理の一環として使用するつもりであったにもかかわらず、原告から検査結果を聞くことに対する同意を取らないまま、P5医師から原告との面談内容及び本件心理検査の結果とこれに対するP5医師の所見を聴取し、原告との本件面談において、原告が発達障害ではないことを知っていたにもかかわらず、別紙『本件面談のP3人事課長の原告に対する発言』記載のとおり、『発達障害なんですよ』、『検査で明らかになったように・・・体本来の機能・・・が損なわれている』などと発言したことが認められる。」
「P3人事課長がP5医師から得た情報は、精神科の医師であるP5医師が原告と面談した内容、本件心理検査の結果及びP5医師の所見であるが、これらは、個人の内面の心理及び人格に関する情報であって、一般人の感受性を基準として、他者に知られたくない私的事柄に属するプライバシー性の強い情報であるといえるから、たとえ人事管理の一環であったとしても、本人の同意がなければその情報を取得することは許されないものと解するのが相当である。そうすると、P3人事課長によるこれらの情報の取得には、原告の同意がなかったのであるから、原告のプライバシーを侵害する行為である。」
3.新型コロナウイルスとの関係では・・・
現在、私の所属している第二東京弁護士会では、国の緊急事態宣言を受けて、運営している法律相談センターの業務を一時休止しています。
ただ、困っている人が多く出て来るはずなのに、法律相談の窓口を閉めてしまうのは具合が悪いだろうということで、法律相談センターの休止期間中にも相談に対応できる弁護士のリストが作成されています。
リストは専門分野毎に作成されていて、労働問題関係では私を含む6名の弁護士がリストアップされています。
https://niben.jp/news/ippan/2020/202004102593.html
https://niben.jp/news/news_pdf/rodo_0422.pdf
その関係もあり、新型コロナウイルスの影響下における労働相談の状況・傾向は注視しているのですが、コロナハラスメントとも言うべき問題が生じていることが確認されています。医療情報の取得との関係では、新型コロナウイルスに罹患していないことの医学的なエビデンスが提出できるまで会社に来るなと言われたなどの問題があるようです。
今のところ、私の観測する範囲内では、勤務先が労働者の頭越しに医療機関から情報を取得したという事例はありません。しかし、医療機関が、看護師等の従業員の医療情報について、当該看護師等が通院している医療機関から、頭越しに情報を取得するといったことは、普通ないにしても、あってもおかしくはないように思います。過去の裁判例との関係で、HIVに罹患した事実が、本人の知らないところで、検査先大学病院から、勤務先病院に対して漏洩された事件などがあるからです(福岡地裁久留米支判平26.8.8労働判例1112-11社会福祉法人A事件)。
HIVに関しては適切な治療を受けていれば感染の心配はありませんが(札幌地判令元.9.17労働判例1214-18 社会福祉法人北海道社会事業協会事件の判示参照 https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/02/27/011921)、新型コロナの問題は感染の問題があるため、使用者による他の労働者に対する安全配慮義務の履行の問題と、個々の労働者のプライバシーの問題をどのように調整するのかという難しい問題が生じます。
本件で問題になった発達障害も感染する類の疾患ではありませんが、レッテルを張られることが差別と結びついているという点では同様で、本件の判示事項は、新型コロナウイルスの問題に絡んで、本人の頭越しに職場が労働者の医療情報にアクセスした場合にも影響力を持ってくる可能性があるのではないかと思います。
差別と結びついた医療情報へのアクセスの問題を考えるにあたっては、今後とも裁判例の動向を注視して行く必要があります。