弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

電車内で女性客に迷惑行為をしている相手方に注意をして蹴られたことによる負傷に労災は適用されるのか?

1.通勤災害と通勤の中断

 労働者災害補償保険法1条は、

「労働者災害補償保険は、業務上の事由、・・・又は通勤による労働者の負傷、疾病、障害、死亡等に対して迅速かつ公正な保護をするため、必要な保険給付を行い、あわせて、業務上の事由、・・・又は通勤により負傷し、又は疾病にかかつた労働者の社会復帰の促進、当該労働者及びその遺族の援護、労働者の安全及び衛生の確保等を図り、もつて労働者の福祉の増進に寄与することを目的とする。」

と規定しています。

 つまり、仕事中の事故だけではなく、通勤中の事故によって負傷した方も、労働者災害保守保険法上の保険給付を受け取ることができます。

 この「通勤」には定義規定があり、

「通勤とは、労働者が、就業に関し、次に掲げる移動を、合理的な経路及び方法により行うことをいい、業務の性質を有するものを除くものとする。
一 住居と就業の場所との間の往復
二 厚生労働省令で定める就業の場所から他の就業の場所への移動
三 第一号に掲げる往復に先行し、又は後続する住居間の移動(厚生労働省令で定める要件に該当するものに限る。)」

とされています(労働者災害補償保険法7条2項)。

 通勤との関係では、しばしば逸脱や中断への該当性が問題になります。労働者災害補償保険法7条3項が、

労働者が、前項各号に掲げる移動の経路を逸脱し、又は同項各号に掲げる移動を中断した場合においては、当該逸脱又は中断の間及びその後の同項各号に掲げる移動は、第一項第三号の通勤としない。ただし、当該逸脱又は中断が、日常生活上必要な行為であつて厚生労働省令で定めるものをやむを得ない事由により行うための最小限度のものである場合は、当該逸脱又は中断の間を除き、この限りでない。」

と規定しているからです。つまり、家と職場との間の行き帰りの途中で寄り道をすると、基本的には以降の帰宅ルートは「通勤」ではなくなってしまいます。通勤ではなくなるというこことは、その間に事故にあっても、労働者災害補償保険法では救済されないことを意味します。

 この逸脱・中断との関係で、近時公刊された判例集に目を引かれる裁判例が掲載されていました。東京地判令5.3.30労働経済判例速報2535-22 中央労働基準監督署長事件です。

2.中央労働基準監督署長事件

 本件で原告になったのは、ファミリーレストランの経営等を業とする株式会社に勤めていた方です。通勤中の電車内で女性客に迷惑行為を行っていた男性に注意をしたところ、男性から蹴られて左脛骨顆間隆起骨折の傷害を負いました。原告は、労働者災害補償保険法に基づいて療養給付や休業給付等の申請を始めましたが、労働基準監督署長は、不支給とする処分を行いました。これに対し、不支給処分の取消を求め、原告が出訴したのが本件です。

 裁判所は、次のとおり述べて、本件は通勤災害ではないと判示しました。結論としても、原告の請求は棄却されています。

(裁判所の判断)

「(1)通勤遂行性の有無について」

「前記・・・の前提事実及び前記・・・の認定事実(以下、これらを併せて『前提事実等」という。)によれば、原告は、

令和元年12月1日午前0時過ぎ頃、本件事業場から一般の通勤経路に従い、JR有楽町駅から山手線内回り電車に乗車したこと、

本件電車内において泥酔状態の本件加害者が女性客に迷惑行為をしていると感じて車両から降りるよう注意し、本件加害者はJR神田駅でいったん本件電車を降りたこと、

原告は、ホーム上の本件加害者から罵声を受けたが、その場で頭を冷やすよう申し向けてこれをやり過ごしていたところ、背後から左足の膝付近を蹴られる暴行を受けたこと、

原告と本件加害者は同駅のホーム上でもみ合いの喧嘩闘争状態となり、警察が臨場する騒ぎとなったこと

が認められる。しかして、通勤のため公共交通機関を利用する際に、他の乗客に迷惑行為を行う者に注意を与えることが通勤行為に当たらないことは明らかであるし、また、経験則上、公共交通機関を利用する際に日常的に迷惑行為を行う者に遭遇するとまでは認め難く、他者が迷惑行為に遭遇しているのを現認した際の対応としても、直接注意を与えることのほかに、駅係員や警備員への通報や車内の非常通報装置の利用もあり得るところであるから、本件加害者に対して原告が注意を与えた行為が通勤と密接な関連性を有する行為であったと認めることも困難である。加えて、前提事実等によれば、本件加害者は、JR神田駅でいったん本件電車を降車し、原告との間で原告も降車するか否かについてのやり取りを交わした後、車内に立ち戻って原告に暴行を加えたものであると認められるが、そうすると、本件加害者による暴行は、原告から注意されたことやJR神田駅において原告が降車せずに頭を冷やすようたしなめられたことに起因するものとも推察される。以上によれば、原告による本件加害者への注意行為や本件加害者による暴行は、原告の通勤の機会に発生したものであるとしても、通勤との関連性は希薄であって、その態様、目的を踏まえても、通勤に通常付随するものとして全体として一連の通勤と評価することは困難といわざるを得ず、本件傷害の発生は原告の通勤の中断中ないし中断後にされたものと認めるのが相当であり、かかる認定判断は、原告の注意行為が善意によるものであったか否かによっても左右されない。

「この点、原告が本件加害者を本件電車内で注意し、車内の迷惑行為という問題を排除することが、通勤を継続するために必要であり、又は通勤と関連性を有する行為であると解したとしても、本件傷害の発生に通勤遂行性を肯定することは困難であると認められる。すなわち、前提事実等によれば、本件加害者は原告から迷惑行為を注意されて本件電車から降りるように申し向けられた後、JR神田駅で自ら電車を降りたことが認められる(なお、原告も同趣旨の供述をしている(原告本人調書・・・)。そうすると、原告の注意により本件加害者が迷惑行為を中止して降車した段階で車内における迷惑行為の存在という問題は解消されたといえるから、その後に、原告がホーム上で罵声を発する本件加害者に対して更に酔いをさますよう申し向けた行為等は、通勤にも通勤と関係する行為にも該当せず、その後に本件加害者から左足を蹴られて本件傷害を負ったとしても、それは通勤の中断中ないし中断後の負傷であって、通勤による負傷には該当しないものといわざるを得ない。なお、原告がホーム上での本件加害者との喧嘩闘争中に本件傷害を負った可能性も否定されないところ、その場合には、本件加害者を制圧するという通勤とは関係のない行為の際に負傷したものであるから、通勤中断中の負傷であることは明らかというべきである。」

以上のとおり、原告が本件加害者の暴行によって本件傷害を負ったとしても、通勤の中断中又は中断後の災害であるといえるから、本件傷害の発生については通勤遂行性の要件を欠くものと認めざるを得ない。

「(2)通勤起因性の有無について」

「前提事実等によれば、本件加害者は、原告から本件電車内で注意を受けた際に泥酔状態にあったこと、原告は、本件加害者がJR神田駅で降車した後に、本件加害者から原告も降りるよう罵声を受けたのに対し、その場で頭を冷やせ、あるいは酔いをさませといった趣旨の発言をし、その後に本件加害者から暴行を受けたことが認められる。以上の事実によれば、本件加害者の暴行が原告の言動に触発されたものであることも完全には否定できず、その後に原告と本件加害者は駅ホーム上で喧嘩闘争の状態となったことも併せると、本件加害者による暴行及びこれによる本件傷害が、原告と本件加害者との間の属人的な対立に起因して生じた可能性は否定できないから、本件傷害が通勤に内在し又は通常随伴する危険が現実化したものであるとは認め難いものといわざるを得ない。したがって、原告が本件加害者の暴行によって本件傷害を負ったとしても、通勤起因性の要件を欠くものと認められる。

(3)以上によれば、本件傷害の発生については、通勤遂行性及び通勤起因性の要件を欠くものであって、通勤による負傷とは認められない。

3.駅係員や警備員、警察を呼ぶのが安全

 以上のとおり、原告の方が受けた負傷は、通勤災害(労働者災害補償保険による保険給付の受給対象)とは認められませんでした。

 やはり、迷惑行為に対しては、無理に自力で対応しようとはせず、駅係員や警察に通報する方法で対応した方が無難だといえます。