弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

地方自治体は職員が記者など一般市民に対してセクシュアルハラスメントに及ぶことを防止すべき注意義務を負うのか?

1.一般市民に対するセクシュアルハラスメントの防止義務

 平成18年厚生労働省告示第615号「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針【令和2年6月1日適用】は、

事業主は、職場におけるセクシュアルハラスメントを行ってはならないことその他職場におけるセクシュアルハラスメントに起因する問題・・・に対するその雇用する労働者の関心と理解を深めるとともに、当該労働者が他の労働者(他の事業主が雇用する労働者及び求職者を含む・・・)に対する言動に必要な注意を払うよう、研修の実施その他の必要な配慮をするほか、国の講ずる同条第1項の広報活動、啓発活動その他の措置に協力するように努めなければならない。」

と規定しています。

 つまり、事業主には、自分の雇用する労働者が、他の労働者に対してセクシュアルハラスメントに及ばないよう、必要な配慮をして行く義務があります。

 それでは、このような配慮義務の対象は、労働者(取引先の労働者や求職者を含む)に限定されるのでしょうか? より広く、一般市民に対してセクシュアルハラスメントに及ばないよう配慮して行く注意義務があるということはできないのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。長崎地判令4.5.30労働判例ジャーナル126-10 長崎市事件です。

2.長崎市事件

 本件で被告になったのは、長崎市です。

 原告になったのは、B社(本件会社)のa支局で記者として勤務していた方です。被告の原爆被爆対策部長(C 後に自殺)から取材対応に関して性的暴行を受けたところ、被告が性的暴行を防止する義務を怠ったなどと主張して、損害賠償を請求する訴えを提起したのが本件です。

 本件の原告が試みた法律構成の一つに、

「職員が一般市民を含む女性に対してセクシュアルハラスメント・・・を起こさないよう周知徹底し防止すべき注意義務・・・を負っていたにもかかわらず、これを怠った。」

という主張がありました。

 これは、男女共同参画推進法を基に定められた長崎市男女共同参画推進条例(本件条例)の

「市長は、性別による差別的取扱い、セクシュアル・ハラスメント、ドメスティックバイオレンスその他の男女共同参画を阻害する要因による人権の侵害に関し、市民又は事業者から相談があった場合には、関係機関又は関係団体と連携し、適切に処理するものとする。」(11条1項)

「何人も、職場、学校、地域、家庭その他の社会のあらゆる分野において、性別による差別的取扱いをしてはならない。」(18条1項)

「何人も、職場、学校、地域、家庭その他の社会のあらゆる分野において、セクシュアル・ハラスメントを行つてはならない。」(18条2項)

といった規定を根拠とするものでした。

 本件では長崎県にこうした注意義務への違反が認められるのかどうかが問題になりましたが、裁判所は、次のとおり述べて、これを否定しました。

(裁判所の判断)

原告は、前記・・・のとおり、被告が、本件条例の制定者として、職員が一般市民を含む女性に対してセクハラを起こさないよう周知徹底し防止すべき義務を負う旨主張し、一般論として、被告が同義務を負うことは争いがない。

「もっとも、男女共同参画法は、男女共同参画社会の形成に関する基本理念を定め、国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、施策の基本事項を定めることにより、男女共同参画社会の形成を推進することを目的としたものであり(1条)、これを受けて制定された本件条例の関係規定も、被告ないしその機関である市長に対し、一般的義務として適切な処理をすべきこと(11条1項)などを規定したものであり、これにより、直ちに不法行為法上の注意義務を形成するものとはいえない。

「そして、被告は、本件事件当時、セクハラ防止等のための職員研修を行い、市内部の相談員等による相談体制等を整備するなど、職員によるセクハラの防止について一定の措置を講じていたことが認められる・・・ところ、本件事件の発生前に、C部長と原告との間に、その発生を予見し得るような具体的事情が存在し、これを被告が認識し得たことを認めるに足りる証拠はないから、被告が、上記の措置を超えて、本件事件の発生を防止するために具体的措置を講ずべき、不法行為法上の注意義務を負っていたとは認められない。

「この点、原告は、当時、長崎県内外において女性記者に対する性的暴行事件(甲18等)が問題となっていた旨指摘するが、女性記者に対する一般的状況を指摘するにとどまり、本件事件発生を予見し得る具体的事情ということはできないから、被告の講じていた上記措置で施策として十分であったか否かはさておき、不法行為法上の注意義務を基礎付けるものとはいえず、上記判断を左右するものとはいえない。

「したがって、原告の主張を採用することはできず、この点について、被告に国賠法1条1項の責任原因があるとは認められない。」

3.不法行為法上の注意義務であることは否定されたが・・・

 被告が義務の存在を争わなかったこともあり、具体的状況との関係で不法行為法上の注意義務であることは否定されましたが、本件では、長崎県が「本件条例の制定者として、職員が一般市民を含む女性に対してセクハラを起こさないよう周知徹底し防止すべき義務を負う」ことが所与の前提として議論が進められました。

 このような義務を措定する意義は、ハラスメント加害者に不法行為の成立要件が具備されていることを立証することが困難な場合に見出すことができます。加害者が特定でき、不法行為の成立要件が具体的に立証可能である場合には、そのことを理由に国家賠償法の適用を主張すれば事足ります。しかし、何等かの理由でそれが困難である場合、こうした義務との関係で国家賠償請求を行うルートが開けることになります。

 本件では公務員Cの責任原因が認められ、そのルートで国家賠償責任の適用がなされているため、県自身の注意義務違反の有無を議論する実益がそれほどあったわけではありませんが、原告の主張するような注意義務が存在し得ることは、覚えておいて損はないように思われます。