弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

事業主(使用者)に労災保険料の認定処分を争われた場合、労災の保険給付を受けた労働者が煽りを受けることがあるか?

1.労災保険制度とメリット制

 労働者災害補償保険法は、業務災害や通勤災害により被災した労働者に対し、手厚い保険給付を行うことを規定しています。

 この保険給付を行うための費用は、原則として事業主が負担する保険料によって賄われています。事業主が負担する保険料は「メリット制」という仕組みで計算されています。これは災害の多寡に応じて保険率や保険料を上げ下げする仕組みをいいます。

 メリット制のもとでは、労災事故が少なければ少ないほど保険料が安くなり、労災事故が多ければ多いほど保険料が高くなります。いわゆる「労災隠し」が行われる背景には、このメリット制があり、労災が認められるのか否かについて、労働者と事業主は利益が相反する関係にあります。

 それでは、労働者に対する労災の支給決定に対し、事業主の側で、

「労災が認められるのはおかしい。」

とクレームをつけることは許されるのでしょうか?

 昨日ご紹介した、東京地判令4.4.15労働経済判例速報2485-3 一般財団法人あんしん財団事件は、この問題を消極に理解しました。つまり、使用者が労働者に対する労災保険給付の支給決定の取消しを求めることはできないと判示しています。

 それでは、事業主は労災保険料の金額を、どうやって争うことになるのでしょうか?

 この問題について、一般財団法人あんしん財団事件は、

「労働保険料の認定処分」

に対する不服申立や取消訴訟によって争うようにと言っています。労災事故の件数が保険料の認定と結びついているため、保険料の金額が幾らなのかを争う手続のもとで、ある事故が労災事故といえるのかどうかを争うようにという趣旨です。

2.判決の拘束力の問題をどう理解するのか?

 ここで一つ困った問題が生じます。

 それは、判決の拘束力をどのように理解するのかという問題です。

 「拘束力」というのは行政訴訟に特有の概念で、行政事件訴訟法33条に根拠があります。拘束力という概念により、行政庁は、

「判決の判断内容を尊重し、受任し、その事件については判決の趣旨に従って行動しなければならない」

と理解されています(高橋滋『行政法』〔弘文堂、第2版、平30〕391頁)。

 そして、この拘束力の中には「不整合処分の取消義務」という効力が含まれます。

 不整合処分の取消義務というのは、次のような考え方をいいます。

「行政上の法律概念においては、複数の処分が介在するため、処分の取消が他の処分に矛盾抵触することになるケースは多い。そのため、行政事件訴訟法33条1項は、救済の実効性を期すため、不整合処分を取消す行為義務を行政庁に課している」(前掲『行政法392頁参照)。

 仮に、事業主が、

労災事故ではないものが労災事故としてカウントされ、結果、賦課された労働保険料が過大になった、

という争い方をして、それが認められ、労働保険料の認定処分が取り消された場合、判決に拘束される行政庁が、不整合処分として、労災の保険給付の支給処分を職権で取り消さなければならないとなると、事業主側から労災の支給処分の取消を求めることが制限されるといっても、結局、労働者は不安定な立場に置かれてしまうのではないかという疑問が生じます。

3.この疑問に一般財団法人あんしん財団事件はどう答えたか?

 一般社団法人あんしん財団事件の判断が優れいてるのは、この疑問に対しても一定の手当をしていることです。具体的には、次のような判断を示しています。

「行訴法3条2項所定の行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為(以下『処分』という。)は、いわゆる公定力を有し、権限を有する機関がこれを取り消さない限りは、処分の名宛人のみならず第三者との関係でも有効なもの取り扱われ、また、処分は、出訴期間を経過すると、裁判上もその効力を争うことができなくなる(不可争力。行訴法14条)。」

「業務災害支給処分は行訴法3条2項所定の処分であるから、公定力を有するとともに、出訴期間が経過した後は、不可争力を有することとなる。」

「しかしながら、特定事業主に業務災害支給処分の取消訴訟の原告適格が認められないとの結論に鑑みれば、いわゆる違法性の承継の問題について、特定事業主の労働保険料の認定処分に係る法律上の利益の手続的保障の観点からは、徴収法上の労働保険料の認定処分に対する不服申し立てないし同処分の取消訴訟において、労働保険料の算出において考慮される業務災害支給処分について、同処分が取り消されていない場合であっても、その違法性(業務起因性を欠くこと等)を取消事由として主張することが許される余地があるものと解するのが相当である。違法性の承継の問題について、法令上予定されている先行の処分と後行の処分とが、相結合して初めて所定の法律効果を発揮する場合のように、両処分が不可分の関係にあることは、違法性の承継が認められるための不可欠の要件ではないと解される(最高裁平成21年(行ヒ)第145号同21年12月17日第一小法廷判決・民集63巻10号2631頁参照)。」

「また、業務災害支給処分の違法性を理由に労働保険料の認定処分を取り消す判決がされた場合に、同判決に生じる拘束力(行訴法33条1項)により、行政庁が同判決と整合しない当該業務災害支給処分の取消義務を負うか否かについては、要件の判断を誤った業務災害支給処分により過大な保険給付がされることはメリット制の適用の有無にかかわらず生じ得るところ、徴収法は、そのような場合であっても、労災保険事業全体の長期的な収支においてその均衡を図ることを想定していることに照らし、消極に解するのが相当である。

4.労災の保険給付の支給処分は必ずしも取り消されるわけではない

 上述のとおり、裁判所は、拘束力による労災の保険給付の支給処分の取消義務を否定しました。裁判所が判断したのは、取消義務の否定であり、職権による取消が必ずしも否定されているわけではありません。

 しかし、徴収法の趣旨が「長期的な収支においてその均衡を図ること」にあると考えるのであれば、業務起因性に関する判断が誤っていたことが判明したとしても、職権で取消を図らなければならない場面は、かなり限定されるように思われます。

 この点においても、一般財団法人あんしん財団事件は重要な判断を示したものといえます。