弁護士 師子角允彬のブログ

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性同一性障害者が自認する性別に対応するトイレを使用する利益(続報)

1.性自認に基づいた性別で社会生活を送る権利が問題となった裁判例

 以前、

性同一性障害者が自認する性別に対応するトイレを使用する利益と行政措置要求の可能性 - 弁護士 師子角允彬のブログ

という記事の中で、東京地判令元.12.12労働判例ジャーナル96-1 経済産業省職員(性同一性障害)事件という裁判例を紹介させて頂きました。

 これは、身体的性別は男性であるものの、自認している性が女性である方に対し、女性用トイレの自由な使用を認めなかったことの適否が問題になった事件です。この事件で、裁判所は、性自認に一致するトイレを利用する利益が重要な法的利益であると位置づけたうえ、経済産業省が原告に女性用トイレの使用を制限したことについて国家賠償法上の違法性を認めるという画期的な判断をしました。

 こうした事件で裁判所が国家賠償法上の違法性を認めるのは、かなり異例なことです。控訴があって高裁に移審したことを認識して以来、地裁の判断が高裁でも維持されるのかが気になっていたところ、近時公刊された判例集に、控訴審判決が掲載されていました。東京高判令3.5.27労働判例ジャーナル113-2 経済産業省職員(性同一性障害)事件です。

2.経済産業省職員(性同一性障害)事件(控訴審)

 東京高裁の判断のうち、個人的に注目しているのは、次の部分です。

-性自認に基づいた性別で社会生活を送ることの権利性について-

「性別は、社会生活や人間関係における個人の属性の一つとして取り扱われており、個人の人格的存在と密接不可分のものということができる。他方、性同一性障害者は、生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについて医学的知見に基づく医師の診断を受けていることから(性同一性障害者特例法第2条参照)、自己の身体の性的徴表と性自認との矛盾・相克に悩むとともに、社会生活上様々な問題を抱えている状況にあり、かつては、性同一性障害者が治療等を受けることで上記心理的な相克を解消したとしても、戸籍上の性別に関する記載の訂正の許可の申立て(戸籍法113条)が一般的に認められていなかったことから、入学や就職等の場面で、性同一性障害者であることが露見することで、いたずらに好奇の目にさらされたり、差別を受けるなどの問題が生じていた。そこで、性同一性障害者特例法は、一定の要件が満たされることを前提に、性同一性障害者につき性別の取扱いの変更の審判を認めることによって、上記のような性同一性障害者の社会的な不利益を解消するために、制定されたものと解される。」

「このような、性同一性障害者特例法の立法趣旨及びそもそも性別が個人の人格的生存と密接不可分なものであることに鑑みれば、一審原告が主張の基礎とする自らの性自認に基づいた性別で社会生活を送ることは、法律上保護された利益であるというべきである。

一審被告は、自らの性自認に基づいた性別で社会生活を送ることの外延が不明確である旨主張するが、上記のとおり、個人の人格的存在と密接不可分である性別は、様々な場面が想定される社会生活や人間関係における個人の属性の一つであり、社会生活や人間関係における個々の局面において、様々な問題に直面するという特性を有していると解されることからすれば、その権利としての内容についても、個々の局面において具体化する個別の内容が吟味されるべきであるというべきであり、一義的に明確な外延を有しているわけではない。そして、遅くとも性同一性障害者特例法が成立した平成15年7月時点では、性別が生物学的基準によって一律に決められるものではないことが明らかとなっていたことからすると、性同一性障害者にとっても、性別適合手術を受け、性同一性障害者特例法によって戸籍上の性別を訂正して社会生活を送るか、性別適合手術は受けずに既存の性別のまま社会生活を送るかということについての選択の問題が生じていたというべきであり、かかる選択の問題は、性別が個人の属性として意味を持つ個々の局面において生じ得る問題と同一のものであることは明らかである。そうしてみると、自らの性自認に基づいた性別で社会生活を送る際において、その権利としての内容が一義的に明確な外延を有しているわけではないことは、法律上保護された利益であることを否定する根拠たり得ないというべきである。

-国家賠償法上の違法性について-

「経産省は、一審原告が、平成21年10月23日には、一審原告から近い将来に性別適合手術を受けることを希望しており、そのためには職場での女性への性別移行も必要であるとの説明を受けて、一審原告の希望や一審原告の主治医であるD医師の意見も勘案した上で、対応方針案を策定し本件トイレに係る処遇を実施したのち、一審原告が性別適合手術を受けていない理由を確認しつつ、一審原告が戸籍上の性別変更をしないまま異動した場合の異動先における女性用トイレの使用等に関する経産省としての考え方を説明していたのであって、一審原告が経産省に復職した平成26年4月7日以降現在まで、本件トイレに係る処遇を維持していることについて、経産省において、一審原告との関係において、公務員が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為をしたと認め得るような事情があるとは認め難く、本件トイレに係る処遇につき、国家賠償法第1条第1項の違法性があるとの一審原告の主張を採用することはできない。

 3.違法性は否定されたが、権利性は承認された

 本件で国家賠償法上の違法性が否定されたことは、当事者の方にとって残念だったのではないかと思います。

 それでも、高裁で「自らの性自認に基づいた性別で社会生活を送ること」に国家賠償法上の権利性が認められたことは、なお注目に値します。被侵害利益としての権利性が認められれば、事実関係によっては国家賠償法上・不法行為法上の違法性が認められる余地が開けるからです。地裁の判断から後退したとはいえ、高裁の判断も、性同一性障害者の権利擁護を考えるうえで重要な裁判例であることには違いありません。