弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

有期労働契約者が解雇事件の係争中に他社就労するにあたり、就労意思を否定されないための訴訟技術

1.他社就労による就労意思の喪失

 解雇が無効とされた場合に労働者が労務を提供していなくても賃金を支払ってもらえるのは、

「債権者(使用者)の責めに帰すべき事由によって債務(労務提供義務)を履行することができなくなった」

と理解されるからです。

 この場合、

「債権者は、反対給付(賃金支払義務)の履行を拒むことができない」

とされています(民法536条2項本文)。

 しかし、

「労働者が、就労の意思又は能力のいずれかを失っている場合には、債権者の責めに帰すべき事由による履行不能とはいえない」

ため、解雇が無効とされるケースでも、就労意思・能力のいずれかを喪失した以降の賃金の支払を受けることはできません(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、改訂版、令3〕379頁)。

 この就労意思の欠缺との関係では、しばしば他社就労が問題になります。

 解雇を言い渡され生活の糧が奪われれば、取り敢えず働いて生活費を得ようとするのは当然のことです。このことは裁判所も理解しており、ただ単に係争中に他社就労したからといって、就労意思が否定されることはありません。

 しかし、係争中の職よりも高い賃金を得て正社員として他社就労したような場合には、もはや旧勤務先での就労意思を喪失したとして、未払賃金の請求が認められないことがあります。

 このようなルール設定がされているため、労働者側の弁護士は、依頼者から他社就労をしたいと相談を受けた時、就労意思を否定されないための理屈を構築するにはどうすればよいかを考えることになります。

 こうした問題を検討するにあたり、近時公刊された判例集に、参考になる裁判例が掲載されていました。さいたま地判令3.1.28労働経済判例速報2448-13医療法人社団和栄会・秀栄会事件です。

 これは、以前、

防塵マスクを着用して就労した医師を解雇することは許されるか? - 弁護士 師子角允彬のブログ

年収2500万円を提示されたのに、年収2000万円の契約書を作ってしまっても・・・ - 弁護士 師子角允彬のブログ

という記事の中でご紹介させて頂いた裁判例と同じ事件です。

2.医療法人社団和栄会・秀栄会事件

 本件で被告になったのは、病院を開設して運営する医療法人社団らです。

 原告になったのは、医師の方です。原告と被告和栄会は、人材紹介会社を通じ、期間を令和2年4月1日から令和3年3月31日までとする有期雇用契約を交わしました。

 令和2年4月1日、原告は勤務を開始しましたが、当時品薄であったN95規格のマスクの代わりに、同等の性能を有するとされるRL2規格の防塵マスク等を着用して勤務を開始しました。

 これに対し、被告和栄会は、マスクや手袋等が患者及び近親者の不安をいたずらに惹起しているなどと主張し、原告を即日解雇しました。これを受けた原告が、解雇の無効を主張し、地位確認等を求める訴訟を提起したのが本件です。

 本件の特徴は、原告が令和2年8月1日に別の病院で他社就労を開始していたことです。被告意思は、これを原告の就労意思の喪失の徴表として捉え、労働契約は終了したと主張しました。

 しかし、裁判所は、解雇を無効だとしたうえ、次のとおり述べて、原告の就労意思は失われていないと判示しました。

(裁判所の判断)

「被告和栄会は、原告が令和2年8月1日に別の病院に就職したことをもって、原告が被告和栄会での就労の意思を喪失し、もって、労働契約は終了したと主張する。」

「しかし、解雇を理由に就労を拒絶された労働者において、その無効を争いつつも、他所に就職して収入を得ることは生計を維持するために必要といえるところ、当該就職をもって直ちに被告への就労の意思を喪失したということはできない。」

原告は、解雇通告を受けた直後から就労の意思を示し、令和2年5月25日には本件訴訟を提起し、前記就職後の令和2年9月3日の第1回弁論準備手続期日において陳述した訴状一部訂正申立書においても、被告らとの間の労働契約上の地位の確認を求め、かつ、原告代理人においては、雇用期間満了前に本件訴訟が終局する迅速な進行を要求するなどしていたことは、当裁判所に顕著であるところ、被告和栄会への就労の意思を有していることは客観的に明らかというべきである。

「よって、被告和栄会の前記主張は理由がない。」

3.原告側の高度な訴訟技術が垣間見えた例

 就労意思を否定されないため、解雇通告を受けた直後から迅速に介入し、訴訟提起に繋げるところまでは、手慣れた弁護士であれば行っていることだと思います。

 しかし、初回の口頭弁論における主張書面で、わざわざ雇用期間満了前に訴訟を終局させるように付記、要求しておくことまでは、あまり行われていないのではないかと思います。これは、おそらく、他社就労による就労意思が問題になることを予想したうえ、就労意思を否定されにくくすることを意識した技巧の一つだと思われます。実際、この記載が就労意思を認定する根拠の一つとして指摘されていることを考えると、原告側代理人の卓越した先見性が示されたものと言ってもいいように思います。

 そして、あたかも有限実行というかのように、本件では初回の口頭弁論から判決言渡まで僅か4か月強という迅速なペースで訴訟手続が進められています。

 主張書面でもきちんと指摘し、契約期間の枠内でに適正な判断を受けられるようテンポよく裁判を進めて行く、そうした訴訟追行の姿勢自体が就労意思を肯定する根拠になるとの判示は、銘記されるべき重要な指摘だと思われます。