弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

早出残業の立証のハードル

1.早出残業

 労働契約上、「労働者が使用者の指揮命令下に置かれているのは、原則として所定労働時間ないし所定労働時間の間であり、当該時間の外での就業が、使用者の指揮命令下に置かれているというためには、使用者の明示又は黙示の指示に基づいていることが必要である。たとえその就業に業務性があるとしても、使用者が知らないままに労働者が勝手に業務に従事していた時間を労働時間とすることはできず、これを排除する必要があるからである」と理解されています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、改訂版、令3〕150頁参照)。

 労働時間(労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間)が上記のように理解されていることから、一般に裁判所は早出残業の認定に慎重な態度をとっています。

 早出残業とは、所定始業時刻前に行った時間外勤務をいいます。裁判所が早出残業に慎重な態度をとっているのは、使用者は一般に始業時刻から稼働することを求めていても、出勤後直ちに稼働することまでは求めていないという発想が根底にあるのではないかと思います。そのため、出勤から始業時刻前までに行った労働者の就業は、業務性が認められたとしても、勝手に業務に従事していただけであるとして、労働時間としては、なかなかカウントしてもらえません。これは、所定終業時刻からタイムカードを打刻するまでの間の時間外勤務について、使用者側からの「勝手に業務に従事していただけだ」という主張が、裁判所で殆ど相手にされないのと対照をなしています。

 早出残業が容易には認定されないことは、以前、このブログでも言及したことがありますが、

業務開始時刻(早出残業)の認定は厳しい - 弁護士 師子角允彬のブログ

近時公刊された判例集に、早出残業の立証のハードルを知るうえで参考になる裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、東京地判令3.2.17労働判例ジャーナル111-32 三井住友トラスト・アセットマネジメント事件です。

2.三井住友トラスト・アセットマネジメント事件

 本件は、いわゆる残業代請求事件です。

 被告になったのは、投資運用業、投資助言・代理業、第二種金融商品取引業を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告から専門社員として雇用され、期間1年の有期労働契約を更新してきた方です。被告の就業規則上、専門社員とは「高度な専門知識、職務知識に基づき、専門的な職務又は特命的な職務を担うために、1年以内の契約期間を定めて採用された者」と定義されていました。

 原告が主に担っていた業務は、投資信託の法廷開示書類の作成や監督官庁への届出です。また、それ以外にも、月次レポート(月報)の精査、準広告審査などの業務(月報関連業務)も担当していました。

 本件では、原告の管理監督者性のほか、労働時間の認定も争点になりました。

 原告は始業時刻について、パソコンのログイン時刻であるとし、ログイン時刻から所定始業時刻までの間も時間外勤務をしていたと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、所定始業時刻前の作業時間は、労働時間に該当しないと判示しました。

(裁判所の判断)

「原告は、基本的に、所定始業時刻である午前8時50分・・・より早い午前7時台や、午前6時台に出勤していたことが認められる・・・。前記のとおり、労基法上の労働時間は、使用者の指揮命令下に置かれている時間であるところ、通勤の混雑を避ける等の業務以外の理由で早く出社する場合もあることから、所定始業時刻より早く出社したからといって、当然に労働時間となるものではない。そして、所定始業時刻前のパソコンのログ記録をもって始業時刻と主張する場合には、使用者が明示的には労務の提供を義務付けていない始業時刻前の時間が、使用者から義務付けられまたはこれを余儀なくされ、使用者の指揮命令下にある労働時間に該当することについての具体的な主張立証が必要であると解されるところ、原告は、所定始業時刻前の業務として、インターネット等によるマーケット情報の収集や、共通コメントのチェック作業をしていた旨主張することから、以下、検討する。」

「まず、原告は、所定始業時刻前の業務として、インターネット等によるマーケット情報の収集を行っており、これは月報関連業務に社会通念上必要な作業であり、使用者の指揮命令下にあるものとして、労働時間に当たる旨主張する。」

「そこで検討すると、原告が行っていた具体的な作業は、日本経済新聞を読むことや、インターネットにおいてブルームバーグや日本経済新聞電子版を閲覧することであり・・・、これらはその時に取り組んでいる具体的な月報関連業務とは関係なく金融市場に関する一般的な情報を収集していたものであると解されるところ、当該作業によって得た知識が業務において役立つ場合もあることは否定できないものの、被告において、具体的な業務と関係なく、所定労働時間外に、新聞やインターネット等により知識を習得することを義務付けていたと認めるに足りる証拠はないことからすれば、被告の指揮命令下にあったとは認められず、このような作業に係る時間は、労働時間には当たらないというべきである。」

「次に、原告は、平成30年6月以降の第3営業日の始業時刻前の業務として、共通コメントのチェック業務を行っており、これは、第3営業日の正午までに行うべきところ、被告から前営業日の午後8時以降の残業を禁じられたことから、当日の早朝の出勤を余儀なくさせられたものであり、被告の指揮命令下にあったといえ、労働時間に当たる旨主張する。」

「この点、共通コメントの最終稿は、第3営業日の午前9時頃に共有フォルダに格納された旨の連絡が来て、正午頃までにチェックを終える必要があるところ・・・、原告自身も、共通コメントのチェックについて、午前9時頃から正午頃までの時間では足りないとは述べておらず、最終稿に近いそれ以前の草稿段階から確認をすれば、チェックの精度が上がるためと述べているに留まること・・・、被告において、午後8時までの退出を求めた後、早朝出勤をしないよう原告に対して注意していたこと・・・からすると、メールによる具体的な早朝出勤に対する指導は約1年間で2回に留まるものの、共通コメント作成のための早朝出勤を被告において義務付けていたものとは認められず、また、前記のとおり、原告は共通コメントのチェックの精度を上げるために自らの判断で早朝出勤をしていたものであるが、そのような早朝出勤を余儀なくされていたとも評価できないから、所定始業時刻前の共通コメントのチェック作業について、被告の指揮命令下にあったとは認められず、このような作業時間は、労働時間に当たらないというべきである。」

「このほか、本件において、所定始業時刻以前の在社時間について、原告が被告の指揮命令下にあったと認めるに足りる証拠はない。」

「したがって、原告について、所定始業時刻より前にパソコンを起動したログイン記録があるとしても、所定始業時刻前の時間につき、被告の指揮命令下にあり、労働時間に当たると認めることはできない。」

「以上によれば、ログイン記録が所定始業時刻より早い日については所定始業時刻である午前8時50分を始業時刻と認め、ログイン記録が所定始業時刻より遅い日については当該ログイン記録の時刻をもって始業時刻と認めるのが相当である。」

3.義務付けられたり、余儀なくされたりしていなければ・・・

 上記のとおり、裁判所は、各作業に業務性があることを示唆しつつも、義務付けられたり、余儀なくされたりしていたわけではないとして、早出残業の労働時間性を否定しました。

 早出残業に関しては、働いていたのになぜ労働時間と認められないのかと理不尽さを感じる方が少なくありませんが、これは、業務性があっても、余程の強制性がない限り容易には指揮監督下にあったことを認めない裁判所の事実認定の癖に由来します。

 裁判所の事実認定の傾向は容易には変わらないため、労働者側の自衛という観点からは、極力、早出残業をしないようにすることが望ましいように思われます。