1.ヒヤリ・ハット活動
仕事をしていて、もう少しで怪我をするところだったということがあります。このヒヤっとした、あるいはハッとしたことを取り上げ、災害防止に結びつけることをヒヤリ・ハット活動といいます。
厚生労働省でも、ヒヤリ・ハット活動は、仕事にかかわる危険有害要因を把握する方法の1つとして、効果的であるとされています。
上述のリンク先でも触れられているとおり、ヒヤリ・ハット活動に実効性を持たせるために必要なのは、労働者を責めないという取決めをすることです。ヒヤリ・ハットを報告したために不利益な取扱いを受けたのでは、報告をすることを忌避するようになり、結果として重大事故を防ぐことができなくなります。
昨日ご紹介した大阪地判令2.9.10労働判例ジャーナル106-34 大阪市北区医師会事件は、ヒヤリ・ハット活動によって収集された事情を解雇理由として使うことができるのかという意味でも、興味深い判示をしています。
2.大阪市北区医師会事件
本件で被告になったのは、地域医療等を目的とし、訪問看護・介護を行う医師会立北区訪問看護ステーション(本件ステーション)を運営する一般社団法人です。
原告になったのは、介護福祉士資格を有する女性です。被告との間で「従事すべき業務の内容」を「介護業務及びそれに付随する業務」とする労働契約を締結していましたが、「職務遂行に必要な能力の欠如」「協調性の欠如」を理由に解雇されてしまいました(本件解雇1)。本件では、この解雇の可否が、争点の一つとして問題になりました。
被告は原告の能力欠如を立証するにあたり、様々な事実を多数主張しました。その中には、ヒヤリ・ハット活動によって収集されたと思われる事実が相当数含まれていました。
例えば、裁判所は、次のような事実を認定しています。
「原告は、平成29年8月31日及び同年9月2日、それぞれヒヤリ・ハットメモ(掃除中に窓ガラスが閉まらなくなった事例や利用者が自ら爪切りをした際に負傷し、消毒を行ったが、その点を伝票で報告しなかった事例を記入したもの)を原告の自宅で作成した」
「原告は、平成30年4月27日、ヒヤリ・ハットメモ(同月20日、認知症のある利用者宅で、暑い日にも関わらず、飲みかけのホットミルクをテーブル上に置いたまま退室した旨記載したもの)を作成し、被告に提出した・・・。」
「原告は、平成30年4月28日、ヒヤリ・ハットメモ(同月25日に車椅子の利用者宅で、玄関リフト操作時、最後まで降ろし切っていなかった旨記載したもの)を作成し、被告に提出した・・・。」
こうした事実を根拠に原告の能力欠如を説く被告の主張に対し、裁判所は、次のおとり述べて、これを排斥しました。
(裁判所の判断)
「原告は、介護福祉士の資格を有するものの、訪問介護の実務経験自体は1年半しかなく、それも生活援助が中心で身体介護の経験が乏しかったためか、上記・・・のとおり、複数回のミスを行っている。なお、それ以外にもサービスの提供(洗濯物を干す)を失念するなどのミスもある・・・。しかしながら、そのミスの内容としてはヒヤリ・ハットメモの記入にとどまったものが多い上(事故報告書を含め原告の責任を問う趣旨のものではない・・・。)、証拠によっても、原告が注意指導を受けても同じミスを繰り返したなどの事情は見当たらず、いまだ指導教育をしても改善が見られないとまではいえない。また、能力向上の意欲が欠如していたとまでいえないことも上記ウのとおりである。したがって、上記各ミスの故に、原告において『職務の遂行に必要な能力を欠き』(本件就業規則60条3号)又は『その能力』『が欠ける』(同条6号)とまではいえず、また、解雇につき、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であるともいえない。」
3.ヒヤリ・ハット活動を解雇理由に転用することは消極
最初に述べたとおり、ヒヤリ・ハット活動は、使用者が労働者を責めないことが前提となっている仕組みです。この前提が崩れると、ヒヤリ・ハットが報告されなくなり、活動そのものが有名無実化します。
このことをどれだけ意識していたのかは分かりませんが、裁判所は、
「ヒヤリ・ハットメモの記入にとどまった」
レベルのミスを解雇理由として重視しない判断をしました。
ヒヤリ・ハット活動の趣旨にまで遡った判示ではないため、裁判所の姿勢に不明瞭な部分は残るものの、取り敢えずは、正直者が馬鹿をみるような結論は回避されたといえそうです。