弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

就業規則の周知性立証が崩れるパターン-備置の欠缺

1.就業規則の周知性

 労働契約法7条本文は、

「労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。」

と規定しています。

 この「周知」の意義に関しては、次のような理解が一般的です。

「労働基準法は、就業規則を作業場の見やすい場所に掲示するなど同法施行規則の定める方法により、労働者に周知することを義務づけている(労基法106条1項)。これに対し、労働契約法7条、10条にいう、労働契約の内容を決定・変更する効力の発生要件としての『周知』とは、労働基準法および同法施行規則の定める方法に限らず、実質的に見て就業規則の適用を受ける事業場の従業員が就業規則の内容を知ろうと思えば知りうる状態に置くこと(実質的周知)を意味すると解されている」

(25)【就業規則】就業規則で労働条件を決定・変更するために必要とされる周知|雇用関係紛争判例集|労働政策研究・研修機構(JILPT)

 このように労働契約法上の「周知」は、方法が限定されていないうえ、実際に労働者に知らせることが必要であるわけでもなく「知ろうと思えば知りうる状態に置くこと」で足りると極めて甘く理解されているため、余程のことがない限り否定されません。

 そのため、就業規則の周知性が否定される裁判例は、それほど数多くあるわけではないのですが、近時公刊された判例集に、周知性が否定された裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令2.3.26労働判例ジャーナル103-96 カシマ事件です。

2.カシマ事件

 本件で被告になったのは、会社とその常務取締役、監査役の三名です。

 被告会社は、建具及びパネル製造販売、印刷加工の業務、コンピュータグラフィック画像の企画等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告会社との間で有期労働契約を締結し、グラフィックデザイナーとして業務に従事していた方です。

 中心的な紛争になったのは、解雇の適否であり、原告は、被告らに対し、無効な解雇をしたことなどを理由に損害賠償を請求する訴訟を提起しました。

 その中で、就業規則の周知性が問題になりました。

 被告は

「新たに採用した者には、採用後3か間の試用期間を設ける・・・。」

「試用期間中の勤務状況、勤務態度、健康状態その他従業員として不適格と認められた場合は、状況等を考慮した上で解雇することがある・・・。」

との就業規則の文言を根拠に、本件の解雇が試用期間中の解雇であると主張しました。

 しかし、原告は就業規則の周知性を争い、これを否定しました。

 原告、被告双方の主張は、次のとおりでした。

(原告の主張)

「被告会社のf営業所では就業規則は備え置かれておらず、就業規則の周知を欠いていたから、就業規則に定める試用期間は本件労働契約の内容にならない。」

(被告の主張)

「被告会社においては従業員から要請があれば就業規則を開示し得る体制をとっており、就業規則を従業員に周知させていたから、本件労働契約上、就業規則の定めにより採用後3か月間は試用期間であった。」

 こうした当事者双方の主張に対し、裁判所は、次のとおり述べて、周知性を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告dは、就業規則はf営業所の面談室に備え置いていたが、平成28年12月頃又は平成29年1月頃、改訂のために就業規則を本社に持って行っており、j営業所には偶然なかった旨供述する・・・。」

「しかしながら、就業規則を面談室に備え置いていたことを裏付ける証拠はない。そして、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、被告会社は平成29年1月4日に同月1日付け改訂の就業規則を労働基準監督署に届け出たが、同年2月22日の時点でも被告dは原告に対して就業規則の改訂中のためf営業所にはない旨説明したことが認められるところ、被告dは就業規則の改訂のためにf営業所に就業規則を置いていなかった理由につき『催促がなかったので、私もそのまま忘れていた』、改訂前の就業規則もf営業所に置いていなかった理由につき『そういうのを考えずに丸ごと持って行ってしまっただけ』などとあいまいな供述をするにとどまる・・・。これに加えて、被告らは、本件の第4回口頭弁論期日において就業規則の周知方法等につき具体的に主張する旨述べたにもかかわらず、本件の第5回口頭弁論期日では従業員からの要請があれば開示する体制をとっていた旨抽象的に主張するにとどまったこと(当裁判所に顕著な事実)も併せて考慮すれば、被告dの上記供述は採用することができず、本件労働契約締結当時、被告会社がf営業所において就業規則を周知させていたと認めることはできない。」

3.備置を崩せば勝てる?

 労働基準法106条1項は、

「使用者は、・・・就業規則、・・・を、常時各作業場の見やすい場所へ掲示し、又は備え付けること、書面を交付することその他の厚生労働省令で定める方法によつて、労働者に周知させなければならない。」

と規定しています。

 これを受けた労働基準法施行規則52条の2は、厚生労働省令で定める方法として、

一 常時各作業場の見やすい場所へ掲示し、又は備え付けること
二 書面を労働者に交付すること
三 磁気テープ、磁気ディスクその他これらに準ずる物に記録し、かつ、各作業場に労働者が当該記録の内容を常時確認できる機器を設置すること

を規定しています。

 労働契約法上の「周知」の通説的理解からすると、周知の手段は必ずしも備置に限定されないはずですが、裁判所は備置を裏付ける証拠がないことを理由に、周知性を否定しました。

 やはり幾ら緩やかといっても限度はあり、事業場に物理的に就業規則が存在しないような場合だと、周知性も否定されるようです。知ろうと思えば知ることができない状態とは、具体的にどのような状態を指すのかは、決して明確ではないため、こうした判示がされたことは、周知性を争う際の主張・立証活動の指針として参考になります。

 また、物理的に就業規則が存在しない状態であったことに関しては、被告監査役(被告d)が、就業規則の改定が既に終わっていたにもかかわらず、就業規則の所在について「改訂中のためf営業所にはない」などと話していたことも効いているように思われます。録音の有無は判然としませんが、このことは、初期段階で被告会社の関係者の供述を固定・録音することが、後の法的手続を有利に進めるうえで重要な意味があることを示唆しています。こうした示唆に触れると、やはり秘密録音は労働者にとって有効な立証方法になるのだろうと思います。